MUJIキャラバン

「岡山」カテゴリーの記事一覧

マスキングテープの舞台裏

2014年11月26日

生活のあらゆるシーンで活躍してくれる、マスキングテープ。

シンプルな文具や雑貨、ギフト用ラッピングなど、使い方次第で
彩り豊かなオリジナルのグッズを生み出すことができます。

今では文具店や雑貨店、書店など、
私たちの身近なお店でも手に入るようになりましたが、
その仕掛け役が、岡山県倉敷市にある、一軒の工業用テープの専門メーカーでした。

カモ井加工紙株式会社は、1923年にハイトリ紙の製造からスタート
(岡山ではハエのことをハイというそう)。
その後、時代の流れに合わせて、粘着技術を生かした
養生(ようじょう)テープ(=マスキングテープ)の製造も手掛けるようになります。

養生(マスキング)には、"包み隠す""覆い隠す"などの意味があり、
養生テープとは塗装などの際に、作業部分以外を汚さないために貼る、
保護用の粘着テープのこと。

それまで工業用のテープとして販売してきた
カモ井加工紙のマスキングテープでしたが、
ひょんなことから、現在の雑貨としての地位も築くことになります。

「当社のマスキングテープ『mt』のはじまりは、2006年に届いた1通のメールだったんです」

とは、専務取締役の谷口幸生さん。

メールは、マスキングテープの熱烈なファンだという東京の3人の女性からで、
マスキングテープが作られている工場を取材したい、という内容だったそう。

初めての消費者からの要望に社内で対応に困っていると、
同じ女性たちから、今度は1冊の手づくりの本が送られてきました。

「他のメーカーのものとも比較しながら色の話や文字の書きやすさ、
自分たちのマスキングテープの使用例など、
徹底的にユーザー視点で研究がされていました。
これはただ者じゃないなと思って、お会いしたくなりましたね」

こうして彼女たちの工場取材は実現し、
「柄ものを作ってほしい」という要望を残して帰りました。

しかし、それまで工業用テープを大量ロットで生産してきたカモ井加工紙が、
すぐに雑貨用のマスキングテープを作るには至らなかったといいます。

「当時、工業用テープの売り上げが順調ななか、
多品種少量生産の雑貨用テープを手掛けることに対して、
社内の理解を得るのが大変でした」

mtの立ち上げに最初から関わってきた、
広報・企画担当の高塚新さんは、そう当時を振り返ります。

「テープの技術には絶対的な自信がありましたけど、
雑貨用になると、パッケージや販路など、ノウハウが全くありませんでしたから」

それでも工場見学の際に女性たちが興奮していた様子が忘れられず、
数ヵ月後に連絡を取り、2年という年月を経て
2008年3月にマスキングテープ「mt」を発売しました。

発売から6年、生み出されたmtの柄は1000を超え、
日本のみならず、フランス、台湾、オーストラリアほか、世界中で愛されています。

そんなmtの魅力は、選ぶ楽しみのあるデザインはもちろん、
「手で簡単に切れる」「貼って剥がせて繰り返し使える」「文字が書ける」など、
多様な機能性にもあります。

そして、そこには日本の和紙の性質が関係していました。

「最初から狙って使ってきたわけではないと思うんですが、
和紙は繊維を長くすいているから、薄くてしなやかな強度があります。
ただ、和紙は湿気などの気候の違いで、すぐに伸び縮みするため、
毎日カットする機械の幅をミリ単位で調整する必要があるんです」

と、作る難しさを製造課の古江係長が教えてくださいました。

今回工場を見学させてもらって目についたのが、
工場内の様々な場面でmtが活用されていたこと。

実は、カモ井加工紙では定期的にファクトリーツアーを開催しており、
一般ユーザーが生産現場を見学することができます。

工場内での機材やロッカーにデコレーションされているmtを見て、
使用の想像の幅が広がることもそうですが、
ファクトリーツアーの効果を谷口専務は次のように語ります。

「黙々とものづくりをしていた現場に、ある日突然ユーザーが来る。
すると直接、ユーザーの反応や声を聞くことができるんです。
ただ作るのではなく、ユーザーの気持ちを知りながらものづくりをしていきたいですね」

また、カモ井加工紙は積極的に
国内外で展示会やワークショップなどのイベントを行い、
ユーザーにmtを体感してもらう場も提供しています。

「私たちは従来、工業用製品のメーカーなので、使う用途を決めたがる傾向があります。
ただ、mtについては用途を決めなかったことがよかったんでしょうね。
お客様からの要望でその幅がどんどん広がっています」

