昨年12月、無印良品 銀座のATELIER MUJI GINZAで、小さなイベントが催されました。短編ドキュメンタリー映画の上映会と、生産者を招いてのトーク、そして大根の試食会。『沼山からの贈りもの』と題されたその映画は、消滅したと思われていた大根を復活させた男たちの取り組みを、若いクリエーターが半年追いかけて映像化したものです。それは、近代化で変化し続ける「農」の在り方や「食」の在り方を考える機会であり、現代社会に生きる私たちの価値観への問いかけでもありました。
映画の主役は、「沼山大根」。初めて名前を聞く方も多いでしょうが、秋田県横手市沼山地区で何百年も育てられてきた固定種(在来種)の大根です。寒冷地の気候に適応して硬く、長く、たくましく進化したそれは、普通の大根と比べて密度が2倍で歯ごたえがあり、濃厚な風味が特長。秋田の伝統食「いぶりがっこ」に最適の大根とされてきましたが、地区の人口減少や生産者の高齢化により、2004年の冬以来、栽培は途絶えていました。
しかしその13年後、秋田県内の3軒の農家が沼山大根の目を覚まそうと動き出します。その立役者となった田口康平さんも、実は沼山大根の存在を知りませんでした。「秋田にはうめえ大根があるよ」と教えてくれたのは、岩手県で固定種野菜の自家採種に取り組む農家の人。そのとき別の大根を育てていた田口さんは、「もっと自分の足元にあるものを探してみるべきだ」と気づき、沼山大根のことを知りたくて、友人の菊池晃生さん、遠山桂太郎さんを誘って秋田県の農業試験場を訪れます。
そこでは、消滅したと思われていた沼山大根の種が、研究員の椿信一さんの手で残されていました。種は一回採ったものを冷蔵庫に入れておけば保存できる、というものではありません。毎年、土に植えて育てて、また新しい種を採る。その更新を繰り返していくことが種の保存であり、椿さんの自主努力でなんとか守られていたのです。
伝統野菜に向き合う時、「この野菜を100年前、200年前の人たちは、どういう思いで作ってきたのだろう」と想像しながら、「その野菜を作ってきた"人"と時空を超えて対話している」と言う椿さん。モノのように風化したり色あせたりすることなく、生まれた瞬間から「昔の人が作っていた新鮮な野菜そのものが再現される」伝統野菜の魅力を、淡々と語ります。「だから、自分も作って、次の人へ思いをつないでいく。これは文化なのです」とも。その椿さんから「今はやる人がいなくて、ここに眠っている種だ」と聞かされた時、3人は「どうにかして沼山大根の目を覚ましてあげたい」と思ったのでした。
農業試験場から譲り受けた種を最初に蒔いたのは、今から4年前の夏でした。35℃くらいある暑い日で、土はさらさらに乾き長靴も手も熱かったこと。3粒ずつ手に取って、丁寧に、すべて手で蒔いたこと。その時の様子を、田口さんは昨日のことのように鮮明に憶えています。初めて芽を出した時のこと、生長していく様、収穫の時、そして種採りの時──そのひとつひとつに感動があったと言います。「子どもが初めて見たものにワクワクするそんな感覚に、大人としての重さが加わった感じ」と田口さん。種をつなぐということは、命をつなぐという責任を伴うことなのです。
こうして復活した沼山大根は、昨秋は10,000本を収穫するまでに。とはいえ、固定種の野菜はF1種のように効率よく栽培できるものではありません。ましてや途絶えていた沼山大根を実際に育ててみると、採算を重視する社会の流れの中でこうした野菜がなくなっていくのだと実感するそうです。「不安はありますが、好きでやっているので苦労はありません。うまい大根が待っていると思うと楽しい」と語る田口さん。その言葉に、「農」の本質を見るような気がします。
沼山大根の復活に取り組んでいる3人は、田口さんをはじめ固定種しか栽培していない農家です。なぜなら、「固定種は一番自然な形で育てられる種」だから。「もともとその土地に適合して育ったものだから土の栄養を取り込むのが上手。栄養をあげなくても育つし、農薬をかけなくても虫が付きにくい」と言います。そして、「農家の役目は、種を採り、毎年更新していくこと」とも。そんな考えを持つ人たちだからこそ、沼山大根の復活にもチャレンジできたのでしょう。その根底には、効率よく野菜を育てて収穫し換金することが大事とされる今の「農」への疑問があるようです。
「いまの食の世界は市場原理におおわれていて、一年中なんでもあり、どこへ行っても同じものがある。そういう食の世界は不自然」「まず、大消費地である都市が消費したい野菜があり、我々農産地も、売り先をそこに依存していくことで作るものが変わってきた。都市に支配される農業になっているのではないか」という言葉は、消費者である私たちの姿勢も含めて現代の「食」に対する問いかけと言えるかもしれません。
「伝統を継承する重みに負けず、土の上に立ち続け、沼山大根という伝統を次につなげたい」──上映会で田口さんが語った言葉です。この取り組みを通して田口さんがたどり着いたのは、「自分はあくまで途中の人」という思い。そして、いつも考えているのは「沼山大根の力を借りて、何ができるか」ということ。実際、沼山大根のドキュメンタリー映画を作った大学生が秋田に根を下ろして起業することにもつながっていき、沼山大根の復活は着実に地域を変えつつあるようです。「都会に売るための大根ではなく、秋田の人が"秋田の大根はこれ"と言う大根に育てていきたい」という言葉の意味は、まさにこういうことなのでしょう。
*固定種とF1種との違いについては、以前の当コラム『種を考える』で詳しくご紹介しています。ご覧ください。
*関連サイト:Outcrop Studios
]]>人間誰だって、不幸より幸せな方がいいですよね。いつも自信に満ちあふれ、楽観的に前向きに生きられたら、どんなに素敵なことか。でも、現代のようなストレスフルな社会に身を置いているとこれがなかなか難しく、心配や不安のタネは尽きずに、寝つかれない夜を過ごすこともあります。そんなとき役立つのが、「ポジティブ心理学」というもの。人間の強みやポジティブな感情を研究することから生まれた、前向きに生きるための新しい心理学です。
幸福学の研究者である前野隆司さんの「実践ポジティブ心理学」という本に、興味深い話が紹介されていました。なんでも日本人は"世界一不安になりやすい国民"なのかもしれないというのです。根拠として示されていたのが、世界29カ国を対象に行われた研究調査の結果。不安を感じやすい人は「セロトニン・トランスポーターSS型」という遺伝子を持っているそうで、この遺伝子を持つ人の割合が日本人は最も高いということが明らかになりました。「SS型」の遺伝子を持つ人は、人の気分に影響を与えるセロトニンが不足しがちなため、不安を感じやすくなるとのこと。日本人の実に65%が「SS型」の遺伝子を持っているそうです。ちなみにアメリカ人の場合は、不安傾向のある「SS型」は19%で、逆にポジティブ傾向のある「LL型」が32%もいました。日本人の「LL型」はわずかに3.2%。日本人よりアメリカ人に陽気な人が多いように思えるのは、遺伝子の影響もあったのですね。ところで、この本にも書いてありますが、不安を抱きやすいということは必ずしも悪いことばかりではありません。モノづくりの分野などでは、慎重さや緻密さというプラス面として作用することもあります。優秀なモノづくりで日本が世界のトップに立てたのも、不安を感じやすいという国民性があったからなのかもしれません。
とはいえ、やっぱり心配を抱え、不安になっている状態は辛く感じますよね。うつ病の傾向が現れると、問題はさらに深刻になります。こういう不安や心配の感情を取り除き、人間の心を健やかにするための研究を重ねてきたのが、従来の心理学でした。ところが、20世紀の終わりに、人の心からネガティブ要因を取り除くことに主眼を置く心理学のあり方に疑問を呈する人物が現れました。アメリカの心理学博士であるマーティン・セリグマンです。うつ病と異常心理学の権威であるセリグマン博士は1998年、アメリカ心理学会の会長に就任した際に、それまでの心理学とは一線を画す「ポジティブ心理学(Positive Psychology)」の必要性を訴えました。人間の弱みばかりに着目するのではなく、人間の良いところや人徳を研究し、人生をよりよくしていくことに活かそうという考えです。
