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「山口」カテゴリーの記事一覧

なっちゃんと古民家

2012年11月09日

"山口愛"を競ったら右に出る人はいないんじゃないか…

そう感じさせるパワーと情報と人脈を持つ、
一人の女性と山口市で出会いました。

彼女の名前は松浦奈津子さん。
通称「なっちゃん」です。

初対面なのにそうは思えない人懐っこさで、
おもわず、すぐに「なっちゃん」と呼んでしまいました。

ちょうどお引っ越しで忙しい最中、お時間をもらい会いに行くと
「いらっしゃ~い♪」
と彼女が出てきたのは、とても趣のある家屋でした。

「昭和18年に建てられた古民家なんです」

岩国市で生まれ、山口の大学に進学したなっちゃんは
卒業後、地元の地域情報紙の記者として
山口中を駆け回っていたそう。

その後、結婚を機に退職し、出会ったのが
「古民家鑑定士」の資格でした。

「古民家って単に古い家のことをいうのかと思っていたんですが、
ちゃんと定義があって」

古民家とは、釘などを使わない伝統的日本建築で建てられた建物を指し、
昭和25年に建築基準法が制定されてからは
もう建てることのできない建築様式なんだそう。

「古民家は日本の技術と文化の象徴だなぁと思って!」

学生時代に海外を旅していたなっちゃんでしたが、
当時日本のことを伝えられなかったもどかしさが残っていて、
「古民家を通して日本と山口のよさを世界に発信できたら」
と「一般社団法人 おんなたちの古民家 グリーン建築再生機構YAMAGUCHI」を
2011年3月に立ち上げました。

そして、古民家を売りたい人や維持に悩む人、
リフォームしたい人の相談に乗り、
同時に古民家に住みたい人のマッチングも行っています。

全国に3000人ほどいる古民家鑑定士ですが、
そのほとんどが男性ということで、
女性視点での提案を強みに活動中。

月1回「古民家大好き女子部」を開催し、
ランチ会やコンサート、また古民家に関する勉強会をしたりと、
古民家の魅力を発信しています。

それは日本だけにとどまらず、
昨年にはニューヨークで活躍するアーティストのマイク・ペリーを招いたり、
すでに海外へも届き始めている模様。

続いて、なっちゃんの紹介を受けて、
昨年11月に萩市佐々並(さざなみ)にある古民家に移住をした
久保さんを訪ねました。

「佐々並音楽堂」と入り口に掲げられた看板。
久保さんは作詞・作曲や執筆をされている方で
住居兼活動の場をここに構えられたのです。

というのも、今回の入居者の条件は
「古民家に住みながら地域を盛り上げる活動をしてくれる人」
だったんだとか。

萩市と山口市のちょうど中間にある佐々並地区は、もともと
萩往還(江戸時代に整備された萩と三田尻を結ぶ街道)沿いにある
宿場町であり、国の重要伝統建造物群保存地区にも指定されています。

しかし、最近では過疎化が進み、
それをどうにかしようと奮闘する地域の振興会からの依頼で
なっちゃんが入居者を募集したという流れ。

入居希望者が自分のやりたいことを
古民家オーナーさんと地域の代表者にプレゼンして、
最終的に久保さんに決定したんだそうです。

「自分が佐々並の広報大使になりますよ、とお話ししました」

兵庫県ご出身の久保さんですが、仕事の関係で全国を回り、
5年前から日本一住みやすいと感じた山口県の山口市に定住。
どうせ住むならもっと田舎で、ものづくりに集中できる場所を探していた時に、
知人経由でなっちゃんを紹介され、
物件に惚れて、企画に応募されたといいます。

実は久保さんは3年ほど前から、山口の老若男女を対象にした
「山口で生まれた歌」を制作し、地元のケーブルTVで発信しているんです。

「その地域の人たちの感性に合った音楽があっていいと思うんです。
"文化の地産地消"を促していきたい」

久保さんは佐々並音楽堂で、山口の季節と風情に合った歌を
地域の人に聞いてもらう場を設けたりと、
すでに地域を盛り上げるべく活躍中でした。

山口のことを話し始めたら止まらない、なっちゃん。
次から次へと山口のホットな情報が飛び出します。

「古民家ではないんだけど、昭和の家をリノベーションして、
珈琲を焙煎している、めっちゃハイセンスな夫婦がいるんですよ!」

ちょうど珈琲ギフトを注文していて受け取りに行くという
なっちゃんについて行くと…

そこには雑誌やドラマのワンシーンに出てくるような素敵な空間が☆

ここは珈琲の焙煎と、珈琲道具と珈琲生活空間の提案を行う
「CAPIME coffee(カピンコーヒー)」の
亀谷夫妻のご自宅兼アトリエ。

"和"を活かしながら、"洋"がうまく合わさっている
絶妙な空気が漂っていました。

「ひとつでも多くの古い家を後世に残して、
日本の住文化を未来につなげていきたいと思っています」

そう話すなっちゃんに、最後に気になる質問をぶつけてみました。

山口をこれまで離れようと思ったことはなかったのか?

