各国・各地で 風のしまたび

海の大河を越えて 東京都伊豆諸島の旅その3

2016年11月16日

青黒い色をした荒海の向こうから貨客船あおがしま丸が再び現れたのは、僕がこの島に降り立って以来、実に5日目のことだった。欠航や運休が重なって、ようやくやって来た船だっただけに喜びもひとしお。今日も依然として大きくうねる海面を蹴散らし徐々に近づいてくる力強い姿に、「道が開けた!」と思わずつぶやいてしまった。

途方もなく長く感じられた5日間だった。日本一小さな村の、さらに人の住まない内輪山で、たった一人のキャンプ生活だったから、息が詰まるような閉塞感と隣り合わせの日々だった。

風が狂ったように吹き荒れ、テントから出ることもままならない日もあった。風が落ち着いた頃、海の様子を見に港へ行ってみると、波止場は千波万波にさらされて、ただじっと耐えている。水平線の先には何も見えない。絶対的な孤島にいることをつくづく思い知らされた。

人とのつながりを求めて集落へ行こうにも、周りを囲む外輪山の山壁が立ちはだかって、おいそれと気軽には行くことができない。それに自転車で向かえばまた村人たちを動揺させてしまうかもしれない。色々考えるうちに足が重くなってしまい、二日に一度、水と食料を買いに行く時以外は森の中で時間が流れるのを過ごした。

目的もなく内輪山をさまよい、疲れた頃にテントに戻って、商店で買ってきた島名産の焼酎である青酎を二、三杯やって、眠くなったらそのまま昼寝をする。ほとんど世捨て人のような生活だったけれど、しかし本当にやることがないのだ。
明日は臨時便がやって来るかもしれない、そんな噂を聞きつけては運行の有無を知らせる毎朝7時の村内放送に耳を澄ますことぐらいがこの島での日課だった(そしてやはりそんなものはなくて、がっくりとうなだれては、不貞寝をしていた)。

そこが島であるかを分ける大きな境目は「外界から切り離された隔絶感や遊離感」があるかどうかだと僕は以前言ったけれど、この島のそれは外の世界に大きく晒されつつある現在でさえ、これまで訪れたどこの島よりも飛び抜けて強烈だった。

ただ、島での滞在中、外界との隔たりを感じるほどに、反対に少しずつ島社会へ馴染んでいったのは自分でも思いがけないことだった。
「おーい? ほら、これ持っていきなよ」
「作り過ぎちゃったから、よかったらどうぞ」
と、わざわざキャンプ場までやって来てサツマイモや名物であるトビウオのくさやをお裾分けしてくれた。村人とは日に数回、すれ違う程度の生活だったけれど、そこで交わす挨拶やちょっとした立ち話を重ねていくにつれて、当初は固く閉ざされていると思っていた島社会に食い込んでいく実感があった。実名で暮らす社会だからこそ、長くいる程にお互いの緊張がほぐれ、受け入れてもらえるようになっていくのかもしれない。たった一日だけ滞在したのでは見えてこない島が日に日に見えてくるのであった。

貰ったサツマイモや手持ちの食材は、ふれあいサウナ近くに設置してある地熱釜で調理した。地熱釜とは、大地から吹き出すひんぎゃの熱を利用した調理具で、蒸気を釜の中に閉じ込めて高温で蒸し上げる。これを利用すると、どんな食材でも完璧に調理できたし、お米だって炊けてしまう。地熱で炊き上げたお米は不思議なくらい甘くて美味しかった。

食材が蒸し上がるまでの間は、サウナの管理人のゲンさんがいつも僕の話し相手になってくれた。若い頃は仕事で様々な土地に行っていたというゲンさんの話は、スケールが大きくてユーモアがあって、とても興味をそそられた。
「パラオの海はよぉ、遠浅だから引き潮になると池ができて、そこに見たこともないでっかい魚が残るんさ。地元のやつらは誰も食べなかったけど、俺は食ったさぁ」
「小笠原では亀肉も食ったさぁ。ミンチにして混ぜないと臭くて食えたもんじゃなかったけどよぉ」
ゲンさんの口から次々に南洋の島々の名前が出てくることに、僕は意外な発見をしたような気持ちになった。これまでの島旅で南洋の島々のことを耳にすることはあっただろうか。多分、一度もなかったはずだ。
壱岐対馬は朝鮮半島へ、伊勢三河湾の島はレイラインで伊勢国へ、北海道は昆布ロードで沖縄・中国へと、茫洋と広がるように見える海であっても、明確につながる海の道がある。黒潮を越えた青ヶ島の先には南洋の島々へと続く道があるのかもしれない―――。絶海の孤島と思われた島に一縷の筋道を感じられたような気がした。

八丈島への道が開けたのは冒頭に書いたように、5日目のことだった。
ひたすら「本日は運休です」の一点張りだった朝の村内放送が「条件付き運行します」に変わると、島の空気はにわかに慌ただしくなった。コンテナを積んだトラックが何度も往来し、村人の運転する軽バンも何台も三宝港へ向かっていく。
以前は貨物船と客船が別々で運行されていた青ヶ島航路は、今はあおがしま丸一隻でやりくりされている。ヘリコプターで人の行き来は楽になったとはいえ、島の繁閑はこの一隻の船が来る来ないによって大きく左右される。船を待ち焦がれていたのは僕だけではないようだった。

この日も風が強く、条件付き運行ということで、船が現れてもまだ油断はならず、安堵のため息をつけたのは無事に船に乗り込んで、青ヶ島を出航した後だった。

再び黒潮に揉まれながら八丈島へと戻る。行きにも増して波が高く、メイン港の底土港には船が寄せられず、島の反対側の八重根港へと寄港した。
既に日も暮れた八重根港だったけれど、街灯が灯り、民家から明かりがこぼれているのを目にしただけで、とてつもない大都会に見えた。まだ本土に戻っていないにも関わらず、「帰ってきた」と安心している自分がいた。

島を横切る緩やかな坂道の頂上には、闇夜の中で煌々と輝くスーパーマーケットがあり、思わず吸い寄せられた。

目がくらみそうになるほどの物量の店内で惣菜パンを探し当て、それを外で頬張っていると、僕の自転車に興味を示したおばあさんが話しかけてきた。
「今し方、青ヶ島から戻ってきたところなんですよ」と僕が口にすると、おばあさんは「勇気を出して行きましたね」と言った。
最寄りの島の人間でさえ、そう話すのだ。
海の大河・黒潮が隔てる向こう側とこちら側の距離は圧倒的に遠い、と改めて思った。

(次週に続く。東京都伊豆諸島の旅は全4回を予定しています)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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