高塚さんがそう話すように、mtは自転車や窓、
さらには車のデコレーションにまで、その装飾の対象はとどまることを知りません。

和紙でできているというと、水には弱いイメージがありますが、
特殊な和紙を使用しているため、
mtは貼った後に水に濡れても問題ないんだとか。

最近では、水を抜いた噴水にmtでデコレーションをしてから水を戻した、
mt噴水なるものも登場したといいます。

自分たちの"粘着技術"という得意分野を生かして、
雑貨用のマスキングテープという新たな市場を作り出した、カモ井加工紙。

その裏に一般ユーザーの声があり、
そこに真摯に向き合いながら歩んできた結果が、
今の世界中から愛される商品「mt」につながっているのだと知りました。

有機生活マーケット「いち」

2012年12月07日

岡山生まれで、岡山市でヘアサロン「ヴィハーラ」を経営する、
高橋真一さん。

高橋さんは10年ほど前から、
サロンで使っているパーマ液などが人体や環境へ及ぼす悪影響を知り、
オーガニックなサロンづくりを目指す一方で、
「多くの人に循環可能な環境づくりの必要性を知ってもらいたい」
と「T.T.T.PROJECT」を主宰。

「T.T.T.PROJECT」の3つのTは
「ツナガリ」「ツナゲル」「ツナガル」の頭文字を表します。

地球温暖化、環境汚染、有害化学物質などの環境問題の現状を
いろんなツナガリから改めて知ってもらい、
自分たちのできることからアクションを起こすことで、みんなで今を変えていく。
周囲と次世代にツナゲル行動が、未来ヘツナガルきっかけになれば…
と、立ち上げたプロジェクトだそう。

本業の美容師の傍ら、ファッションやアート、デザインによる様々な展示や
イベントの企画などを運営してきました。

どうせやるなら岡山で同じ想いを持って活動している人ともっとツナガリたい!
そう思っていた時でした。
あの未曾有の大災害が起こったのです。

3.11をきっかけに、活動の方向性を模索していた高橋さんは、
2人の仲間と新たなスタートを切ることに。

仲間の1人が、岡山生まれで、
現在岡山市でNPO法人「タブララサ」の代表を努める、河上直美さん。

「タブララサ」は、ラテン語で「白紙の状態」を表し、
エコの要素を取り入れ、おしゃれに、楽しく、
何にもとらわれない真っ白な心で街づくりのアイデアを実現していく
20~30代のグループだそう。

もともと、素敵な場所なのに人通りが少ない場所の
魅力発信のためにイベントを行っていた彼ら。
イベントに出店をすると必ずゴミが出ることを解決できないかと、
"リユース食器"の普及、ゴミ分別など、様々な方法を模索し、
イベントの開催場所からゴミを減らす提案のほか、様々な活動をしています。

高橋さんとは、5~6年前に知り合い、活動の構想を話し合ってきました。

そして、もう1人が、大阪生まれで、東京を拠点に
クリエイティブディレクターとして活動していた、木内賢さん。
震災後、東京では"タブー"が増えたと木内さんは話します。

クリエイティブな世界を実現するためには、
本音と建前が入り交じった東京では正直に仕事ができない…
と西日本に移住を決意。

昔住んでいた徳島を目指すも、
電車を乗り換えた岡山で、友人に会おうとたまたま降り立ち、
その友人経由で高橋さんと知り合い、そのまま今に至るそうです。

さて、「ストレスのない心地よい都市生活を追求したい」
という共通の目指すべき世界を持つ3人は、すぐに意気投合。
準備をしていた構想を実現へと進めることにしました。

2011年11月から、これまでに4回、
「有機生活マーケット『いち』」を開催しています。

「いち」には、有機栽培、無農薬、減農薬、地産地消などこだわりの食材や、
それらを使った料理、エコなライフスタイルを提案する雑貨などを扱う
約40店が並びます。

出店者は人のツナガリで、高橋さんらの考えに共感する人たち、
「いち」を知る人たちが集まっているそう。

「『いち』を開催する前に、定期的に『茶会』を設けていて、
そこで価値観の共有がなされているんだと思います」
と高橋さん。

すると、河上さんが

「これは賢さんのアイデアで始まったことなんですが、
東京のParty文化を取り入れようって。
岡山で活動する私たちだけじゃ生まれなかった企画だと思います」

と重ね、続いて木内さんが

「その場を機能的にはしたくなくて。
説明会ではなく、雑談から始まる何かがあると思っていて。
生のエネルギーは、人間の興味関心と仲よし度から生まれると思うんですよね」

