子育て・教育のほとりで
子どもが一般の学校ではないオルタナティブスクールに通うようになってから、子育てや教育に興味を持ち、学ぶようになりました。学校外の「多様な学び」や「不登校問題」「海外の教育事情」など、子育て・教育まわりのさまざまな話題を取り上げて紹介していきたいと思います。

「なのに」は要らない?

2020年07月15日

なぜ年齢を気にするの?

将棋の藤井聡太七段をご存じですか。もうすぐ18歳になる若手棋士で、現在、産経新聞が主催するヒューリック杯棋聖戦で渡辺棋聖に挑戦中。しかも、先だって行われた初戦では、みごとに勝利を収めました。17歳と10ヶ月20日でのタイトル挑戦は最年少記録だそうです。
次々と将棋界の最年少記録を塗りかえてきた藤井さん。もう、本当にすごい人で、尊敬しかないのですが、ただひとつだけ、彼の年齢にこだわるのはどうかなという思いがあります。というのも、若いプレーヤーが世に出てきて活躍するたびに、年齢のことを言う人が多いからです。卓球の福原愛さん、ゴルフの石川遼さん、スケートの浅田真央さんなどが出てきたときも、その若さが話題になりました。
私たち日本人の特性なのかもしれませんが、こと相手が子どもとなると、大人は年齢を気にしたがります。そして、「〇〇ちゃんは〇〇歳なのにすごいね」と、年齢を含めて賞賛する傾向にあります。個人的には、そこに違和感を覚えてしまいます。素直に「〇〇ちゃんすごいね」だけでよく、「〇〇歳なのに」は不要なんじゃないかと。「なのに」という言葉は接続詞で、「前の内容に対して、後の内容がそれと食い違う」ときに使うそうです。つまり、「〇〇歳なのにすごいね」というのは、「普通〇〇歳はたいしたことないでしょ」という気持ちの現れでもあるのです。

「なのに」の裏にある偏見

「なのに」を使って賞賛するのは、子どもに限ったことではありません。高齢者の方にも使うことがあります。「80歳なのに毎朝走るなんてすごいですね」とか、「90歳なのにお元気ですね」とか。たぶん、純粋な驚きや尊敬の念もそこにはあるのでしょうが、その裏に、「80歳にそんなことはできるはずがない」「90歳はもっとよぼよぼだよ」といった思いがないとはいいきれません。
そして、とくに私が強く違和感を覚えるのは、「障害者なのに」という使われ方をしたとき。先日もテレビで「障害者アート」のことが紹介されていました。作品はどれもすばらしく、完成度の高いものでしたが、番組のナレーションの端々に、「障害者なのに」というニュアンスがあったのを残念に思いました。
こうやって考えてみると、普段、私たちは何気なく「なのに」という言葉を多用していることに気づきます。「子どもなのに」「年寄りなのに」「女なのに」「男なのに」などなど。そして、そのいろんな「なのに」の背後には、所詮「子どもは」「年寄りは」「女は」「男は」という、決めつけのようなものがあるように思えてならないのです。

多様性を受け入れるということ

もう一度、話を子どもに戻します。「子どもなのにすごいね」という言葉の裏には、年少者は所詮「未熟者」という大人の思い込みがあるように思います。たぶんこの考えは、日本社会に長年根づいてきた「年功序列」の価値観から来ているものでしょう。人間は生まれたときから一段一段、階段を登るように成長していくもの。年齢を重ねれば重ねるほどに知識が増し、精神的にも成熟して、"偉い"存在になっていく。最近はさすがに薄れてはきたものの、年功序列の価値観は、企業や政治の世界ではまだまだ幅を利かせているようです。それが証拠に、大企業のトップや大臣などの顔ぶれを見ると、なんとも高齢な方の多いことに驚かされます。
と、そんなことを考えていたとき、「FNNプライムオンライン」の、フィンランドで誕生した「世界最年少34歳の女性首相」の記事が目にとまりました。昨年12月に実施された投票で、連立与党第一党の社会民主党が、前政権で交通・通信大臣を務めていたサンナ・マリン氏(34)を選出したというのです。フィンランドでは3人目の女性首相で、現職では世界最年少の首相だそうです。 このニュースに日本のSNSでは「素晴らしい」「日本では考えられないこと」といった声が寄せられたようですが、それに対して駐日フィンランド大使館は公式Twitterアカウントで、「そんなに驚きではないかも」とコメントしたそうです。というのも、もはやフィンランド国内では「若さ・女性」という点は珍しくなく、「年齢や性別に関係なく、スキルや才能が重視される」ことが当たり前になっているから。この記事を読んで、思わず「なるほどなぁ」と唸ってしまいました。このニュースを知って"羨ましく"思っていること自体、自分自身の中に、年齢や性差による偏見が残っていることの証なのだと気づかされました。

年齢や性別、障害の有無などに関わらず、その人が持っている能力が正統に評価されてこそ、真に多様性を受け入れた社会は実現するのだと思います。「〇〇なのにすごい」と思っているうちは、まだまだ偏見が抜け切れていないということ。「インクルーシブ」「ジェンダー」「ダイバーシティ」といった小難しい言葉を口にする前に、まずは自分自身、「〇〇なのに」という言い方をしないよう心がけたいと思います。社会を変えるのは難しいけれど、自分の意識なら、明日からでもすぐに変えられるのだから。

(イラスト:中田晢夫)

  • プロフィール くらしの良品研究所スタッフ。18歳の子どもの父親。一般財団法人東京サドベリースクール評議員。

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