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「鹿児島」カテゴリーの記事一覧

本枯節

2013年10月16日

日本のだし文化を支える、カツオ節。

カツオを干す、カツオを燻す、などが転じて、
「カツオ節」と呼ばれるようになったといわれています。

戦国時代には、"勝男武士"として、
戦に勝つための武士の戦陣食として好まれていたそうです。

米食中心の文化が形成されて以来、大豆製の発酵調味料と並んで、
"カツオの煎汁"は日本人の食卓で支持されてきました。

最近の研究では、カツオに含まれる旨み成分「イノシン酸」が
昆布だし等に含まれる旨み成分「グルタミン酸」を引き立てると確認されたのです。

北前舟の終着地、大阪で花開いた昆布だしに対して、
カツオ節は、主に太平洋岸の地域で発展。

なかでもカツオの水揚げ量の多い鹿児島県、高知県、静岡県が産地で、
約半数が、鹿児島県の枕崎と山川といわれています。

その主要産地の一つである、枕崎を訪れました。

回遊魚であるカツオの漁は南西諸島にまで及ぶため、
薩摩半島の南岸に位置する枕崎は、水揚げ漁港としては絶好の立地。

なおかつ、年間の平均気温18度と温暖な気候は、カツオ節生産には適しており、
薩摩藩の庇護もあって、一大産地へと発展したそうです。

この地で1935年からカツオ節を製造し続ける、マルテ水産株式会社を訪ねると
続々と水揚げされたカツオが運び込まれていました。

この日、運び込まれていたのはソウダガツオ。
一般のカツオと比べると、少し小ぶりです。

運び込まれたソウダカツオは、職人の手によって、素早くさばかれていきます。

大きなソウダカツオになると、3枚に卸された後、背中側と腹側に切り分けられます。

背中側を雄節、腹側を雌節と呼び、ぴったり合うものは世界に一組だけなので、
"鰹夫婦節"として、昔から結納や結婚式の引出物として選ばれてきました。

卸されたソウダカツオは、煮熟(しゃじゅく)の工程へ。

マルテ水産の鮫島喜一郎専務は、この工程が最も大切といい、
過熱による急激な身の収縮で亀裂ができるのを防ぐため、
鮮度の良いカツオは、低温でじっくりと煮ると教えてくださいました。

