子育て・教育のほとりで
子どもが一般の学校ではないオルタナティブスクールに通うようになってから、子育てや教育に興味を持ち、学ぶようになりました。学校外の「多様な学び」や「不登校問題」「海外の教育事情」など、子育て・教育まわりのさまざまな話題を取り上げて紹介していきたいと思います。

授業がない、先生がいない学校。

2018年12月12日

サドベリー教育。

前回のブログで、この日本にも文部科学省が認可していない「オルタナティブスクール」があることを紹介しました。今回はそのひとつである「サドベリースクール」について書いてみたいと思います。
今から半世紀前の1968年、アメリカはマサチューセッツ州のボストン郊外にある「サドベリーバレー」という土地に、あるユニークな学校が誕生しました。それが「サドベリーバレースクール」です。この学校のどこがユニークかというと、まず授業がありません。カリキュラムがありません。そして、子どもたちを教える先生もいません。小学生から高校生ぐらいの年齢の子が通っていますが、生徒たちはスタッフと呼ばれる大人に見守られ、広大なキャンパスの中で、一日中好きなことをやっていられるのです。
サッカーをしてもいいし、ギターを弾いてもいい。ダンスの練習をやってもいいし、キッチンでケーキを焼いてもいい。勉強は? やりたければもちろん勉強することもできます。でも、誰も強制はされません。当時まだテレビゲームはありませんでしたが、ゲームを一日中やっていても誰にも文句はいわれません。
1997年にNHK ETV特集「世界一素敵な学校 サドベリー・バレー物語」で紹介されるやいなや、この学校は教育関係者の間でたちまち話題になりました。授業がない? 先生がいない? そんな教育が成立するのか? 従来の学校教育にアンチテーゼを突きつけたサドベリーの取り組みは、驚きと戸惑いをもって受け入れられたのです。

世界一素敵な学校。

番組タイトルになった「世界一素敵な学校」というのは、スクールの創設者であるダニエル・グリーンバーグさんが書いた本の名前です。ダニエルさんの教育理念は、「子どもは学びたくなったときに、いちばんよく学ぶ」というもの。子どもには生まれながらに好奇心があり、本能的に自分で学びたくなる力を持っている。大人が教えたり、意図的に導いたりすることは、かえって子どもの学ぶ力を奪うことになると。だから、この学校では子どもに対して「教える」ということを一切しないのです。
また、ダニエルさんはこうも言っています。「子どもを退屈のプールにどっぷり浸けるのだ」と。「好きなことをやっていい」と言われて子どもが喜ぶのは初めのうちだけ。際限ない自由な環境に置かれると、しだいにやることがなくなって退屈し始めるというのです。そして、「自分は何がしたいのか」「何をすべきなのか」というテーマと向き合わざるをえなくなる。この「退屈のプール」の期間を経て、子どもは真の学びに目覚めていくというのです。

日本のサドベリー教育。

「授業がない、先生がいない」というこの学校の取り組みは、「サドベリー教育」として、ボストンからアメリカ全土へ、そして世界の国々へと広がっていきました。日本も例外ではなく、NHKの放送があった翌年の1998年に、兵庫県に「デモクラティックスクール まっくろくろすけ」が誕生します。その後、北は北海道から南は沖縄まで、今では10校ほどの「サドベリー教育」を取り入れた学校が立ち上がり、運営されています。
といっても、「日本サドベリー協会」のようなものがあるわけではなく、個々のスクールは完全に独立して、それぞれ独自の個性的なスクールづくりを行っています。同じ「サドベリー教育」でも、スクールの雰囲気からルールまでまったく違うのです。なぜなら、サドベリータイプの学校にはもう一つ大きな特徴があって、「自分たちの学校は自分たちで作る」という理念に基づいているからです。個々のスクールは、そこに集まる人が作るコミュニティによって運営されています。このような民主的な形態を持つ学校は「デモクラティックスクール」と呼ばれ、サドベリースクールはデモクラティックスクールの一部として位置づけられています。

生きる力が身に付く。

サドベリー教育の根本には「人間は教えなくても育つ」という考えがあります。それは逆に「教えることによって育つ力が奪われる」と言い換えることもできます。今の学校教育では、国語や算数などの教科はもとより、体育や図工、音楽まで、手取り足取りしながら子どもに教え込もうとします。でも、本来、人は学びたいと思わなければ学びません。無理やり勉強させるのは、食べたくない人に無理に物を食べさせることに似ています。
サドベリー教育の学校では、子どもに読み書きを教えません。でも、不思議なことに自然と読み書きは身に付いてきます。なぜなら、放っておいても子どもは文字を読みたくなるからです。「ねぇ、この本には何が書いてあるの?」「この字はなんて読むの?」そんな素朴な疑問から、文字や文章を学びたくなるのです。この「学びたくなる力」こそが、将来の「生きる力」に結びついていくのです。

さて、しかし、好きなことだけをやっていて、人間は本当に育つのかという疑問がここで生じます。甘やかしてばかりだとロクな人間にならないのではないか。大人になるためには、ある程度は嫌なこともやる必要があるのではないか。
ところが、完全に自由な環境に身を置いてみると、こういった心配が杞憂であることがわかります。「自由」と「甘やかし」はまったく別のものなのです。
次回は、サドベリー教育における「自由の厳しさ」について書いてみたいと思います。

(イラスト:中田晢夫)

  • プロフィール くらしの良品研究所スタッフ。17歳の子どもの父親。一般財団法人東京サドベリースクール評議員。

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