漢方に「未病」という考え方があります。病気には至らないものの、健康な状態から離れつつある状態を指す言葉です。従来の心理学は病にかかった心を治すためのものでしたが、それに対してポジティブ心理学はむしろ漢方の理念に近く、まだ病にかかっていない健康な心をよりよくするという考えに立脚しています。ひとくちにいえば、「どうすればもっと幸せに生きられるか」を追究する学問なのです。
さて、では前向きに生きるために私たちは何をすればいいのでしょうか。前野さんの本にはさまざまな手法が紹介されていますが、なかでも有名なのが、セリグマン博士が考案した「Three Good Things」という手法です。これは名前の通り「毎晩寝る前に、その日あった『三つの良いこと』を書き出し、これを一週間続ける」というもの。書き出す"良いこと"は、「今日飲んだコーヒーがおいしかった」「晴天で気持ちよかった」といった些細なことでよく、これを毎日続けるうちに、自然と日常に起きるポジティブなことに目が向いていくそうです。他にも、自分の弱みではなく「強み」を発見し、それを伸ばしていく方法や、「マインドフルネス」や「瞑想」など、前向きに生きるためのさまざまなメソッドがあるようです。
ところで、「ポジティブ心理学」と似た言葉に「ポジティブ・シンキング」がありますが、両者はまったく別物だと前野さんはいいます。ポジティブ・シンキングはネガティブを排除して、とにかく明るく前向きになろうというもの。一方、ポジティブ心理学は、落ち込んでいる自分や悲しんでいる自分、ネガティブになっている自分も含めて認めてあげようという世界観を持つそうです。「SS型」の遺伝子を持つ日本人でも、これなら抵抗なく実践できそうですね。
新年の幕が明け、2022年が始まりました。昨年、一昨年とコロナ禍で苦しまれた方も多いと思います。この一年を前向きで有意義なものにしていくために、普段の生活にポジティブ心理学を取り入れてみてはいかがでしょうか。心の持ちようひとつで、目の前の世界が明るく開けてくるかもしれません。
参考図書:「実践ポジティブ心理学 幸せのサイエンス/前野隆司」(PHP新書)
]]>相手の顔を思い浮かべながら、贈りものを選んだり、手作りしたり。そんな行事の多い季節になりました。そうした特定のだれかに対してではなく、見知らぬ子どもたちのためにプレゼントを手作りし、贈り続けているボランティア団体があります。被災地や小児病棟、児童養護施設などで頑張る子どもたちへ、フェルトの玩具を作り、届けている「チクチク会」。針と糸さえあれば、誰でもどこからでも参加できるこの取り組みは、静かに各地に広がり、人々の善意を子どもたちの笑顔へとつなげています。
チクチク会代表の田中弘実さんは、2011年の東日本大震災当時、千葉県船橋市に住んでいました。その時、お嬢さんはまだ1歳半。震災後も余震が続く中、放射線量が基準値を上回ったり、乳児には水道水を使わないよう指示が出たり、親子ともども不安な日々が続いたといいます。千葉でさえこんな状況なのだから、被災地の人たちはどんなに不安な時間を過ごしているだろう──そう考えた田中さんは、幼少時に住んでいた石巻市役所に連絡して必要なものを訊き、送ることにしました。そのときにリクエストがあったのは、抱き枕。まだ親が見つかっていない子どもたちには、ぎゅっと「抱きしめる」ものが必要だったのです。
震災直後は必要に応じていろいろなモノを送っていた田中さんですが、しばらく経つと、「ふつうの市民」が息長くサポートできることはないかと考えるようになりました。そんなとき、親戚のおばさんから届いたのが、手作りのフェルト玩具。喜んで遊ぶお嬢さんの姿を見て、「手作りの温もりはこんなに子どもを喜ばせるんだ」と実感した田中さんは、その後はフェルトをメインにした手作り玩具に一本化します。材料のフェルトは大手の手芸フェルトメーカーに掛け合って、端切れを回してもらうことに。
まずは近隣の友人に声をかけ、その後ブログやSNSなどで呼びかけると、多くの人が手を挙げてくれました。その大半は、子育てや介護に追われ、被災地の応援に行きたくても行けない人だったとか。波紋は全国に広がり、各地からフェルトの玩具が届くようになったのです。
チクチク会の会員数を訊くと、「"会員"という形でくくりつけることはしていません」という意外な答えが返ってきました。会則も会費もなく、その時々で参加できる人が自分のできる範囲で参加する、ゆるやかな会なのです。ただ、InstagramにもFacebookにも、それぞれ800人以上のフォロワーがいるといいますから、少なくとも1,000人くらいの人がこの会の活動を見守り、必要とあれば手を差し伸べる気持ちでいることになります。
参加人数が増えるにつれて、支援の対象は被災地だけでなく全国の小児科や小児病棟、児童養護施設などに広がっていきました。クリスマス用には毎年1,000人近くの子どもたちへ寄贈。これまで延べ3万人近くの子どもたちへ、ちょっとしたハッピーとサプライズを届け続けています。
「特に小さな子どもがいると家にこもりがちになって、世間との接点をなくしてしまう人も多いので、ボランティア活動に参加することで自分の居場所をつくってもらえれば」──そんな思いもあって、以前は公民館や田中さんの自宅などに不定期に集まって、おしゃべりを楽しみながらチクチクしていました。
コロナ禍の今、「集まる」ことはできませんが、針と糸さえあればどこででもできるのが裁縫仕事。1年間作り貯めたものをクリスマスの前に10年以上送り続けてくれる人もいて、「これがあることで前向きになれる。1年のゴールになっている」といった声も寄せられています。ある高齢者の息子さんからは、「退屈をパチンコで紛らわせていた母が、チクチクのおかげで楽しみを見つけて元気になった」という手紙が届いたこともあるとか。だれかを助けようとすることで、実は自分もそのだれかに助けられている。プレゼントは、贈られる側だけでなく、贈る側にも喜びをもたらすことがわかります。
チクチク会を立ち上げて2年後、田中さんは千葉での活動をかつての仲間に托し、東京都小平市へ引っ越しました。そこでもチクチク会を続けていますが、新たなご縁も。たまたま自宅近くに社会福祉法人の経営する児童養護施設があり、お嬢さんのクラスメートがその施設から通っていることをきっかけに、この施設との交流が深まっていったのです。クリスマスプレゼントを贈るだけでなく、園内の畑を耕して子どもたちと野菜を育てたり、クリスマス前には子どもたちのリクエストに応えてクリスマスリースのワークショップをしたり。このワークショップをSNSで公表したところ、全国から材料や寄付金が集まってきたといいます。松ぼっくりを採りに行ってくれた人、杉やモミの木を伐採して送ってくれた人、手芸品などを接着するためのグルーガンやリボンを購入して送ってくれた人などなど。そしてワークショップ当日は、10人のボランティアがサポートしてくれたとか。手作りの品だけでなく、年末の忙しい時期に時間と労力を提供してくれる多くの善意が、こうした活動を支えているのです。
さまざまな事情を抱えて頑張っている子どもたちが、笑顔でいられる時間を少しでも増やせるように──そんな思いに駆られて立ち上げたこの活動は、10年後の今、しっかりと根を張って継続されています。「ひとりでできることは限られるけど、たくさんの人のちょっとずつの力が集まれば、大きなことができる」という田中さんの言葉に、これから私たちがどんな社会を目指し、実現していくかのヒントが隠されているようです。
贈り贈られることの多い12月。みなさんは、だれに、どんな贈りものをなさいますか?