そして骨抜きや修繕されたカツオは、焙乾(ばいかん)と呼ばれる、燻す工程へ。

昔からカツオ節が保存食といわれるゆえんはここにあり、
燻すことによって、カツオの脂の酸化を防止し、
雑菌の発生を防ぐ効果があるといいます。

燻すための木材は、県内か隣県で間伐されたカシ類や桜の木。
間伐材の利用先で頭を悩まされる地域が多いなか、とても重宝されているそうです。

敷地内には、大量の木材が運び込まれていました。

焙乾の作業は部位によって6~15回も繰り返され、
じっくりと内部の水分を蒸発させていくんです。

燻した後のムロ節

ほとんどの産地ではこの時点で出荷され、市場の80%以上はこの荒節で占められています。

しかし、ここ枕崎では、カツオ節の旨みを決定づけるために、
伝統製法に則り、もう一手間加えられたものも作られていました。

「カビ付け」です。

かつて江戸までの道中、カビの発生に悩まされた土佐藩産のカツオ節が、
かえって味が良いと好評を得たことから、生まれた製法なんだとか。

カビ付けによって、
焙乾だけでは除去しきれないカツオ内部の水分を取りのぞくのです。

さらに、カビ菌によって脂肪とタンパク質が分解されるため、
より透明度の高い、香りと風味あふれた旨み成分が生みだされるんだそう。

カツオ節が"発酵食品"と呼ばれるゆえんは、ここにありました。

カビ付け、日干しを4カ月から1年繰り返し完成したものを、
「本枯節(ほんかれぶし)」と呼び、最上級のカツオ節として扱われるのです。

これだけ長い期間かけて水分が取りのぞかれ、旨みが凝縮された本枯節は、
たたくとカンカンと高鳴りするほど。

この音こそが、極上のカツオ節の証なんだそうです。

「本枯節でとるダシの味は、やっぱり上品ですよ。
カツオの風味が格段に違う」

鮫島専務はそう語ります。

幼い頃から本物のカツオだしの味で育った鮫島専務は、
こうも続けてくれました。

「毎日忙しくても、週に3回ぐらいは家族団らんしながら、
おふくろの味を子どもに伝えていってほしいんです。
このカツオ節によって、少しでもその手助けになればと。
その味で、子どもがすくすくと育てば、
日本の味をつないでいくことになりますから」

現に鮫島専務の息子さんたちは、帰郷のたび、
カツオだしのきいたおみそ汁の味で、
故郷へ帰ってきたことを実感するそうです。

早速、私たちも削った状態の「花かつお」を持ち帰り、
自宅でダシから取ったおみそ汁を作ってみました。

お湯を沸かせて火を止め、花かつおを入れて待つこと3分。

想像以上に手軽に、カツオの風味広がる、
いつもより深い味わいのおみそ汁に仕上がりました。

毎日とは言わないまでも、週末ぐらいは、
ダシ料理に挑戦してみるのも良いかもしれません。

日本が生んだ独特の旨み文化、カツオ節は、
これからも親から子へと食卓で引き継がれていってほしいものですね。

バカ正直な、味噌造り

2013年10月09日

各地によって味の異なるお味噌。

これまで、長野県の「米味噌」や愛知県の「豆味噌」、
山梨県の「調合味噌」を取材しましたが、
鹿児島県では「麦味噌」の醸造元を訪ねました。

「昔は味噌を持って、味見してもらいながら歩いたものです」

営業活動を行うようになったのはここ数年と話すのは、
1964年創業「山門(やまど)醸造」の代表・山門タキさんです。

山門醸造は、毎年冬になるとツルが渡来する出水市(いずみし)にあり、
タキさんのご主人である先代の故・山門康之さんが
地域の人からお土産用に頼まれて造り始めたといいます。

そのお味噌は、ツルを見に来た観光客をはじめ、口コミで全国に広がり、
先述したようにほとんど営業活動をすることなく、多くの人に愛されてきました。

私たちが取材にお邪魔していた時にも、
ちょうど電話で注文が入っていましたが、それは名古屋の方からでした。

各地で味噌が造られているなか、全国の方から愛されている理由は
どこにあるのでしょうか?

「先代は曲がったことが大嫌いでした。
なるべく原価を下げて、おいしいものを安く提供したいと
バカがつくほど正直にやってきて、今もその想いを継いでやっています」

蔵をご案内いただくと、随所にその証を見ることができました。

まず、大豆を蒸しているこちらのシーン。

蒸篭(せいろう)を使っている醸造元も今時珍しいと思いますが、
ボイラーの燃料は重油ではなく、薪。
近所で解体された家の木材が集まる仕組みになっていました。

また、水は地下水を利用。

さらに、1日約1.9トンを仕込むという味噌造りですが、
そのすべての工程における作業が機械ではなく、人の手によるものでした。

どこか懐かしさと優しさを感じるパッケージは、
防腐剤等の添加物不使用のため、真空包装にしていません。

そのため、夏場はゆるくなってしまい、流通には難しいそうですが、
「横着したら絶対にダメ!正直な商売をしないとね」
とタキさんは話します。

取材後、山門みそを使ったお味噌汁を出していただきました。
見た目は、お味噌汁というよりも白いスープといった感じ。

ひと口いただくと、ふわっとした甘みと深み、
そして香りが口いっぱいに広がりました。

一般的に九州のお味噌は麦麹を使う麦味噌であり、甘みの強さが特徴です。
関東出身のキャラバン隊は米味噌の味に慣れているせいか、
甘いお味噌にはじめ少し戸惑いました。