これまで見てきた私たちの感覚では
一度地元以外の世界を見てきた人の方が、
地元の良さがより分かったり、
地元を盛り上げたいと想う気持ちが強いように思ったのです。

「2006年によさこいのチームを立ち上げて、
それがあったから地元に残っているのかも」

「長州よさこい連 崋劉眞(かるま)」の演舞で
全国を駆け巡っている、なっちゃん。

山口県内にずっと住みながらも、
なっちゃんはよさこいの活動を通して、
山口を客観的に見る機会を得ているのかもしれません。

萩・維新塾

2012年11月08日

山口県北部に位置する萩市(はぎし)は、
江戸時代に、長州藩の本拠地として栄えた都市であり、
今でも歴史の面影を色濃く残す城下町です。

萩市内の小学校では、朝の時間には、
萩出身の幕末の志士、吉田松陰の言葉を朗唱するなど、
現代においても長州藩のDNAは引き継がれています。

そんな萩市において、
現代版、松下村塾のような取り組みが始まっていました。

「萩・維新塾」

萩市が音頭をとって、萩の若者を公募し、
互いに学びあい教えあいながら、
まちづくりに参加していくという試みです。

萩市に在住、または就労している18~40歳の
意欲のある会社勤めの方や自営業者が積極的に参加したんだそう。

活動では、
萩市にある世界最小といわれる活火山「笠山」の楽しみ方を
提案するイベント「笠山プロジェクト」を開催したり、

地元の商店街の空き店舗などを活用し、
ハロウィンイベントを企画するなど、

町の活性化のために若い力が精力的に動いていました。

また、来春には維新ゆかりの町の特性を活かして、
歴史好きの女子に萩の魅力について語ってもらうイベント
「幕末・維新girl'sサミット」も企画中。

若者のアイディアと行政の推進力によって、
斬新な企画が次々と実現されていっています。

主催する萩市まちじゅう博物館推進課の畠中さんに
お話を伺うことができました。

「この活動は、長州に長く伝えられている言葉、
"草莽崛起(そうもうくっき)"の理念に則っているんです。
志があれば、誰でもまちづくりに携わることができることを知ってほしい」

"草莽崛起(そうもうくっき)"とは、吉田松陰が維新への決起を促した言葉で、
志を持った在野の人々こそが、日本の変革を担う原動力になるということ。

まちづくりを行政や商工会任せにすることなく、
地域の若者たちが参加できる仕組みを作り、
それに積極的に参加する人たちがいることは素晴らしいですね。

この萩・維新塾から、
萩の経済活性化のために独立を果たし、活躍し始めている人も出ています。

萩産の野菜をプロデュース販売する椋木(むくのき)さんもその一人。

東京のTV制作会社で勤務していた椋木さんは、
地元の活性化に取り組むべく2009年に帰郷。

低所得かつ重労働ゆえに減りゆく農家の実態に奮起し、
萩・維新塾を経て、昨年、農業分野で起業しました。

「萩にも農家の方が一生懸命、手塩にかけて育てた野菜がたくさんあるんです。
僕はそれらを仕入れ、背景を伝えながら展開し、
"萩野菜"ブランドを確立したいと思っています」

椋木さんのプロデュースする萩産野菜の棚は、
地元で一番大きいスーパーの野菜売り場の一等地にもありました。

野菜の背景にあるストーリーを伝え、新鮮なうちに適正価格で販売することで、
萩産の野菜を選び、買ってくれる地元の人も増えたんだそう。

「野菜は儲からないなんて、誰が言ったんだ!って(笑)
この事業で雇用を生み出し、若者に萩で働ける環境を作るのが、
僕なりの萩活性化策です!」

椋木さんの活動は、確実に萩活性化の一翼を担い始めています。

吉田松陰が唱え、萩・維新塾が現代に提唱する
"草莽崛起(そうもうくっき)"、
まさに、今の日本にも必要な教えではないでしょうか。

おもしろく生きる

2012年11月07日

「日本のものづくりの行き過ぎた空洞化は避けなくてはいけない」

山口市でデニムブランド「匠山泊(しょうざんぱく)」をプロデュースする、
岡部泰民さんは開口一番、そう切り出しました。

日本のデニム産業と聞くと、岡山県が有名ですが、
その生産工場は周辺地域に点在しており、山口県もその一つ。

その多くが生産コストの合理化を求め、後に海外に生産工場を移していますが、
岡部さんの工場は、今も山口市内に5つの工場を構えています。

岡部さんが国内生産にこだわるのには、あるきっかけがありました。

1999年、仕事でヨーロッパに視察へ訪れた際、
スペインのアパレルブランドの台頭を目の当たりにします。

それは、フランスのアパレルブランドが
生産工場をスペインに置いてきたため、技術が移転したことによるもの、
という実態を知り、未来の日本と中国をはじめとしたアジア諸国との関係が
それとシンクロして見えたんだそう。