と加えます。

見事な3人の連携っぷりがうかがえました。

実際に「茶会」から、生産者さんと野菜を仕入れるカフェがツナガル事例も
生まれているそうです。

3人は、「いち」は町のコーディネーター的な役割を担っていると話します。
岡山は昔から災害が少なく"晴れの国、岡山"といわれるほど天気も良いので
そんなに助け合わなくても生活できてこられたんだとか。
そのため、横のツナガリがこれまで希薄だったそう。

「僕らが考えている"有機生活"というのは、オーガニックのモノを選ぶ
ということより、人と人とが有機的なツナガリを築いていくということ。
代替できるモノは代替しつつ、
出店者同士がコラボをしながら、持続可能な暮らしができる
新しい街を作っていけたらいいと思っています」

「有機生活マーケット『いち』」は来年度4月から定期開催するそうです。

「岡山でこれができたら他の県でもできるでしょ
っていう実例を見せたくて。
みんなが真似していって、自分たちの街の経済圏を自分たちで作っていく状態が
できたらいいと思いますね」

出身や職業、キャラクターの異なる3人がしっかりとツナガリ、
岡山の人を巻き込みながら新しい街づくりの形を示していっています。

知られざる瀬戸内の恵み

2012年12月06日

「瀬戸内の魚はおいしいですよ!」

この旅路でも幾度となくそうオススメされてきましたが、
ママカリをはじめ実際、本当においしい魚が多い印象です。

そんな瀬戸内海の鮮魚が集まる
岡山県倉敷市の「玉島魚市場」へお邪魔しました。

続々と運び込まれる魚には、

サゴシからタラ、フグに幻の魚と呼ばれるアコウまで。

玉島魚市場の営業・事務リーダーの佐藤真理子さんに、
魚市場の仕事のやりがいを伺うと、

「日本全国、果ては世界各地の魚介類を扱っているので、
職場にいながらにして世界中を感じられる職業なんです。
気仙沼の塩辛業者さんの作るイカの塩辛が、
震災後の10月に再入荷した時にはスタッフみんなで大喜びしたんですよ」

自分の居場所にいながらも、他の地域のことも常に考えていられる、
そんな職場なのかもしれませんが、その思慮の深さに感銘を受けました。

今回、この魚市場にお邪魔したのは、
Found MUJIでも取り扱っている小魚チップスの生産者、
エフピー通販の真田社長が、小魚の買い付けに訪れたから。

「瀬戸内の魚に育てられた身なので、魚市場はわくわくしますよね」

と、話された時の柔和な笑顔がチャーミングな方です。

瀬戸内海沿岸の漁業の町で生まれ育った真田社長は、
漁師たちが売り物にならない小魚を処分しているのを目にしてきたそう。

ただ、知人に「魚は骨が味わい深い」ということを教わり、
骨まで食すことができる小魚をもっと有効活用することができないかと、
4年ほど前から、瀬戸内の小魚チップスの製造販売を手掛け始めました。

「雑魚(ざこ)って言いますでしょ。選り分けられていない
いろいろな種類の入り混じった小魚たちです。価値がない魚として、
ほとんど市場に出ないんですよ。でもこれがおいしいんです」

そう話す真田さんに、
実際に小魚チップスを作っていただきました。

200℃以上に温められたプレス機で、焼かれること10~20秒。
パチパチと音を立てながら、香ばしい匂いが周囲に広がります。

  • あっという間に、小魚100%のチップスが出来あがりました。

    その食感に、骨の感覚はまるでなく、
    味付けしていないのに、自然の塩味がほのかに口に広がりました。

    「おいしいですね!」

    思わず唸っていると、
    真田さんはすかさず次のチップスの焼きに入っていました。

    小さいイカも、この通り。

    パリパリに仕上がっていて、また違った風味がして一度食べだすと止まりません。

    「これなら魚離れの子供たちにも食べてもらえるでしょ。
    食育の観点でも大切なことだと思っています」

    実際、各地でチップスの実演販売を行っている真田さんは、
    その手応えを感じていらっしゃるそうです。

    また、チップスに加工できないぐらいに細か壊れたり粉になった雑魚については、
    ペット用の餌を作る生産者に卸されていました。

    真田社長は、この取り組みに対する想いをこう語ります。

    「一つには、おいしい魚を余すことなく届けたい。
    二つには、世の中に埋もれている価値あるものを知らせたい。
    育ててくれた瀬戸内海に対して恩返しできればと思っています」

