各国・各地で「千葉・鴨川 ─里山という「いのちの彫刻」─」
棚田の村へ入ると、まるで時計の針を戻していくように過去へとタイムトラベルしていきます。しかし、ここでの暮らしから見えるのは、過去を突き抜けた「未来の風景」です。

現代文明のサンクチュアリ

2015年09月30日

今年の秋は台風や長雨などの影響で、なかなか田んぼの水が抜けず、稲刈りは大変苦労しました。まるで田植えが出来るほどぬかるんだ田んぼもあり、重粘土質の土状に足を取られる中での稲刈りは、移住して16年目になりますが、はじめてのことです。

大型台風やゲリラ豪雨など温暖化による気候変動の影響は世界中で益々増え、村人たちもここ最近の天候の変化に驚いています。

しかし、棚田でドロンコになりながらも、こんなに大変な農作業も大勢の人たちと一緒にやると効率は上がり、なぜか楽しくこなせるから不思議です。

足場が悪いので稲刈りは思うように進まず2枚の棚田を残してしまいましたが、人が集まり協力して共に何かを成し遂げることは、本当にスゴイことだと毎回感動します。

棚田トラストに来る参加者のみなさんが楽しみにしている一つに、里山でいただくおいしい昼食があります。今回は鴨川在住の半農半フリーライターであり、料理上手な下郷さとみさんにお願いしました。
以前、「この星の反対側から来た人々」でもレポートしましたが、さとみさんは去年ブラジルのアマゾンの先住民カヤポ族の大長老ラオーニを日本へ連れてきて、アマゾンで大規模な森林破壊が起きている惨状を伝えてくれた方です。

ランチのメニューは、イナダのコリアン風ヅケ、骨まで柔らかサンマの梅干煮、ラタトゥイユ、豆と野菜のブラジル風サラダ、ジャガイモ炒めアンチョビ風味、トウモロコシのかき揚げ、イナダのアラ汁、さとみさんが棚田で育てたお米のごはんと食材のほとんどは地元産にこだわり、さらに調味料の味噌、醤油、豆板醤、アンチョビまでもさとみさんの自家製です。

さとみさんがローカルにこだわるのは、アマゾンの資源を先進国や急速に経済発展する新興国へ輸出するため、地球の肺と言われるアマゾンの広大な原生林が乱開発され、先住民の人権は全く無視されているという現代文明の闇を、この目で見てきたからです。
現代文明を支えるために、地球上のいたる所で暮らしを破壊され犠牲になっている人々を見つめてきた彼女だからこそ、地元の食材を大切につかった料理をつくってくれました。
さとみさんのおいしい「房総の海の幸と夏野菜の彩りランチ」を噛みしめると、現代文明を乗り越えたいという切なる願いが込められているように感じました。

コミュニティ

機械化される前のお米づくりは、家族や隣近所を含め村人全員が共同で行っていました。必然的にそうしなければ出来なかったのでしょうが、その頃のコミュニティはとても一体感があったと、長老たちから聞いています。

人は1人では、この世界を生きることは出来ません。
1人でも生きていけると勘違いしてしまうのは、命と分断されている現代社会の幻想です。
お金さえ払えば食べ物とエネルギー等々、生存に必要なモノは何でも手に入るので、僕もかつて若い頃はそう錯覚していました。
しかし、そのシステムが如何にもろいかを、311を経験した現代人は思い知らされました。実際は、自然界の恩恵と多くの人々に支えられて、僕らの暮らしは成り立っています。

人類誕生から現在まで、人はコミュニティで生きて来ました。
コミュニティとは社会の最小単位であり、そのコミュニティの集合体が、社会全体を形作っています。

日本の原点

「今から140年前の明治元年、3000万人余の日本人の9割は村に住んでいた。村の平均規模は戸数60〜70戸、人口370人前後。そんな村が明治21年にはなんと7万1314もあった。いわば近代日本は小さな村の集まりから始まった。」

