研究テーマ

初夏の秋、麦秋。

あたりがみずみずしい若葉の色に染まる初夏、秋を迎える穀物があります。それは、収穫をひかえて黄金に色づく麦。「麦秋(ばくしゅう、むぎのあき)」とは麦を刈り入れる季節のことですが、映画ファンなら、小津安二郎監督の同名の映画を思い起こされる方も多いでしょう。そのラストシーンも、一面に広がる麦畑でした。

一年に四つの秋

「秋」というと、私たちは四季の中のひとつの季節(9月~11月)を思い浮かべますが、その字源は、禾(か)と龜(き)と火(灬)とを組み合わせた形。禾は「いね、穀物」、龜の部分は「いなごなどの虫の形」で、穀物を食べてしまう虫を火で焼き殺して豊作を祈る儀礼を示し、そこから「みのり」の意味になったといいます(『常用字解』白川静)。つまり、「秋」とは収穫の時期を指す言葉で、初夏を「麦の秋」、晩春を「竹の秋」と呼ぶのも、こうした考え方に基づくもの。一年には四秋(ししゅう)があって、穀物の種類によって「春の秋」も「夏の秋」も「冬の秋」もあり、中でも収穫する穀物の種類が最も多いのが「秋の秋」なのです。

米を支える麦

麦といえば、いまではパンやお菓子、パスタなどを思い浮かべますが、かつては米の不足を補う重要な主食でした。お米だけの白いご飯を食べられるのは晴れの日のみで、普段の食事では米に大麦を加えた麦飯(むぎめし)があたり前という時代が長く続いたのです。
米の裏作として麦を育てる「二毛作」では、稲作が終わった後の田んぼに麦を播き、麦を収穫してから田植えが始まります。前年の秋に収穫した米の蓄えがだんだん心細くなってくるころの、麦の刈り入れ。梅雨入りも迫った束の間の乾燥期に行われるそれは、農家にとって大変な時期であると同時に、活気にあふれ、収穫の喜びにも満たされていたことでしょう。「麦の秋」は、おそらく、人々のそんな思い入れが籠められた言葉。そして、カッコウやツツドリ、ヒバリ、ヨシキリなどの鳥やハルゼミ(春蝉)などを「麦熟らし(むぎうらし)」と呼ぶのも、麦の実りを待つ心のあらわれなのでしょう。

麦踏みと麦ほめ

麦は世界でもっとも生産量の多い穀物ですが、早春に出てきた芽を踏みつける「麦踏み」は、日本独特の作業といわれます。これは、霜柱が根や株を持ち上げて「凍霜害」になるのを防ぎ、耐寒性をつけて根の張りをよくするため。麦踏みをしない足腰の弱い茎は実を結んだときに折れやすく、麦踏みをする日本の麦は、背は低いけれど茎が太く丈夫に育つのだそうです。
こうして鍛える一方では、「麦ほめ」「麦よし」という面白い風習も。中国・四国地方の山間部では、正月二十日に麦畑に出て「麦がようできました」とか「麦よし、麦よし」、「おおけえても、こもうても(大きくても小さくても)、ようできました」などと唱え、ほめる言霊(ことだま:言葉に宿っている不思議な霊威)によって豊作を予祝したといいます。
強い麦にするため、甘やかすことなく鍛えて、時にはほめる。麦作りが子育てにたとえられるのは、親心に通じるものがあるからかもしれません。

麦の栄養

国会答弁で「貧乏人は麦を食え」と発言して物議をかもしたのは、当時(1950年)の蔵相だった池田勇人氏。実際は「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそったほうへ持って行きたい」という内容であり、池田氏自身も麦ご飯を好んで食べていたようですが、差別的な発言として大きく取り上げられることになりました。麦はそれほど庶民的な食べ物であり、当時の日本人にとって、米を食べることは豊かさの象徴だったのでしょう。
それだけに、米に比べて麦はどこか軽く見られがちですが、決して栄養的に劣っているわけではありません。麦ご飯を好んで食べていたという徳川家康が健康的だったことは、よく知られている話。また明治時代には、ビタミンの父と言われる海軍軍医の高木兼寛が、長い航海中の乗組員の食事に麦ご飯を導入し、当時恐れられていたビタミンB1欠乏による病気、脚気(かっけ)の予防に成功しました。
そして、最近特に注目を集めているのは、食物繊維の含有量。大麦は精白米の約20倍、サツマイモの4倍にもなる食物繊維を含んでいて、生活習慣病を予防したり、お通じをよくしたりする効果があるといわれます。

戦後の日本では100万トン程度食べられていた大麦ですが、現在は2万トン程度に減少しているとか。「麦秋」という言葉にふさわしい麦畑を目にすることが少なくなってきたのも、そんなところに原因があるのかもしれません。
健康を意識しながら麦を食卓にのせ、時には黄金色の麦畑を想像してみてはいかがでしょう。
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