    そんな真田さんの想いがたくさん詰まった小魚チップスシリーズは、
    Found MUJIを扱う一部の無印良品でもお買い求めいただけます。

    子供のおやつにも、お酒のつまみにも、
    はたまた健康食としても、もってこいです。
    ぜひ、一度ご賞味ください♪

百年の森林構想

2012年12月05日

以前、岐阜県の石徹白(いとしろ)でも触れた日本の森林問題。

国土の約3分の2を占める日本の森林の多くは、実は30年以上前に植えられた人工林で、
適正な環境に保つためには間伐し続けなければならない状況にあるにもかかわらず、
建材需要の低下と、安い海外産の木材に押され、木を切る人が減少しているのです。

全国各地の森林で起きているこの問題は、各地域の行政も頭を悩ませています。
そんななか、村ぐるみでこの問題に取り組み始めている村が、岡山県にありました。

岡山県の北東部、西粟倉村(にしあわくらそん)。

人口約1600人の小さな村は、
実に面積の95%が森林に覆われています。

「今から約50年前、子や孫のためにと、木を植えてくださった方々がいました。
その想いを忘れてはいけないと、西粟倉村では森林の管理をあきらめるのではなく、
美しい森林に囲まれた上質な田舎を実現していくことを決めたんです」

西粟倉村にIターンでやってきた坂田さんが教えてくださいました。

2004年、平成の大合併を拒み、自立の道を選んだ西粟倉村では、
先人たちが植え、50年にわたって育ててきてくれた森林こそが村の資源と置いて、
もう50年かけて立派な森林に育て、村の産業としていく決断を下しました。

約1,330人が持っている森林を一括して役場が管理、
事業の委託を受けた森林組合が間伐し、
それで得た収益は持ち主と折半、費用は役場負担という試み。

これが、西粟倉村の掲げる「百年の森林構想」です。

この決断に呼応するように2009年10月、一つの会社が立ち上がります。

増加する村の間伐材の加工、販売をはじめ、
地域資源を発掘し、発信していくことを目的に設立されたのが
(株)西粟倉・森の学校です。

拠点を構える廃校になった旧校舎は、
その役割を学校から、地域の情報発信基地として変化させながら、
今も存分にその存在価値を発揮していました。

先にご紹介した坂田さんも、この森の学校勤務。

校内をご案内いただくと、中にはオフィス機能はじめ、
間伐材を使った家具の展示スペースや、

木製雑貨、ならびに、村の特産品を扱うショップ、

さらに、村で採れる食材を使ったカフェまで。

昨今、ハンター不足による過剰な増加が問題視されている
鹿の肉を使ったカレーも提供されていました。

ここは地域と地域外の人をつなぐ場でもあり、
地域資源の循環を試みる場でもあるのです。

もちろん、置かれている木工製品の多くは、
西粟倉村の間伐材を使って開発されたものでした。

木のぬくもりをそのままに感じることができる、
木皿やお盆、木のスプーンや、無漂白の割箸。

さらに机・椅子といった家具まで。

普段の生活のなかに自然と西粟倉の木が溶け込むようなものばかりです。

その昔、建材需要に備え植えられた人工林は、
そのほとんどがスギ・ヒノキのため、木材のなかでは柔らかく、
業界では家具には向かないといわれ、使われることも少ないそう。

「西粟倉の作り手たちは、そうした業界の常識に捉われずに
企画・製作していったため、新しい商品が生まれやすいんだと思います」

坂田さんがそう話される通り、スギ・ヒノキ材の家具をはじめ、
なかにはこんなユニークな商品も。

「モクタイ」
ヒノキの柔らかい質感で、木目がそのまま模様になるという逸品です。

さらに、森の学校で注力しているのが、
セルフビルドという考え方。

家のリノベーションをするにも、施工業者に頼むのではなく、
「ユカハリ・タイル」と呼ばれる、
裏に遮音シートが張られた50cm四方の無垢の木を買ってもらい、

それを自分で床に敷き詰めていくだけで、

この通り、無垢の木に囲まれた温かみのある空間に様変わり。

家族との時間を犠牲にしてまで働いて得たお金で何でも買ってしまう、
という近代の日本の生活スタイルに警笛を鳴らし、
時間の使い方を根本から考え直してもらうための提案なんだそう。