※参考サイト:
チクチク会 Instagram
チクチク会 Facebook
「人新世」という言葉をご存じですか? 読みは「じんしんせい」もしくは「ひとしんせい」。地質学の方から出てきた言葉で、原語は「Anthoropocene(アントロポセン)」といい、"人類の時代"という意味を持つそうです。今回は、新たな地質年代の候補としてクローズアップされてきた「人新世」を話題に取りあげたいと思います。
「人新世」の話題に入る前に、まずは地層の話から。「地層」という言葉はご存じですよね。崖や切り通しなど、地面の断面がむき出しになった箇所では、いくつもの地層がミルフィーユのように重なっているのを見ることができます。それぞれの地層はその年代に降り積もった堆積物でできていて、地面から深く掘り進むにつれ古い時代の地層が現れてきます。地層を調べることで、過去の時代にどんな生物がいて、どんなドラマが地球に起きたかを推測することができるのです。
ところで、地球の歴史は46億年もあるので、地面の下にはものすごくたくさんの地層があります。どの時代にどんな地層があるのかを調べていく学問が「層序学」で、その結果分類された地層に対応する年代が、「地質年代」と呼ばれるものです。地質年代の種類は多いので、大区分の「代」、中区分の「紀」、小区分の「世」に分けて整理されています。たとえば、三葉虫などの節足動物が海中に繁栄したのは「古生代」の「カンブリア紀」で、いまから約5億4,200万年~約4億8,830万年前のこと。また、かの有名な恐竜ティラノサウルスが地上を闊歩していたのは「中生代」の「白亜紀」で、いまから約6,800万~約6,600万年前のことです。ちなみに、いま私たちが生きているのは、約1万1,700年前から始まって現在に至る「新世代・第四紀・完新世」と呼ばれる地質年代です。
2000年2月、メキシコのクエルナバカという街で、「地球圏・生物圏国際共同研究計画(IGBP)」の会議が開かれました。そこで「完新世」という現代の地質年代について議論が交わされていたときに、ある科学者が突如発言をしました。「完新世という言葉を使っているが、我々はもはや『人新世』に入っているのではないか」と。こういったのは、オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェン氏で、発言には次のような意図がありました。「完新世」はいまから1万1,700年前に始まり現在まで続いているとされているが、それは石器時代までのことで、人類の影響が地球環境に大きく影響しているいまは、もはや「完新世」の次の地質年代に移行しているのではないか。それをクルッツェン氏は「人新世」という言葉で表したのです。この発言後、生態学者ユージン・ステルマーがすでに「人新世」という言葉を使っていたことを知ったクルッツェン氏は、2人でIGBPのニュースレターに「The Anthoropocene(人新世)」を寄稿します。さらに、その2年後には単著論文「Geology of Mankind(人類の地質)」を発表し、人間活動による地表改変が地質的に影響を及ぼすことを「人新世」という言葉で定義しました。「人新世」という言葉が世界的に注目されるようになったのは、これ以降のことです。
2020年12月、「ナショナル・ジオグラフィック」に「地球の人工物と生物の総重量が並ぶ、研究」という見出しの記事が載りました。読んでみると、地球上の生物の総重量約1兆1,000億トンと、人間が作り出した人工物(コンクリート、ガラス、金属、プラスチックなど)の総重量が現在ほぼ同じになっているそうです。そして、さらにこのままの勢いで増え続けると、2040年までに約2.2兆トン、生物の総重量の2倍以上になると予測されています。人間の作り出した人工物によって、地球が埋めつくされているのです。
18世紀半ばに起きた産業革命以降、私たち人類は石油や石炭などの化石燃料を燃やしつつ、金属、コンクリート、プラスチックなど、自然界にはない人工物を作り出し、便利で豊かな社会を築いてきました。しかし、その反動で大気は排ガスで汚染され、海はマイクロプラスチックにまみれ、二酸化炭素が増えすぎて地球の温暖化を招いています。とくに温暖化の問題は深刻で、このままの勢いでCO2が増加すると「ポイント・オブ・ノーリターン」、つまり回復不能なダメージを地球に与えてしまうことが危惧されています。絶妙なバランスを保っている地球の自然に大きな狂いが生じたら、これまで以上に異常気象が頻発し、随所で甚大な災害が発生し、大寒波や大干ばつによって食物が育たず、深刻な大飢饉に見舞われる恐れがあります。そして、その先にちらちら見え隠れしているのは、人類滅亡という最悪のシナリオです。
私たち人類が地球から姿を消した後、はるか未来に現れた知的生物が地球を調べていったとき、コンクリートやプラスチックなど、他とは明らかに異質な物質で構成された地層を発見することになるでしょう。それが「人新世」と呼ばれる地質年代が意味するところです。そのような未来を決して招かないために、私たち人類は何をすべきなのか。いま、まさにそれが問われているのだと思います。
]]>「不便益」という言葉をご存じですか? 不便益とは、不便の益。英語で言うとbenefits of inconvenienceで、不便さがもたらす利益のことを言うのだそうです。何をするにも利便性やスピードが求められ、それによって効率よくお金を得ることが「豊かさ」とされてきた現代社会においては、いわば真逆の発想。「便利」に向かってひた走ってきた視点をちょっとずらして、「不便益」という視点に立ってみると、これまで見過ごされていたものの価値が再発見できるかもしれません。
「不便益」を語る前に、まずは「便利」と「不便」の意味を再確認しておきましょう。辞書によれば、「便利」とは「都合のよいこと。うまく役立つこと」。そして「不便」は「便利でないこと。自由のきかないこと」(『広辞苑』)。私たち現代人の場合、ここに「スピード」や「効率」が加わって、便利さとは「速くできること、手が抜けること、思い通りになること」といったとらえ方をしてきたような気がします。さまざまな電化製品をはじめ、新幹線、車、飛行機などの交通手段も、すべては「便利」のために開発され、進化してきたもの。それによって経済が成長しお金の豊かさを手に入れることが進歩であり、「便利な」ものやことは先進国の象徴として評価されてきました。
しかし「"人間は生きものであり、自然の中にある"という切り口で見た時、この方向には大きな問題がある」と警鐘を鳴らすのは、生命誌研究者の中村桂子さんです。なぜなら、「生きものにとっては、眠ったり、食べたり、歩いたりといった"日常"が最も重要」であり、「便利さは生きものの特徴と合わないところが多い」から。日常生活の中ではとてもありがたいと思える「速くできる、手が抜ける、思い通りにできる」といったことは、「いずれも生きものには合いません。生きるということは時間を紡ぐことであり、時間を飛ばすことはまったく無意味、むしろ生きることの否定になる」と言われると、ちょっとドキッとしませんか?
「人間は生きものである」という視点に立つと、「便利」と思えていたことが、実は生きものとしての能力を削いでいたかもしれない、ということに気づきます。コロナ禍で自宅テレワークになり、通勤のために時間や体力を取られることもなく便利になった反面、運動不足によるコロナ太りや筋力の衰えを感じた人が多かったのも、その一例でしょう。
電卓に頼るようになって暗算ができなくなった、パソコンを使うようになって漢字を書けなくなった、携帯電話になってよく使う電話番号も忘れてしまった、カーナビを使いだして道を覚えなくなった…誰にも心当たりのある話ですね。もちろん、便利になって「助かる」こともたくさんあるのですが、便利さを追い求めていったその先に見える景色にも、私たちはもう少し想像力を働かせたほうが良いのかもしれません。
「便利なものが生活を豊かにする」という一般的な考え方に対し、便利の追及で見落とされていた「不便の効用」を見直すことで、新しいデザインを生み出そうという動きもあります。「不便だけど、我慢すれば良いことがある」といった妥協ではなく、「不便だからこそ、良いことがある」という前向きの考え方で、不便の効能を追求する研究です。その第一人者である川上浩司さん(京都先端科学大学教授)は、不便益の効能を追求するためWEB上に「不便益システム研究所」まで設立。自らの活動を「中村桂子さんの言葉を借りて格好よく言えば、"自然の中にある生きものとしての人間"のための道具や仕組みを考える活動」と説明しています。
そんな川上さんが「不便益」の好例として挙げるのが、建物の中にあえて段差などを設ける「バリアアリー」。高齢者施設や介護施設ではバリアフリー設計が基本ですが、あえて段差や階段を配置し、日常生活をちょっとした訓練の場にすることによって、身体能力が衰えるスピードを低減させるというものです。ある施設のバリアは、作業療法士として数十年のキャリアを持つ人がデザイン。施設での過介護が、利用者の主体性を奪って依存化傾向を高めるという知見に基づいているといいます。過保護は、デイケアセンター利用者の主体性を奪うもの。施設の中に配置された不便なバリアは、身体能力の衰えを緩和するだけでなく、過保護からの解放でもあるのです。そして、その効果を発揮させるのは、「手を貸してはならないギリギリ」を見極めるスキルを身につけたスタッフたち。バリアアリーは、施設の利用者だけでなく、スタッフの専門性を高めることにもひと役買っているようです。
「便利の押しつけが、人から生活することや成長することを奪ってはいけない」と語る川上さんの著書には、この他、園庭をわざとデコボコにして園児の活動や発達を促す幼稚園の話や、参拝の予約受付にわざわざ往復はがきを使っている京都の苔寺(西芳寺)の話も紹介されています。
考えてみれば、「便利」か「不便」かは人によって答えが違っていてあたりまえ。ひとりの人間の中でも、その時の状況によって「便利」と「不便」の基準は違ってくるでしょう。みなさんの「不便益」は何ですか?
