各国・各地で 風のしまたび

バイクパッキングで巡る日本の北限 北海道最果ての島旅その4

2016年10月26日

結局のところ、利尻山の頂きを目にすることができたのはその日限りのことだった。
翌日はゆっくりと島の外周を走ったのだが、空を突き刺すようにそばだつ峰は再び鈍色の雲に閉ざされてしまっていた。環状路の道道108号線沿いある、海と山を一緒にカメラのフレームに収めることができる絶妙に突き出た岬や、北海道銘菓の白い恋人のパッケージに描かれているオタトマリ沼も、雲隠れした利尻山が背景となってしまっては形無しである。

淡々と島を一周し、鴛泊地区に戻ってきた僕は礼文島で送ったスーツケースが届いているはずの郵便局へと向かった。
今回は軽量ツーリングスタイルで走るバイクパッキングが一つのテーマだったので、スーツケースを牽くトレーラーと車輪は持ってきていない。だから、ここでスーツケースを受け取った時点で日本の北限を巡る自転車旅はおしまいである。ゴールが郵便局の前とは華がないというか締まらない気もするけれど、これはまぁ仕方がない。
それ以上に、離島から離島への郵送にも関わらず、送ったものが滞り無く届いている郵便局の配送システムには感動を覚えた。それでいて離島料金なんて面倒な追加料金も発生しないから、もし船や飛行機で高額な自転車料金がかかる場合は前もって局留めで送っておくこともできる。
郵便局をうまく活用すれば、日本の島旅はもっと広がっていくと思うし、こんな旅ができるのは世界を見渡してもこの国ぐらいなものじゃないだろうか。

さて、バイクパッキングの旅はここで終わりでも、最果ての島旅自体はまだ終わりではない。僕は札幌から稚内をJRの往復割引切符を使って移動してきたのだけれど、その切符の有効期限は6日間だった。今日が4日目なので明日は一日時間がある。眺めて駄目なら登ってみるべし、ということで僕は旅の締めくくりとして利尻山に登ることに決めた。

利尻山の登山ルートは3つあるが、そのうち2つは登山道の崩落が激しく、かなりの危険を伴うということで、登山者は専らこの鴛泊を起点とするルートを選ぶ。1721メートルの標高こそ、旭岳やトムラウシ山などの北海道本島の山々よりも低いけれど、島に浮かぶ単独峰なので当然、海抜に近いところからの登り始めとなる。
そうか、島の登山は山の標高がそのまま登らなくてはいけない高さになるのだな、と今更ながら気がついた。Sea to summit(海から山頂へ)の島の山旅。そんなシンプルさが潔くていい。

この日は登山口にも程近いキャンプ場にテントを張り、自転車をスーツケースにパッキングした後は、近くの温泉に行ったり、食料の買い出しをしたりして翌日に備えた。

翌朝5時に登山口へと向かうと、そこはまだ夜が明けて間もないにも関わらず意外なほどの登山者で賑わっていた。その後も宿からの送迎車が続々とやってきていたので登山道が混む前に出発。

鬱蒼とした森の中をひた歩くと、6合目手前あたりから視界が開けるようになってきたが、この日の空模様もどんよりとした曇りで、今しがた僕が歩いてきた山麓すらも停滞する雲で覆われてしまっていた。

1250メートル地点の鞍部にある避難小屋にやって来る頃には周囲は完全に雲に包まれ、やがてパラパラと雨粒が落ちてきた。こうも天気が悪いと眺望を楽しむこともできない。ならば雨に打たれてずぶ濡れになる前に登頂を果たしてしまおうと頭を切り替え、レインウェアを羽織った僕は一気にペースをあげた。

9合目を過ぎて頂上まであと少しというところで岩に腰を下ろして休憩を取った。岩の傍らには青紫色をした釣鐘状の花が小雨模様の最中、健気に咲いていた。
「綺麗な花やなぁ。お兄さん、この花の名前知ってますか?」
アクセントの強い大阪弁で声をかけられた。さっき追い抜いた僕と同世代ぐらいに見える男女二人組の男性の方だった。
「いやぁ、花の名前は疎くて。見るのは好きなんですけどね」
「はは、僕もです。花の名前が分かったら山登りももっと楽しいんやろうけどねぇ」
「じゃあ、これは『リシリノキレイナハナ』って名前にしておきましょう」
我ながら安直すぎる命名である。

そんなやり取りを見ていた女性が「あれっ」と思い出したかのように口を開いた。
「どこかで見たことがある気がするんですけど…。あっ、そうだ、自転車の人ですよね?」
どういうわけか彼女は僕のことを知っているようだったが、僕には思い当たる節がなかった。とはいえ、僕が「自転車の人」には間違いはないから、島を走っているときに車か何かですれ違った人だろうか。
「えぇっと、まぁ、そうです」
「やっぱり! 世界一周ブログで見たことあったんです」
なんとまぁ。彼女は僕が以前書いていた世界旅のブログの読者だったのだ。しかも丁寧に読んでいてくれていたようで「あの話は印象的でした」と、細かなエピソードまで覚えていてくれていた。
まさかこんな山の中で僕の世界旅を知っている人に出会うとは思ってもいなかったので、それはなんだかとても気恥ずかしくて、
「えっと、そんなこと書いてましたっけ? ははは…」
と、僕はつい話をはぐらかしてしまったのだけれど。

