各国・各地で 風のしまたび

大和と琉球を結ぶ国道58号線 鹿児島県トカラ列島の旅その3

2017年02月15日

午前4時半頃、パラ…パラ…と微かにテントを叩く音で目を覚ました。ファスナーを開けて外に顔を出すと、まだ真っ暗な港には雨の気配が漂っていた。前日のそれよりももっと濃厚な湿気ったにおい。一気に来そうだ。
今日は朝のフェリーで次の島に渡る予定だったので、時間は少し早いがテントの撤収に取り掛かる。手早くテントを片付けて港の東屋に避難すると、同じタイミングで本格的に雨が中之島に降り出した。
ふぅぅ、間一髪。
しかし、雨の降り方が凄まじい。東屋は幅5メートル程度の屋根で覆われていたけれど、横からお構い無しで雨が入り込んでくる。並の台風を遥かに上回る雨脚。本土とは違う亜熱帯を感じさせる雨の降り方だった。

フェリーが運行されるかどうか、不安がよぎるが、フェリーは順調に口之島を出港して中之島を目指していることが村内放送で流れた。
ホッと胸を撫で下ろして、朝食のパンをかじっていると、続々と島民たちが集まりだしてきた。道ですれ違った人、温泉で一緒だった人、役場出張員の人…みんな見かけたことのある顔ばかりだ。Kさん家族もいた。Kさんたちは僕と同じ船で奄美大島の方に用事で出かけるそうだ。
午前7時。予定よりも一時間遅れでフェリーとしまが入港。闇と雨を蹴散らしてやってくる船灯がなんとも心強かった。

さて、3時間半ほど船に揺られ、次にやってきたのは悪石島だ。インパクトのある名前通り、島のファサードは迫力ある断崖が訪れる者を拒むようにそびえ立っている。集落はこの崖を登った先にある。防波堤で区切られた島の内海は緑がかった色をしていた。これは海の底から温泉の成分が湧いているからだそうだ。

この島の名前に聞き覚えがある人がいるかもしれない。悪石島は2009年7月に皆既日食が世界で最も長く見られる場所として、注目を浴びた。島の人口の数倍の観光客が突如としてやって来たにも関わらず、当日は暴風雨に見舞われ、皆既日食そのものを見ることができなかったというニュースを記憶している人もいるかもしれない。

港には中之島同様、島民の多くが集まっていて、フェリーの着岸を今か今かと待ちわびていた。この頃には雨脚も弱まっていて、沖合のすぐのところまで青い空が戻ってきていた。この島でも宿が取れずに、キャンプの予定だっただけに一安心。作業をしていた役場出張員のおじさんを見つけて来島の報告をする。
「あぁ、やっぱり来たのか。どこにテントを張ってもいいけど、午後4時まで出張所はやってるから、それまでに申し込み用紙を書きに来てくれよ」
ぶっきらぼうに言い放つおじさんは、いかにも僕のイメージする鹿児島男児っぽかった。かぶっていた作業用ヘルメットの額部分には悪石島の「悪」の文字が刻印されていて、無骨でかっこいい。

荷物の積み降ろしが終わったフェリーとしまが悪石島を離れる。船室からKさん家族が出てきて僕に大きく手を振ってくれた。
「また中之島に遊びに来てねー!」
「はい、必ず!」
旅人である僕が島に残って見送って、島の住人が僕に見送られる。いつもとは逆のあべこべな構図は不思議な感じがしたけれど、見送る側の気持ちも少しは分かったような気がして悪い気はしなかった。

フェリーが去り、作業を終えた島民たちも集落に戻ると港の賑わいはたちまち霧散し、閑散とした雰囲気を取り戻す。
そんな落ち着き払った空気の港の波止場に、異様な存在感を放つイラストが描かれている。片手に杖をつき、体全体にビロウ樹の葉をまとった仮面神ボゼ。流行りのゆるキャラというわけでもなく、この島に代々伝わる土着神である。

ボゼは毎年旧盆の最終日に現れ、集落を駆け回るという。ボゼマラと呼ばれる杖で女子供を追い回し、杖についた赤土をつけて回る。赤土には悪霊祓いの効果があるとされ、また杖は男根を模したものでもあるので、女性は子宝にも恵まれる。ひとしきり集落を回り、死霊を追い払ったボゼはテラと呼ばれる島の聖地に戻り、跡形もなく消える。そのため、ボゼ祭りは悪石島を代表する奇祭であっても旧盆の時期でなければ、島にボゼの影を見つけることは難しい。僕も結局、この島でボゼに関わるものを見かけたのはこのイラストが最初で最後だった。

港で自転車を組み立てた後は、まずは近くの海岸沿いにある湯泊公園にテントを張りに向かった。湯泊公園は無料のキャンプ場にもなっているのだ。

悪石島は、温泉の島でもある。その温泉の多くが湯泊公園周辺に集中している。海に面した露天風呂の湯泊温泉に、海中から熱泉が湧き、海水と混じり合う海中温泉、地熱で温められた砂に入浴する(それとも入砂?)砂蒸し温泉と、ロケーション抜群でバリエーションも豊富だ。ボゼは楽しめなくても、温泉は楽しむことができるだろう。そう思ってやって来た。

ところが冬場は露天風呂に温泉を引かないのか、湯泊温泉の湯船は空っぽだった。海中温泉は今朝の大雨のせいか海が荒れていて、危険そうだ。公園内にある砂蒸し風呂も、数日前から始まった護岸工事の資材置き場になっていて入り口が塞がれてしまっている。かろうじて入れそうなのが湯泊温泉の内風呂だけという有様だった。
「他の島に行った方がいいと思いますがねぇ」
数日前にキャンプの電話申請をしたときに出張員のおじさんが言っていたセリフが脳裏に浮かんだ。僕はせっかくなので、と無理を言ってキャンプの申請を通させてもらったのだけれど、なるほど、こういうことだったかと苦笑してしまった。

公園内は地面もぐちゃぐちゃにぬかるんでいて、頭上ではクレーン車が稼働中だったので、公園を少し出たところにある窪みにテントを張る。
要らない荷物はテントにデポして、軽量化して島を走り出すことにした。

断崖に囲まれた悪石島はお世辞にも自転車向きの島とは言えない。絶壁に沿って急登が延々と続いているのが見える。

「どんなアスリートでも、上まで押さないでこれる人はいないですよ」
たまたま通りがかった軽トラックの青年がそう言うので、かえって僕の負けず嫌い根性に火が灯り、押してたまるか! と立ち漕ぎをはさみながら一漕ぎ一漕ぎ上りすすめる。

12月だというのにびっしりと汗をかいて辿り着いた上集落の最初の建物が役場出張所だった。キャンプの申請用紙を記入しに中に入ると、出張所のおじさんは「自転車で登ってきたのか!?」と驚いていた。

するとおじさんは何やらダンボールをがさごそとあさり始めて、何か筒状に丸まったものを手渡してきた。写真家の石川直樹が撮り歩いたトカラ列島のカレンダーだった。
「さっきの船で届いたんだ。本当は島民にしか配ってないんだけど特別にやるよ」
なんで? どうしてカレンダーを?
その唐突さ加減に僕は一瞬戸惑ったけれど、有難く受け取ることにした。これはきっと坂を自転車で上ってきたことへのおじさんからの敢闘賞なのだろう。
ボゼ祭りの季節でもない、温泉も満喫できない、時期外れにやってきた悪石島だったけれど、こんな風に島民との触れ合いがあれば、この島も十分に楽しむことができそうだなと思った。

(次週に続く。鹿児島県トカラ列島の旅は全4回を予定しています)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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