「ものづくりの拠点を残しておかなくては、
日本には何も残らなくなってしまう」

そんな危機感から、ひたすら国産ブランドを追求し、
2005年に「匠山泊」を立ち上げました。

洗練された日本の加工技術と最高品質の素材を結集し、
生まれたブランドです。

「ものづくりというのは、価値創造だと思っているんです。
ものは意思を持ちませんが、価値には意思を込めることができる」

そう話す岡部さんが昨年リリースした新シリーズ「Re維新」には、
日本のものづくりに対するたくさんの想いが込められていました。

まず、プロデュースに携わったのは、日本の叡智を結集した顔ぶれ。

生地には動きやすく夏場でもむれにくい国産素材が使用され、
細部にまで日本の技術の結晶が光っています。

特筆すべきは、バックポケット。

かつての長州藩士、高杉晋作率いた奇兵隊の隊旗がモチーフにされ、
そのポケット状の内部には、
自らの"想い"を入れて縫合できるという仕立てになっています。
維新期の志士たちが、襟に自らの信念を入れていたことに着想したそう。

もちろん、岡部さんも「Re維新」を身に着けていたので、
内部に込めている"想い"を聞いてみると…、

「おもしろく生きる」

高杉晋作の名言「おもしろきこともなき世をおもしろく」を
彷彿とさせる言葉ですが、
岡部さんには、脈々と長州人のDNAが受け継がれているように感じました。

「私は父親から、自分が世に生まれてきた使命を考えろ、と育てられましてね。
松下村塾の吉田松陰先生も、"自分を使う"≒自分がこの世の中で何を為すか、
これに注力していらっしゃった。私も人生を楽しみながらそう生きたい」

まるで現代の吉田松陰のようにも思える岡部さんは、
「Re維新」シリーズを自らが手掛けるデニムにとどまらず、
山口の様々な名産品にまで広げ、その良さを全国に発信しようとしています。

また、若手の育成にも積極的で、
メイドインジャパンのアパレルファッションを世界へ発信しようと
2009年までの10年間、山口市で
「ジャパン・ファッションデザインコンテスト」を開催。

若手ファッションデザイナーやモデルの登竜門となったこの大会からは、
今も様々な場面で活躍する人材が輩出されました。

「大人の役割は、機会を作ってあげることだと思っているんで」

そう話しながら優しく微笑む岡部さんは、
最後に日本のものづくりに対して熱く語ってくださいました。

「成熟した文化の日本には、様々な価値のものがあって然るべきだと思います。
その中で、日本のものづくりは高付加価値で在らねばならない。
高付加価値とは物を超越したもの、『人』その中の『心』が創り出すものです。
歴史的にも高い生活文化を伝承している山口から、
高付加価値なものづくりを発信し続けたい」

長州人の魂が脈々と継がれている岡部さんからは、
日本人としての誇りを感じずにはいられませんでした。

萩焼

2012年11月06日

萩市内には、縫うようにして藍場川が流れていますが、
かつては農業用水路のほか、日常生活にも利用され、
川舟もここを通っていたそう。
現在は鯉が放流されていて、風情あふれる町並みを演出しています。

そして、この萩市一帯で焼かれている陶器が「萩焼」。
無印良品でも以前FoundMUJIの日本の10窯で販売し、
現在"めし茶碗"は通常店舗でも取り扱っています。

今回はその生産窯を訪ねました。

最初に、この萩焼を手に取ってみて気づいたことを、
生産者の礒部さんにぶつけてみました。

「なぜ、高台部分に切れ目があるのでしょうか?」

諸説あるようですが、一般的に知られているのは、
もともと御用窯で、身分の高い人しか使うことができなかった器を、
意図的に切り欠きを入れて"キズ物"とすることで、
庶民にも手の届く雑器としたのではないかということ。

「この切り欠きは、実は作る時と使う時にも
それぞれメリットがあるんですよ」
と礒部さんは続けます。

切り欠きを入れることで、
高台部分の土が乾きやすいということ、
また、焼成時に熱が伝わりやすいところが理に適っているそうです。

使う際には、熱いお茶を入れて茶托にのせた時に、
高台の切り欠き部分から空気が入るので
持ち上げても茶托がくっつかないことや、
食器洗浄機で洗う際に水が溜まらないのが、
今の時代の生活にも合っています。