また、「お客さんができるところは任せる」というスタンスで、
つくり手に過剰な手間ひまをかけさせず、
その分、余分なお金をとらないという考え方に基づいています。

ゆえに、タイルは無塗装。
お客さんが自身で好きな色に変化させていくことができるんです。

このように、木と共生することを決めた村では、
木とともに生活するための様々な工夫が生まれていました。

村ぐるみで森林を間伐し、その木材を利用していく取り組みとしては、
全国でも先駆けた事例のように思います。

日本の美しい森林を守るためにも、
こうした実情に目を向け、選択をしていくことが、
私たち消費者にも求められているのかもしれません。

炎が作り上げる芸術

2012年12月04日

瀬戸焼、常滑焼、越前焼、信楽焼、丹波立杭焼、備前焼。

数ある日本の窯元のなかでも、日本古来より生産が続く上記の窯のことを
"日本六古窯(にほんろっこよう)"と呼び、
中国や朝鮮から伝来したものと区別されているそうです。

岡山県備前市は、そのうちの一つ、
実に約1000年ものあいだ窯の煙が絶えたことのない備前焼の里。

その焼物を一目見た瞬間、
今まで見てきたものと違うことに驚かされました。

釉薬が使われていないのです。

なんの飾り気もない素朴な風合いは、
どこか土器を思わせるような懐かしい感じもします。

「釉薬も化粧土もいっさい使わず、備前の土で成型し、
約1~2週間にわたってじっくり焼き上げるんです。
土のみですが、焼き締まり方が違いますから丈夫ですよ」

そう教えてくださったのは、
備前の地で作陶に励む森本仁(ひとし)さん。

美濃で4年間にわたり薫陶を受けられた後、
9年前に帰郷され、父親とともに作陶に励まれています。

「備前焼の土は、田土(たつち)といって、
田んぼの下を3mほど掘った鉄分の多い粘土層の土を使います。
田んぼに水が溜まるということは、
その下はキメの細かい土の証拠なんです」

見せていただいた乾燥した状態の土は、まるで石のよう。

この土を成型したものを、独自の登り窯でじっくりと焼き締めるんです。

釉薬を使う他の産地では通常1~2日で焼き上げるところも多いですが、
備前焼の場合1~2週間かけて焼き締めるため、
窯の燃料となる薪の量も並大抵の量ではありません。

なによりも備前焼の魅力は、
その窯の中で出会う土と炎が作り上げる模様です。

釉薬を使わないので粘着することが少ないため、
窯の中では下の写真のように作品どうしを組み合わせて焼かれます。

そのため、炎によく当たる部分と、そうでない部分で、
窯変(ようへん)と呼ばれる現象が起きるんです。

焼物のあいだに藁を敷くことで、あえて変化を出すことも。

「いつも窯から出すときはワクワクします。
どんな仕上がりを見せてくれるだろうって」

笑顔でそう話される森本さんですが、
釉薬をかけない分、ごまかしも利かないそう。

「土づくりから成型、焼成に至るまで、
一つひとつを丁寧に進めていかなくてはいけません。
生活が乱れると、それがそのまま焼物に反映されるんです。
土をいじっているのは作業の一部で、
仕事場と生活の環境を整えることが一番大切だと思ってます」