山頂へ至る最後の道のりは足場が崩れている箇所がいくつかあった。ちょうど一昨日の夕焼けで真っ赤に染まった岩肌はこのあたりである。風に煽られたり、雨で滑りやすくなった岩に足を取られたりでもしたら一巻の終わりなので慎重に足元を踏みしめて歩く。

登山口から三時間かけて登ってきた頂には小さな祠が祀られていた。利尻山の本来のピークはこれより先の南峰にあるが、道が崩落しているため、祠のある北峰を山頂と見なしている。

写真を撮っていると、間もなくさっきの二人組も登ってきて、「お茶でも飲みませんか?」と誘ってくれた。

男性のDさんが沸かしてくれた紅茶と、女性のSさんの手作りというフロランタンをお茶請けに話をしてみると、驚きの事実が次々に判明した。
唐突にSさんがタンデム自転車に乗る夫婦の旅人を知っていますか? と尋ねてきた。
僕はその夫婦に会ったことはなかったけれど、アメリカやヨーロッパにいた時に近くを走っていたようで、その噂は旅人を通じて伝わってきていたので存在は知っていた。それで、その夫婦がどうしたというのだろう? 友人なのだろうか?
「の、妹なんです」
えぇー! 驚いて素っ頓狂な声を上げてしまった。

さらには、僕がここに来る直前に札幌でお世話になった友人夫婦とも顔見知りだということも分かったのだからもはや開いた口が塞がらない。

旅行者のコミュニティは狭い。びっくりする程に狭い。だから旅中は思いがけない出会いや再会も数多く体験してきた。けれど、ここは日本の無数にある島のうちのたった一つの島であるし、特段、僕もSさんも北海道が地元のわけでもなくて、たまたま遊びにきただけだ。偶然にしてもちょっと出来過ぎじゃないだろうか。

大阪弁の男性Dさんもまた異色の経歴の持ち主だった。なんともう8年も日本を歩いて旅をしているそうだ。本土だけでなくこうして離島もつぶさに見て回っているという。
「こんな島まで来ちゃってるから、あと何年かかるか分からへんね」
言葉とは裏腹に、声のトーンはみなぎっていた。きっと素敵な旅をしているのだろう。

今回、北海道に遊びに来ていたSさんは、たまたまDさんが利尻島を旅していることを知り、彼を訪ねて島に遊びにきていたとのことだ。
ひょんなことをきっかけにここまで話が繋がっていくとは。
DさんがいなければSさんは利尻島までやってきていなかっただろうし、Dさんが僕に声を掛けなければSさんが僕に気付くことはなかっただろう。

「リシリノキレイナハナ」と勝手に命名した花は、後で調べてみると「イワギキョウ」という名前で一文字も当たっていなかった。しかし、イワギキョウが咲かせた会話の花は咲きも咲いたり乱れ咲きだったのである。

しばらくすると、山頂には続々と登山者がやってきた。その中には、この利尻山をもって日本百名山完全踏破というお爺さんもいて、ずいぶん盛り上がった。
「あめでとうございます!」
「私はこれで71座目ですよ」
「うちらは本当は十勝岳を登りに行ったんだけどね、今回の台風でダメになっちゃったでしょ? だから急遽こっち。タダじゃ帰れないもんね」
登山者一人ひとりがそれぞれのドラマを抱えてこの場に立っていた。

僕はこの時になってはたと気がついた。
礼文島のスコトン岬が日本の北限として僕のような旅行者を惹きつけていたように、最果ての島々に君臨する利尻山の頂点もまた果てなのだ。果ての果てと言ってもいいかもしれない。そんな場所だから数多くの"物語を持った"旅人を引き寄せているのだろう。
そう考えてみると、SさんやDさんに出会ったのも単なる偶然ではないように思える。日本の果てや外れに行ってみようという発想があるだけで僕らは大きな共通点を抱えているわけだから、実は様々な人の行き交う渋谷の交差点や道頓堀のような繁華街で出会う確率よりもずっと道理にかなっているのかもしれない。
この旅中、たびたび感じていた最果ての引力。
相変わらず眺望は効かない頂上だったけれど、この場所に漂うそれを僕は再びひしひしと感じていた。
果てを巡る旅は、そこに引き寄せられた旅人たちとの出会いもまた、大きな魅力なのだと思った。これだから旅は面白いんだよなぁ。

(次週からは伊豆諸島の旅をお送りいたします)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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