萩焼は古くから、「一楽・二萩・三唐津」と謳われ、
茶人の間で広く愛好されてきました。

それは、陶土に吸水性があり、使っていくにつれて
貫入(かんにゅう・表面の細かいヒビ)を通してお茶がしみ込んで、
その色や艶の変化(萩の七化け)を楽しむことができるため。

絵付けによる装飾はほとんど行われない萩焼ですが、
陶土の配合、釉薬の掛け具合、焼成の仕方によって、
シンプルですが、とても味わい深い表情が出ています。

陶土は山口市で採れる「大道土」(白色)、
日本海に浮かぶ離島・見島で採れる「見島土」(赤土)、
萩市の東方で採れる「金峯(みたけ)土」(白土)を
混合して使いますが、
下の写真のように全く違う色の表現が可能です。

また、こちらの「梅花皮(かいらぎ)」という模様は
陶土と釉薬の収縮の違いを活かして作られたもの。

釉薬が溶け切る手前で火を止めるそうですが、
タイミングを見計らうのが難しいそうです。

さらに、
「後から来る酸化を楽しむのも萩焼の特徴かもしれませんね」
と礒部さん。

土に含まれる鉄分が、空気に触れることで赤みを帯び、
美しいグラデーションを生み出すのです。

使うほどに味わいが増していく萩焼は、
地元の陶土や釉薬の特徴を熟知し、
長年培ってきた焼成技術を持つ職人さんたちによって作られていました。

現在でも萩焼の窯元は80以上あるといい、
また、山口県民の多くが何かしら萩焼を自宅に持っているんだそう。

地元で作られ、地元で愛されている萩焼だからこそ、
県外の私たちにとってもなじみやすい民陶となっているのかもしれません。

「約400年前にこの地で生まれた萩焼の歴史を大事にしたい」

そう語る、礒部さんの言葉を聞いて、
歴史と作り手の想いが詰まっていて、
使い込むごとに味わいの増す器を、日常使いしたくなりました。

下関の新名物

2012年11月05日

山口県では無印良品 ゆめシティ新下関を訪ねました!

すると、そこで待ち構えていたのは…、

ペアルックを着こなした男性店長と副店長コンビ。

うれしいことに、下関らしいフグの飾り物を掲げて
出迎えてくださいました☆

そう、下関といえば全国で水揚げされたフグの
7~8割が集積される一大拠点。

フグ鍋「てっちり」なんかの季節も近いですね♪

そんなつながりで、
こちらのお店の人気&オススメ商品はこちら↓

土鍋」です!

「こたつに入って鍋で温まろ~」

なんて季節ももうすぐそこ!

ところで、フグの産地として知られる下関には、
もう一つ漁獲高日本一を誇る魚があることをご存じですか?

その答えは、こちら!

「あんこう」です。

深海魚のあんこうは、
下関漁港を基地とする沖合底曳網漁船が捕獲してきましたが、
5年ほど前までは地元でほとんど消費されず、県外へ出荷されていました。

その奇妙な出で立ちと、ぬめりによる調理のしにくさゆえに、
猫も敬遠して食べない"猫またぎ"と揶揄され、
漁港にあがっても邪険に扱われていたんだそう。

そのあんこうに着目し、
下関の新名物を作ろうと立ち上がった人がいました。

下関市内でふぐ料理屋を営む「旬楽館」の女将、高橋さんです。

高橋さんは、2006年に下関商工会議所が主催した
「下関うまいものづくり名人」のコンペに、
「あん肝のみそ漬」を考案し、出品。

これが見事、「マイスター」を受賞し、
現在では、あんこうを下関地域ブランドにすべく、
「あんこうプロジェクト」も発足し、これに尽力されています。

「昔に食べたことのあった、あん肝の味が忘れられなくて。
あんこうなら、あん肝を使いたいとかねてから思っていたんです」

そう話す高橋さんが開発された「あん肝のみそ漬」は、
病みつきになる味わいでした。

今では、店舗でもフグ料理に加えてあんこう料理も提供し、
あんこうの下関料理への定着にもひと役買っています。

驚いたのが、高橋さんはこう見えて今年70歳を迎えること!

55歳で「女性でも気軽に入れるフグ料理屋を」との想いで起業し、
65歳から、下関のあんこうブランド化事業に携わっているわけです。

なんとお元気なことでしょうか…。
元気の秘訣を伺うと、

「まだまだやらなきゃいけんことが多いですからねぇ」

と、ひと言。

地域の活性化に年齢は関係ないということを、思い知らされました。

下関に行ったら、「フグ」に「あんこう」。
これ、鉄板ですよ!