しかし、この山門みそを使ったお味噌汁は
これまで口にした麦味噌のお味噌汁とは違い、自然の甘みがしたのです。

恐らくそれは甘味料などを一切使わずに、
また、人の手によって造られているからではないでしょうか。

「昔、東京で展示会をした時には、お客さんに安すぎて怪しい…
って、敬遠されたんですよ。
だけど、主人は『味を見てから買ってくれればいい』と商品を渡していました。
結果、他のお客さんも連れて翌日戻ってきてくれましたけどね」

「販売価格を変えずに造り続けるのは正直大変ですが、
全国のお客様が喜んで使ってくださっているので、
正直に、慎重にこれからも続けていきたいと思っています」

山門さんご夫妻が50年余にわたり、守り続けてきた「山門みそ」の味は、
Found MUJIの取り扱い店舗でも、お買い求めいただけます。

郷中教育

2012年09月21日

幕末維新期に西郷隆盛、大久保利通ら
数々の有力な人材を輩出した、かつての薩摩藩。

沖縄県を除く日本の最南端に位置しながら、
薩摩藩の人材が維新のイニシアチブを担った背景には、
独自の教育システムがありました。

郷中教育(ごじゅうきょういく)。

郷中教育とは、同じ地域内(郷中)に住む武家の青少年に対し、
自発的に実践された集団教育のこと。

最大の特色が「教師なき教育」で、
先輩が後輩を指導し、同輩はお互いに助け合う、
いわば学びながら教え、教えながら学ぶという仕組みになっていました。

豊臣秀吉による朝鮮出兵、文禄・慶長の役によって、
多くの大人武士が駆り出されたことに端を発するようです。

その目的は、学問もさることながら、
武芸の鍛錬や日常のしつけ、勇気と根性を養うもので、
武士としての生き方を追求したものでした。

「負けるな、嘘を言うな、弱い者をいじめるな」

といった教えに代表されるように、
学問や鍛錬の場では真剣に競い合いながらも、
どんな時も正々堂々と振る舞い、卑怯を憎み、自分より弱い者をかばう、
という薩摩男子の目指す生き方そのものでした。

かつてのイギリスの軍人、ベーデン・パウエル卿が、
この制度をモデルにしてつくったのがボーイスカウトとする説もあるくらいです。

この郷中教育を、現代においても教えている場所があると聞き、
訪ねました。

場所は、姶良(あいら)市加治木町にある
精矛神社(くわしほこじんじゃ)の境内。

そこには、雄叫びをこだまさせながら、
剣術に励む若者たちの姿がありました。

薩摩の代表的剣術、「自顕流(じげんりゅう)」です。

薩摩の剣は「一の太刀を疑わず、二の太刀は負け」といわれたほど、
防御のための技は一切なく、先制攻撃による一撃必殺を極意としました。

そのスピードは、新撰組の近藤勇局長が隊員たちに対し、
「薩摩の初太刀を外せ」としつこく言い続けたほど。

それは、厳しい鍛錬による賜物でした。

例えば、「続け打ち」と呼ばれる鍛錬の一つは、
叉木に置かれた数十本の横木の束を打ち続けるというもの。

一見、単純ですが、本気で振ると一太刀で汗が噴き出します。
おまけに、打った衝撃に耐えうるだけの力も必要。

これを昔は、朝に3000回、夕に8000回、
合計1万1000回も打っていたというから驚きです。

この自顕流の剣術の鍛錬で体力面を鍛え上げ、
精神面の鍛錬には、薩摩琵琶や天吹(てんぷく)を奏でます。

両者とも薩摩の武士のあいだで伝承されてきた楽器です。

神社の境内の静かな室内に響く天吹の音色には、
心の邪念が払われるような不思議な力がありました。

これら郷中教育を今の時代に教えているのは、
NPO法人「島津義弘公奉賛会」が運営する「青雲舎」。

明治25年に創設された後、
平成12年にNPO法人として復活を遂げた組織です。

その運営法は、あくまでも昔からの郷中教育に則り、
来る子・人に対しては無償で教えるというスタンスなんです。

運営者の一人、川上さんは、
「自分がこの地でしてもらってきたことを、後世にもしてあげたい」
と、その想いを語ります。

そして、将来的には、
薩摩藩の下級武士から国政の舞台にまで上り詰めた西郷隆盛を目標に、
鹿児島県からアジアのリーダー、世界のリーダーを生み出したい、
と、目標を語ってくださいました。

