MUJIキャラバン

「新潟」カテゴリーの記事一覧

南魚沼産コシヒカリ

2014年11月12日

新潟県南魚沼市。

言わずと知れた、日本有数の米どころです。

日本穀物検定協会の米食味ランキングでは、
魚沼産コシヒカリが25年連続「特A」を獲得するほど、
品質には定評があります。

そのおいしさの秘訣はどこにあるのでしょうか?

黄金色に輝く稲穂が眩しい10月半ば、南魚沼市を訪ねました。

「四季がはっきりしているので、冬は豪雪地帯ですよ。
その豊富な雪解け水が、おいしいお米の鍵なんです」

清々しい笑顔でそう話すのは
魚沼伝習館の理事長、坂本恭一さんです。

今の季節は想像するのも難しかったのですが、
この界隈は冬には数メートルの積雪が当たり前なんだそう。

この冷たい雪解け水は、土砂をつたって、
山のミネラルを田んぼにもたらします。

そして、昼夜の寒暖差。
昼間光合成で作られたデンプンは、夜間穂に蓄えられるのですが、
夜も気温が高いとデンプンを消耗し、食味が落ちてしまうといいます。

実際に訪れた10月半ばも、日中は陽射しが暑く感じられましたが、
夜は一気に冷え込み、布団1枚では寒さを感じるほどでした。

「"豊富な雪解け水"と"昼夜の寒暖差"。
これこそがコシヒカリの最適生育条件に適っているんです」

坂本さんはおいしさの秘訣を、そう語ります。

この表情豊かな自然に魅了された坂本さんは、今から18年前、
50歳の時に、東京から南魚沼市へ移住されました。

魚沼の自然と伝統・文化を、後世まで引き継いでいきたい。
そう考えた坂本さんは、様々な学習体験を実践する場として、
「NPO法人 魚沼伝習館」を発足。

しかし、活動を通じて地域の魅力を発信するも、
坂本さんが直面したのは、高齢化によって手放され、
荒れ果てていく田畑の姿でした。

※右手前が、休耕田。左奥は収穫後の田んぼ

「いくら魚沼産のブランドがあっても、
実態は農業だけで食べていくことは難しいんです。
食べていけなきゃ、後継ぎも生まれませんから」

実際作っている魚沼産のお米の総量よりも、市場には多くの魚沼産が出回っているそう。
つまりそれだけブレンドされてしまっているため、
本来の味がきちんと伝わっていない可能性があります。

また、消費者に届くまでに、様々な仲介業者を介する食品業界において、
末端の農家さんの収入は微々たるものなんだそう。

一生懸命、おいしいお米を作っても
報われない農家さんの実情に奮起した坂本さんは、
独自の販路開拓に立ち上がります。

農家さんと直接契約し、徹底した栽培上のデータを管理。
ホテル、飲食店、高級スーパーなど、真に価値を理解してくれる先にしぼって、
魚沼産ではなく、さらにエリアを限定した南魚沼産として直接販売しています。

また、積極的に移住者の受け入れも支援し、
耕作放棄地、休耕田の復活にも余念がありません。

その際に徹底しているのが、
農業に携わる移住者に、経営計画を描かせること。

そうすることによって、自走していくためには、
どれだけの品数・数量が必要なのか、どんな販路が必要なのかなどを
理解した上で、農業に取り組んでもらえるようになると話します。

「お米のみならず、魚沼には脈々と引き継がれてきている食文化がたくさんあります。
例えば、裏山に行けば、たくさんの山菜が生えていますし、
これらの資源を活かしながら、生計を立てていくことは可能だと思っているんです」

日本の食文化を伝えていきたいと話す坂本さんは、
こうも付け加えられました。

「多様化する社会において、食文化を選択するのも自由ですが、
まずはその実態を知ってほしい。
そして、若い人が専業でも農業をやっていけるよう
レールを敷いてあげることが、
私たち世代の仕事だと思っています」