参考図書:
・『科学者が人間であること』中村桂子(岩波新書)
・『不便益のススメ 新しいデザインを求めて』川上浩司(岩波ジュニア新書)
1948年12月10日、「世界人権宣言」が国連総会で採択され、以後毎年12月10日は「世界人権デー」とされ、世界中で人権擁護の大切さを推進するための行事が行われます。ところで、「人権」というと人種や男女差別、障がい者、LGBTなどの問題を思い浮かべる人が多いと思いますが、意外と見過ごされがちなのが「子どもの人権」ではないでしょうか。今回は大人から見て圧倒的に不利な"弱者"である子どもの人権について考えてみます。
「成果が出せないなら会社を辞めろ!」「おまえを雇っている金は会社にはない!」。もし万一こんなことを上司から言われたら、あなたはどう思いますか? たぶん、というか絶対に、この発言はパワハラですよね。録音テープをもって裁判に訴えれば、勝訴できるかもしれません。ところが、これと同じように理不尽な発言が家庭のなかで発せられることがあります。次に紹介するのは、スポーツ系のWebマガジンの記事で見かけたサッカークラブに所属する中学生の子に向けて発せられた父親の言葉です。「プロを目指さないならやる意味がない!」「親が高い金を出している意味がない!」。どうです、前述の発言にそっくりでしょう。これを聞いた母親は、「もともと男の子は厳しく育てるものだという人でしたが、ことサッカーになると特に攻撃的になる」と困り果てていたそうです。この父親の場合、言った本人は子を激励するつもりだったのかもしれませんが、ハラスメントの基準は受け取る側がどう感じるかです。その発言によって子どもが嫌な思いをしたり、深く傷ついたりしたとすれば、これはもう立派なハラスメント。パワハラならぬ、「親ハラ」とでも呼びたくなる行為ではないでしょうか。
この父親に限らず、子どもによかれと思って厳しく当たる親は少なくありません。ドリルの問題を解く小さな子を前に、「なんでこんな問題もできないの!」と厳しく叱り、子どもが泣き出すといった場面に出くわすこともあります。子どものことを思ってのこととはいえ、物事には限度というものがあり、度を過ぎたしつけや教育は虐待と紙一重といわざるをえません。
ここにひとつのデータがあります。ユニセフが先進国の子どもの幸福度をランキングしたもので、その報告によると「日本の子どもの幸福度」は38カ国中20位でした。この数字だけを見ればさほど衝撃的ではないのですが、この調査は①精神的幸福度 ②身体的健康 ③スキル の3つの分野に分かれていて、そのうち「精神的幸福度」はなんと38カ国中37位と最低レベルだったのです。逆に「身体的健康」の分野はトップでした。医療が発達した日本では、子どもの死亡率が低く、肥満も少ないために身体的な健康は保たれている一方、学校や家庭での厳しい指導やしつけに苦しんでいる子が多く、自殺率(15~18歳)の順位も高く、総合的な幸福度を押し下げているのです。
若年層の自殺に関しては、気になるデータがヤフーニュースに載っていたのでそれを紹介します。厚生労働省の「令和元年版自殺対策白書」によると、2018年の19歳以下の自殺者数は、統計を取り始めた1978年以降最悪となったそうです。また、10代の自殺の原因を調べると、トップは「学校問題」が4割以上で、次いで「健康問題」「家庭問題」が3割近くを占めているとのことでした。なかでも小学生の場合は「家庭からのしつけ・叱責」「親子関係の不和」など家庭に起因することが多く、中学生以降になると「学業不振」「学友との不和」が多くなるようです。全体から見れば小学生の自殺者数は少ないのですが、それでも行きすぎたしつけや叱責によって、自らの命を絶ってしまう子がいるということは、親として重く受けとめておくべきことではないでしょうか。
もともと日本は人権に対する意識がそれほど高くない国です。たとえばスイスの非営利財団「世界経済フォーラム」が発表している各国の男女格差を分析した「ジェンダー・ギャップ報告書2021」によると、日本の男女格差の指数は調査対象となった153カ国中120位だったそうです。かつて男性社会だった日本には「おんなこども」という言葉があり、女性や子どもを一段低く見る風潮がありました。さすがに現代の社会において、あからさまな男女差別は影をひそめましたが、しかし、家庭によってはいまもなお、夫婦や親子の関係において、「おんなこども」という意識がぬぐいきれずに残っているような気もします。
子どもは親の所有物ではなく、独立した人格を持つ一個の人間です。たしかに親は子どもを育てる義務を負っていますが、それは子どもを好き勝手にしていいということではありません。 12月10日の「世界人権デー」を前に、家庭内における子どもの人権について、あらためて考えてみてはいかがでしょうか。
※参考サイト:
Sports Graphic Number Web「Number Ex2021/09/28」
ユニセフ報告書「レポートカード16」発表 先進国の子どもの幸福度をランキング
Yahoo!ニュース 2020/1/18
「小さい」ものを見ると、思わず顔がほころんでくるのはなぜでしょう。赤ちゃんは文句なしにかわいい存在ですし、見慣れたものでも単純にサイズを2分の1にしただけでかわいい。人間の中には、小さなものを愛おしむ気持ちが埋め込まれているのかもしれません。そして、小さなものは小さかった(幼かった)ころの自分の記憶を呼び起こしてもくれます。そんな小さなものたちに目を向けた「ファーストバスケット展」があると聞き、開催日を前にした東京都文京区のギャラリーを訪ねました。
その展示会のタイトルは、『ちいさな私×ちいさな籠(かご) my first basket 』。「幼い人が初めて手にするかご」というテーマに沿って、国内外の作り手の作品を集めた企画展です。赤ちゃんは、文字通り「まっさら」な状態でこの世に生まれてきます。見るもの聞くもの触れるもの、すべてが「初めて」の世界。この企画展も、「初めて見た、触れたものがその人の価値観の源になるとしたら、美しいかごを幼子に渡したい」という思いからスタートしています。
かご好きが昂じてギャラリーを開いたという「gallery KEIAN」オーナーの堀惠栄子さん自身、赤ちゃんの時には籐のベッドに寝かされ、幼稚園にはピンクのバスケットを提げて通ったとか。そうした原体験が、その後の美意識を形づくっていったのでしょう。「"美しい"というのは、それぞれの記憶の中にある」と歌舞伎役者の坂東玉三郎さんが言っているのも、そういうことなのかもしれません。
バスケタリー作家の関島寿子さんは、「かごとは中身のない空間を維持するもの」と定義しているそうです。それはつまり、「その中に何を入れ、どこに持って行き、どのように使うかは限りなく自由」で、使う人に委ねられているということ。「自分がかごをこよなく愛するのも、その自由な感覚に魅せられているからかもしれない」と堀さんは言います。
そしてまた、「かごは先史時代から現代まで、まったく変わらない方法で作り続けられている唯一のもの」。「自然からいただいた材料を使い、わずかな道具と手だけで形づくる、いわば人類の文化遺産、ものづくりの原点」であり、「バーチャルが主流になろうとしている今だからこそ、それを次世代に渡す意味は大きい」と語ります。「かごは掌であり、大切なモノ、つまり物心を運ぶ」と堀さん。丁寧に作り込まれたかごに、子どもたちは何を入れるでしょう。
「丁寧に作られたかごを見ていると、自分が大切にされている気がする」──かご好きの人が、堀さんのギャラリーを訪れて、もらした言葉だそうです。自然の素材を使い、人の手で丁寧に編み込まれ形づくられたそれには、作り手の思いが込められていて、見る人をやさしく包み込むのでしょう。そういえば、赤ちゃんを安らかな眠りに誘う「揺りかご」も、かごの一種ですね。
松任谷由実の歌う『やさしさに包まれたなら』は、映画『魔女の宅急便』のエンディングテーマソングとしても知られます。「小さいころは神様がいて…」という歌い出しで始まり、一番では「不思議に夢をかなえてくれた」、二番では「毎日愛を届けてくれた」と続く歌詞に、幼いころの記憶を呼び起こされる方も多いでしょう。振り返ってみると、「大切にされた」という幸せな記憶は、多くの人の中に眠っているもの。小さなかごを通して、今は大きくなった人にも「大切にされた記憶」を呼び覚ましてもらえたら──展示会には、そんな願いも込められているようです。
この展示会は、gallery KEIANと熊本を拠点に活動するgran moccoとの共催で行われます。gran moccoが熊本伝統のおんぶ紐・もっこを現代風に蘇らせ、子育て世代に向けた活動を行っていることは、以前のコラム(「おんぶ、してますか?」「心地よい『場』をつくる」)でもご紹介しました。長引くコロナ禍で社会環境は大きく変わりましたが、子育て中のお母さんたちに寄り添うため、さらにきめ細やかな活動を続けています。
例えば、初めての人が自宅でおんぶ紐を試せる「トライオンシステム」をスタートさせたり、抱っこやおんぶの仕方をオンラインで伝えたり、出かける場所がなく息が詰まりそうになっているママと赤ちゃんのために少人数入れ替え制で小さなマルシェを毎月開催したり、赤ちゃんとの心地よい暮らしをシェアしながら横のつながりを大切にするためLINEのオープンチャットで情報交換したり。
また、世界の人におんぶ育児の楽しさを知ってもらうため、海外向けのサイトも開設しました。世界的に引きこもりになっている今だからこそ「私たちが出来ることで世界のママたちとつながれたら」──代表の田代佳織さんは前向きに語ります。