今も鹿児島の地で脈々と継承される郷中教育。

その精神、その教えには、
現代においても学ぶべきことがたくさんあるように思いました。

種麹

2012年09月20日

日本酒、焼酎、泡盛、味噌、醤油、食酢、漬物など、
発酵食品を製造するときに不可欠な「麹(こうじ)」。

麹とは、米、麦、大豆などの穀物に、
コウジカビなどの食品発酵に有効な微生物を繁殖させたもの。

これまでの旅中、何度か麹屋さんにめぐり会い、
米麹づくりの現場も見学させていただきました。

写真は、蒸かしたお米に麹菌を散らして、素手で均等にしているところ。

これを寝かせて、時間を置くとこの通り。

この米麹を入手できれば、塩麹や甘酒も自宅で
簡単に作れてしまうのです。

それでは、麹菌はどのようにしてできるのでしょうか?

福山町で取材させていただいた、黒酢の伊達醸造さんが使用している
という麹屋さんを紹介していただきました。

鹿児島市内にある「河内源一郎商店」

全国に数軒しかないといわれる種麹屋さんのひとつで、
焼酎メーカーの8割以上に麹を卸しているのだそうです。

今回初めて知ったのが、麹にも種類があるということ。

一般的に広く使われているのは「黄麹」で、
他に、「黒麹」「白麹」があります。

もともとは、焼酎づくりにも清酒と同じ「黄麹」を使っていたのですが、
出来上がった焼酎はすぐに腐ってしまっていたそう。

"本来寒冷地向きの清酒に使う麹が、
暑い場所で造られる焼酎に合うはずがない。
暑いところの酒のモトは同じ暑いところから探すに限る"

そう考えた、河内源一郎商店の創業者、河内源一郎氏は
沖縄の泡盛づくりに目をつけました。

従来、泡盛の製造に用いられてきた「黒麹」から胞子を取り、
焼酎に一番適した麹菌を栽培することに成功。

この麹菌が発するクエン酸が雑菌の増殖をおさえ、
この発見によって焼酎の歩留まりを飛躍的に向上させ、
さらに糖化能力のすぐれた新種も開発したのです。

それが「白麹」(河内菌白麹菌)、
つまり「白麹」はこの河内源一郎商店が生み出した麹菌なのですね。

河内源一郎商店では、現在20種類以上の麹菌を、
木製麹蓋(こうじぶた)を使って、手づくりで培養しているそうですが、
それらはすべて無菌状態の部屋で行われています。
もちろん私たちが入ることはできません。

麹菌は納豆菌との相性が悪いため、
作業に携わる人は納豆を食べられないとう制約があるそうで、
気軽に一般人が入ったら大変なことになりますね…。

今回は、開発室室長の池田さんに麹についてお話を伺うことができました。

「麹菌には原料を分解する役割があります。
お米にしても、麦にしても、別の素材と合わせることで、
麹菌は、酵素源として重要な働きをするんです」

麹菌は、でんぷんやたんぱく質を分解し、甘みを感じさせる
「糖化酵素」(アミラーゼ)、
アミノ酸をつくる「たんぱく分解酵素」(プロテアーゼ)、
そして、脂質を分解する「脂質分解酵素」(リパーゼ)の
三大消化酵素を生成し、これらの酵素の働きと熟成期間を持たせることで、
旨みやコクや香りを食品に与えることができるといいます。

河内源一郎商店は、この素晴らしい麹の能力や
麹の存在自体を知ってもらいたいと、
平成8年にアンテナショップ「麹の館」をオープンさせました。

そして、麹を使った加工品を次々と開発。
そのひとつがこちらの天然クエン酸飲料です。

ひと口飲んでその味にビックリ。
原液のまま飲んだのですが、鼻にツンとくるような酸味ではなく、
まろやかな味わい。
そして、さつまいもとしょうがの素材の香りが
ふわっと口の中に広がりました。