南魚沼産コシヒカリの新米は、
モチモチとしていて風味が良く、冷めてもおいしく食べられます。

「酒のつまみにもなるお米!」と地元の人に太鼓判の味は、
11月度のFound MUJI Marketでもお買い求めいただけます。

あおぞらポコレーション

2014年05月28日

滋賀県で出会ったカラフルな織物製品、
「coccori(コッコリ)」。

織物産業の盛んな滋賀県で、工場などで不要になった残糸を用い、
県内の福祉作業所で働く方々の独特のセンスで生み出された織物です。

coccoriは、それまで作業所の倉庫に眠っていたこれらの織物を、
日用品に加工し、製品化されたものでした。

その目的は、障がい者の賃金向上のため。

全国的に見て月平均約1万3000円といった障がい者の賃金を、
製品化して流通させることで、少しでも向上させようとしているのです。

こうした試みは、他の地域でも始まっており、
新潟県でも活発な動きが見られることを伺いました。

coccoriさんのご紹介で訪ねたのは、
阿賀野市にある福祉作業所、「あおぞらソラシード」。

新潟市内にある作業所「あおぞらポコレーション」のグループ施設です。

新潟市内から30分余り、内陸に車を走らせた山あいに、
あおぞらソラシードはありました。

「ここでは、社会とつながってお金を稼いでいける力はもちろん、
自分たちで食べていける力、自然の資源を生かしていける力を培っていけるよう、
こうした山あいに作業所を構えているんです」

施設長の本多佳美さんがそう話す通り、
施設の横には今後、農園やキャンプサイトとして運営していけるよう
広い空地が用意されていました。

こうした施設ができたことによって、
町中で働きたい人、自然のなかでのびのびと作業したい人と、
障がい者の働く環境の選択肢が広がったといいます。

本多さんは大学卒業後、就職した福祉施設がトラブルで閉鎖。

路頭にさまよってしまった利用者の受入先を作らなくては、という想いで、
理事長や理事の面々、地域の方々、保護者の協力のもと、
2003年、新潟市内に「あおぞらポコレーション」を設立しました。

杉の加工など、県内の企業の下請け事業で、作業所は軌道に乗りつつも、
震災によって、仕事が途絶えてしまう事態に陥ります。

「下請けだけでは事業基盤が弱い、
もっと独自の事業を手掛けていかないと」

そう考えた本多さんが運命的に出会ったというのが、奈良県にある
国産オーガニック化粧品会社、クレコスの副社長、暮部達夫さんでした。

クレコスは、米ぬかやへちまなど、
日本の伝統的な自然素材を生かした化粧品を20年以上前から手掛けています。

クレコスが、ちょうど新潟に直営店舗を構えたところで、
責任者としてやってきたのが暮部さんでした。

「手ぶらで行くのも失礼だったので、
下請け事業で出た越後杉の端材を持っていきました。
この杉の木で、石鹸箱を作らせてもらえませんか? とお願いしてみたんです」

そう切り出した本多さんに対し、暮部さんは独自のアイデアを返します。

「この杉を蒸留して、リネンウォーターにすれば、おもしろいかもしれない」

こうして生まれたのが、「熊と森の水 リネンウォーター」でした。

リネンウォーターは、カーテンやシーツ、衣類などに噴霧し、
雑菌・雑臭を除去する効果があります。

杉を蒸留することで、越後杉の香りを閉じ込め、
なおかつ杉の抗菌力を生かしたのです。

本多さんたちは、クレコスの暮部さんによる指導のもと、
品質管理や安定供給に対する意識と技術を身に付けてきました。

現在では、作業所員による厳しい成分チェックはもちろんのこと、

大手化粧品会社で商品開発に携わっていた責任者を招へいし、
製造管理全般について指導を仰いでいます。

他にも、地元の杉の端材や新聞紙と、
神社などで不要になった和ろうそくを用いて作る着火剤など、
次々とオリジナル商品を手掛けていく、あおぞらソラシード。

そこには、自然に囲まれた環境で、
イキイキと働く作業員たちの姿がありました。

「役割を与えられると、人は変わっていくんですよね。
これからも、地元の資源を生かしながら、
仲間と楽しくできることを手掛けていきたいです」

そう話す、本多さん。

リネンウォーターを代表とした、良い商品が前に出ていくことで、
作り手である障がい者や福祉作業所についても
世間に知られていく機会が増えていっています。

ちなみに、あおぞらポコレーションの"ポコレーション"は、
「poco(ちょっとずつ・ゆっくりと)」に、
「relation(つながり)」をくっつけた造語。

そこには、

「だれもがお互いを認め合い、幸せにくらせる社会。
青空のようにすっきりとした、ボーダーのない社会。
そんな社会へ向けて、ちょっとずつ、ゆっくりとつながりを広げていきたい」

