連載ブログ 音をたずねて

2000年前のタイムカプセル・ポンペイ

2012年05月16日

ナポリから少し離れたところにある世界遺産、ポンペイ遺跡に行ってみました。ローマ時代の生活をほぼ完全な形で現在に残す世界遺産です。西暦79年、今からおおよそ2000年ほど前に、ナポリの町から見えるヴェスビオ火山が大噴火をしました。東南に約10kmの距離にあるポンペイの町は火砕流の直撃を受け一瞬にして町全体が火山灰に埋もれる悲劇が起こりました。

ポンペイの遺跡から見えるヴェスビオ火山

1599年に遺跡を発見し1748年に発掘が開始され現在も続いています。5mの高さまで降り注いだ火砕流は町全体をすっぽりと包み込み1800年の時を止める働きをしました。現在は一部を一般公開されていますのでタイムカプセルから出てきたような、古代のポンペイを実際に見ることが出来ます。火砕流の主要素である火山灰は乾燥剤に似た性質をもっており、標高の高さによる乾燥と火山灰の効果が相まって、発掘された町は非常に良い状態に保たれていました。実際に町を散策してみると、ごく最近の出来事のような驚きがあります。

ポンペイの側道

ローマ人のリゾートとして、ローマへの荷物の中継地点として発展したポンペイは最盛期で2万人の人口を抱える大都市でした。温暖な気候と豊富な食材、ブドウの産地でもあり葡萄酒が特産でもあったようです。ローマ式の都市計画によって開発された町は碁盤の目のように道が走り、現代のローマよりもローマらしい街区と建物を残す古代都市と言われています。

幹線道路にのこる轍痕

当時の隆盛を伝えるような轍痕。ローマ道の象徴ともいえる1つが60cm以上もあると思われる敷石が敷かれ道には、馬車と思われる車輪の轍痕が深く残されていました。花崗岩と思われる堅い石がこれほどまでに深く削られているを見て、当時の交通量の多さに驚きました。

道脇の公共噴水

道と水道によってその文化を伝えていったローマ。そのローマ道の典型のように整備されたポンペイの街区にある公共噴水です。ローマ道の交叉する場所にはご覧のような公共噴水が溶岩石で造られていたそうで、写真のような白色石灰岩で造られている公共噴水はとても珍しいそうです。

公共水道の蛇口

今でも使えそうな水道の蛇口もありました。とてもモダンなデザインで美しく機能的な形をしていました。リゾート、商業用地として発展したポンペイには商店やレストラン、大きな食品市場、製粉所、カフェ、円形劇場、温泉など様々なサービスが提供されていた痕跡が各所に残されていました。

レストランのかまど跡

レストランのかまど跡には複数のかまど並び、同時に様々な料理を出していたことが偲ばれます。また表面の石の張り方が凝っていて、とても素敵に思えました。今でも十分に使えそうなデザインです。

同じようにかまどです。とてもモダンな感じに石を張っています。

パン屋の跡

製パン屋の跡らしき建物もありました。右や左の溶岩石で出来た大きな石は写真中央、手前に見えるような形で組み合わせ、麦を粉にする挽き臼だったと思われます。この挽き臼は上部のじょうご型の部分が欠けています。奥の方にはパン窯が見えます。現在のパン窯と構造はほとんど一緒なのが驚きでした。石挽の粉で作って、薪で焼いたパン。さぞ美味しかっただろうと推測出来ます。

幹線道路脇に立つ大きな邸宅

この邸宅はとても広い面積を持っており、入り口から入ると池と庭がありまわりには小さな部屋がいくつもありました。奥の門の先が主人達の住居だったのではないでしょうか。ローマ時代の典型的な構造になっているようです。

2番目の門の入り口です

中に入ってみて驚きました。主人の住居に続く門の床にはセラミックで精密なモザイクが施されていました。その文様は今でも通じるほどのモダンさでとても2000年前の意匠とは思えない斬新さでした。今では壁面の装飾は剥がれ煉瓦がむき出しですが、この床を綺麗に掃除して、壁面に漆喰の白を施し、奥に見える柱や壁も白く、その壁面にポンペイ・レッドの装飾が施されていたら今の高級ホテルを凌ぐ贅沢な美しさではなかったかと思わずたたずんでしまいました。全く人の手が入らず完全保管状態で歳月を過ごしたポンペイは当時のローマ文化がそのまま蘇った状態だと聞きました。この二千年という文明の進歩はなんだったのだろうと思うほど斬新で洗練されたデザインは時間による進歩というものを考えさせられる体験でした。皆さんはいかがお感じになられたでしょうか。今回は紙面の関係から2回に分けてご紹介いたします。

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  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    Y.Iさん

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