おんぶ紐・もっこの「もっこ」にはそもそも「かご」という意味があるように、「もっこ」も「かご」も、大切な何かを運ぶための道具です。いずれも、ベースにあるのは、小さな人たちへのやさしいまなざし。コロナ禍で社会全体にギスギスした空気が漂うこんな時だからこそ、小さなかごに触れることで、本当に大切なものが見えてくるような気がします。そして、もしかしたら遠い日の「小さかったころの自分」にも会えるかもしれません。
『ちいさな私×ちいさな籠(かご) my first basket』
・東京展 会期:2021年10月8日(金)~24日(日) 会場:gallery KEIAN
・熊本展 会期:2021年11月5日(金)~22日(月) 会場:D_warehouse
※会期中もお休みの日がありますので、詳しくはご確認ください。
長引くコロナ禍で、気軽にだれかを誘ってお茶を飲みに行くのもままならない昨今。テレワークが続いて、生活にメリハリをつけにくくなったという話もよく耳にします。こんな時だからこそ、一日のどこかで「お茶の時間」をとってみませんか。そして、ほんの少しだけ手をかけて、茶葉から急須で淹れてみる。一杯のお茶を自分の手で淹れ、ゆっくり味わう時間は、頭や体を休めるだけでなく、生活のリズムを整えることにもつながり、体も心も潤してくれるでしょう。
ここで取り上げる「お茶」は、茶席で改まって飲む「お抹茶」ではなく、私たちが暮らしの中で日常的に飲んでいるふだんのお茶、いわゆる緑茶(煎茶やほうじ茶、番茶など)です。お茶といえばペットボトルの中に入った液体を思い浮かべる人も多いかもしれませんが、その素となる主役は「茶葉」。一枚一枚の茶葉には、茶畑の気候風土や育てた人の思い、その年の天候など、すべてが詰まっています。あるお茶のソムリエによれば、「お茶を淹れるのは、乾いた茶葉に水分を与えて、畑にいたときの自然の状態に戻していく作業」。「おいしく育った茶葉をおいしく淹れることができたら、そこには春の新茶を摘みとる直前の畑の香りがする」と言います。そこまで感じ取ることはできなくても、実際に茶葉からお茶を淹れてみると、お湯の温度や浸出時間によって味や香りが変わることに、一煎目・二煎目・三煎目で異なる味わいが楽しめることに、驚かされるでしょう。
ところで、紅茶や烏龍茶、緑茶とさまざまにあるお茶は、みんな同じ樹の葉っぱから作られていることを、ご存じでしたか? 出来上がりはまったく異なりますが、素はいずれも同じツバキ科ツバキ属の植物「チャの樹」の葉っぱ。チャの樹の葉っぱには、フェノールオキシダーゼという酵素があり、その働きで、葉を摘んだ瞬間からカテキンの酸化が始まります。これがいわゆる「お茶の発酵」で、酸化する前に加熱して発酵酵素の働きを止めたのが、不発酵茶である緑茶。半発酵の状態で止めたのが烏龍茶、完全に発酵させたものが紅茶というわけです。
ちなみに、紅茶や烏龍茶と区別するために緑茶のことを「日本茶」と呼ぶことがありますが、「日本茶」はお茶の種類を表す言葉ではありません。日本茶とは「日本で生産されたお茶」のことで、紅茶でも烏龍茶でも、日本で作られたものは日本茶なのです。
「ちょっとお茶にしようか」「お茶しませんか?」「お茶しない?」…日常生活の中で、私たちは気軽に「お茶」という言葉を使っています。この場合は、お茶だけでなく、コーヒーも紅茶もジュースも、お菓子を食べることまでひっくるめての「お茶」。「ちょっとひと休みしよう」という意味になったり、「ゆっくりお喋りしよう」という意味になったり、時には出逢ったばかりの人へのアプローチになったり……その意味は、相手との関係性や場によって変わってきますが、共通しているのは、お茶を飲みながら語り合い、ゆったりした時間を過ごすこと。誰かとお茶を飲むことは、人間関係をつくりだす行為と言えるかもしれません。
ちなみに、江戸時代初期の農民統制令である『慶安の御触書(おふれがき)』に「大茶をのみ物まいり遊山すきする女房を離別すべし」とあるのは、文字通りのお茶のこと。人が集まって茶飲みをすることで、噂話をしたり、不平不満話が昂じて騒動のもとになったりするのを、時の為政者が恐れたのだろう、と解説する人もいます。人と人をつなぐお茶の性格を言い当てた話ですね。
私たちの周りには「お茶」の付く言葉がたくさんあります。例えば、「無茶苦茶」。筋道が立たないという意味で使う言葉ですが、それがなぜ「無茶苦茶」なのか? 由来を調べてみると、「無茶」は来訪者に対してお茶も出さないこと、「苦茶」は苦いお茶を出すこととありました。お茶の研究家として知られる中村羊一郎さんによれば、「だれかが自分の領分に入ってきた時、お茶を出すか出さないかが、その領分に入ることを正式に認めたかどうかを示す目印になる」のだとか。つまり、どこかのお宅を訪問した時、家の中に招き入れてお茶の一杯も出してもらえたら、まずは快く迎え入れられたことになるというわけです。人間関係において一杯のお茶がもつ深い意味を表していますが、それは「その家で淹れたお茶」を前提とした話。ペットボトル入りのお茶の場合、この限りではないかもしれません。
目まぐるしい日常の中、毎回毎回、自分で茶葉から淹れたお茶を楽しめる人ばかりではないでしょう。かと言って、ペットボトル入りのお茶一本槍(いっぽんやり)というのも、なんだか味気ない。そこで、お茶のソムリエが提案するのは、「水のようにごくごく飲むお茶と、楽しむために飲むお茶を分けて」考えようということ。喉の渇きを癒すためだけに飲むお茶なら、すぐに飲めるペットボトル入りのお茶はたしかに便利です。けれど、一日に一回くらい、自分のために、あるいは大切な人のために、自分の手でお茶を淹れて楽しむ時間があってもいい。適温になるまでお湯を冷ます時間や茶葉がゆっくり開いていくのを待つ時間を、ムダととらえるのか、それとも心身の休息時間ととらえるかで、日々の暮らしの豊かさは違ってくるのではないでしょうか。
撮影:黒坂明美
*参考図書:
『僕は日本茶のソムリエ』高宇政光(筑摩書房)
『番茶と日本人』中村羊一郎(吉川弘文館)
2021年9月30日発行の小冊子『くらし中心 no.21 お茶を、淹れよう。』では、お茶のおいしさを再発見すると同時に、自然や地域社会とのつながりも含めてさまざまな角度から「お茶」を見直してみました。
小冊子『くらし中心 no.21』は、MUJI passport メンバーを対象に店頭で冊子クーポン(9月30日よりクーポン配布、各店小冊子なくなり次第終了)を見せるとプレゼントのほか、「くらしの良品研究所」のサイト小冊子「くらし中心」からPDFデータをダウンロードできますので、ぜひご覧ください。
鳥取県智頭町の山の中に、一風変わった学校があります。その名は「新田サドベリースクール」。この学校には先生がいません。授業もありません。生徒は自分の好きなことをやって、日がな一日、自由気ままに過ごしています。そんなユニークな学校の様子が、この度、一編の映画になりました。人にとって学ぶとは何か、自由とは何かということを問いかけてくるドキュメンタリー作品です。
「この近くに面白い学校があるよ」。今回の映画を監督した浅田さかえさんがそんな話を耳にしたのは、2017年秋のこと。鳥取県にあるご主人の実家に里帰りしていたときでした。「どんな学校なんだろう?」。ふと気になって学校に連絡し、見学に行った浅田さんは驚きの光景と出合います。その学校では、大きな一軒家の中で、子どもたちがてんでんばらばらに好きなことをやって遊んでいたのです。屋根の上から飛び降りる子がいれば、家の中でゲームに興じる子がいます。絵を描いている子や、ハンモックに揺られて気持ちよさそうにしている子もいます。自由気ままに、一日中ぶらぶらと過ごしている。「こんな学校ありなの?」と驚いた浅田さんは、手に持っていたカメラを回し、子どもたちの日常を記録し始めました。撮影は雪景色の残る2018年の春先から始まって、季節を巡り、翌年の6月まで続きました。およそ1年半、ご主人の実家を拠点にして「新田サドベリースクール」に通い続けたのです。そうして撮り溜めた膨大な映像を編集し、「屋根の上に吹く風は」というドキュメンタリー映画を完成させました。
「サドベリースクール」は、鳥取の他にも全国各地に10校以上存在します。その教育のモデルとなっているのは、1968年にアメリカ・ボストン郊外に誕生した「サドベリーバレースクール」です。サドベリースクールには先生がいません。授業がありません。スタッフと呼ばれる大人に見守られ、子どもたちは好きなことをやって過ごしています。創立者のダニエル・グリーンバーグさんは、子どもに大きな自由を与えることを「退屈のプールに浸ける」と表現しています。はじめのうちは楽しく思える自由ですが、時が経つとともに子どもたちは暇を持て余し、しだいに退屈していきます。悶々と過ごす時間の中で、子どもの心に「自分は何が好きなの? 何がしたいの?」という問いが生まれ、やがて「自分の好き」に向かって動き出すというのです。
また、サドベリースクールにはもうひとつの大きな特色があります。それは、「子どもたちが自分たちで作っていく学校」というもの。たとえば学校で何を買うか、スタッフを誰にするか、給料をいくらにするかなども、生徒がミーティングで決めていきます。学校で何をして過ごすか、その学校をどう運営していくか、すべてが子どもたちの自由意志に委ねられているのです。
自由気ままに過ごす子どもたちを前にして、当初浅田さんはとまどいを覚えたそうです。「勉強しないで、ゲームばかりやっていて、本当に大丈夫なのか」と。ただ、自分のやりたいことに忠実に、イキイキと過ごす生徒の姿を見るうちに、次第に固定観念が外れ、柔軟に発想できるようになったといいます。「自由の中で子どもたちは自ら考えざるをえない状況に置かれ、自分が決めたことには自分で責任を負う。それを引き出すのが、サドベリー教育の狙いのひとつではないか」ということに思い至ったのです。