という想いが込められていました。

施設を設立してから11年。

本多さんたちの想いが今、実を結び始めています。

サステイナブルなカップ

2013年07月10日

初めてそのカップを見たのは、東京のとあるショップ。
その輝きと発せられるオーラに目を奪われました。

てっきりイタリアなどの海外製品かと思いきや、
話を聞くと、日本製。

「SUS gallery」と名付けられたこのカップは、
なんと結露しないんだとか。

見た目の美しさに加え、機能まで優れ、
一瞬でこのカップの虜になった私たちでしたが、
このたび、念願かなって生産現場を訪ねることができました。

訪れた先は、金属加工の町として知られる新潟県燕市、
豊かな田園風景広がるなかに株式会社セブン・セブンはありました。

笑顔がとてもチャーミングな澁木収一社長は、
同じ燕市で金属原料調達も行う、恒成株式会社の代表でもあります。

「SUS galleryは今でこそブランド名となっていますが、
最初は本当にステンレス製品を展示するギャラリーだったんですよ。
それは大失敗でしたけどね(笑)」

時はリーマンショック以前、
価格の高騰にともない、市場のステンレス離れを危惧した澁木社長は、
ステンレス製品を訴求する目的で、東京・青山の一角にギャラリーを創設。

ステンレス製のキッチンや花器などを展示し、
消費者に直接、より豊かな生活を提案していたそうです。

そんな矢先、リーマンショックに見舞われます。

市場の冷え込みに、ギャラリーの縮小も余儀なくされ、
一時は撤退も検討されるなか、そこに立ち上がったのが、
当時、ギャラリーのディレクションをしていた鶴本晶子さんでした。

「ちょっと待って!って感じでした(笑)
この技術を用いれば、何かできるはず!なんとかしなくちゃ!!
そんな想いで動き始めたんです」

ギャラリーにたった一人残された鶴本さんは、
運営から経理まですべてを担いながら、商品開発へも乗り出します。

当時、セブン・セブンは魔法瓶を生産できる国内唯一の工場でした。
この魔法瓶の原理を元に作られていた、真空二重構造のカップ。

この技術に並々ならぬ可能性を感じていた鶴本さんは、
このカップを"世界のブランド"へのし上げる青写真を描きます。

「世界にない良いものを作れば、売れると分かっていました。
世界の高級金属テーブルウェアのなかでも、他に類を見ない存在になろう!
それも日本の技術で!!」

NYのマンハッタンでの生活経験も持つ鶴本さんは、
日本の繊細な技術を用いて作られる、きめ細かいものづくりに、
確固たる自信と潜在性を感じていたそうです。

そこから足しげく工場を行き来し、職人とも会話を進める日々。
そんななか、鶴本さんが発見したのが、不良品箱の中でいびつに光るカップでした。

「見た瞬間、これだ!と思いました。
これが失敗作と言うから、職人に"もう1回、失敗して!"と懇願したんです(笑)」

こうして秋のギフトショー前夜に生まれたのが、
今のSUS galleryの原形となる6個のチタンカップでした。

鶴本さんの狙いは見事的中。
たった6個のチタンカップが、大手百貨店のバイヤーなどの目に留まり、
そこからSUS galleryの快進撃が始まるのです。

当時の様子を、工場長の幸田正昭さんはこう語ります。

「失敗作を作れって、はじめは訳が分かりませんでしたけどね(笑)。
ただ、言われた通り作ったら、鶴本はキチンと売ってきてくれました。
作れないものを作ることが、私たちの任務だと思っています」

ただでさえ卓越した技術を必要とされる真空二重構造に加え、
いびつに乱反射するチタンの表面加工を施せるのは、
現在においては、ここセブン・セブンのみだといわれています。

