連載ブログ 音をたずねて

灼熱の大地のオアシス

2012年10月03日

照りつける太陽と焼けて赤茶けた大地、アンダルシアの9月はまだまだ夏のまっただ中にありました。

刈り取られたひまわり畑が砂漠のように延々と見渡す限り拡がっています。
この風景がイベリア半島の南端、ジブラルタルまで続くのかと思いました。

セビリアから南下するルート375号線を走っていると、時折大地に張り付くように家らしき建物が見えます。カメラマン藤岡さんの提案でその一軒に寄ってみようと訪ねることにしました。

家だと思ってお邪魔した場所は農作業用の小屋でした。突然の訪問者に少し訝しげな雰囲気でしたが、我々は日本から来てセビリアで音楽を収録している。今回は撮影用にジブラルタルまで南下している途中で、皆さんの生活を少し拝見させて欲しいとお願いすると快く撮影を了承してくださいました。

自分たちは近くの町から毎日この場所に農作業のために通っていると話してくれました。農作物はなにを作っているのかと聞きましたら、ひまわりが主だけど今はもう刈り入れが終わったのでこんな状態だと、外の大地を指さしました。今はこの作業所の中や周りにある果物の手入れをしているとのことでした。そう言われて周りをみると。

イチジクの木がいくつか植えられていました。

ザクロの木もありました。このほかにはブドウと少しの野菜の畑がありました。

作業小屋の横を見ると、家から一緒に来たと思われる可愛い犬たちがバイクに付けられた籠にちょこんと入れられています。袋には弁当が入っているのかも知れません。急な訪問で仕事に差し支えてはいけないと思い。そそくさと必要な写真を撮らせていただき、ロンダに向かって出発することにしました。最後に記念撮影をさせて頂きたいとお願いするとすぐに承諾してくださいました。

たぶん急な東洋人の訪問に驚いて少し緊張している表情ですが、大地に根ざして生きる迫力と実直な印象のする良い写真を撮影することが出来ました。

切り立った岩山に建つ町ロンダ

セビリアから東南に南下すること150kmにある標高739mの岩の台地にロンダはあります。グアディアーロ川から切り立つ断崖絶壁のぎりぎりまで家が建て込んでいる人口36,000人ほどの中堅都市です。ロンダの起源は紀元前6世紀頃まで遡り、住んでいたケルト人たちが作った町のようです。その後ローマ、イスラムに支配され、1485年スペインアラゴン王がイスラム支配を終わらせ、統治するようになったそうです。ロンダはフランシスコ・ロメーロが現在の闘牛のスタイルを確立した場所としても有名な場所です。

町に入るとそれまでの風景が一変し、まるでオアシスにたどり着いたような雰囲気がありました。広場では沢山の人々が涼を求めながら集まり和気藹々と歓談している風景に出会いました。

町の探索途中、偶然結婚式に遭遇しました。どこの国でも同じように喜びを分かち合う結婚式は見ている側も幸せにしてくれます。タキシードやウエディングドレスがとても風景にあっていて、やはり西洋の文化なんだなと変に実感してしまいました。フランクなそれでいて喜びが満ちあふれている素敵な雰囲気でした。

ロンダの町の中はセビリアほど道も広くなく、また歴史的な建物も多くはありませんが、白い建物で構成された町は清楚で、生活の息づかいが聞こえるようなスペインらしい町でした。

川のそばに建設されたロンダの町はとても水の豊富なところでした。町のあちらこちらに点在する水場にはきれいな水が豊富に流れ、町の外に拡がる灼熱の乾いた大地と対照的でこの水がこの町を作ったように思えました。一歩町に足を踏み入れると外とは全く異なる世界が広がり、生活の営みや弾むような笑顔が町中に溢れていました。アンダルシアの焼けた大地にオアシスのように生まれたロンダ。町の役割をこれほど強く感じた事は今までありませんでした。長い歴史の中で混ざり合ったアンダルシアの文化に、ローマの文化が結合し、フラメンコという激しく、そして力強い音楽が生まれた背景を少しずつ実感できた素晴らしい旅でした。翌日ジブラルタルを向かう予定で、この日はロンダに泊まりました。

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    Y.Iさん

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