研究テーマ

ことばとこころ

「痛いの痛いの、飛んでいけ~」子どものころ、小さなケガをしたときなどに、そんな言葉をかけてもらった経験はありませんか? 痛みが飛んでいくはずなどないのに、なんとなく痛みがやわらぐような気がしたのは、きっと、その言葉の中に相手の思いやりを感じ取れたからでしょう。人を元気づける言葉がある一方、コロナ感染への恐怖や先行きの見えない不安から発せられる心ない言葉によって、傷つく人や追いつめられる人も。こんな時だからこそ、あらためて「言葉」の大切さを考えてみませんか。

「こと(言)」が「こと(事)」をつくる

古来、日本には、「言葉には不思議な力が宿っていて、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされる」とする「言霊(ことだま)信仰」がありました。万葉研究の第一人者、中西進さんによれば、「古代の人々にとって、『こと(言)』として口に出すことと、『こと(事)』をそこに造形せしめる作用とは、不可分のものであり」、「ことばと事物とは密着した関係にあった」とか。つまり、「こと(言)」は「こと(事)」をつくり上げる造形力をもっていて、ことばを口にすることで、「こと」という実体をつくりあげると考えられていたのです。
ちなみに、「ことわざ」とは、ことばの「しわざ」であり、この「しわざ」によって人の行動を左右するのが「ことわざ」。科学的根拠がないと一笑に付すことは簡単ですが、言葉の成り立ちを知ると、古代の人々の叡智に触れたような気がします。

胸に響く言葉

「自粛警察」「マスク警察」といった言葉が生まれるほど、コロナによる不安感は社会全体にギスギスした空気をもたらしました。そんな中、注目されているのは、報道番組でコロナのニュースを伝えるキャスターたちのコメント。中でも共感を集めているのが、夕方のニュース番組『news every.』(日本テレビ系)のメインキャスター、藤井貴彦アナウンサーの言葉です。
「(感染者数の)数字は2週間前の結果です。私たちは2週間後の未来は変えることができます」「おうちにいる。人との距離を保つ。それだけで社会貢献になっています」「発した言葉がその人をつくります。ささくれだった言葉で自分自身を汚さないように。心でコロナウイルスに負けてはいけません」「今、大切なのは、生活のために開けているお店への批判ではなく、お世話になってきたお店への応援ではないでしょうか。自粛要請の限界や矛盾を店主に押し付けないためにも、皆さんの温かい一言が必要です」などなど。自らの思いを込めた真摯なメッセージは多くの人の胸に響き、インターネット上では"藤井コロナ語録"という呼び名も。《今日の藤井語録、涙が出ました》《心が温かくなりました》 とSNSなどで盛んに引用され、拡散されているそうです。

嬉しい言葉の種をまく人

「いま嬉しくない言葉が飛び交っている。言葉を交わさない人も増えている。だからこそ使命感にかられながら、『嬉しいことば』の種をまいて、日本中に笑顔の花が咲くお手伝いをしていこうと思っている」。元NHKエグゼクティブアナウンサーの村上信夫さんは、コロナ以前から各地で「ことば磨き塾」を主催してきました。そこは話し方や声の出し方を学ぶ場ではなく、「相手の気持ちに寄り添えるよう、言葉の使い方を磨き直していく」場。村上さんのオフィシャルブログ「ことばの種まき」を覗いてみると、各地での塾の様子がわかります。
村上さんが特に力を入れているのは、「嬉しくない言葉を嬉しい言葉に変換する」ワーク。ある講座では、コロナ禍の自粛要請でおなじみの「不要不急」という言葉が取り上げられていました。「『不要不急の外出を控える』といわれると、外出が罪のように思え、責め立てられているような気になってくる」から、まずは「不要とは何か、不急とは何か」をみんなで考える。そして出たのは、「生活するために生きていくために『不要』なことなどない」という答え。「ただ、趣味や花見などは何が何でも急いですることでもない」から、「『不要』と『不急』を同時に並列にしないほうがいいのではないか」。そこで、言葉の変換です。「お急ぎでないことは控えましょう」「日常生活に関わらないことは控えましょう」「時間があるときに出来ることは、先延ばししましょう」…たしかに、こんなふうに言われたら、責め立てられている気はしませんね。

言葉が人を温める

村上さんはその著書の中で、自分の思いを詩にした「嬉しいことばの歌」を紹介しています。
「おはよう」って言えば、心の窓が開く/「ありがとう」って言えば、心がニコニコする/「いただきます」って言えば、心がつながる/「おかげさま」って言えば、心がおじぎする/「よかったね」って言えば、心が一つになる/「だいすき」って言えば、心がウキウキする/「だいじょうぶ」って言えば、心が柔らかくなる/「おやすみ」って言えば、心がまあるくなる
なんだか、言葉の温泉に浸かったような気分になりませんか?
イソップの童話『北風と太陽』と同じように、嬉しい言葉には人を温めてくれる作用がありそうです

私たちはいま、出口の見えない不安の中にいます。何が起きるかわからないけど、せめて明るい言葉に置き換えて受け止めてみる。そんなことから、少しは気持ちが前向きになっていくかもしれません。まずは、自分自身に向けて嬉しい言葉を投げかけてみませんか?

*参考図書:『嬉しいことばの種まき』(村上信夫/近代文藝社)

研究テーマ
生活雑貨