連載ブログ 音をたずねて

カンツォーネ・ナポレターナ

2012年05月09日

カンツォーネという言葉があります。イタリア語では「歌」もしくは「歌謡」を指す単語です。日本では1960年~70年代にかけて流行したイタリアのポップスも含めてカンツォーネと呼んでいます。このカンツォーネ、ナポリのものはカンツォーネ・ナポレターナと呼ばれ世界最古の歌謡、歴史は紀元前ローマ時代まで遡るといわれています。思っていた以上に古い歴史を持つカンツォーネ・ナポレターナはなぜナポリに生まれたのか、とても興味深く思いました。

旧市街地

そのひとつはナポリ町の構造にあるようです。このナポリの旧市街地はギリシャ時代の幹線道路2本が通り、その間を繋ぐ細かな路地で形成されていてスパッカナポリと呼ばれています。この狭い路地がゆえに生まれた商売が物売りだそうです。日用品から食材まで賑やかに様々なものを売り歩いていたそうです。興味深いのは、この物売りの声が良いほど繁盛したようです。ふたつ目はナポリは紀元前から音楽祭が開催されていたほど音楽が盛んな町として知られていたそうです。そのような町ですので、おのずと物売り達の声も節を付けたものが多かったのではないでしょうか。江戸時代の日本の物売りにも節や歌にしたものも多く、同じような賑わいを見せていたのではないかと思われます。明るい気質と相まって生活中から歌が生まれる背景がとても揃っていたように思いました。

町を歩くと見えてきました

町の洗濯物

現在のナポリを歩くと、いたるところに洗濯物が干してあります。安くて美味しいレストランやエスプレッソを飲みながら小さなスイーツつまむスタンド式カフェがいたるところにあって、常連達が頻繁にエスプレッソを飲みながら談笑をしている風景が見られました。町全体がとても庶民的で商業貿易港で栄えたナポリは昔から変わらずこのような町だったのではないかと当時を偲べました。

コーヒー・スタンドのスイーツ

ナポリでは昔から路上演奏が多く皆それを聞いて、名もない歌手が音楽祭に出る頃にはその歌を皆が歌えるくらいになっていたとも聞きました。商業港として栄え、豊かな食、温暖な地としてギリシャ、ローマと直結した関係を持ち、庶民に賑わいが生まれる町の構造があり、明るく人なつっこい気質などが相まって、世界に冠たる大衆歌謡カンツォーネ・ナポレターナを生んだのではないかと町を歩きながら思いました。

ナポリから見たヴェスビオ火山

NHK「おかあさんといっしょ」で一躍有名になった「鬼のパンツ」はご存じだろうと思います。軽快なメロディにおかしな歌詞がのって子供達が大好きな曲ですが、原曲は「フニクリ・フニクラ」というナポリの歌です。ヴェスビオ山の山頂までのケーブルカーが1880年に敷設され、この集客宣伝のために一般公募したCMソングがこの曲です。今から130年も前に宣伝用にコマーシャルソングを公募していたことからも、当時からいかに音楽が盛んな土地だったかがわかります。1860年のイタリア統一後ナポリは商業都市として発展すると同時に音楽文化拠点としても多くの作曲家、作詞家を輩出し「帰れソレントヘ」、「オ・ソレ・ミオ」など数多くの名曲を残しました。その他にも古くからの曲としてサンタ・ルチア海岸を歌った「サンタ・ルチア」なども有名です。

サンタ・ルチア卵城からの夕暮れです

MUJI BGM9の収録

リカルド・バズーロ

そんなカンツォーネ・ナポレターナを良く理解しナポリの地元ミュージシャンにも強い陽気なリカルド・バズーロ氏に、今回はサウンドプロデューサーとしてシチリアから参加してもらいました。リカルドはBGM3シチリアの収録に際してチコの片腕として活躍してくださったミュージシャンです。今回はカンツォーネ・ナポレターナらしいナポリの大衆音楽を編纂してくれました。

スタジオ・コンソールルーム

さすがに素晴らしいスタジオがありました。ナポリの人口は約100万人、仙台と同じくらいの規模だと思います。海外の都市を回ってみて思うのは、人口に対してしっかりとした音楽録音スタジオが揃っていることに驚きます。日本と比較すると大きな違いがあるように思います。それだけ沢山のミュージシャンとそれを聞く音楽愛好家が多いのだろうとうらやましくもあります。音楽に対しての層の厚さと多様性は音楽の歴史の長さの違いなのかと痛感することが多々あります。

音合わせ風景です

OKティクに喜んでいるフランコ・ボンツォ

ジャケット撮影風景、少し堅くなっているピットリオ・カタルディ

ヴォーカルで参加してくれた若干19才の新鋭のシーラ・カペッツート

ミュージシャン達がスタジオ以外で陽気なのはどこの国でも一緒ですが、今回のナポリはミュージシャン達の気さくさに驚きました。音楽家はとかく自分が音楽家であるという特別な意識が前に出がちですが、ナポリのミュージシャンは肩にまったく力が入っていないように見えました。スタッフにコーヒーを運んでくれたり、スタッフをねぎらっておどけて見せたり、参加しているミュージシャンもスタッフもすべて仲間という感じで接します。もちろんスタジオでは自分の音楽を表現する真面目な姿勢は他の国と共通ですがこの違いはどこから来るのだろうと思いました。カンツォーネ・ナポレターナの民衆と一緒に発展してきた歴史とその分野で認められている自信や人々が大衆音楽を大切にしてくれている文化などの表れでしょうか。シーラに聞けば、何故そんなことを聞くのかという顔をして「ナポリの人は皆音楽が好き、私はただ歌うのがうまい、楽器がうまいだけ。だから気負う必要はない」そう答えが返ってくる気がしました。音楽が生活の中に空気のように入り込んでいるナポリ、また一つ住みたい町が増えてしまいました。

このBGM9のCDについては、ネットストア > BGM9 をご覧ください。

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    Y.Iさん

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