研究テーマ

旬の野菜 ─ポテトサラダのグリーン─

サラダの中でも、特に子どもから大人まで多くの人に好まれ、家庭のおかずの定番とも言われるポテトサラダ。その名の通りベースはポテトですが、そこに緑の野菜を加えるとしたら、みなさんはどんなものをイメージされますか?

冬でもキュウリ

多くの場合、ポテトサラダの副材に使われる緑の野菜はキュウリです。惣菜売場に並ぶ市販のポテトサラダにも、たいていはキュウリが入っています。冬のキュウリは値段が高いからでしょうか。市販のポテトサラダでは、冬になるとキュウリの量がかなり減って「申し訳」程度になっているものも多いようです。そうまでして、キュウリにこだわる理由は何でしょう? たしかに、つぶしたポテトの中にシャキシャキのキュウリの食感というのは捨てがたい魅力ではあります。でも、キュウリは夏野菜の代表選手。身体を冷やす成分も含まれるウリ科の野菜は、暑い夏には有効ですが、寒い季節にわざわざ選んで使うこともなさそうです。ポテトサラダ以外のサラダでは、季節ごとに出回る野菜を使うことの多い私たちですが、ことポテトサラダとなると、「緑はキュウリ」という固定観念から抜け出せないでいるかもしれません。

季節の野菜を使う

幼少時代に禅寺で修行したことがあり、料理上手として知られていた作家の水上勉さんに、春夏秋冬の食を綴った「土を喰う日々」というエッセイがあります。その中に出てくるポテトサラダは、じゃがいもをすり鉢ですりつぶして冷蔵庫に入れておき、来客のあったときにさまざまな野菜を加えて供するというもの。「胡瓜があれば胡瓜を、にんじんがあればにんじんを、大根があれば大根を、なんでもいいからゆでて短冊に切り、このすりじゃがいもにまぶして、マヨネーズをわきにたらして皿もりして出している」とあります。水上さんが暮らしていた土地は軽井沢でしたから、当然、冬場にキュウリなどありません。キュウリがなければ大根…この自由な発想には、目から鱗が落ちるようです。
ネット上で見つけたのは、「おばあちゃんのレシピ」と題したポテトサラダ。ポテトサラダコミュニティといった雰囲気のそのサイトではポテトサラダのレシピとランキングが毎日更新され、写真付きのレポートもたくさん投稿されています。おばあちゃんのレシピは「冬のポテトサラダはキャベツ入りで作る」というもので、もちろん、キュウリは使っていません。今のように冬のキュウリなどなかった時代、同じポテトサラダを作るにも素材を入れ替えるなどの工夫をしていたことがわかります。

そんな季節だねぇ

東京都中央区でレストラン専門の青果店を営む内田悟さんは、野菜の達人として知られ、「旬が第一」を信条に野菜の選び方や扱い方を伝える「やさい塾」を開講しています。
内田さんによると、どんな栽培方法であれ、唯一、野菜が育つのにふさわしい条件が自然に揃ってくる時期が「旬」。「露地栽培はもちろん、ハウス栽培されている野菜でも、自分たちの季節が巡ってきたことを、太陽の傾きや水の温度、大気や大地のふるえから感じとる」のだといいます(「内田悟のやさい塾─旬野菜の調理技のすべて─」メディアファクトリー)。そして、自力で無理なく生長した旬の野菜たちは、その野菜本来の味わいをしっかり宿しているのです。
その内田さんが理想とするのは、季節の巡りとともに旬の野菜が並ぶ食卓。それをいただきながら「ああ、そんな季節だねぇ」と家族で語らいながらとる食事を「幸せ」だと語ります。小さな幸せですが、こんなあたりまえの幸せを、私たちは日々味わっているでしょうか?
ちなみに、やさい塾では、冬場のポテトサラダに入れる野菜としてブロッコリーを薦めています。ブロッコリーは、色も鮮やかで、越冬してうまみを増す冬野菜。旬を尊ぶ内田さんならではの提案です。

自分にもっともふさわしい季節に育った旬の野菜たちは、生命力にあふれています。「旬」とは、単に時期を示すのではなく、そこに含まれるチカラや慈味までも表わす言葉なのです。私たち人間が食べるものは、みんな生きています。そして、食べるということは、その命をいただくこと。本来のチカラを宿した食べものをいただいてこそ、私たちの血肉にもなるでしょう。
日本は四季折々の食材に恵まれた国です。せっかくこんな国に暮らしていながら、わざわざ高いお金を出して季節外れの野菜を食べるのは、もったいない気がします。ちょっと意識して、日々の食卓にのせる野菜を旬のものに替えてみる。そして旬の野菜を楽しみながら、季節の移ろいを味わう。本当の意味での豊かな食生活とは、そんなところにあるのではないでしょうか。

みなさんのご感想をお聞かせください。

研究テーマ
食品

このテーマのコラム