この技術は国からも認められ、
2010年、日本で開催されたAPECにおける乾杯のカップ、
および、参加20カ国の首脳への贈答品として選ばれました。

素材がチタンなので、軽くて丈夫。
その構造から、持っても冷たさや熱さを直接感じることはありません。

また、通常のガラスタンブラーと比べると6倍の保温・保冷力のため、
氷が溶けるスピードも格段に遅く、飲料が薄まる前に飲めるんです。

「SUS galleryのSUSには、"sustainability"の意味も含まれているんです。
チタンは金属なので、不要になったら溶かして何度も再生可能。
日々のくらしを豊かにしてくれながらも、ゴミにならないものって、
今の時代に合っていると思いません!?」

チタンの奥深さに魅了されているという鶴本さんは、
最近では、表面の酸化被膜の厚さによって見え方が異なる原理を生かした、
様々な色合いのカップも開発されていました。

一切、着色を施したわけではなく、表面の反射のさせ方で
色みが変わって見えるというから、驚きです。

これらは海外のマーケットでも評価され、
現在では欧米を中心に世界へ展開していっています。

怒涛の快進撃を続けた過去5年間を、
鶴本さんはこう振り返ります。

「私がデザイナーとしてかかわっていたら、ここまでできなかったと思っています。
内部の人間で、マーケティングから販売まで担うファシリテーターとして、
そして消費者としての感覚を忘れないようにしていました。
必要以上にデザインしすぎないこと。
だって日常生活にドレスは必要ないでしょ?」

大分の自然のなかで育ち、海外生活を経た鶴本さんは、
自分のミッションを、日本中の世界一を海外へ伝えることと話します。

そんな東京の鶴本さんに対し、燕市の澁木社長もこう呼応します。

「コストだけ考えたら、海外で作った方が良いでしょう。
ただ、ここに技術がある限り、ここで生み出せるものがあるはず。
これからもこの技術を生かして、人に喜んでもらえる商品を作りだしたい」

日常使いながら、ちょっとラグジュアリーな気分を味わえるカップが、
世界中を席巻し始めています。

そんな華々しい展開遂げているSUS galleryの背景には、
それぞれの場所で必死に役割を果たしてきた人たちの姿がありました。

大切に使い続けるモノ

2012年06月29日

島独自の文化・芸能の伝わる佐渡島では、
ものづくりにおいてもいくつか興味深いものがありました。

まずは、相川で見つけた「無名異焼」。

「むみょういやき」と呼ばれるこの焼物は、
佐渡金山採掘の際に出土した、無名異と呼ばれる赤土を使った陶器。

かつてこの赤土は漢方薬として服用したり、止血剤として使われていたようです。
ある意味、体にいい焼物と呼べるかもしれません。

この土をものすごく細かいふるいにかけて、
非常に粒子の細かい土だけを使って焼き上げるため、
焼き上げると3割くらいに縮むそうです。

その分、非常に硬く仕上がっています。

酸化鉄を含むこともあって、叩くとキーンという金属音が響くんです。
使いこんでいくと、表面のざらつきがなくなって、つやが出てくるそう。

「使えば使うほど、それに応えていってくれる焼物ですよ」

窯元の人が、そう教えてくださいました。
長く付き合うほど、愛着が湧いていきそうな逸品です。

続いて、「裂織(さきおり)」。

これは一見、お洒落な新商品のように見えますが、
実は、古くなった布を再利用した織物なんです。

かつて寒冷のため、綿や絹の繊維製品が貴重であった東北や北陸では、
衣類や布団の布などを裂いて、麻糸などで織り直し、
また別の衣類や敷物といった生活用品に作り変えました。

裂織の衣類は、丈夫で風を通さないため、
夏は稲のイガが体に刺さらないように、冬は漁師の防寒用にと、
佐渡では仕事着として大変、重宝されたそうです。

「ネマリバタ」と呼ばれるこの織り機で、
トントンと打ち込んで織られるため、しっかりとした布が出来あがります。

デザインもこの通り、
古い布の風合いを残しながらも、味わいがあります。

こうして古くなった布が、また新しい形になって息吹を取り戻します。

どれも温かみのあるもののように感じるのは、
生活に使われてきた布の風合いからくるものなのでしょうか。

貴重だった布を、何度も繰り返し使えるようにと、
物を大切にする昔の人たちの生み出した技ですね。

「無名異焼」に「裂織」。

あるモノを無駄にしないで使い続けるという、
佐渡の先人たちの知恵は、
現代においても大いに活かしていけるものだと感じました。

トキのくらす島

2012年06月28日

トキが生息する島として知られている「佐渡島」。
離島への訪問は、このキャラバンで初めてのことです。

訪れた6月頭は、ちょうど「カンゾウ」と呼ばれる
佐渡島と飛島(山形)にしか咲かない花の季節で、
北端の大野亀(おおのがめ)では
辺り一面に咲き誇る光景を見ることができました。

