研究テーマ

土壁の魅力

その昔、日本の民家の壁は土でできていました。粘土質の土に水と藁を混ぜ、しばらく寝かせたものを、竹で格子状に編んだ下地の上に重ね塗りをし、できた壁です。土壁は、自然の素材を水によって結んだもの。結ばれたものは、いつしかほどくことができます。自然から生まれ、人の暮らしとともに生き、自然に帰って行く。今回は、そんな風土とともにある家屋のあり方、その根本にある土壁の魅力を探ってみました。

呼吸する壁

土壁は呼吸する、とはよく言われることです。これはどのような意味を持つのでしょう。どうやらただ単に調湿性がある、風通しがよいということではなく、この言葉の奥にはもっと深い、"呼吸するものは生きている"といった概念が潜んでいるようです。
そう、土壁は生きている。それは土壁に使う材料にも現れています。土台となる壁の下地を構成するのは木や竹であり、壁の素材は泥や砂や砂利や稲藁や海藻など、生の原料をそのまま使います。生のままというのは、自然にあったものを加工せず、そのまま使うということ。素のまま、自然のままの原料を、それもだいたいは土地で採れるものを使って建てるのです。だから土壁の家は、地方によって少しずつ材料や建て方に違いがあります。つまり、風土の自然そのものが、人の手によって結ばれ、姿をもって立ちあがったものが、昔の日本家屋なのです。

見える水、見えない水

土壁は左官が鏝(こて)を使って塗って造ります。塗り壁にとって大切なのは「水」であると主張するのは、雑誌「左官教室」の編集長であり、自らも左官職人であった小林澄夫さんです。その著書「左官礼讃」の中で、小林さんは「左官の塗り壁の仕事は水仕事である」と述べた上で、見える水、見えない水の関係性について説いています。見える水とは、左官が材料をこねたり、塗り付けしたりするときに使う水のこと。一方、見えない水とは、空気中の湿度、空気中に漂う微細な水のことです。いわく「原理的には、塗り壁はこね水と同じだけの水を吸収出来るといってよい。乾いた泥の粒子間の空隙や苆(すさ)が水を呼ぶのだ。いままであったこね水が乾くことで蒸気として蒸発していった水道(みずみち)を空気中の蒸気が逆にやってきて、泥の中で微細な水にかわるというわけだ」。つまり、土壁を作るときに使う水が、月日とともに蒸発し、そこに生まれた壁のすき間が、空気中の水分を吸ったり吐いたり、調湿機能を発揮するということ。まさに、湿気の多い日本の風土に合った壁。いや、風土そのものから立ちあがったがゆえに、気候との親和性が高いのは当然のことなのかもしれません。

自然の温もり

そしてまた、土壁でできた家は思いのほか暖かいと言います。それは断熱材による暖かさと少し違う温もりのようなもの。熱容量の大きな土壁は、昼間の太陽光を吸収して、熱を壁の全体に蓄えます。そうして気温が下がった夜に、その熱を放出して部屋を暖めてくれるのです。原理的には、遠赤外線で部屋を暖めるオイルヒーターに似ていると言えそうですね。もっとも土壁の暖かさは、温度などの数値で表せるものだけではありません。その見た目の柔らかさ、肌ざわりのやさしさ、たたずまいの素朴さなど、心で感じられる温もりもあるのです。さらに土壁は防火性にもすぐれており、音をやわらかく吸収して響かせないという良さもあります。しかも、室内の湿度を一定に保ち、匂いなどを吸着し、空気を清浄に保つという効果もある。人の体に、心に、暮らしに、すべてにやさしい壁なのです。

断たない、防がない

欧州の家は堅固な石やレンガで造られ、外界から隔絶することで快適を保とうとします。それに比して、日本の家屋は木や草や土などで造られ、周囲の自然と調和をはかって快適を保とうとします。両者の違いは、おそらく自然観の相違から生まれてきたものでしょう。自然を脅威と見なし、征服しようとする西洋人に対し、東洋に生まれた日本人は、自然に抗うことなく寄り添うように努めてきました。断熱や防水という「剛」の発想ではなく、通気や調湿という「柔」の発想によって、自然と共生する道を選んできたのです。
左官職人の小林さんは「左官礼賛」で"物をつくらない物づくり"の大切さに触れ、こう書いています。「左官塗り壁の素材は、かつて泥であれ、砂利であれ、砂であれ、海藻のりであれ、にわかであれ、竹であれ、藁であれ、すべて自然の贈物であった」と。大切なのは「ものをつくることではなく、自然の贈物を受け取ること」。自然史の気の遠くなるような長い過程から生み出された贈物を受け取ること、であると。

自然からの贈物を受け取り、一時人の住まいとしての形をなし、土壁は風雨にさらされ、ふたたび土に帰していきます。昔の人は自然の循環の中に、人の手をうまく差し入れ、暮らしを編み立ててきました。その知恵に学ぶことは、ノスタルジーに浸ることとちょっと違うように思います。むしろ未来、これからの人間の生き方を、私たちは土壁から読み解くことができるのかもしれません。
みなさんのお近くに土壁の家はありますか。ご意見、ご感想をお寄せください。

※参考図書:「左官礼讃 小林澄夫」(石風社)

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