MUJIキャラバン

発祥の地の醤油

2013年03月01日

各地で見てきた「同じようで違うもの」の一つ、お醤油。
これまでもいくつかの場所で醤油蔵を訪れてきましたが、
そんなお醤油の発祥の地が、和歌山県の湯浅町にありました。

鎌倉時代に、禅僧・覚心(かくしん)が中国から
「金山寺味噌」の製法を持ち帰り、味噌づくりを開始。

金山寺味噌は調味料ではなく、おかずや酒の肴としてそのまま食べる味噌で、
瓜、茄子、しそ、しょうがなどを刻んで仕込みます。
この醸造過程で野菜の水分が桶の上に溜まり、
それを使ってみたらとてもおいしいことが分かり、
調味料として改良したのが醤油の起源といわれています。

現在、醤油の四大産地とされる、野田(千葉県)、銚子(千葉県)、
龍野(兵庫県)及び小豆島(香川県)には
いずれも湯浅からその製造技術が伝わったんだとか。

最盛期には湯浅町の醤油メーカーは92軒あったそうですが、
今も残るのは4軒で、さらに原料から醸造しているのは2軒のみ。

「醤油は熟成期間が長いので、お金になるまでに時間がかかる。
それもあって醤油メーカーが減少し、うちも父の代で醤油づくりを縮小しました」

そう話すのは、明治14年創業の丸新本家の5代目で、
現在「湯浅醤油」の代表取締役社長も務める、新古敏朗さん。

新古さんは、高校卒業後に大阪の学校に進学し、
そこで自分の故郷が醤油の発祥の地であることを初めて知り、
「醤油の伝統を絶やしたくない」「本物の醤油を世界に広めるべきだ」
という想いを胸に、周囲の反対を押し切って、
新たに2002年に醤油メーカー「湯浅醤油」を立ち上げました。

平均120年前の吉野杉の樽で作られる醤油は、
すべて国産の原料にこだわり、最低2.5年以上熟成させたものです。

「もろみは生き物なので、杉樽じゃないと呼吸ができないんですよ。
ただし、樽を作れる職人は現在では全国に2人しか残っていない」

蔵のご案内をしていただいた、林一郎さんが教えてくださいました。

「原料の違いでこんなにも味が違うというのが分かります。
ぜひ試してみてください」

そういわれて一つひとつ試してみると…

表現が難しいのですが、口に含んだ瞬間にその違いは明らか。
どれもとてもスッキリとしていて、透き通るような味わいです。
そして、それぞれにストーリーがあるのです。

なかでも、こちらの「魯山人(ろさんじん)」と呼ばれる醤油は、
芸術家で美食家としても知られていた北大路魯山人が、
病床に持ち込んでいた手づくりの醤油差しに合うような、
"今の便利さを一切用いず、その昔あったような醤油"をコンセプトに、
「魯山人倶楽部」と共同開発したもの。

主原料の大豆と小麦は、
無農薬・無肥料の自然農法で栽培した北海道の折笠農場のものを使用しています。
ちなみに、折笠農場の折笠健さんは、
青森のりんご農家で難しいとされる自然農法を成功させた、
業界内では知らない人がいない「奇跡のりんご」木村秋則さんの一番弟子だそう。

「魯山人の名に恥じないような"奇跡の醤油"ができたと思います」

ほかにも、新古さんは伝統を守りながらも、カレー専用の「カレー醤油」や、
まぐろのトロをおいしく食べるためだけに「トロ醤油」を開発する一方で、
「子どもたちに体験を通して湯浅の伝統産業を伝えていきたい」
と、8年前から地元の小学生に醤油づくりの授業を行っています。

驚いたのが、小学生は醤油づくりだけでなく、
大豆づくりや麹づくりをも体験するというのです。

その理由を新古さんは次のように語ります。

「原料から作る大変さを知ってほしい。
子どもらに失敗しながらの成功を知ってほしい」

農業指導は、農家の三ツ橋さんが担当。
自身の息子には農業をさせなかったことを反省し、
子どもに農業のよさを伝えたいと、新古さんと共鳴したそう。

子どもたちの醤油づくり体験は、
地域の伝統産業を未来の担い手に伝えると同時に、
学校が地域の人々と結びつくキッカケにもなっています。

「日本には大事なものがたくさん残っている。
もっと日本の伝統文化に目を向けてほしいと思ってやっています」

小学生と一緒に作ったマイ醤油をうれしそうに眺めながら、
その想いを話してくださった、新古さん。

醤油発祥の地・湯浅町では、伝統の味とその味を守り続ける担い手が
確実に育っていっているのだと思います。

  • プロフィール MUJIキャラバン隊
    長谷川浩史・梨紗
    世界一周の旅をした経験をもつ夫婦が、今度は日本一周の旅に出ました。
    www.cool-boom.jp
    kurashisa.co.jp

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