これらの原料はさつまいもorしょうがに、米麹と麦麹のみ。

麹の働きによってできた天然クエン酸は、
乳酸を分解しやすいので、疲れをとりやすいんだとか。

最後に、池田さんがこうおっしゃいました。

「本当の発酵食品は、いい麹を作れば、添加物を入れなくてもできるんです。
栄養素が自然に生まれるから、発酵食品はバランスがいい」

自然の力と、それに携わる人々の研究と努力が
はっきりと伝わりました。

黒酢

2012年09月19日

肉用若鶏飼育数1位、豚飼育頭数1位、肉用牛飼育頭数2位の
畜産大国、鹿児島県。
(平成21年度総務省調査)

鹿児島に入った途端、引き寄せられるように、
焼肉屋さんに入っている私たちがいました。

訪れた先は、霧島温泉郷にある「焼肉厨房わきもと」さん。
純粋黒豚をはじめ、地元産の新鮮な具材を提供するお店です。

地元産のサツマイモをたっぷりと与えられたかごしま黒豚は、
数ある黒豚ブランドの中でも別格の扱いで、
過去には食肉市場で牛肉並みにランク付けされたこともあるほど。

確かに、その甘み、旨み、弾力、どれをとってもおいしい。
何より、白い脂身の部分が全くといっていいほど
脂っぽさを感じないことに驚かされました。

それには、黒豚そのもののおいしさもさることながら、
「焼肉厨房わきもと」さんならではの、独特の工夫がありました。

つけだれが黒酢タレだったのです。

黒酢の酸味をうまくいかしたタレの味わいは、
さっぱりとしながらも肉の味を引き立ててくれる仕立て。

黒酢といえば、健康食品として7年ほど前に一躍脚光を浴びましたが、
元をたどれば、そのルーツは鹿児島県にありました。

そんな「焼肉厨房わきもと」さんも使っている、
黒酢の生産者を紹介して頂きました

向かった先は、鹿児島県福山町の「伊達醸造」さん。

福山町で黒酢づくりが始まった1820年創業の老舗です。
そこには、目を疑うような光景が広がっていました。

見渡す限りの、壺、壺、壺…!

これ、実は福山町ではよく目にすることができる「壺畑」の光景で、
福山町では昔ながらの製法に則って、
苗代川焼という薩摩焼の一種である「アマン壺」を使用し、
発酵から熟成までを行っているのです。

このアマン壺の大きさは約55ℓという、決して大きくはないサイズ。
もっと大きな壺を使えば、一度に大量の酢が造れるのでは?
と、ふと素人じみた考えが浮かぶと、
そこには福山町の酢づくりならではの理由が隠されていました。

「福山では南国らしい日中の日射しと西陽によって、
黒い小さな壺が温められるんです。
夜は、錦江湾から流れてくる冷たい海風によって冷まし、
この自然環境が、酢づくりには適しているんですね。
大きな壺だと、温度が行き渡るのに時間がかかるので、うまくいきません」

