研究テーマ

シンプルな食事

「今夜のおかず、もう決めた?」──夕方近くになると、親しい主婦の間で、よく交わされる会話です。料理を作ることの大変さもそうですが、多くの人が頭を悩ませるのは、日々の献立。それというのも、いろいろなおかずを食べることが豊かな食事であり、健康にもよいとされているからです。ところが、毎日食べるものはもっとシンプルでいい、と言う人がいます。現代人の「食の常識」をくつがえすような言葉には、どんな意味があるのでしょう?

一汁一菜のすすめ

料理研究家として有名な土井善晴さんの著書、『一汁一菜でよいという提案』が注目を集めています。料理研究家の本といえば、おいしそうな料理が彩り鮮やかに並ぶのが常ですが、ここですすめているのは、地味な「一汁一菜」。「ご飯、味噌汁、漬物を原点とする食事の型」です。しかも味噌汁を具だくさんにすればお椀の中に一菜(おかず)があるので、ご飯と味噌汁だけでいいというもの。
「え、これでいいの?」と思ってしまいますが、日々の家庭料理は「それでいい」と土井さん。「これなら、どんなに忙しくても作れる」から、料理を歯磨きや入浴のように毎日繰り返す日常の仕事の一つにできる、そのことに意味があるといいます。

持続可能な家庭料理に

主菜(メインディッシュ)に2種の副菜をつける「一汁三菜」が、理想的な食事。そんなふうに教え込まれてきた私たちは、毎日の食事をその理想に近づけようと頑張ってきました。そうでなければ手抜きしたような気がして、できあいのお惣菜をプラスしたり、加工食品を使って他の食材と混ぜ合わせたり、手を替え品を替えて「工夫」している人は多いことでしょう。でも土井さんの目には、「そちらのほうが手抜き料理に見える」とか。家庭料理でいうところの「工夫」とは「おじいちゃんが食べやすいようにもう少しごぼうを柔らかく煮よう」とか、「残ったものを、あとで食べる子どものために小さな器に盛りかえてあげよう」といった「ちょっとしたことでいい」と続けます。必要以上の手間をかけないことで、「持続可能な」家庭料理になるというわけです。

自由な味噌汁

具だくさんでおかずを兼ねるという味噌汁には、どんな具が入っているのでしょう? 土井さんがふだん食べているという味噌汁の写真を見ると、ベーコンやハム、肉類、トマト、きゅうり、豆など、いわゆる「味噌汁の常識」を超えたさまざまな具が入っています。パンを浮かべてもいいし、前日の鶏の唐揚げを野菜と煮込んでもいいとか。この自由さは、味噌汁というより「ミソスープ」と呼びたい感じですね。
そしてもう一つのポイントは、「わざわざだしを取らなくてもいい」ということ。水に具を入れて火にかけ、具の持っているうま味が煮汁に溶け出したら、それが「だし」。また、湯に味噌を溶けば味噌汁になる、という単純な事実も思い出させてくれます。だしがなくても、時間がなくても何とかなるのは、味噌という発酵食品がもつ力なのでしょう。

ハレとケの食事

そもそも日本の暮らしには、「ハレ(特別な日)」と「ケ(日常)」のけじめがありました。特別な日である「ハレ」の日には、神さまに供えるために手間ひまかけたご馳走をつくり、神人共食として、そのお下がりをいただく。一方、ケの食事は普段の食事です。「多くの人が、ハレの価値観をケの食卓に持ち込み、お料理とは、テレビの食番組で紹介されるようなものでなければいけないと思い込んで、毎日の献立に悩んでいる」と土井さん。
ちなみに、西洋の栄養学が輸入される以前の日本には、主菜・副菜を区別する習慣はなくて、すべてが「ご飯のおかず」であり、和食の伝統的なスタイルは、ご飯・味噌汁・漬物だったといいます。

ふだんは、ふつうに

感激するほどおいしくはないけど、もちろん、まずくもない。ご飯や味噌汁は、「普通においしい」食べものです。でも、「家庭料理は毎日」であり「目的は自分と家族の健康」だから、「普通においしければ、まずはそれでよい」と土井さんは言います。「普通のおいしさとは暮らしの安心につながる静かな味」であり、「家庭にあるべきおいしいものは、穏やかで地味なものがいい」とも。
そして、「ご飯や味噌汁をおいしいと感じて受け入れるのは、私たちの身体」であり、身体は「おいしさ以上の何か、心地よさを感じている」と言います。「一口食べるなり反射的においしい!と感じる」のは、「舌先と直結した脳が喜んでいる」ことで、「脳が喜ぶおいしさと、身体全体が喜ぶおいしさは別」。心身が充たされ、癒される滋味だからこそ、「命の糧(かて)」になり得るのかもしれませんね。

「手の込んだ料理をしてこなかったことに対する申し訳なさが自信に変わった」「一汁一菜を始めたら、もっと料理を作りたくなった」…『一汁一菜でよいという提案』のカスタマーレビューに書かれた感想です。シンプルなケの食事を基本形にすることで、気持ちにも時間にも余裕が生まれたことがうかがえます。
「余裕のある日には、季節のおかずを作ってください。料理する幸せがわかるでしょう。食べる人の笑顔が見られます」…一汁一菜というシステムを通して土井さんが提案しているのは、生きることと料理することをセットにすること、心の置き場をつくることなのかもしれません。
みなさんは、こんなシンプルな食事をどう思われますか?

※参考図書:『一汁一菜でよいという提案』(土井善晴/グラフィック社)

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食品

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