(結城登美雄の「地元学からの出発」/ 2008 THE JOURNALより)

その7万の村の集合体が日本という国の真の姿でした。
この村という単位が、この列島における稲作を中心としたコミュニティの最適なサイズであり、そしてその村の暮らしにこそ、文化、手仕事、技術、自治、祭り、信仰、精神、遊び、美意識など、自然と共生してきた「日本の原点」があります。

現在、農業が機械化されたことにより共同作業はなくなり、便利で楽になった反面、コミュニティの共同性は薄れてしまったと、長老たちはなげいています。
しかし、街で育った僕にとって、里山にはまだ充分にコミュニティの共同性や「日本の原点」は残っており、それが僕にとって里山に暮らす魅力にもなっています。
個人主義が進み、急速に都市化する社会状況の中でも、人は時代と状況にあったコミュニティをつくっていくことでしょう。
そして、鴨川の里山には田舎と都会の空間を超え、価値を共有した新しいコミュニティが生まれています。

命をつかむ

ずっしりと実った稲わらを、刈り取っていく作業は、お米づくりのクライマックスです。

冬の間に去年の台風で崩れてしまった棚田を直し、雨の少ない春に苦労して天水棚田に水を溜め、その間に苗を育て、苗が大きく育った5月に多くのみなさんと田植えを行いました。その後、夏の暑い盛りに法面の草刈りや水の管理、田の草とりを2回行い、我が子のように大切に育てた稲は、やがて可憐な白い花を咲かせ、稲穂がふくらんだ実りの秋にやっと稲刈りを迎えます。

稲株が約3株で茶碗1杯分になり、大人1人が1日に3食ごはんを食べるとして、その1日分のお米を収穫するためには、田んぼによって異なりますが新聞紙1枚分の田んぼが必要だと言われています。
そう考えると、稲穂がたわわに実った黄金色の田んぼは、僕と家族の命をこれから1年間養ってくれる「命の証(いのちのあかし)」であり、畏敬の念を抱かずにはいられません。
だから、一株一株の稲を自分の手でしっかりとつかみ、ザックザックと刈り取ることは、そのまま"自分の命をつかみとること"なのだと感じるのです。

ほんとうの安全保障

"最後の木が切られたとき、
最後の川が毒されたとき、
最後の魚が釣られたとき、
ようやくあなたは、お金が食べられないことを悟るだろう"

(アメリカ先住民のことわざ)

"どんなに沢山のお金があろうとも、
世界一の億万長者になろうとも、
どんなに強力な武器があろうとも、
世界最大の軍を持とうとも、
心の底からやすらぎを手に入れることはできないだろう"

日本は今、エネルギーのほぼ100%、食糧の60%を輸入に頼り、格差が広がり6人に1人が貧困となり、そして戦争の足音が聞こえてきた、とても不安な時代を迎えています。
しかし、ここ里山には、安全な食べ物が手に入り、水と空気と大地と森があり、まわりには助けてくれる家族、友人、コミュニティがあり、子供を安心して産み育てられる自然豊かな環境があります。

「国破れて山河あり」、これこそが「ほんとうの安全保障」なのだと思います。

「自分の手で自分の命を守る」ことが出来る里山の暮らしは、心の底からやすらぎを与えてくれます。
僕が都会の人を多く里山へ招くのは、この「ゆるぎない安心感」を共有したいからかもしれません。
この「ゆるぎない安心感」を与えてくれる里山とは、混迷の時代を生きる誰にとっても「心のふるさと」であり、「現代文明のサンクチュアリ」なのではないでしょうか。

Photo by Hirono Masuda

  • プロフィール 林良樹
    千葉・鴨川の里山に暮らし、「美しい村が美しい地球を創る」をテーマに、釜沼北棚田オーナー制、無印良品 鴨川里山トラスト、釜沼木炭生産組合、地域通貨あわマネーなど、人と自然、都会と田舎をつなぐ多様な活動を行っています。
    NPO法人うず 理事長

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