江戸時代に世界一周をした男を訪ねて ~宮城県 松島湾の旅 その1~
ターコイズブルーや群青の海、穏やかにさざめく波の音、あるいは寂寥とした断崖に佇む灯台。「島」から連想する情景は人それぞれにあることだろう。もしかしたら、ひどい船酔いにも関わらず脱出不可能な船内で、ただただ横になるしか出来ない時に低くうなる「ドドド
」というエンジン音が思い出される人もいるかもしれない。
まぁこれは僕のことだけれど。
しかし、海も波も灯台も、それに船酔いも、それらはあくまで「島」をイメージさせる数ある手掛かりの一つにしか過ぎないと思う。
じゃあ何が島を島たらしめているのだろうか。
そこが「島」であるかどうかを分ける大きな境目とは、「外界から切り離された遊離感や隔絶感」なのではないか。今では橋や埋め立てよって物理的にも大陸や本土と繋がる島も増えてきた。それによって生活様式や伝統、植生なども変わってしまい、島であって島でないようなところもあるだろう。
だからこそ、個人の感覚に依るとはいえ、あちら側とこちら側に分け隔てられているという感覚の有無が「島」という存在を際立たせるのではないか。
今回の島旅は、始めからそれを強く感じさせるものとなった。
宮城県の松島湾に浮かぶ浦戸諸島の寒風沢島に島旅の第一歩を定めることにした。江戸へ向かう廻米船の港として栄え、幕末には日本初の西洋式軍艦が建造された寒風沢島には、あれこれ歴史があるようだったが、僕が最も興味を惹かれたことは、この島が日本人で初めて世界一周を果たした津太夫という人物の出身だったことだ。それは本人が望んだわけではなくて、船の漂流により、図らずしも達成されたという一面があったが、僕自身も世界を旅してきたこともあり、これから日本の島々を旅する一歩目として、この島は興味深く思えた。近くには他の船乗りの出身の島もあるので、ここを起点に近隣の島々を巡りつつ、彼らの辿った歴史も紹介していきたいと思う。
もう既にゴールデンウィークが始まっていたこともあり、初日ぐらいは宿を予約しようと島に二軒ある民宿のうちの一軒に電話をかけた。
「はい、もしもし」
「外川屋さんですか?」
「はい、そうですよ」
「部屋の空きを教えてもらいたいのですが、明日は空いてますか? 大人一名です」
「あぁ、はいはい、空いてますよ。いつでもいいので来てくださいね」
ここでいきなりガチャンと電話が切られそうになった。
「あの!えっと、名前と電話番号お伝えした方がいいですよね?」
「あぁ、そういえばそうですねぇ。じゃあお願いします」
「伊藤篤史と申します。電話番号は090
」
「はいはい、伊藤さんね。お待ちしてますからいつでもどうぞ」
「
」
あまりにもアッサリと事が進み過ぎて調子の狂うやり取りであった。まるで商売じみた感じがしなくて、むしろ親戚の家に行く前の電話のようだ。たぶん電話番号なんてメモも取っていないだろう。連休なのに混んでいないのだろうか?
しばらくポカンとなった僕だったが、だが次第に気持ちが高揚し出した。
電話口から伝わってきた、こちらとは全く違う雰囲気や時間の流れ。
そう。島に行く前から、島が始まっていたのだった。
松島湾の玄関口、マリンゲート塩釜は大型連休が始まったこともあって、観光客で賑わっていた。桟橋に停泊する二隻の松島湾遊覧船。その奥に停まる一艘の船。僕の向かう浦戸諸島行きのものだ。船の単位が変わったのは二隻の船と比べて、あまりにも生活感のある小さな船だったからである。
定刻通りに船は出発し、大小の島々が沖合に浮かぶ松島の海を進んだ。僕を除いて地元民しか乗っていない船は、海苔養殖の竹棒が無数に浮かぶ海の花道を進み、桂島、野々島、もう一度桂島に寄って、寒風沢島へと到着。寒風沢島で下りたのは僕だけで、ほとんどは桂島と野々島で下りていた。
待合室でスーツケースを広げ、自転車を組み立てていると、おじいさんがやって来た。
「パンクがい?」
「あ、いや今これから自転車でこの島を走ろうと思ってるんです」
僕は内心、やっぱり自転車を持ってきてよかったと思った。世界旅でもそうだったが、自転車は外の人間を示す格好のアイコンになる。すると、自転車をきっかけに会話が生まれる。自転車は移動の手段のみならず、コミュニケーションのツールとしても有用だということを身に染みて感じていたからだ。車も存在しない小さな島にだって自転車ならば持ち込める。旅のツールとして言う事なしの存在なのである。
組み上がった自転車の後ろにスーツケースを取り付けると、おじいさんは「はぁぁ」と感嘆の声を漏らし、「便利だない」と言って静かに笑っていた。僕は「出だしは順調」と心の中でガッツポーズをした。
予約した民宿は桟橋の目の前にある。「いつでもどうぞ」と言われていたけれど、まだ12時という時間もあり、妙な遠慮が生まれてしまい、先に島を一周してからチェックインすることにした。
民宿の前には自動販売機があった。ここと、その先にあったもう一つの自動販売機だけが、スーパーも商店もない島に存在するたった二つの「消費社会」である。僕は自動販売機に背を向けて島を走り出した。
