研究テーマ

小さな家とキャンプ

リーマンショック以降、アメリカを発端に、タイニーハウス(小さな家)に暮らす人たちとそのライフスタイルが注目されています。小さな家でシンプルな生活を楽しむ運動は「タイニー・ハウス・ムーブメント」と呼ばれ、その知恵や技術を共有して大きなコミュニティになりつつあるという話も。「大きな家に住むこと=豊かさ」としてきた従来の価値観と、どう違うのでしょう。

暮らしの棚卸し

タイニー・ハウス・ムーブメントの発端は、1999年にアイオワ大学の美術教師ジェイ・シェイファーさんが約10m²(6帖)のスモールハウス(The ELM)を建築し、翌2000年に雑誌の賞を獲得して全米の注目を集めたことでした。ここに来てさらに注目を集めるようになったのは、サブプライム問題やハリケーンカトリーナなど災害の影響も。「大きな家に住んでいれば人生は成功だとするパラダイムから、多くの人が目を覚ました」ためと解説する人もあります。
日本でも、バブル崩壊やその後の経済の低迷、そして何より東日本大震災が、ひとりひとりの生活を見直すきっかけになりました。日常にあふれたモノやコトが生活の基盤として大きくなりすぎていることに気づき、本当の豊かさとは何かを考え、暮らしの棚卸しをする。そんな活動の象徴が、「小さな家」なのかも知れません。

何もなかったから、見えていたもの

フォークグループ「かぐや姫」が歌う『神田川』が大ヒットしたのは、昭和48年(1973年)。高度成長期といわれたその時代ですら、歌詞に描かれているのは「三畳ひと間の小さな下宿」でした。昭和50年頃に学生時代を過ごした人に話を聞いても、当時の学生の一般的な暮らしは木造アパートの六畳ひと間。入り口付近に小さな洗面所兼流しとガス台があり、トイレは共同で、家財道具は布団といくつかの鍋と食器、コンテナ2つ分くらいの衣類という簡素なものだったといいます。
その後、経済の発展とともに、私たちの暮らしにはたくさんのモノが加わっていきました。さまざまなものが機能分類され、それらを使うことによって利便性は高まりましたが、その反面、暮らしが断片化して、モノやコトに追われ、本当に大切なものが見えにくくなっているような気もします。

足りないモノも、余分なモノもない

都会の暮らしから解放されるキャンプに人気があるのも、小さな家を求める欲求と根っこは同じかもしれません。あふれるようなモノに囲まれた生活から、持てるモノだけを持って野外で生活をする。調理をするためのバーナーはせいぜい二口、水は水場からの汲み置き、住居はテントにシュラフ、灯りは小さなランタン、衣服はさまざまな天候に対応できるよう組み合わせを考えたレイヤード…70ℓほどのザックに入る道具が、生活道具のすべてです。自然の中で満ち足りた時間を謳歌するために、自分で背負えて自由に動ける、最大で最小の道具。足りないモノも余分なモノもないパッケージは、普段の生活がいかに必要以上のものに囲まれているかを振り返るよい機会になるでしょう。

削ぎ落とすことによって見えてくるもの

キャンプの生活は、日常の暮らしでは考えられないほど、自分自身や人との関わりなどを「見える化」してくれます。雨や風、強い陽差しや寒さなど、自然の急激な変化に対処したり、美しい自然の移ろいに感動したりする中で、共に行動する仲間との間に生まれる素朴な連帯感。特に家族で行うファミリーキャンプでは、その現象が如実に現れます。野外生活では火をおこすこともままならないことを知った子どもは、父親の存在を再認識するでしょう。母親のこまやかな心遣いが家族の安心感につながっていることも理解するでしょう。子どもはキャンプ生活の中で、家族の協力が楽しい生活をつくりだすことを学んでいきます。
機能や役割が断片化し、本当に大切なもの、必要なものが見えにくくなっている現代の都市生活。タイニーハウスやキャンプは、日常をぎりぎりまで削ぎ落とすことによって見えてくる、古くて新しいライフスタイルを再確認する機会かもしれません。

とはいえ、いきなりタイニーハウスで暮らすことは、普通の人にはちょっとハードルが高いのもたしかです。でもキャンプなら、比較的簡単にそれが実現できそう。モノを持ちすぎたことによって見にくくなってしまった暮らし本来の意味を、キャンプで再確認してみてはいかがでしょう?
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