伊達醸造の代表社員、伊達さんがそう教えてくれました。

訪れた時刻は夕暮れ近かったのですが、
確かにそこは西陽の降り注ぐ絶妙な環境でした。

お酢づくりというと蔵の中でというイメージがありましたが、
屋外で屋根もない、完全に自然の環境下でのお酢づくりとは驚きました。

そのため、暑すぎても寒すぎてもダメなので、
仕込みの時期は9月末~の秋と、3~4月の春と決まっているんだそうです。

使う素材も、米麹と水のみ。

アルコールなどを加え、熟成を早めることなく、
自然の力を使って、ゆっくりじっくりと発酵・熟成させます。

特別に壺の中を見せていただくと、中に浮いていたのは麹菌。

振り麹(最後に麹菌を水面に散らすこと)をすることによって
空気に触れさせることで、酢酸発酵を促すんだそうです。

こうして発酵に約4~5カ月、熟成に最低6カ月、
1~3年もの期間をかけて、ようやく福山町の酢は完成するんです。

写真左は「黒酢」、右は「米酢」と呼ばれ、
黒酢には玄米が利用されています。

もともと、「黒酢」とは福山町で上記の製法で作られたお酢を指していましたが、
2003年の黒酢に関するJAS法制定後、
玄米を使用し、発酵および熟成によって褐色に着色したものであれば、
24~48時間で造られるものも、黒酢と呼ばれるようになりました。

ただ、福山町の酢は、米を使った酢においても、
アミノ酸量は玄米を使ったものと同程度に高いようです。

「壺によって、発酵や熟成のスピードが変わるので、
一つひとつの壺に手をかけてあげなければなりません。
大変ですが、これが福山町の酢づくりなので」

福山町のおいしいお酢づくりの秘訣には、
先人の知恵を脈々と守り続ける職人たちの姿がありました。

龍門司焼

2012年09月18日

鹿児島県内には窯元がとても多い印象を受けました。
鹿児島県陶業協同組合のHPに載っているだけでも、59窯元あります。

県内で焼かれる「薩摩焼」は、約400年前、
豊臣秀吉の朝鮮出兵に同行した薩摩藩主・島津義弘公が
陶工を薩摩に連れ帰ったことに始まります。

その後、発展と退廃を繰り返し、今では薩摩焼の系譜として
「苗代川(なえしろがわ)系」「竪野(かたの)系」「龍門司(りゅうもんじ)系」
と分かれているようです。

また、薩摩焼は「白もん」と呼ばれる白薩摩と、
「黒もん」と呼ばれる黒薩摩の2つに大別できます。

白薩摩は乳白色のあたたかみのある生地に、
金、赤、緑、紫、黄などで豪華絢爛な文様を施した気品のある逸品で、
藩主御用達として発展してきました。

幕末のパリ万博にも出品され、その高い芸術性が絶賛されたことをきっかけに
多くの作品が海外に輸出され、「SATSUMA」の名が欧米に知られるようにもなりました。

それに対し、もう一方の黒薩摩は、鉄分含有量が多い土を用いており、
素朴で重厚な面持ちが特徴で、
こちらは、庶民の生活道具として親しまれてきました。

今回は、姶良(あいら)市にある、黒薩摩のひとつ、
「龍門司焼」の窯元を訪ねました。

敷地内に入ると、ズラリと外に並べられた、黒い器たちが
私たちを迎えてくれました。

これらは「黒ヂョカ」と呼ばれる焼酎用の土瓶で、
焼酎大好きな薩摩人に、昔も今も人気のものだそう。
脚がついていて、土間や畑など場所を選ばずに
使えるようになっています。

また、黒ヂョカで温めた焼酎を移して、
宴席などで使われるのが「からから」と呼ばれるもの。

持ちやすい丈夫な首に、注ぎやすくこぼれにくい注ぎ口など、
1日の疲れを癒やす晩酌のお供にふさわしい器です。

龍門司焼は、陶土、釉薬の原料など
すべてを地元でまかなっているそうですが、
なかでも自信を持っているのが「化粧土」だといいます。

有色素地で焼き物を作る際、釉薬の発色を美しくするために、
素地表面に白色の陶土(化粧土)をかけるのです。

もともと赤みの強い陶土の色が、
このようにやさしい白い色合いに変化します。

また、龍門司焼はその独特な装飾が魅力的。
窯に併設されたお店には、目移りしてしまうほど、
たくさんの多種多様な器が並んでいました。

なかでも、白化粧した素地に飴釉と緑釉を掛け流す
「三彩流し」は龍門司焼の代表的な技法で、
美しく明るいやわらかな印象を与えてくれます。

さらに、釉薬がサメ皮のように細かく粒立っている「鮫肌」や

立体的に浮き上がったうろこ状の文様が特徴の「蛇蝎(だかつ)」は
とてもインパクトがあり、目を惹きます。

各地で出会う焼き物。

その地で採れる土を使って、昔から伝わる手法で作られる焼き物は、
自然界にある土のホッとする温かみと手のぬくもりが感じられる、
世界にひとつだけの器でした。

桜島のあるくらし

2012年09月17日

鹿児島市内を車で走っていると、目の前に大きな島が!!!