寒い冬を乗り越え、初夏を迎えた頃に花を咲かすため、
佐渡ではこの花の開花が、漁を始める合図となっていたそうです。

豊富な海産物を誇る漁業のスタイルも様々。

南部の小木半島では、岩礁と小規模な入り江が多いことから、
安定感と操作性の高い舟として、江戸時代より「たらい舟」が用いられています。

現地では、桶を半分に切って海で使いだしたことから、
「はんぎり」と呼ばれているそう。

漕ぐのにさほど力を必要としないため、
現在でも採貝や採藻のために、女性も海に出ているんです。

実際、佐渡では、
新鮮な魚をはじめワカメや岩のりといった様々な海藻が食卓を彩ります。
新潟県は全国一、海藻などの消費量が多いようです。

そのお味はどれも新鮮そのもので、
口の中いっぱいに海の香りが広がりました。

そんな佐渡の歴史を語るうえで欠かせないのが「佐渡金山」。

かつて国内一の金産出量を誇り、
江戸時代には、徳川幕府の重要な財源となっていたようです。

算出し鍛錬された筋金(すじきん)は、貨幣に鋳造されていました。

この頃、鉱山で働いていた坑夫たちの間で生まれた文化が、
今でも、伝統芸能として色濃く残っています。

その一つが、「鬼太鼓」。

坑夫たちが、タガネ(鉱石を掘り出す道具)を持って
舞ったのが始まりといわれています。

島内では親しみを込めて「おんでこ」と呼ばれ、
お祭りには欠かせない存在です。

私たちが訪れた時も、たまたま一つの町で、
お祭りが行われていました。

厄を払うために鬼の面を付けながら、家々の前で太鼓を乱れ打ち、
年の豊作や大量、家内安全を祈願します。

その、時を切り裂くような太鼓の音色は、
ゆったりとした島の空間に、突如として活気をもたらすようでした。

もう一つ、島民の間で親しまれてきている伝統芸能が「能」。

国内にある能舞台の約3分の1が集中する佐渡は、
日本では他に類を見ないほど能が盛んなお土地柄。

都から能の大成者といわれる世阿弥をはじめとして、
流されてきた貴族や武士によって広まっていったようです。

毎年、初夏には各地の能舞台で薪能が奉納されます。

日も沈み、辺りが薄暗くなってきた頃から、
神社に併設された能舞台に、近隣の人々が集まりだし、
みるみるうちに、会場は人で埋め尽くされました。

佐渡での演目の多くは成仏できない魂を浄化するためのもの。

多くは武士の間で愛好されてきた能でしたが、
武士階級の少なかった佐渡では、人々の趣味として演じられてきました。
演じているのは当然、地元の方々です。

そのほとんどが観賞料が掛からないといいますから、
人々に心から愛され、守られてきているものなのですね。

薪が照らすなか演じられる能は、神秘的でありながら、
出演者の親類や友人が、観客として観に来ている様子は、
とても心温まる光景でした。

こうして佐渡では自然な形で、
島の伝統文化・芸能が脈々と引き継がれています。

文化を引き継ぐというのは、実際に身体で感じとり
触れることが大事なのだと学びました。

ネットストアの裏側

2012年06月27日

無印良品のモノが欲しい時、2つの買い方があります。
1つは直接お店に足を運ぶ。
そしてもう1つはネットで注文し自宅に届く。

後者の場合、商品はどのように私たちの手元に届いているのでしょうか?
新潟県長岡市にある「新潟物流センター」に潜入取材してきました!

ここは無印良品のネットストアの商品が置かれている場所。

広くて風通しの良い空間に音楽が流れ、
スタッフの皆さんが笑顔で挨拶をしてくれる、
活気のある職場だなというのが最初の印象です。

スタッフには女性が多く、
フォークリフトをスイスイ操る方もいて、なんだかかっこいい!

