研究テーマ

きっかけ食堂

京都市上京区に、毎月11日だけに開店する小さな食堂があります。11日は、5年前の3月11日に起きた東日本大震災の月命日。今なお避難生活を余儀なくされている人が17万8千人(※)もいる一方で、しだいに震災の記憶が風化しつつあるという現実の中、「東北のことを忘れないために」と三人の大学生が始めたお店です。

※ 復興庁まとめ(2016年1月14日現在)

東北を思う場

写真左から:原田さん・右近さん・橋本さん

店の名前は、「きっかけ食堂」。東北の食材を使った料理やお酒を提供し、その味を通して、東北や震災について考える「きっかけ」をつくりたいと、2014年5月に立命館大学の学生三人が立ち上げました。店を切り盛りするのは、原田奈実さん、右近華子さん、橋本崚さん。北野天満宮の南にある日替わり店長の店、「魔法にかかったロバ」の一日店長として、東日本大震災の月命日である毎月11日に開店しています。

きっかけ食堂のきっかけ

そもそもの始まりは、公益社団法人「助けあいジャパン」が企画した「きっかけバス」でした。47都道府県ごとにバスを仕立て、計2千人の学生たちが岩手・宮城・福島の3県を訪れた、ボランティアと学びの旅。その京都便の代表を務めたのが原田さんで、運営に加わっていたのが右近さん、橋本さんも同じバスに乗っていました。
このバスツアーの大きな特徴は、学生同士の対話を重視していたこと。夜のダイアログ(対話)の時間には、「お互いの違いを受け容れながら、等身大の自分を101%出す」というルールの下、一人ひとりが思いを発信し意見をぶつけ合いました。それは、ふだんの大学生活では味わえない密度の濃い時間。これを機に、三人の仲も急接近したといいます。

身の丈で出来ること

メンバーの一人、橋本さんにとって、このバスツアーは東北初体験。「行くまではどこか他人事だった」といいますが、畑の小さな瓦礫を撤去する作業で、その中から茶碗のかけらや子どもの玩具などが出てきたのを見て、日常の暮らしが一気に崩壊したのを実感し、震災を風化させてはいけないと強く感じました。
しかし、日常に戻って1~2ヵ月もたつと次第に意識は薄れていくもの。原田さんと右近さんも、自分たちの中で震災のことが風化しつつあるのを感じていました。そもそも「きっかけバス」の目的は、ボランティアと並行して「旅で学んだことをそれぞれの生活の場に持ち帰り、生かす」ことだったはず。参加しただけで終わりではありません。
小さくても、地味でも、毎日は難しくても、自分たちの身の丈に合った活動を心地よい人たちと一緒にやり続けることはできないだろうか? あの時のダイアログの時間のように、日常の中で東北のことを考える「場」をつくることはできないだろうか?三人のそんな思いを実現させたのが「きっかけ食堂」だったのです。

食でつながる

南三陸、石巻、気仙沼、南相馬、大船渡…きっかけ食堂では毎月、特定の地域を決めて、そこから魚介類や野菜などを仕入れます。ルートは、これまで出会った人やその知り合いなど、人のつながりを通じて。そうすることで、生産地の人には京都から東北への思いが伝わり、お客さんには「あのときのホタテを食べに行こう」と東北に足を運ぶきっかけになるのではないかと思うからです。
食材が届くと、自分たちの手で料理します。これまで料理の経験はほとんどなかったという三人ですが、産地の人に「カブやネギはそのまま焼いた方がおいしいよ」と教えてもらったり、レシピを調べたり。「ここで毎月やっているうちに上手になっちゃいました」という橋本さんは、気仙沼の魚屋さんから秋刀魚のおろし方を教わり、今では刺身も作れる腕前になりました。「素材がいいから、下手に手を加えないほうがよほどおいしい」と笑うように、東北の食材の圧倒的なおいしさも、三人の活動をサポートしてくれているようです。

話のきっかけ

毎時11分からは「きっかけタイム」と呼ばれるフリートークの時間です。配られた紙に各自で3つのトークテーマを書き込みますが、そのうち一つは東北関連のものにするのがお約束。そのカードをきっかけに、あちこちで話が弾みます。カウンターに並ぶ東北の地酒の中から自分のお気に入り銘柄を語る人、ボランティア活動のチラシを配る人、無職になった理由を語りはじめる人などなど。熊本からやって来たという男性は、「震災に対して気持ちはあるが、東北は遠くて、何もできないまま今日まで来た。しかしテレビで観て、こんなおっさんでも何か出来ることがあるのではないかと思い、それを探るために来てみた」と話していました。
その日の食材を提供してくれた農家の人や漁師さんに電話をして、店に来たお客さんと話してもらうこともあります。最初のうちは電話口に出るのをためらっていたお客さんも、いつの間にか「おいしいですね」「今度、行きます」と盛り上がっていくのだとか。「たとえばテレビで大船渡を観たとき"あ、あの漁師さんのいるところだ"というふうに、東北を身近に感じてもらえるようになれば。そして、"行きたい、行こう"となって一人でも多くの人が東北に足を運んでくれれば、それが私たちのできるお手伝い」と三人は語ります。

きっかけ食堂にはさまざまな人が訪れますが、中には11日を「きっかけ食堂の日」として何か月も先まで手帳に書き込んでいる常連さんもあるといいます。復興支援の基本は「忘れない」こと。忘れないための「きっかけ」をたくさんつくっていきたいという三人の思いは、人々の中に静かに滲みわたっているようです。

3月11日、みなさんはどんな思いで過ごされますか?

研究テーマ
食品

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