そして、浅田さんは、ある生徒が何気なくつぶやいたひとことに出合います。それは「自由って難しい」というもの。その言葉を耳にした瞬間、「あ、撮れたな」と密かに思ったそうです。もうひとつ、浅田さんの心に残ったのは、自由に過ごす子どもたちを見守ることの難しさでした。カメラを回しながら、大人としてつい口を出したり、手伝ってあげたくなったりしてしまうのです。サドベリーのスタッフはそこをグッとこらえて、ギリギリまで子どもたちを見守っていくのです。
学校といえば黒板があり、教壇に先生が立ち、整然と並んだ机に行儀よく座っている子どもの姿が思い浮かびます。でも、この映画で紹介される学校は、それとは真逆の発想で作られています。もちろん、このような学校のあり方には賛否両論あるでしょう。それを承知の上で、あえて世に問うために投じた一石が、「屋根の上に吹く風は」という映画なのです。
今回の映画は、「サドベリー教育を紹介することが目的ではない」と浅田さんはいいます。撮りたかったのは、そこで展開する「人間ドラマ」。新しい教育のスタイルを試行錯誤しながら切り開いていく、子どもと大人の日常の風景です。
自由とは何か、学ぶとは何か、教育とは何か、生きるとは何か。そんないままで考えもしなかったさまざまな問いが、この映画を見た後には生まれてくるかもしれませんね。
映画は2021年10月2日から東京・ポレポレ東中野で上映が始まります。その後、大阪、京都、名古屋などでも順次公開される予定です。
※参考サイト:映画「屋根の上に吹く風は」
]]>最近、一人の天才棋士の登場によって、将棋の世界がにわかに注目を集めています。その棋士の名は、藤井聡太。2016年10月、14歳2カ月の若さでプロデビュー。以来29連勝の大記録を打ち立て、さらに王位、棋聖のタイトルを奪取するなど、歴代の最年少記録を次々と塗り替えています。今回は藤井さんの活躍にスポットを当て、そこから見えてくる将棋の世界の魅力に迫ってみました。
もし、最年少というだけで藤井聡太という人を評価するのなら、それは間違った認識かもしれません。確かに17歳11カ月で「棋聖」のタイトルを奪取。18歳1カ月で「王位」を取った若者の活躍には目を見張るものがあります。17歳といえば高校3年生。詰め襟の制服姿で対局室に現れ、トップ棋士を負かしてしまう少年に、世間が驚いたのも無理はありません。
しかし、藤井聡太にとって「若いのに」という枕詞は不要かもしれません。たとえば、名人位を3期連続獲得したトップ棋士の佐藤天彦九段は、藤井聡太特集を組んだ雑誌※の対談で、「最近の藤井さんの将棋を見て、思い浮かべるのはモーツァルトです」と、希代の楽聖になぞらえてその天才ぶりを評しています。また、高校生の藤井さんと対決し、タイトルを奪われた渡辺明名人(棋王・王将)も、「過去にもタイトル戦で負けたことはあるけど、この人にはどうやってもかなわない、という負け方をしたことはありません。でも今回はそれに近かった」と語っています。藤井聡太という棋士が、いかにずば抜けた才能の持ち主であるかが分かります。
もうひとつ藤井さんが世間を驚かせたのは、その年齢に見合わぬ言葉遣いです。王位戦に4連勝し、タイトルを獲得した直後に感想を聞かれとき、彼はこう答えています。「そうですね、4連勝という結果は望外というか、自分の実力以上の結果が出たのかな、という気がします」。これに限らず藤井さんは多くの場面で、僥倖、茫洋、奏功、白眉、矜持といった大人びた言葉を口にします。いや、大人びているのは言葉だけではなく、立ち居振る舞いにも落ち着きがあり、いかにも礼儀正しいのです。どうすればこんな青年が育つのかと、首を傾げた親世代の人も多いのではないでしょうか。
それを理解するうえでヒントになる言葉を、前出の佐藤天彦九段が述べています。「僕らは同世代より一足先に社会に足を踏み入れている分、若い頃から落ちついて見られることが多かった」と。いま将棋界で活躍している多くの棋士が、10代で奨励会という養成所に入り、プロ棋士になっています。若いうちから甘えの許されない勝負の世界に入り、互いに切磋琢磨するうちに、棋士たちは自然と大人びた感覚を身につけていくのでしょうか。
一般的に将棋の棋士は、対局で勝利したときに喜びを露わにしません。画面で見る限り、どちらが勝者か分からないほど抑制的に振る舞います。勝利の感想を聞かれても、まずは相手の実力を褒め称え、それから訥々と自らの勝因を語ります。なぜこんなにも棋士たちは礼儀正しく、謙遜の心を持っているのでしょうか。ここからはあくまでも想像ですが、たぶん棋士という職業の息の長さが影響しているように思います。
将棋の世界では50、60代になっても現役を続行する人が珍しくありません。同じ勝負の世界でも、ここがスポーツと違う点。監督やコーチになっているはずの年齢で、現役の棋士と対等に戦わねばならないのです。もちろん、勝負の世界なので、年が上だからといって勝てるわけではありません。自分から見たら孫のような相手に完敗することもしばしばです。いきおい年長者だからといって偉ぶることはなくなります。たとえ年下であっても、その実力を認め、相手を敬う文化が将棋の世界にはあるのです。そういう先輩の背中を見て育つうちに、若い棋士の心にも、自然と対戦相手をリスペクトする思いが生まれてくるのでしょう。
こんな逸話があります。2020年12月3日、藤井さんは自らの師匠である杉本昌隆八段と対戦することになりました。師弟対決ということでメディアも注目したこの一戦。対局が始まるかなり前に、先に姿を現したのは師匠である杉本さんでした。将棋の世界には、タイトル保持者が上座を占めるというルールがあります。この時点で、弟子の藤井さんは棋聖・王位の二冠。対して杉本さんは無冠なので、上座に座るべきは弟子の藤井さんです。だから、師匠の杉本さんは「間違っても藤井さんが下座に座らないように」と一足先に入室し、自分の荷物を置いて下座を占めてしまったのです。52歳の杉本さんと18歳の藤井さんの勝負は、73手で藤井二冠の勝利に終わりました。終局後のインタビューで藤井さんは「どちらも(席が)空いていたら自分が下座に座るつもりだったんですが、先に荷物を置かれてしまったので……」と語っています。
厳しい勝負の世界に生きるがゆえに、棋士たちは互いに相手を敬い、礼節を重んじる文化を育んでいきます。こういう観点から将棋を見ていくと、また違った楽しみ方ができるかもしれませんね。
※参考資料:「スポーツグラフィックナンバー1010」(文藝春秋)
]]>かつて、干しヒジキは「鉄分の王様」と言われるほど鉄分の多いことで知られる食品でした。「それは、"鉄釜"で煮ていたから」と言うと冗談のようですが、実は本当の話。釜から溶け出してヒジキに吸収された鉄分が、ヒジキ本来の成分とみなされていたのです。時代の変化につれて、食材や調理環境が変わっていくのは、よくある話。おいしく食べながら健康を保つためには、私たちもこまめに情報を更新していく必要がありそうです。今回は、食品のプロのアドバイスを参考に、日常の小さなことを見回してみました。
ヒジキの鉄分に関する驚きの事実は、「食品標準成分表 七訂(2015年版)」の公表によって明らかにされました。15年ぶり7回目の改訂でしたが、それによると、干しヒジキに含まれる鉄分が、改訂前の9分の1以下に減っていたのです。
干しヒジキは、原料の海藻を釜で煮て渋みを取り、乾燥させて作ります。以前は煮るときに鉄製の釜を使っていましたが、時代とともに釜は鉄製からステンレス製へ。そのため、ヒジキに含まれる鉄分が減ったというわけです。
切り干し大根も同様で、鉄分の量は七訂以前に比べておよそ3分の1に減少。これも、以前は鉄製の包丁で加工していたものがステンレス製の包丁に取って代わられたため、鉄分が減ったと考えられています。
下処理のとき鉄釜で煮てヒジキの鉄分が増えたのなら、家庭で調理するときに鉄のフライパンを使えば同じ効果を期待できるのではないか…素人なりに想像していたら、プロの指南書にもありました!鉄製のフライパンや鍋でヒジキを煮ると、鉄分が最大で10倍アップするというのです。「長く煮れば煮るほど鉄分が溶け出しやすいので、じっくりコトコト煮るのがコツ」、さらに「鉄分は酸性の調味料を加えると流出しやすいので、お酢を加えると溶出率が3倍になる」とも書かれていました。
すべての食材にあてはまるわけではないそうですが、目玉焼きは鉄製のフライパンで作ると鉄分が2㎎アップ。1日に必要な鉄分量をカバーできるそうです。
食材の栄養効果は、切り方によっても大きく左右されます。例えば、タマネギ。頭からお尻にかけて縦に繊維が走っていますが、その繊維を断ち切るように繊維と垂直に切ると、細胞が壊されて酵素が働き、血液をサラサラにする成分「アリシン」がつくられるといいます。
また、トマトのゼリー部分には全体の80%のアミノ酸が含まれているとか。これを流出させてしまうと、旨みだけでなく、大事な栄養成分も大幅に減少。リコピンは半分以下になってしまうというデータもあるそうです。ちなみに、ゼリーを流出させない切り方は、トマトのお尻を上にして放射状の白い線をチェックし、それを避けて包丁を入れること。トマトの種は、この放射状の白線の上にあり、白線と白線の間で分けられたブロックごとに種とゼリーが収納されているのです。
いちごのヘタ、ブロッコリーの葉っぱ、ピーマンの種やワタ…ふつうは捨てられている部分に、実は栄養成分がたっぷり含まれていることを、ご存じでしたか?
