研究テーマ

こどもと暮らす

こどもを育てるには大変なエネルギーがいります。こどもは親の思い通りにはなりませんし、そんなに聞き分けのよいものでもありません。だからこそ、こどもと真剣に向き合う時間が必要です。
こどもの教育は親がするもの。そう考えると、こどもと過ごす時間を大切にしなければと思います。その最たるものが食事。どんなに忙しくても、夕食の時間が近づくと、食事の準備がはじまります。できればこどもにも手伝ってもらって、一緒につくる時間を楽しみたいものです。手をかけ愛情をかけてつくられた食事は、日々の生活の中で、こどもに送る無言のメッセージになるでしょう。

親はこどもに育てられる

親と子が一緒に過ごす時間は、こどもにとって大切であるだけでなく、親にとっても、日常の暮らしを健全に保つために大事なものかもしれません。
どんなに忙しくても、こどもがいれば「暮らしのリズム」ができます。緊張感のある「仕事モード」から解き放たれて、親子というシンプルな関係に立ち戻る時間。子育てを終わった多くの人が、大きな出来事よりもこどもと共に過ごした日常のささやかな時間を振り返ってなつかしむのは、幸せの根源がそこにあるからなのでしょう。
教育は共育である、という言葉があります。親はこどもを育てながら、同時にこどもによって育てられている。親も子も、共に育っていくのです。さらに言えば、こどもを育てることによって、親の方が救われているようにも思えます。

こどもとの時間の中にあるもの

こどもを育てていると、自分の人生をもう一度やり直しているようで楽しい、と言った人がいます。こどもと料理をする、工作をする、勉強をする、本を読む......そんな時、親は忘れていた時間を取り戻しているのかもしれません。
夏休みにこどもの工作の宿題を手伝っていて、親の方が夢中になって楽しんでしまった、という経験はありませんか? それは、ごく自然なこと。なぜって、こどもと一緒に何かをすることで、こどものころの創造的な自分に戻ることができるのですから。
同時に、「お母さんすごいね、お父さんすごいね」というこどもからの賞賛は、何ものにも代え難い喜びになります。こどもと過ごす時間は、親が、ひとりの人間としての存在意義を確認できる時間とも言えるでしょう。

走りつづけて失ったもの

戦後、日本は急速なスピードで高度成長を遂げました。「家族の崩壊」という言葉が生まれたのは、戦後50年近くたった頃です。父親は夜遅くまで働き、家庭不在。こどもは夜遅くまで塾通い。母親だって毎日、忙しい。当然、親と子が向きあう時間は少なくなってしまいました。幸せになることは経済的に豊かになることと、誰もが信じてひた走ってきたのです。その結果、どんな世の中になったのでしょう?
こどもと過ごす時間が少なくなったことで、バランスが崩れたのは、こどもの方ではなく親の方であったように思えてなりません。

こんな時代だからこそ、もう一度、こどもと向き合う時間、こどもと一緒に何かをする時間について考えてみませんか? そしてこどもが喜ぶことを、共に喜んでみませんか? こどもが喜ぶ時間は、親にとっても大切な時間。
こどもと暮らすことは、なんでもないように見える日々の暮らしをいとおしむことかもしれません。

研究テーマ
生活雑貨

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