私たちがネットで注文した商品は、
ひとつひとつスタッフの手で棚から集められ、レジへと進みます。
このレジを通すことで、
注文通りの商品がそろっているかが分かる仕組みになっているそう。

衣服などの割れ物ではない商品は機械で自動に梱包されますが、

食器などの割れ物はそれぞれスタッフの手で
丁寧に梱包されていました。

意外だったのですが、
作業のほとんどが人の手によって行われているんです。

物流の業界では通常いかにいい機械を導入するかに
注力するそうなのですが、
この新潟物流センターでは逆に機械を廃止したんだそう。

機械の場合、時間内に作業可能な範囲が決まってしまいますが、
人の方が忙しければその分パワーを発揮でき、流動性が利きます。
また、人の場合は、何より「丁寧さ」と「正確さ」が担保できる。

業界内でもこの"人ありき"の業務工程は注目を浴びているといいます。

梱包された商品は、すぐに配送業者の手に渡り
お客様のご自宅に配送されます。

家から1歩も出ずに買い物ができてしまうネットショッピングは、
買い手である私たち消費者にとってはとても便利なものですが、
その裏ではスタッフさんたちが私たちの代わりに
商品をピックアップして、レジを通し、
梱包して持って来てくれるんですよね。

当たり前のことですが、普段考えたことのなかった
ネットストアの裏側を垣間見ることができました。

今度からはネットショッピングで注文ボタンを押す際に
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
と心の中でつぶやこうと決めました。

新潟はマンガ王国!?

新潟市の無印良品ラブラ万代店にお邪魔しました。

いつものようにお店の人気商品を伺うと…

ご紹介頂いたのが
ポリプロピレンペンケース(横型)

数ある商品の中で、このペンケースが出てくるとは!

理由を尋ねると、

「新潟って実はマンガ王国なんです。
定かではありませんが、もしかするとマンガを書く人が多いから
このペンケースも人気なのかもしれません!?」

と店長。

新潟県は『ドカベン』の水島新司さん、
『うる星やつら』の高橋留美子さん、『デスノート』の小畑健さんをはじめ、
100名以上の漫画家を輩出しているんだそうですね。

新潟市ではマンガを街おこしに利用しようと、
1998年から毎年「にいがたマンガ大賞」なる
マンガのコンテストが開催されていたり、
「マンガキャラクターストリート」の設置や
「マンガバス」の運行などもしているんだとか。

将来有望な、若き漫画家さんたちが無印良品のペンケースを
使っていてくれたとしたら、なんだか誇らしいです。

ペンケースから見えてきた、知られざる新潟県の姿でした!

大地の芸術祭

2012年06月26日

新潟県南端の十日町(とおかまち)市と津南(つなん)町からなる
「越後妻有(えちごつまり)」地域は面積760㎢で
東京23区がすっぽりと入る大きさです。

今年の冬には全国一の積雪を記録したという豪雪地帯ですが、
ここの土壌では"魚沼産コシヒカリ"をはじめ、
どんな作物でも育つといわれるほど、豊かな自然が今でも残っています。

この美しい里山を舞台に、
2000年から3年に1度開催されているのが
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」。

地域にあるものを活かしながら、"場に根ざした作品"を
アーティストと地元の人とが恊働して作り上げていくこの芸術祭は
今年で5回目の開催となります。

期間中は、越後妻有の200の集落に300点以上のアート作品が展示されますが、
期間が終わっても約200点はそのまま里山に常設されています。

今回は、事務局の大木さんにご案内いただき、
いくつかのスポットを見て回りました。

これはフィンランドの建築家達が手がけた「ポチョムキン」という作品。
もともと産業廃棄物の不法投棄場所になってしまっていた河川横の場所に
鉄やガラス、廃材を使って表現された空間です。

タイヤでできたブランコに揺られながら川を眺める。
ただそれだけのことですが、
小鳥のさえずりと水の音を聞きながら過ごすその時間は
とても贅沢なものに思えました。

2003年に作られた作品ですが、
今では地元の人のデートスポットになっているそうです。

他にも「たくさんの失われた窓のために」や

「再構築」といった作品が

広大な大地の上に突如として現れます。

これらの作品は、アーティストが地元を視察したうえで
この地に合わせて作り上げたものであり、
それぞれの作品にはメッセージが込められています。

例えば、上記の「たくさんの失われた窓のために」という作品は、
越後妻有を来訪したアーティスト自身が、この景色に圧倒され、
窓から見えるであろう越後妻有の風景をもう一度発見しよう!
と作り出したものだそう。