例えばイチゴ。下処理の段階でヘタを包丁で取り除く人も多いようですが、ヘタの真下の白っぽい部分やその周辺はビタミンCが集中していて甘みを感じやすいところ。包丁を使うと、その部分まで切り取ってしまいがちです。
ピーマンの種やワタも、実は栄養の宝庫。血液をサラサラにしてくれる効果のある「ピラジン」(青くさいニオイの素)は、皮よりも種やワタに多く含まれていて、含有量は皮の約10倍だといいます。「加熱すれば味や食感は気にならないので、まるごと食べて」とプロは勧めます。
同様に捨ててしまいがちなホウレン草の根元には、ミネラルやポリフェノールがたっぷり。また、ブロッコリーの葉っぱには、蕾の3倍ものポリフェノールが含まれていて、他の部位にはない抗アレルギー効果もあるそうです。
ゆでる、蒸す、煮る、焼くなど加熱調理の方法はいろいろありますが、楽ちんなのはなんといってもレンジ加熱。カボチャやジャガイモなど、火を通すのに時間がかかる野菜には特に便利です。
カップのまま温められる手軽さもあって、牛乳の温めに使う人も多いでしょう。「レンジチン」でも、カルシウムやタンパク質、ビタミンAなどの栄養素はそれほど失われないそうですが、ビタミンB12に限っていえば、ほぼ半分に減少。牛乳の栄養分を余さず摂るためには、お鍋でゆっくり温めた方がよさそうです。
健康食として、多くの家庭で常備されている納豆。納豆菌からつくられる酵素、ナットウキナーゼが、血液をサラサラにしてくれることで知られます。かき混ぜる回数を気にする人も多いようですが、それよりも大事なことは温度。ナットウキナーゼは酵素ですから、冷蔵庫から出したばかりの低温では、しっかりと働くことができません。食べる20分ほど前に冷蔵庫から出し、常温においてから食べると効果的だとか。人間で言えば、ランニング前のウォーミングアップといったところでしょうか。
私たちは、日々「食べる」ことによって生かされています。健康のために、そして食材の命をムダにしないために、些細なことでも見直していきたいですね。
参考図書:
『栄養を捨てない食材のトリセツ』落合敏監修(主婦の友社)
『その調理、9割の栄養捨ててます!』東京慈恵会医科大学附属病院栄養部(世界文化社)
『農林水産省職員直伝「食材」のトリセツ』(マガジンハウス)
一般的な日本の学校は、1クラスの生徒数が30~40名、全学年を合わせると数百名規模のところが多いようです。ところが最近、「マイクロスクール」と呼ばれる小さな学校を設立する動きが活発化してきました。人数でいえば、全校生徒を合わせても数十名規模のもの。今回は、既存の学校とは一線を画し、独自の教育観に基づいて運営される「マイクロスクール」の動きに着目してみました。
「マイクロスクール」とは何か、という確たる定義が世の中にあるわけではありません。文字通り、小さな規模の学校のことを意味しています。2015年1月のコラム「もうひとつの教育」でご紹介した「オルタナティブスクール」も、規模の大きさでいえば「マイクロスクール」の部類に入ります。また、マイクロスクールの多くは文部科学省の認可を受けていないので、厳密にいえば「学校」とは呼べません。それぞれの理念や考えに基づいて運営されている、新たなタイプの学び場です。
このような無認可の学び場が増えてきた背景のひとつには、「不登校」の問題があります。文部科学省の調べで、令和元年に不登校になった児童生徒の数は、小中学校合わせて18万人を超えました。学校に通えない子どもの「学校外の学び場」が、いま、切実に求められているのです。
もうひとつは、教育の多様性の問題です。オランダなどの教育先進国では、さまざまなタイプの学校があり、子どもが自由に選べるようになっています。一方、日本の学校は、文科省に認可された1種類のものだけ。私立校の中には特色を打ち出す学校もありますが、それでも基本的には文科省の学習指導要領に従う必要があります。多様な人材が求められる世の中なのに、それを育成する学校が1種類しかなくて大丈夫なのか? このような問題意識に基づいて、新しい学校の設立に挑む人が増えてきているのです。
今年の4月、東京の港区に「ギフトスクール」というマイクロスクールが誕生しました。創立したのは、富田直樹さん。娘が生まれ、教育について調べるうちに、「既存の学校と自分の考えのズレ」を感じるようになったとか。で、「いい学校がなければ創ればいい」と思い、5間年かけて開校の準備を進めてきました。学校づくりの参考にしたのは、アメリカのニューヨーク州にある「ニュースクール」。それぞれ違う個性を持った多様な子どもたちが、ひとつのコミュニティの中でリラックスして過ごし、学びに向かう姿を見て、「これだ!」と思ったそうです。
ギフトスクールの朝は、「サークルタイム」というチェックインの時間から始まります。3歳から10歳までの異年齢の子どもが輪になって、瞑想をしたり、最近の出来事を話したり。それが終わると、次は「プロジェクト」の時間。1~2ヶ月かけて、ひとつのテーマを追いかけて学んでいきます。いま取り組んでいるのは「心の健康と体の健康」。臓器のこと、ケガや病気、食や栄養、睡眠や瞑想、ストレスなど、子どもたちはさまざまなことを学びながら、自分の発表に向けて学びの成果をまとめていきます。ユニークなのはランチタイム。11時から13時までとたっぷり取った時間のなかで、料理家の指導を仰ぎながら、自分たちでごはんを作り、みんなで食べます。
「不登校の子って、学校システムが自分に合わないと感じ取れるのだから、すばらしい感性を持っている」と富田さん。「むしろチャンスだと思って、子どもが幸せを見つけられる学びの場を探してあげてほしい」と語りました。
来年の春、東京の世田谷区に「ヒロック初等部」というマイクロスクールが誕生します。この学校を立ち上げるのは、駒沢と目黒にある「ヒロック幼児園」を運営するNPO法人「ソダチバ・プロジェクト」です。ヒロック初等部の学びのテーマは「Wild and Academic」。砧公園に隣接する立地を活かして、自然にたっぷり触れ、勉強と遊びを両立させながら、"野性味ある知性"を持つ人間を育てていきます。この学校では先生にあたる人は「ラーニング・シェルパ」と呼ばれます。学びの山を登っていく子どもたちを導き、ときに励ます"山岳ガイド"のイメージ。そして、生徒は「コゥ・ラーナー(Co-learner)」、共に学んでいく人という意味があります。
ヒロック初等部は、代表を務める堺谷武志さんの「自分が子ども時代に通いたい学校を創りたかった」という想いから生まれました。子どもの頃、自分の意志を貫く少年だった堺谷さんは、周囲から"わがまま"とみなされ、苦しい思いをしたそうです。「だから、この学校づくりには、当時の僕を救ってあげたいという想いも入っているんですね」。堺谷さんの想いに共感した2名の元教員が、学校づくりのプロジェクトに合流し、来春の開校に向けて、スクールビジョンやカリキュラムの作成を進めています。
このように、いま、日本の各地でマイクロスクールや、学校に合わない子どもの居場所を立ち上げる動きが活発になっています。民間から始まった新たな潮流が、どのように日本の教育を変えていくのか、今後も注目していきたいと思います。
※参考サイト:
GIFT School | ギフトスクール
Hillock初等部
漫画家わたなべぽんさんの実験的エッセイ漫画『やめてみた』が、シリーズ累計30万部を超えるベストセラーになっているそうです。「生活必需品」とされている炊飯器や掃除機をはじめ、無理していた友だち付き合い、つい謝ってしまうクセなどをやめてみることで、少しずつ解放され自由になっていく。そして本当に必要なものが見えてくる様子が描かれています。さて、私たちの生活を振り返って、「なんとなく」続けているモノやコトはないでしょうか?
