研究テーマ

風の名前

この日本に、「風」を表す言葉がいくつぐらいあると思いますか。一説によるとその数は2000種を超えるのだとか。なぜこんなにもたくさんの風の名がこの国にはあるのでしょう。風の名前を調べていくうちに、日本ならではの風土や自然との付き合いあい方が見えてきました。今回は「風の名前」についての話です。

列島に吹く風

カーテンの裾を揺らす心地よいそよ風から、大木をなぎ倒すほどの大風まで、私たちの住んでいる日本には大小さまざまな風が吹きます。今の時期、日ごと明るさを増してゆく季節へ向かって待ち遠しいのは「春一番」。新しい季節の到来を告げる南よりの風です。これに対して晩秋から冬にかけて吹く「木枯らし」は、身を切るような北よりの風。「春一番」も「木枯らし」も、どちらも広域に及ぶ風で、日本列島のほぼ全域で一律に吹き荒れます。また、枕の草子にある「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」の一文。この「野分(のわき)」とは、野の草を分けて吹く風のことで、秋の台風がもたらす強風のことをいいます。同じく「大山嵐(おおやまじ)」も台風のことで、「地震、雷、火事、おやじ」の「おやじ」は、「おおやまじ」が転じたものともいわれています。台風もまた巨大な熱帯低気圧ですので、日本列島に接近すれば全国どこでも大荒れの空模様になります。

土地に吹く風

このような大規模に吹く風に対して、限定された地方にのみ吹く固有の風もあります。高橋健司さんの写真集「空の名前」からいくつかご紹介しましょう。
「南風(はえ)」は主に西日本に伝わる言葉で、梅雨入りのころに吹くのを「黒南風(くろはえ)」、梅雨の半ばに吹くのを「荒南風(あらはえ)」、梅雨明けに吹くのを「白南風(しろはえ)」というそうです。一方、夏の東北、三陸地方には「山背(やませ)」と呼ばれる冷たい北東の風の吹くことがあります。山背が吹くと稲の成育が阻まれ、冷害になることから、農家の人には恐れられています。また、「颪(おろし)」は、山から吹き下ろす冷たい強風のこと。地方によって「筑波おろし」「赤城おろし」「六甲おろし」などと呼び分けられています。
冷たい風といえば、関東地方の上州(群馬県)に吹く「空っ風(からっかぜ)」も有名ですね。「かかあ殿下と空っ風」とはこの地方に伝わる言葉で、強いものの象徴として使われているのでしょう。また、陰暦の2月24日前後に琵琶湖上に吹き下りる強風のことを「比良の八荒(ひらのはっこう)」というそうです。関西では「比良の八荒」が吹かぬうちは、春は来ないといわれ、冬の終わりに吹く風なので「荒仕舞(あれじまい)」などとも呼ばれます。
他にも、日本海を航路した松前船が順風として利用した「東の風(あゆのかぜ)」。同じく松前船が上方から戻るときに利用した「くだり」という西風。春を告げる「東風(こち)」、船を出すのに都合のよい「出風(だしかぜ)」など、さまざまな風の名があり、枚挙にいとまがありません。

風とともに生きる

このように多彩な風が吹くのは、日本列島の位置や地形と無関係ではありません。まず、日本は四季が比較的はっきりした温帯に位置しています。しかも、その場所はユーラシア大陸の東の端。大陸と海が接する地域は、季節の変わり目の温度差が激しく、温帯低気圧が発生しやすいのです。さらに、太平洋の赤道付近は熱帯低気圧の製造工場。海面水温が高くなる夏場、洋上で次々と生まれた低気圧が台風となって北上し、日本に大きな風を吹かせます。
加えて、日本列島の地形があります。日本は島国といわれますが、島というよりも、むしろ一筋の山脈のよう。中央に走る脊梁山脈が列島を東西に分断し、日本海側と太平洋側で、同じ国とは思えないほどの気候の違いをもたらします。
さらに、四方を海に囲まれ、海岸線に山の迫る地形は、吹く風に微妙な変化をもたらします。海から吹く風は山に当たり、雲を作り、悪天をもたらします。山の稜線にぶつかった風は向きを変え、複雑な地形に沿って吹きめぐり、ときには山を越え、向こうの町に颪(おろし)となって吹き下ります。一方、気圧の差の少ない夏は、海と陸との境目に穏やかな「海風」や「陸風」が生じ、心地よいそよ風となって吹くのです。

このように、ときに激しく、ときに穏やかに、表情を変えて吹く風と付き合いながら、私たちの祖先は生きてきました。海で漁をする人も、陸で田畑を耕す人も、自然とともに生きる限り、風の変化には敏感にならざるを得ません。
春夏秋冬の季節の変わり目に吹く風、明日の天気を運ぶ風、飢饉の危険を報せる風、嵐の到来を告げる風…。風の動きを読み、ささやかな音を聞き、予兆を察しながら、先人たちは自然の災害から身を守り、暮らしを紡いできたのです。
私たちの普段の会話には、「風を読む」「風向きが変わる」「順風満帆」「風の向くまま」など、ごく自然な形でさまざまな「風」が入り込んでいます。これこそが、私たち日本人が風とともに生きてきたことの証のように思えます。
今日、あなたの町にはどんな風が吹いていますか。ご意見、ご感想をお寄せください。

参考図書:「空の名前/高橋健司」(角川書店)

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