世界有数の活火山・御岳(おんたけ)を有する、「桜島」です。

鹿児島市の市街地からわずか4km、
フェリーを使うと15分で行けてしまう場所なんです。

しかも、このフェリーは約10分間隔で24時間運行!
24時間運行の公共交通機関って、初めて聞きました。

錦江湾に浮かぶ桜島は、以前はその名の通り「島」でしたが、
1914年の大正噴火で流れた溶岩によって海峡が埋まり、
大隅半島の一部となり、車で行くことも可能になりました。

桜島というと、噴火のニュースを時々耳にしますが、
島に着いて最初に訪れたビジターセンターで、衝撃の数字を目にしました。

「860」

なんとこれ、今年になってから9/5までの間に
桜島が噴火した回数なんです!

単純計算して、1日平均3.5回の噴火。
しかも爆発的噴火も1日に約3回起こっている…。

私たちが滞在していた数時間の間にも、
ふと見ると、黒煙がもくもくと上がっているではないですか!?

驚きです。

現在、桜島には2312世帯、5116人が暮らしているそう。
(2012年1月1日現在)
古くは縄文時代から、人々はこの地での生活を始めていたんだとか。

島内には、大噴火や土石流など、火山災害の跡や、
この地に暮らす人々の工夫が所々で見受けられました。

これは大正3年の大噴火で3mの鳥居がほぼ埋没してしまった跡。

道路には、火山灰の入った袋が積まれていたり、
大噴火の際に避難する避難壕が設置されていたり。

子供たちはヘルメットを被って登下校。
また、灰がかからないようにお墓に屋根がついているのも
当たり前だそうです。

身に危険が及ぶ可能性がありながらも、人々がここに暮らす理由、
それは火山の恵みがあるからです。

日々の疲れを癒やしてくれる豊かな温泉もそのひとつですし、
土砂流でできた土地は、水はけがよく、
世界で一番大きな大根「桜島大根」や
世界で一番小さなみかん「桜島小みかん」を生み出してくれています。

さて、そんな桜島を持つ鹿児島市で訪れたのは、
無印良品 アミュプラザ鹿児島

このお店の人気商品をご紹介いただくと、
連れていかれたのはランドリーコーナーでした。

「鹿児島市内も、桜島の火山灰が飛んでくるので、
気にする方は洗濯物を室内で干されるんです」
と店長。

この「アルミ壁面用ハンガー」はその名の通り、
壁に沿う部分が、洗濯物が壁に触れないように
半月形の構造になっているんです!
家の中で干すのにストレスなく使えそうですね。

最近、洗濯バサミ部分の素材が変わり、
より耐久性がアップしたそうですよ★

それから、鹿児島ならではのこちらも人気だそう!

奄美大島風 鶏飯

温めてごはんにかけるだけで、簡単に食べられます♪

この鶏飯(けいはん)は、
古くは1613年に琉球王国が薩摩藩の支配下になった折、
時の代官のもてなしの料理として出された料理で
当時は炊き込みごはんだったのが戦後アレンジされ、
現在の形となったそうです。

市内で鶏飯を試してみました↓

ごはんの上に、蒸した鶏のささみを細かく裂いた物、
錦糸卵、きのこ、パパイヤの漬け物、ネギをのせて、
熱々のとりだし汁をかけて食べます。
優しいホッとする味がしました。

そうそう、無印良品の鶏飯はレトルト食品なので、
"もしも"の時には温めずにそのまま食べることもできます。

ふだん使いできる「いつもの」品で「もしも」の備えにも、
鶏飯はうってつけ。
キャラバン隊お墨付きです☆