そう話しながら手ろくろを廻す森本さんは、
まるで修行僧のように規則正しい生活を送っているんだとか。

毎日、同じ時間に起床、就寝、食事を摂り、
常日頃からの身辺整理は怠りません。

陶芸に必要な自前の道具も、
すべて自然の産物から丁寧に作られています。

なにより作陶に励む場所そのものが、
とても静かな自然に囲まれた環境なんです。

私たちが訪れた季節はちょうど紅葉の季節で、
落ち葉に彩られた道を歩く森本さんは、
自然と五感を使って心身を整えられているようでした。

そんな森本さんが、備前焼で表現された器の一つがこちら。

すべて落ち葉のように見えますが、
実は手前は備前焼で作られたお皿です。

備前焼は、釉薬を使わない分、土が呼吸するため、
中の水が腐りにくいと花瓶などの用途に定評がありますが、
この器で頂くお茶も格別な味わいでした。

窯の中で土と炎が出会い、自然に生まれる模様は、
人の手で描くものとはまた違った素晴らしさです。

時代を超越して愛され続ける備前焼には、
今も昔と変わらない魅力が放たれているように感じました。

そしてそれは、森本さんをはじめとした、
普遍のリズムのなかで作陶する陶工たちによって、今日も支えられています。

地域ならではの宝

2012年12月03日

岡山県中央部に位置する美咲町(みさきちょう)が、
ある食べ物で町興しをしているという噂を耳にしました。

公園内の空き店舗を再利用した、「食堂かめっち」に行ってみると、
そこには40分待ちになるほどの人だかりが!

このお店が提供している食べ物とは…

そう、「たまごかけごはん」です。

美咲町出身で、明治時代を代表するジャーナリストの
岸田吟香(ぎんこう)氏が、「たまごかけごはん」を愛好し、
日本に広めたという説があることと、
町内に西日本最大級の養鶏場があることを理由に
2008年に「たまごかけごはん」専門店の同店をオープン。

ごはんとお味噌汁に、たまごとお新香というとてもシンプルなメニューですが、
お米は町内の棚田で栽培した棚田米、
たまごは町内の養鶏場から毎日入荷する生みたて、
そしてお醤油も地元のものという、美咲町づくし。

それも300円で、ごはんとたまごのおかわりが自由なんです!

お醤油をベースとした「しそ、ねぎ、のり」のオリジナルのタレで、
いろいろな味を楽しめるのもうれしいところ♪

それにしても不思議です。
ごはんにたまごを乗せて、お醤油を数滴かけただけのこの食べ物が
どうしてこんなにおいしいのでしょう…。

これも"地産地消"だからこそ、
この新鮮さを実現できているのだと思います。

地域ならではの資源を発掘し、磨いていくことで、
人を惹きつけることができるんですよね!

同じく美咲町に、地域の資源を活かして、
とあるファンを魅了している場所がありました。

吉ヶ原(きちがはら)駅。

ここは同和鉱業「片上鉄道」の駅で、
鉱山の閉鎖にともない、1991年6月に廃駅となったのですが、
ファンからの熱烈な要望により、駅と一部線路が残されました。

今では毎月第1日曜日にだけ、片上鉄道保存会によって
保存車両の展示運転が行われています。

鉄道は片道約300メートルだけ走り、
片上鉄道保存会の1日会員になると、車両に乗車することができるんだそう。

また、駅の入り口にはこんな看板が。

駅長猫!

残念ながら、その日は在宅勤務でしたが、
毎月第1日曜日には勤務姿がお目にかかれるそう。

代わりに見つけたカフェらしき小屋に入ってみると、
駅長猫には会えませんでしたが、ネコラテがありました☆

このラテを作ってくださったカフェ店主の森岡さんにお話を伺うと、
ご自身も片上鉄道保存会の方でした。

「片上鉄道の一部を残したことで、ここは人が集まる場所になりました。
それも、ゆっくりとですが徐々に人も増えていっているんです。
この"ゆっくりと"というのがポイント。田舎ではこのぐらいのペースがいいんです。
猫駅長のおかげで鉄道ファン以外の方もお越しいただけているんですよ」

とても印象的な言葉でした。
新しいものを作ることは簡単かもしれませんが、
古いものを壊してしまったら、それは二度と戻ることはありません。

「たまごかけごはん」にしても、「吉ヶ原駅」にしても、
地域ならではの資源を磨いていったことで、
それは今、地域の宝として陽の目を浴び始めています。

そんな美咲町の宝を味わいに、
月初めの日曜日には、2大スポットに出掛けてみてはいかがですか?

岡山県の愛され商品

あれ? なんだかくつろいでいますね!

スタッフさんが座っているのは、
体にフィットするソファ」!

岡山は倉敷で立ち寄った、無印良品 イオンモール倉敷では、
この「体にフィットするソファ」がとっても愛されている商品なんだそう。

私たちも以前から自宅で使っていますが、
座ると本当におしりにフィットして、座り心地抜群なんですよね!

「みなさん家族の分をそろえていらっしゃったりするんです。
平屋の家が多くて、家も広いからじゃないでしょうか」

カラーバリエーションもこの通り★

自宅に色違いでそろえられたらかわいいですね♪