研究テーマ

粒食

「お米がひと粒ひと粒、立っている」とは、ご飯のおいしさを表現するときの言葉。炊飯器メーカーも、その辺りでしのぎを削っているようです。ビーフンやフォーなど、同じお米でもそれを粉に挽いて食べる国も多い中、私たち日本人は、粒をそのまま味わうことにおいしさを感じる民族と言ってよいでしょう。

日本人は、粒食民族

穀物をそのままのかたちで煮炊きして食べることを、「粒食(つぶしょく・りゅうしょく)」と言います。これに対して、粉に挽いてから調理して食べるのが「粉食」。ヨーロッパやアメリカ、西アジアなどの小麦を主食とする国々は「粉食民族」で、東南アジアから東側は粒食と粉食とが混在する「粒粉食民族」。そして日本は、うどんや蕎麦などの粉食もあるものの、基本的には典型的な「粒食民族」と言われます。
では、なぜ日本人は粒食になったのでしょう?もともと日本には「陸稲(おかぼ)」という原始的な陸生(りくせい)米がありました。それを取ってきて水の多い「ぬた場」(猪や鹿など大型の獣が泥を浴びる場所)に植え、そのうちおいしいところだけを選んで生まれたお米が、現在のジャポニカ米だとか。水に恵まれた日本では、山裾から海岸近くまで水があり、水田での米づくりが可能だったのです。ジャポニカ米は粘り気があるので、おむすびにもお鮨にもできます。一方、東南アジアや韓国、中国の米は、インディカ米。ジャポニカ米とは違って、どちらかといえばパサパサしています。ふっくら、ねっとりしたお米のひと粒ひと粒を味わいながら、日本人は独自の粒食文化をつくりだしていったのかもしれません。

粒食と和食

和食は、視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚の五感で味わうものです。盛り付けや器の美しさはもちろん、素材の色やかたちという意味では、米粒ひと粒ひと粒の色ツヤまでも目で味わいます。季節の野菜や山菜、味噌や醤油の香りだけでなく、秋の新米の香りも楽しみます。また、パンや麺類、パスタなどの粉食に比べて、粒食はしっかり噛まなければなりません。噛むことで、歯ごたえや舌ざわり、口あたりといった感触を味わい、噛むに連れて変わる味の変化や噛んだときの音までも楽しみます。そして触覚は、手を使ってものを食べるときの感覚。器や箸の手ざわりはもちろん、おむすびやお鮨などは手で食べることで、その味わいも深まります。五感を総動員して味わうこうした感覚は、粒食という食文化と無縁ではなさそうです。

粒に宿るチカラ

つぶ(粒)という言葉が「つぶら(円ら=丸くふくらかなこと)」を意味するように、粒とは「丸い玉」のこと。日本人は太古の昔から、丸い玉には霊が宿ると信じてきました。その原点は、お天道さまを崇拝する天道(太陽)信仰にあり、国旗の「日の丸」も太陽という丸い玉を「日出国(ひいずるくに)」の象徴として表わしたものと言われます。
丸い玉への畏敬の念は、食べ物にも向けられました。たとえば、おむすび。今では「おにぎり」とも呼びますが、本来は「むすび」という霊験あらたかな食べ物でした。ご飯のひと粒ひと粒を手でむすぶ(つなぎとめる)ことで丸く固め、むすび(産霊=霊妙な力を産むもの)にする。そして、それをいただくことによって、人間も生きる力を授かると考えられたのです。
小さな丸い玉である大豆にも、霊が宿ると考えられていました。超自然的な力のことを呪力(じゅりょく)と言いますが、大豆のひと粒ひと粒にも呪力があると信じられていたのです。それが神事祭事となって、今に受け継がれているのが節分の「豆まき」。「鬼は外」の呪文(じゅもん)とともに大豆をまき、大豆の呪力で鬼を追い払います。豆まきの後、自分の歳の数だけ大豆を食べるのも、大豆に宿る霊力によって一年間病気にならないと信じられていたから。粒食は、食文化だけでなく日本人の精神性にも大きく関わってきたのかもしれません。

日常の食事が洋風化されて、やわらかなもの、噛まずに済むものがもてはやされている昨今。私たちは、自分が粒食民族だということも忘れかけているのではないでしょうか? しかし、噛むことによって唾液の分泌が促され、その唾液の中の酵素が免疫力を高めてくれることは、よく知られています。その意味でも、粒食の伝統をもう一度見直す時期に来ているのかもしれません。

みなさんは、粒食について、どう思われますか?

研究テーマ
食品

このテーマのコラム