研究テーマ

季節の音

「鳴き雪」という言葉をご存じですか? 雪の上を歩くときに発する、雪の踏み音のこと。まるで雪が鳴いているように聞こえるところから、そう呼ばれます。古来、日本人は自然とのかかわりの中でさまざまな音に耳を傾け、季節の移ろいを感じ取ってきました。厳寒の中でひそかに春の準備が進んでいるこの時期、喧騒から少し離れて、季節の音に耳を澄ましてみませんか。

鳴き雪

自然のさまを細やかに表現するのは日本人の得意とするところですが、なぜか雪の踏み音を表わす言葉は見当たらないといいます。そこで、北海道大学低温科学研究所の前野紀一さんが提案されたのが「鳴き雪」。広辞苑を引いても、出てこない言葉です。
キュッキュッ、ギュッギュッ、ギギュッギギュッ、サクサク、ザックザック、ザックサック…鳴き雪を聴いたことのある人は、その音をさまざまな言葉で言い表します。それもそのはず、踏み音は、雪の質や踏み固められた状態、気温や湿度、風向き、履いている靴、踏み方などによって、ちがってくるのです。また、鳴き雪の音は人間の声の周波数に近いといいます。粗い雪は男性の声に近く、寒くなるほど高く澄んでキレのある音になり、氷点下37度の南極では女性の声に聞こえるのだとか。音の機微に感応する日本人ならではの受け取り方といえるでしょう。

春を告げる音

八ヶ岳山麓に住む園芸家の柳生慎吾さんは、春の訪れを風の音で知るそうです。見た目にはまだ雪が残っている冬の終わり、凍て付いた地面が少しずつほどけて、土の中で春が始まります。根っこが目を覚まして水を吸い上げ、その水分が枝先まで届くと、木の芽がふくらんで枝先の色が変わるのです。そして、それとほぼ同じ時期に、風の音が変わるのだとか。冬場はカラカラと乾いていた風の音が、みずみずしくなって、ざわざわした音に変わってくるといいます。風そのものに音はありませんが、触れる木々の変化に響き合うように、風の音も変わっていくのでしょう。

自分の耳で聴く

女優・中村メイ子さんのお父さんはユーモア作家として知られる中村正常さんですが、お二人の間にこんなエピソードがあります。
メイ子さんがまだ幼かった頃、お父さんはメイ子さんを小川の傍に連れていき、どんな音で流れているかと尋ねたそうです。「春の小川はサラサラいくよ…」という小学唱歌を思い出したメイ子さんが「サラサラ…」と答えたら、お父さんはこう訊き返しました。「本当にサラサラと言っているかい?」「自分の耳で聞いてごらん」と。そして、メイ子さんが本気で耳を澄ませたとき、小川はサラサラとは聴こえなかったということです。
キャンディーズの歌「春一番」にあるように、春先の雪融け水は、少し勾配のあるところでは川のような水音をたてて坂下へと流れ落ちていきます。その水音は水量や坂の勾配、風向き、陽射しなどによって、さまざま。チロチロ、サラサラ、時にはゴボゴボと聞こえるときもあります。その音を「自分の耳で」聴いたとき、雪国の人たちは、体の底から湧き上がってくる春の喜びを感じたのではないでしょうか。

虫の音を聴く文化

日本人以外のほとんどの民族は、虫の音を「雑音」としか感じない、という話を聞いたことがあります。こうした聴覚のちがいを切り口に、日本人の脳が他の民族の脳とちがう点を生理学的に研究したのは、東京医科歯科大学の角田忠信教授です。
人間の脳は右脳と左脳とに分かれ、それぞれ得意分野があることはよく知られています。右脳(音楽脳)は音楽や機械音、雑音を処理するところで、左脳(言語脳)は人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つところ。ここまでは世界共通なのですが、角田教授の実験で、日本人とポリネシア人だけが「虫の音」を左脳で聴いていることが明らかになりました。虫の音だけでなく、動物の鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎまで、日本人は自然音を言語脳で受けとめて聴いているといいます。つまり日本人は、人の声と同様に、虫の音も「声」として聞いているのです。生きとし生けるものの「声」に耳を傾けるこんな姿勢が、一木一草にも神が宿るとする日本人古来の自然観につながっていったのかもしれません。

自然は、さまざまな音を発して語りかけています。意識して耳を澄ましてみると、これまでは聞こえなかった音や声が聞こえてくるでしょう。自然との共生の第一歩は、そんなところから始まるのかもしれません。
この冬、みなさんはどんな音を耳にされるでしょう。

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