確かに、もしかするとこの場所にもかつては家があり、
窓から誰かがこの風景を見ていたのかもしれません。
そして、同じ窓からの風景でも季節や天候、
その日の気分によって見えるものが違ったんだろうな…
そんなことを感じました。

トリエンナーレはこの越後妻有以外の
横浜や福岡などの地域でも行われていますが、
越後妻有のすごいところはやはりその規模と、
地域住民と一体となって進めているところ。

いったいどのようにして、作り上げていったのでしょうか?

「初めはすごく大変でした。
地元のおじいさんやおばあさんに"アート"の話をしても伝わらない。
ディレクターは1000回以上ここに足を運びました。
あとは、"こへび隊"の存在が大きいと思います」
と大木さん。

"こへび隊"とは、全国から集まった「大地の芸術祭」のサポーターで、
農作業や雪掘りなど地元の人のお手伝いをはじめ、
作品制作や来訪客の案内までしている人たちのことだそうです。

彼らが地域のことを学んでいき、地域のファンになっていったことで
地元の人たちとの交流が深まったといいます。
大木さんももともとは学生時代に、こへび隊として関わり、
今こうして事務局として働いているんだそう。

外から地域に入って活動するポイントを伺うと、
「当たり前のことですが、元気よく挨拶をする。
『使わせてもらっている』という気持ちを忘れないことでしょうか」
と教えてくれました。

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」は、
2012年7月29日(日)〜9月17(月・祝)まで
越後妻有地域で開催されます。

そして、無印良品津南キャンプ場からも
期間中の土日に、シャトルバスが出る予定!

キャンプ場を拠点にアウトドアを楽しみながら、
「大地の芸術祭」でアートに触れてみるのもいいかもしれませんね。

シャトルバスでは、地元出身のガイドが
地域の自然やくらしについて説明してくれるそう。
アートを体感しながら、地元のことも知れるいいチャンスです。

これまでのキャラバンでも様々な地域づくりの現場を見てきましたが、
地元の人とそれ以外の地域の人を結びつけながら、
今あるものを活かし、長期にわたって活動されている好事例を
越後妻有に見ることができました。

同じようで違う、無印良品のキャンプ場

2012年06月25日

「嬬恋は"湖畔の野原"、南乗鞍は"山間の高原"とたとえるならば、
津南は"里山の森"ですよ」

無印良品キャンプ場スタッフにそう教えられ、
やってきたのは6月上旬に今シーズンが始まったばかりの
無印良品津南キャンプ場

これでキャラバン隊、無印良品3つのキャンプ場制覇です!

そう、無印良品のキャンプ場の歴史は、
ここ津南で1995年に幕を開けました。

すぐ裏に山伏山がそびえる立地は、
確かに里山の森の中のキャンプ場といった印象です。

その地を知り尽くした地元出身のスタッフたちで運営されていることもあり、
そこでの滞在はとても濃いものとなりました。

まずはキャンプサイト選びから。

眺望、間取りなどを考えながら、場所を絞っていきます。
こうして居住地を選んでいく様は、
人間が昔から繰り返し行ってきた営みなんですよね。

吟味して決めたサイトに、
みんなで協力して、テントやタープを張っていきます。

家づくりも、元来、共同体の重要な営みでした。

こうして見晴らしのいいアジトが出来あがりました!

完成するや否や向かった先は、晩ご飯の調達。

「晩飯は、ここで採れるかにかかってますから」

そうスタッフに告げられ、道なき道をどんどん山奥へと入っていきます。

すると、ありました!
「根曲がり竹」です。

主に東北や北陸といった豪雪地帯の山地に群生する
タケノコの一種です。

これを手で根もとの方からもぎ取ります。

「津南キャンプ場の魅力は、何といっても
山菜やタケノコといった山の恵みですから」

思わず時を忘れて、山菜・タケノコ採りに没頭していました。
汗だくになりながら、みんなでこれだけの晩御飯を集めましたよ♪

大漁!大漁!一食分には十分すぎるぐらいです。

灰汁が少なく、そのまま食べられるため、
晩御飯では、姿焼にしたり、

炊き込みご飯にしたり、

味噌汁に入れたりと、大盤振る舞いで頂きました。

どれも本当に絶品!

