研究テーマ

この世界は幻想なのか(前編)

Image Credit: ESA/Hubble & NASA, D. Rosario et al.

私たちがいま生きている現実の世界は、もしかすると幻想なのかもしれない、そんな物理学の学説があります。遠い宇宙の果てにある球面に刻まれた情報(データ)を投影したものが、ここにある現実の世界なのだと。この突拍子もない学説は「ホログラフィック理論」と呼ばれ、物理学を研究する多くの科学者に支持されています。私たちの存在が幻影? そんな奇妙な話がありうるのでしょうか? 今回から2回続けて、「ホログラフィック理論」とは何かを追ってみたいと思います。

それはブラックホールから始まった

人間は何の変哲もない日常に身を置いているときは、あまり疑問を感じません。でも、日常とはかけ離れた奇異なるもの、不思議なものに出会うと、とたんに頭の中に「?」が生まれます。「これは一体何?」「なぜこんなものが存在するの?」と好奇心が頭をもたげるのです。物理学者にとって、ブラックホールはまさにそのような存在でした。そう、この世は幻想かもしれないという「ホログラフィック理論」の発想は、ブラックホールの謎の解明に端を発しています。ですので、この不思議な理論を紹介する前に、まずは「ブラックホールとは何か」ということから見ていきましょう。

巨大な恒星が死を迎えるとき

Credits: NASA/Swift/Aurore Simonnet, Sonoma State University

太陽系の真ん中にある「太陽」は、地球や火星などとは違う「恒星」と呼ばれる星です。恒星は惑星と違って、自ら燃えて光を発することができます。夜空に見えている無数の星々は、月と惑星を除けば、すべて自ら光り輝いている恒星です。
これらの恒星は、多くの場合とてつもなく巨大なものです。比較的小さな太陽ですら、直径は地球の約109倍、体積が約130万倍、質量は約33.3万倍もあります。こういう巨大な恒星は、水素やヘリウムなどの軽い物質でできていて、それを燃料として「核融合反応」を起こして燃え続けています。この反応によって内から外へ向かって膨らんでいく力が生まれ、恒星は自らの重力で崩壊することなく、その姿を保っていられるのです。
ところが星にも寿命があり、いつかは燃料を使い切り、核融合の終わるときがきます。そうなると恒星は「超新星爆発」という大爆発を起こして崩壊しはじめます。星が持つ自らの重力によって、内側に向かってクシャクシャとつぶれていくのです。その圧縮する力はすさまじいもので、星を構成する物質は極限まで押しつぶされ、中性子という粒子の塊になっていきます。太陽の10倍ぐらいの大きさの星が最後を迎えると、このような「中性子星」になるといわれています。中性子星の密度はとてつもなく大きく、スプーン一杯の体積で約45億トン以上になるとのこと。これは鉄の重さの約570兆倍。まさに想像を絶する重い星になるのです。

さらに巨大な恒星の最後

ところが、太陽の30倍以上もある大きな恒星が「死」を迎えると、もっとすごいことが起こります。自らの重力による圧縮が止まらなくなり、どこまでも内側に向かって物質が崩壊し続けるからです。太陽の30倍といえば、地球の体積の約3600万倍です。それだけ大きな星がどんどん内側に向かって圧縮され、ほとんど無限の密度を持つ一点にまで凝縮されていくのです。こうなると、その「点」が持つ重力はとてつもなく巨大なものになり、周囲にあるすべてのものを飲み込む「穴」になってしまいます。この穴からは重力が大きすぎて、光すら飛び出すことができません。光が出てこないので、外からは見ることができずに真っ暗に見えます。これが「ブラックホール」と呼ばれるものの正体です。

三途の川の向こう

Credit: Aurore Simonnet and NASA's Goddard Space Flight Center

ブラックホールは巨大な星の質量が一点に凝縮されたものです。たとえば宇宙船でそこに近づいていくと、重力で引きつけられ、飲み込まれてしまいそうになります。距離が遠ければロケットを噴射して脱出できますが、ある一線を越えて近づいてしまうと絶対に逃れられなくなります。巨大な重力によって、光すら脱出できない暗黒の領域をブラックホールは伴っているのです。この光すら出られない領域のいちばん外側の境界面のことを「事象の地平面」といいます。この「事象の地平面」の内側は、光が出てこないので誰も覗き見ることができません。この比喩が適切かどうか分かりませんが、一度越えたら二度と戻れないという意味で、ブラックホールの中は「三途の川の向こう」のような不可知の世界なのです。
ブラックホールの中がどうなっているのか。この謎は、好奇心旺盛な物理学者の興味を喚起するに十分な題材でした。スティーブン・ホーキングをはじめ、ジョン・ホイーラー、ゲラルド・トフーフトなど、当代一流の科学者が持てる最高の叡知を結集し、この難問に挑みました。そうして、その最先端の研究の中から、もしかすると「この現実世界は幻想なのかもしれない」という、とんでもない結論が導き出されてきたのです。ブラックホールの研究がどのようにして「ホログラフィック理論」につながっていったのか。それは次回、4月1日公開のコラム(後編)でご紹介したいと思います。

※参考図書:
「隠れていた宇宙/ブライアン・グリーン著 竹内薫監修 大田直子訳」(早川書房)
「ブラックホール戦争/レオナルド・サスキンド著 林田陽子訳」(日経BP社)

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生活雑貨

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