作者のわたなべぽんさんがいろいろなことを「やめてみた」きっかけは、炊飯器が壊れたことでした。おそるおそる土鍋で炊いてみたら思いのほか簡単で、土鍋ごはんのおいしさが衝撃的だったといいます。
とはいえ、土鍋は火にかけている間は目が離せないし、予約タイマーも保温機能も付いていません。不安を抱きつつ「お試し」のつもりでスタートしてみたら、土鍋でごはんを炊いている間におかずを作るという流れができて、「これなら、いけるかも」と。その後、冷凍庫や電子レンジと併用すれば、保温機能やタイマーがなくても困らないこともわかってきました。
「なにげなく暮らす毎日だけど、実はもっと自分にあった生活スタイルがあるのかもしれない」と思い始めたぽんさんは、その視点で暮らしを再点検してみることにしたのです。
掃除機をやめてフロアワイパーにしてみたら、軽いので小まめに掃除するようになり、床に大の字になって昼寝できるようになった。苦手な人と無理して付き合うのをやめたら、自分だけの趣味や時間を大切にするようになった。謝らなくてもいい場面で「スミマセン」を連発するのをやめたら、自分を卑下しなくなった。人と比べて焦るのをやめたら、自分の生活の中にもそれなりの充実感があることに気づいた。
そんな風にして「やめてみた」モノやコトは、シンクの中の三角コーナー、キッチンマット、トイレマット、部屋ごとに置いていたゴミ箱、白砂糖、夜ふかし、ファンデーション、コンシーラ、ガードル、テレビのつけっ放し、ながらスマホ、ツアー旅行などなど。もちろん、何を必要とするかは人それぞれで、Aさんにとって不要なものがBさんには必要不可欠ということもあるはず。大切なことは、「自分にとって」という基準をしっかり持つことなのでしょう。
一方、SNS上では自身のズボラな生活をポジティブに発信する人たちが増え、共感が集まっているといいます。「ズボラ」で検索してみると、出てくる出てくる! 40代の男性が投稿した「やけくそハンバーグ」というものもありました。タマネギもパン粉も牛乳も入れず、パックの挽き肉をそのままフライパンに入れて両面焼いただけというものです。「スパイスもコショウしか入っていないので肉の味がそのまま。野性味が強調されたワイルドな味わいです。簡単にできるズボラ飯ですね」とは作者の弁。たしかに肉の味そのものを楽しめそうですし、なにより「ハンバーグはこう作るものだ」という「常識」を外した大胆な発想がアッパレです。19,000もの「いいね」が付いているということは、それだけコロナ禍での家事負担に疲れを感じている人が多いということなのかもしれません。
こうした投稿が広がりを見せるなか、ズボラを掲げた団体まで立ち上がりました。その名も、「全日本ズボラ主婦連盟」(通称「ズボ連」)。代表を務める料理研究家の浅倉ユキさんは、20年間の主婦との交流の中で、「ワンオペで家事育児がしんどい」「料理を毎日手作りするのがつらい」という主婦の悩みを聞き続けてきたと言います。そこで浅川さんが出した結論は、「もっとズボラになろう!」。「わたしたちはスーパー主婦になる必要はない」「無理して頑張って疲れてイライラするより、自分が上機嫌でいられるように人の手を借りる」「ごきげんな妻、母でいることのほうが、きっと家族にとって大事なこと」と力説します。
ここで言う「ズボラ」は、だらしなくなろうというのではなくて、「合理化」と言い換えられるかもしれません。例えば、「毎日の献立を考えるのが苦手」というお悩みには、「月曜日はオムライス、火曜日は鍋、水曜日はパスタなど、考えなくてよい仕組みに」というズボラアンサー。他にも、「洗濯物を干すのは面倒だけど、乾燥機を買うのは気が引ける」というお悩みには「干す労力と乾燥機との費用対効果を考えて」と家電に頼ることを勧めたり、「アイロンがけが苦痛」というお悩みには「形態安定などアイロン不要な服選びを」とアドバイスしたり。「新しいことをする必要はありません。むしろ、やっていることをやめる勇気だけが必要」といった言葉に、救われる人も多いでしょう。
生活様式が一変し、さまざまなストレスや不安の中で「コロナ鬱(うつ)」という言葉まで生まれた昨今。自律神経研究で知られる医師の小林弘幸さんは、「新型コロナウイルスが本当の意味で私たちから奪っているのは、"毎日希望を持ってイキイキ生きること"」と警鐘を鳴らします。イキイキと生きるためには、まずは、自分らしくあること。これまで「あたりまえ」とされてきたさまざまなことを「自分の目で」見直し、「自分にとって」本当に必要なモノやコトを問い直してみるのもいいかもしれません。
参考図書:
『やめてみた。』わたなべぽん(幻冬舎文庫)
『ズボラ主婦革命』浅倉ユキ(1万年堂出版)
『整える習慣』小林弘幸(日経ビジネス文庫)
この世に「数」があることは誰でも知っています。では、その「数」の概念はいつごろ生まれたのでしょうか。人類が誕生する前から、いや、この宇宙ができた初めから「数」は存在していたのでしょうか。今回は、知れば知るほど面白く、謎に満ちた、「数」の不思議にフォーカスします。
まずは、「知識ゼロでも楽しく読める! 数学の不思議」という本から、電卓を使った簡単な「誕生日当てマジック」を紹介します。たとえば相手の人が2月24日生まれの場合。用意した電卓をその人に手渡し、誕生月に「4」をかけてもらいます。この場合は2月生まれなので「2×4=8」ですね。次にその数字に「9」を足し、さらに「25」をかけてもらいます。「(8+9)×25」で答えは「425」。ここに自分の生まれた日「24」を足してもらいます。すると電卓には「449」と表示されます。この時点で相手から電卓を返してもらい、あとはここから「225」を引くだけ。するとあら不思議、「449-225=224」で、2月24日という誕生日が現れるのです。どんな誕生日でやっても結果は同じ。なぜか必ずその人の誕生日が答えに現れます。
また、電卓の数字の並びにも不思議が隠されています。1から順に反時計回りに足していってください。「123+369+987+741」となり合計は「2220」になります。逆回りにやっても、つまり「147+789+963+321」と足しても答えは「2220」です。さらに、対角線上に「159+951+357+753」と往復で足していっても「2220」。四隅にある数字をそれぞれ「111+999+333+777」と足しても「2220」になります。もちろん理由はあるのですが、説明を聞かなければ、なんとも不思議な数の符合にしか思えません。
「私は文系で数学は苦手」という人に、ぜひお薦めの本があります。芥川賞作家の小川洋子さんが書いた「博士の愛した数式」という本です。家政婦をやっている主人公の「私」と、雇い主である80分しか記憶が持たない「数学博士」との心の交流を描いた物語ですが、この中に出てくるさまざまな数の不思議が面白いのです。たとえば、「友愛数」。これは「220」と「284」のように、自分自身を除いた互いの約数の総和がそれぞれ相手の数と同じになる特別な数です。約数というのは、その数を割ることができる数のことで、「220」の場合は「1、2、4、5、10、11、20、22、44、55、110」が約数になります。これを全部足し合わせると「284」。そしてもう一方の「284」の約数は「1、2、4、71、142」で、これを足し合わせると「220」になります。「だから何なの?」といわれれば、それまでのことですが……。「約数」という友情で互いに結ばれた数なので、数学の世界では「友愛数」と呼ばれています。
もうひとつは、「完全数」。これは自分自身を除いた約数の総和が自分と同じになる数のこと。たとえば「28」の約数は「1、2、4、7、14」ですが、これを足し合わせると「28」になります。小説ではこの「28」という数が大きな意味を持ってきますが、ここでは伏せておきます。小説を読んでのお楽しみにしてください。2021年6月現在で、発見されている完全数の数はわずか51個とのこと。無限に続く数列の中でキラリと光る、まさに砂金のように稀少な数なのです。
私たちがいつも何気なく使っている「1、2、3……」という数ですが、本当にこの世に実在するのでしょうか。たとえば、リンゴは1個、2個、3個と数えますが、形や大きさの違うリンゴも同じ1個なのか。半分に切ったリンゴが混じっていても1個と数えるのか。よくよく考えると分かりません。そもそも数というものは人間が発明したものなのか、この世に初めからあるものなのか。それも分かりません。「0」という数字はインドの数学者が考案したそうですが、その人が現れなければこの世に「0」は存在しなかったのか。考えれば考えるほど謎は深まっていきます。
小説の中で、博士は「私」に「さあここに、直線を一本引いてごらん」といいます。そうして広告の裏紙に「私」が引いた鉛筆の線を見て、こういうのです。「どんなに鋭利なナイフで入念に尖らせたとしても、鉛筆の芯には太さがある。よってここにある直線には幅が生じている。面積がある。つまり、現実の紙に、本物の直線を描くことは不可能なのだ」と。そして、「真実の直線はどこにあるか。それはここにしかない」。そういって自らの胸に手を当てます。
そう、数も同じです。真実の数は、人の胸の中にしか存在しない。雑多な日常が支配する現実とは隔絶された、音も匂いも色もない、純粋に数理だけが支配する理念の世界にのみ存在するものなのです。「実生活の役に立たないからこそ、数学の秩序は美しいのだ」という博士の一言に、数の世界の魅力が集約されているように思いました。
数は不思議です。そしてまた数が織りなす世界は純粋で、美しく、気高くすらあります。学校で学ぶとき、加減乗除や数式を習う前に、このような数の不思議や美しさに触れることができたなら、算数や数学をもっと好きになれたかもしれない。この小説を読み終わり、ふとそんなことを思いました。
参考図書:
「知識ゼロでも楽しく読める! 数学の不思議/加藤文元監修」(西東社)
「博士の愛した数式/小川洋子著(新潮文庫)