穏やかにたゆたう松島の海。その様子からは想像がつかないが、この島も2011年の震災で津波による被害を受けた。特に被害が酷かったのが桟橋から南の地域で、このあたりの建物は跡形もなく消え、瓦礫だけが高く積まれていた。アスファルトは剥がれ、捻じ曲げられたカーブミラーは海の方を向いている。
隅に西洋式軍艦「開成丸」造船を記念した古い石碑が立っていた。
すぐ裏手に日和山という小高い山があるので登ってみた。海に突き出たところに十二支方位石が置かれていた。その対面に縄で縛られたしばり地蔵が座っている。かつて港が栄えた頃には、この島には遊郭があって、遊女たちは船乗りたちの船出を止めるべく、地蔵に逆風祈願をしたと言われている。方位石とは本来、天候予測に使われるものだが、彼女たちはこの山に登る度、方位石の先の雲行きや風向きに一喜一憂し、荒天を地蔵に祈念していたのだろうか。眼下に見下ろす島は近年の面影すらなかったが、少しだけ往時に思いを馳せてみた。
草の生えた小径、森のにおいの濃厚な道を過ぎると、小さな神社があった。そこからは足元に砂浜を見下ろすことが出来た。
ここで島に来てから気になっていた一つの疑問が解けた。島に来てからというもの、ずっと「ゴゴゴ」という重低音が鳴り渡っていて、僕はそれを、近くを航行する船の音だと思っていた。だが、実際は砂浜で防潮堤を作る工事の音だということがこの場所に立って分かった。
手元の地図には「波静かで、のんびりと過ごせる砂浜」と書いてあったが、まるで面影はない。それにここは桟橋のあった場所とは反対側にあたる場所である。僕の知っている津波と言えば沖合から一方向に打ち寄せるものだ。しかし、360度すべてが海に囲まれる島では、全方位から津波が押し寄せる―――。その事を目の当たりにして戦慄が走った。
砂浜に沿って自転車を走らせると、田園地帯に出た。田園といっても海に面したところの大部分は暗い色をした土が一面にむき出しになっていた。塩害を受けた部分だろう。
近くで畑仕事をしているおばさんがいて、僕に話しかけてくれた。
「今はそういう自転車あんだなぃ」
やっぱり自転車が会話の入口になっている。
「そうなんですよ、船に乗るときはこのケースに仕舞えちゃうし、いいですよ」
おばさんとあれこれ少し世間話をした後、聞いてみた。
「あの、この辺りもやっぱり津波でやられちゃったんですか?」
「そうだっちゃ」
「じゃあ塩かぶっちゃったんですね」
「んだ。うぢの畑はあだらしい土持ってきてもらったんだっちゃ」
「そうですか
」
自分から訊ねておいて、二の句が継げなくなっていた。そんな僕を察したのか、おばさんは向かいの丘を指した。
「あそごの上がら見っと、綺麗だよぉ」
おばさんに教えてもらった方に僕は走り出した。こっちの方の田んぼは除塩が完了したのか、それとも地形に守られて塩害を免れたのか、問題はなさそうだ。あぜ道が一直線になっていて気持ちのよい道。
潤沢な農業用水があるわけではない寒風沢島の米作りは雨水だけで作られている。冬も田んぼの水は抜かずにそれを利用する。水面に反射する太陽がまぶしいくらいだ。至る所に防潮堤が作られ、景観が変わりつつある島に残された数少ない原風景。丘から見下ろす田園は美しかった。
そこから1kmほど行ったところが島の東外れだった。こんな島外れでも、作業員がせっせと島に津波対策を施している。
50m強ぐらいの対岸に宮古島が見える。この奥松島最大の島は後日訪れる予定なのだが、寒風沢島と宮古島には定期船がない。以前はあったようだが、今では、いったん塩釜に戻ってぐるりと松島湾を周らないと行けない島になっている。泳いでも渡れそうな鰐ヶ渕水道は海面がゆらゆらと揺れるだけで穏和そのものである。ここを津波が襲ったとはやっぱり信じ難かった。
そろそろいい時間だったので、宿に向かうことにした。一車線の細い道路では、工事車両とひっきりなしにすれ違う。右の浜も左の浜も護岸工事が行われている。
震災ではこの島の住人も3名亡くなったそうだ。今後の津波被害を無くす為にも対策は必要だろう。そう思う一方で人工的なものをズカズカと大量に作る胸のつかえのようなものも感じていた。この島での暮らしのためには仕方のないことかもしれないけれど、急速に昔からの景観が失われていく。愛着の持てる土地でなければ人はやってこない。通りすがりの僕が言う事ではないかもしれないが、長い目で見れば当座の生活のために、ここまでやる必要があるのだろうか。
僕が美しいと感じた、天水のみで作られる島の田園地帯のように、もっと上手に自然と付き合っていく方法はないものだろうか。しかし、その田園地帯も津波対策を施さなければ波のひとさらいで失われてしまう
。
答えのない問答を続けながら再び田園地帯を通りがかる。島には相変わらず工事の音が鳴り響いている。
(次週に続く。松島湾の旅は全四回を予定しています)