なかでもお味噌汁は、今まで食べたことのない出汁が出ていて、
癖になる味わい。

それもそのはずで、このお味噌汁、
なんと鯖の缶詰を入れてあるんです。

この根曲がり竹と鯖の缶詰を入れたお味噌汁は、
長野県の北信地方と、新潟県の上越地方の山間部の郷土料理だそう。

私たち、完全にハマってしまいました。

こんな山の恵みを共にしたら、お酒も進みます。
乾杯!

津南キャンプ場では、今年お酒のセレクションを、
地ビールはもちろん、世界各国の瓶ビールを取りそろえています。
大自然に囲まれながら飲むビールの味は格別ですよ!

夜は火を囲いながら、また語らい合いました。

旅のこと、津南のこと、それぞれのこと。
深夜まで話題が尽きることはありませんでした。

思えば、火を囲って暖をとるのも、
古来からの人間の営みには欠かせないものですよね。
火という自然が放つエネルギーを囲うことによって、
素の自分をさらけ出したくなる気持ちになるのかもしれません。

翌朝も、自然の恵み豊かな津南らしい朝食をとりました。

津南キャンプ場には、他にも、
カヌー・カヤックで全面を漕いで回れる広い湖もあります。

新しくラフティング用のラフトボートも導入され、
暑い夏にはもってこいのアクティビティになりそうですね!

「地元出身のスタッフたちなので、地元の話ができる。
それが何よりも津南キャンプ場の魅力です」

そう語る津南キャンプ場のスタッフたちは、
アウトドアの熟練で、元気いっぱいの方たちでした!

"湖畔の野原"のカンパーニャ嬬恋キャンプ場
"山間の高原"の中の南乗鞍キャンプ場
"里山の森"の中の津南キャンプ場

どこも大自然に囲まれた環境ながら、
その魅力は同じようで、ひと味もふた味も違っていました。

自然は語るものではなく、感じるもの。

今年の夏、是非、無印良品のキャンプ場で、
外遊びしてみませんか?

アウトドアを日常に

新潟県三条市の山間部にその会社はありました。

株式会社スノーピーク、日本のアウトドアメーカーです。

私たちがキャンプ場で使わせてもらったテントや、
写真(下)のアイアングリルテーブルもスノーピークのもの。

三条市は全国的にも金物工業が有名ですが、
スノーピーク社ももともとは金物問屋だったそうです。
登山が趣味だった初代社長が、出入りしていた金物屋に
オリジナルの山道具を作ってもらったことが
アウトドアメーカーとしての始まりなんだとか。

今でも三条市に本社を置くワケを

「ここにはスペシャルな技術を持っている企業が周りにたくさんいますから。
それがモノを作り続ける我々の武器でもあります」

と、販売促進課の片山さんは話してくださいました。

これは世界でも有数の技術を持つ、
燕三条の技術が生んだピカピカのステンレスマグ。

驚くほど軽くて丈夫、そして、研ぎ澄まされたこのデザインですから、
キャンプだけでなく、フェスを楽しむ若者にも人気だそうです。

さらに、分解できるこのお箸。

細い方を太い方にしまえるため、携帯もでき、かつ、衛生的。
海外でも大人気の商品だそうです。

このスノーピーク社ですが、実は1年ほど前に
長年の夢を叶えました。

それは、本社を移転して、キャンプ場の中に置いたのです。

「私たちの商品コンセプトは、『自分たちが欲しい物を作る』。
そのためには、こういう環境で仕事をしないとダメなんです。
社員がユーザーさんより遊んでないとね!」

日焼けしてTシャツの似合う片山さんが発したこの言葉には
とても説得力がありました。

三条市の技術を結集し、海外でも注目される企業へ。

「アウトドアを日常にするのが理想です。
将来的にはアウトドアという言葉をなくしたい」

片山さんがそう語るように、
スノーピーク社のあくなき探求は続きます。