研究テーマ

東北のその後 ─手仕事がもたらした希望─

今年も3月11日がやってきました。東日本大震災から3年たった今もなお、厳しい現実が続いていることに変わりはありません。そんな中、被災地では、女性たちの手仕事を通して新しい一歩を踏みだそうという動きもあります。そうした活動の中から、今回は岩手県大槌町の「大槌復興刺し子プロジェクト」をご紹介しましょう。

岩手県の沿岸南部に位置する小さな三陸の町、岩手県大槌町は、東日本大震災で甚大な被害を受けました。多くの人が仮設住宅での生活を余儀なくされる中、男性たちには瓦礫の片づけや自宅の修復など、しなければならないことが山積みしていました。その一方で、女性たちは家事をするための場所もありません。帰るべき家を失い、大切な人を失い、仕事を失い、生活が一変してしまった女性たち。そんな現状をなんとかしようと始まったのが、針と糸さえあればできる「刺し子(さしこ)」の制作でした。

布地に針を刺して模様を描き出す刺し子は、もともと布を大切に使うために生まれた昔ながらの知恵。糸を刺すことで、布地が補強され丈夫になるのです。「津軽のこぎん刺し」など東北地方で刺し子が発達してきた背景には、厳しい寒さから身を守る意味もあったのでしょう。綿布が貴重だった東北では、麻の衣類に木綿の糸で刺し子をすることで、保温や補強をしながら大切に使っていたといわれます。

2011年6月、このプロジェクトを立ち上げたのは、震災直後からボランティアとして支援に関わってきた吉野和也さんと4人の仲間たちです。震災直後の5月に大槌町に移住した吉野さんは、避難所の一角に寝泊まりしながら、ヒアリングを始めます。そこで浮かび上がってきた大きな課題は、「避難所でやることがない」ことと「仕事がない」ことでした。避難所という限られたスペースの中で、ひとりで取り組むことができて、最低限の道具があればできるものはないだろうか…吉野さんたちがたどり着いたのが、「刺し子」です。手仕事をすることによって、心が落ち着く効果もあるだろうと考えました。

呼びかけに応じて刺し子の制作に携わっているのは、大槌町を中心に20代から80代の女性たち約60人。年齢も境遇もさまざまで、もともと針仕事が好きだったという人ばかりではありません。それでも、「今日を生きる」という強い気持ちが、「何かをしたい」という原動力になりました。避難所で一日中横になって日々を過ごしていたお年寄りや家族を亡くして仮設住宅でひたすら泣いていたという人も、「刺し子」という手仕事を通じて、生きる喜びを見出し、少しずつ元気を取り戻していきました。東北になじみ深い手仕事が、生きがいとして、そして小さな収入源として、地域の女性たちの間に根づいていったのです。

ここではまた、新たなコミュニティーも生まれていきました。津波以前は付き合いのなかった人と知り合い、語り合い、励まし合って手仕事をする。毎週開催される「刺し子会」は、お互いの刺し子技術の向上の場としてだけではなく、家族や友人と離れ離れになった人々の心のケアにつながる場ともなっているのです。それは、かつての地縁血縁を超えて、手仕事を通して生まれた新しい絆ともいえるでしょう。

津波でたくさんのものを失った女性たちに、新たな希望となる手仕事を届けたい━━そんな想いからスタートした、刺し子プロジェクト。震災直後は、厳密に品質管理をすることよりも、被災地の女性たちがつくったものを買い取って現金収入を届けること、精神的に落ち着いてもらうことを優先していたといいます。しかしその後、刺し子をつくる人たちの意識がどんどん変わっていき、買う人に満足してもらえる品質を重視するようになりました。いま大切にしていることは、商品それ自体の魅力で買ってもらえるものづくり。「復興」の二文字を抜いても通用するものをつくり、新しい地域ブランドに育てたいと夢はふくらんでいます。

日々を生きるのも辛い状況の中、小さな手仕事をすることで、少しずつ日常を変えていった大槌の女性たち。そしてまた、被災地に関わりつづけて陰に日向に応援している人たち。その姿は、本当に大切なものとは何かを、私たちに問いかけているようです。震災から3年。今の私たちにもできることを、あらためて考え直してみたい気がします。
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※現在、大槌復興刺し子プロジェクトの運営は、NPO法人テラ・ルネッサンスに引き継がれ、吉野さんはその職員として、これまで通りの活動を続けています [関連サイト] 大槌復興 刺し子プロジェクト

※無印良品では、大槌復興刺し子プロジェクトの目的や事業に共感し、コラボレーション商品を制作して販売しています [ネットストア] 大槌刺し子

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