連載ブログ 音をたずねて

2000年前のデザイン

2012年05月23日

ポンペイの遺跡を見ながら文明の進歩とはなんだろうと考え始めた。ポンペイを見て刺激を受けたことはピラミッドやイースター島のような、巨大建築や巨石ではなく、現代に通じる洗練でした。そこには現代人でも共感できる生活の豊かさがあるように感じました。ナポリの習慣で子供が生まれると写真のように玄関にバラの花束を下げるようです。皆で家族の喜びを分かち合い祝福する素敵な生活習慣だと思いました。このようなナポリの生活の中にある豊かな文化はひょっとしたら2000年前からあるのではないかと思えるほどポンペイ遺跡は洗練されていました。ポンペイブログ2回目の今回は一軒のヴィラ、ヴィッラ・ディ・ミステリ(謎の別荘)をご紹介したいと思います。

ヴィッラ・ディ・ミステリ正面左

この建物は遺跡の南西部にあり、エルコラーノ門を出て古墳群の中を抜けた先にありました。とても大きな建物で俯瞰した写真をお見せできないのが残念です。この写真は建物正面入り口左側の部分です。

左に回り込んだ出口付近です。

先ほどの写真から回り込んでいくとこのような見え方をします。壁や柱は漆喰などで装飾されていたと思いますが今は構造体しか見ることは出来ません。広く開けた窓と直線によって構成された建物は、近代建築を思わせるほど良いバランスで美しい構造美を見せています。屋根は赤いセラミックです。白い円柱と煉瓦色の柱、漆喰で塗られた白い壁に赤い屋根、広く開いた窓からは真っ青な海が見えていたと想像すると洗練されたとても贅沢な空間だったように思います。

パン窯の跡

今でも使えそうなパン窯が残っていました。現代でもパン窯を作ればほぼ同じような構造になると思います。綺麗に並んだアーチ型に組んだ煉瓦から当時の職人の技術が偲ばれます。左には焼き台と同じ高さにしつらえたと思える棚の台座部分が見えます。焼いたパンと次に焼く生地をのせていたのかもしれませんね。

建物まわりを巡る回廊

建物の中に入りますと石造りのひんやりした空気に包まれます。建物の内部は広い回廊に囲まれています。

回廊床のタイル

床を見て驚きました。一辺が10cm程と1×3cm程度の大きさのセラミック製タイルで一面装飾されているではないですか。暗く砂がのっていたので気づかなかったのですが、回廊全体の床に貼られていたようです。色とりどりの美しいタイルはまるで宝石の色を模したかのようでした。それらがランダムに構成された床はモダンで今でも好まれそうなデザインになっていました。もしこの床がホテルのロビーを飾っていたら、2000年前のデザインと思うでしょうか。

アトリウム(中庭)

アトリウム(中庭)です。建物を入り右手にありました。この庭も回廊に囲まれています。吹き抜けの屋根のない庭です。まわりにはしっかりとした排水用の石造りの側溝が敷設されています。

中庭の回廊中庭の床

中庭の床にもセラミックの意匠が凝らされていました。今度は白とポンペイレッドに似た色とグレーで構成されていました。

もう一つのアトリウム

こちらは室内になっているアトリウムです。天井には天窓があり、雨が入ります。その雨をためる水盤が床に作られています。アトリウムは広間、社交場としての役割の他、石造りの暗い建物内に灯りを入れる役割もしていたようです。壁は落ちてしまっていますが所々に当時が偲ばれる装飾画が描かれていました。この部屋の床は確認できませんでしたが壁画と共に美しい空間を演出していたと思われます。

部屋入り口の装飾壁

装飾壁2

火砕流に埋もれていたとは思えないほど鮮やかな装飾壁です。たぶん漆喰の上に書かれたと推測しましたが、高熱の火砕流にあってもこの程度の色を留めている、塗料はなにを使ったのだろう、元の色はどうだったのだろうと思いは果てしなく広がってしまいます。

巧みな技法と表現力

ナポリ国立博物館収蔵 「ポンペイ壁画」

ナポリ国立博物館収蔵 「青い壺」

学術的なことは専門家にまかせるとして、私が今回のポンペイ遺跡を見て感じた事は、思ったよりも権威主義的な装飾や建物が少ないというのが率直な感想でした。ローマ人の避暑地として栄えたポンペイですので、もっと社会的な地位を象徴するようなものが多いのではないかと思っていました。豪華ではあったと推測できますが、相手を射すくめるような権威を誇るようなものは見学した範囲には見あたりませんでした。むしろ生活文化的な豊かさ、人と人の繋がりを楽しんでいたような形跡が数多く見られたように思いました。ローマに物資を運ぶ中継地点としての役割から商業が発達し、商人的な価値つまり冨と贅の文化だったのかも知れません。贅はとかく人工的なきらびやかさになりがちですが、自然やその恵みを愛した装飾がとても多く、またしっかりした職人技術の集積も見受けられます。そういう意味ではローマよりも生活感覚での洗練が進んでいた町なのかも知れないと思いました。

ポンペイから見えるヴェスビオ火山

この美しい景色に見守られるポンペイ。豊富な食材と富みによって生まれた豊かな生活が守護神ヴェスビオ火山の噴火によって一瞬にして灰の下に埋もれてしまったポンペイ。2000年の時を経て我々の前に姿を現した遺跡は、人の世の普遍的な盛衰を見せてくれているのかも知れないと思いました。

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  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    Y.Iさん

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