各国・各地で 風のしまたび

幻想自転車道でぐるりと一周 韓国済州島の旅その4

2016年09月28日

小さな入江に守られたハンドクビーチは波も穏やかで済州島のビーチでは一番好みだった。浅瀬が遠くまで続いているおかげで、エメラルドブルーの水面が一際目立つ。透明度はもちろん抜群で、海の中をちょこまかと泳ぐ魚影も容易く捉えることができる。

このビーチの駐車場に佇む赤い電話ボックスが済州幻想自転車道の最後のチェックポイントだ。

重たいガラス扉を開けて、熱気のこもる室内で手早くスタンプを押すと、ノートには10個のスタンプが出揃った。あとは最初のチェックポイントまで走れば幻想自転車道の走破と済州島一周を完走したことになる。

この日は7月最後の日曜日ということで、ゴールの済州市までの各ビーチはどこも海水浴客で溢れかえっていた。
通り過ぎてきた他のビーチでもそうだったけれど、韓国では肌を思い切り露出させて海に出ている人はほとんどいない。みんなラッシュガードの類を上に羽織っていたり、帽子をかぶっていたり、何らかの日焼け対策を必ずしている。中国では、貧しい労働者階級を連想させることから日焼けはあまり好まれない傾向があったけれど、恐らく韓国でも同じ理由なのだろう。来る前は、サマーベッドに寝転んで日光浴をしているスタイル抜群の韓流美女を楽しみにしていたというのに、そんな美女はついぞ一度も見かけていない。
対して一昔まで日焼けは健康の象徴だった日本。日焼け止めも塗らずに走っていた僕の足はすっかりサンダル型の日焼け跡ができていた。ビーチでの過ごし方一つとっても、お国柄の違いが見て取れるのが面白い。

浜辺から聞こえる賑やかな歓声の頭上には、飛行機の姿がちらほら目立つようになってきて、空を切り裂く轟音も少しずつ大きく響くようになってきた。済州市まであと少し。長くて暑かった夏の旅もあとちょっとだ。

市内中心部に向かうにつれて徐々に交通量が激しくなる。車の運転は相変わらず荒く、飛び出してくる車に何度か轢かれそうになって肝を冷やした。息つく暇もないような激流に飲み込まれていると、いつの間にか自転車道を示す水色のラインも見失ってしまった。
とはいえ、この道もそう見当外れのところに伸びているわけでもなさそうだったから、しばらく激流に流されるようにしていくと、狙い通り空港近くの見覚えのある道に出た。

そこからスタート地点の赤い電話ボックスまでは僅か5分の距離だ。公園の隅にあるそれは数日前と同様、ほとんど誰からの衆目を集めるわけでもなくポツンと佇んでいた。
僕にとっても"ゴールした"感には乏しいゴールで、せめて電話ボックスを写真に収めようとすると、公園に車を停めて龍頭岩を見に行こうとする観光客からは「なんでそんなものを撮っているんだろう?」という目で見られてしまった。

それでも今再び目の前に伸びている水色のラインを見つめていると、来た時とは違う不思議な充足感が得られた。この線を伝った先に僕が出会った済州島の情景が広がっているのだ。折り畳み自転車好きのキムさん、ビッグダディゲストハウスのみんな、パンクで困っていた大学生の二人、チェーン切れを直してくれた職人気質の親父さん…。色々な人に会った。誰もが自転車とこの道を介さなければ出会えなかった人たちばかりだ。

実を言うと済州島に来る前は、今回の旅が果たしてただ物見遊山で走っておしまいの旅になってしまわないか、一抹の不安があった。
僕は韓国の自転車道が日本も見習う点がたくさんある素晴らしい自転車道であることを、この済州島の旅その1でも紹介しているけれど、行き届いた整備が、何もかもを自己完結で済ませ、スムーズに事を運んでしまう事に物足りなさを感じていたのも事実だった。信号が少なく、車との接触事故の危険もなく、道沿いに見どころを網羅し、安心して自転車に乗れる道は"走る"楽しさには満ちていたとしても、"旅する"感覚には少し遠い。

その点、済州島の自転車道は、本土から離れているおかげもあってか、整備され過ぎていなかったのが良かった。インフォメーションセンターの人すらその存在をよく分かっておらず、10箇所のチェックポイントはどこも存在感のない無人の電話ボックスだ。
事前に調べたとあるニュースサイトでは、この自転車道の整備には数十億円が使われたと書かれていたが、それは大袈裟だろう。僕が走った限り、新しく自転車道を作ったような箇所はほとんどなくて、もともとあった道路を水色のペンキで繋いだような道ばかりだった。完成度、という点では本土のそれとは大きな開きがある。
しかし、そんな自転車道だったから普段の済州島と観光地としての済州島が切り分けられることなく目の前に展開されていたのが僕にとっては好みだった。荒々しい運転にヒヤヒヤしなくちゃいけないのは、懲り懲りだけれど。

島を一周する環状路だったから、道を見失っても海岸沿いを走っていればいずれまた自転車道にぶつかるという気楽さもよかった。だから血眼になって水色のラインを追わなくたっていい。これが、縦断路のような一方向への道だと、いつの間にか自転車道を見失わないように走ることが目的になってしまうことがあって、走るというよりも走らされているような窮屈さがあった。範囲の限定された島だから、自転車道との相性が良かったのだ。

済州島はほぼフラットの周径約240kmの島である。普段から乗り込んでいる自転車乗りなら、一日で走りきってしまえるサイズ感の島を合計4日間かけて走った。
20インチの小さな自転車だからなかなか距離が稼げない。昔と違って体力も随分落ちているから、無理やり押し切るような走りもできなくなった。
どちらかといえば狙ってゆっくり走ったというよりも、やむを得ずゆっくり走らざるを得なかった部分があるけれど、そんなスローさが、かえって走り抜けるだけじゃあ気がつけないことや出会えないことをたくさん教えてくれたように思う。

今回の旅で特にハマったのが昼寝だ。道沿いには韓国様式の東屋をよく見かけていたから、暑い時間帯はよくそこに寝転がっていた。ちょっとした日陰でも、気持ちいい風がそよぐし、まるで冷蔵庫のようにクーラーが効きすぎているコンビニよりずっと体にやさしい。そこで小一時間を過ごすと、いくらか体力が回復した。
それは次の目的地へと進むための体力というよりも、道上で何かに気付いた時に立ち止まれるような体力だ。自転車は進むよりも、止まる時の方がよっぽど体力と精神力を使う。気持ちよく坂を下っている時に道辺で何かを発見したら、その気持ちよさを引き換えにしてもギュッとブレーキを引けるかどうか、ここに自転車旅の極意が隠されているのだと僕は思うのだ。
サイクリングと自転車旅は似ているようで違う。前へ前へと進むことがサイクリングの楽しさならば、立ち止まれば立ち止まるほど面白くなっていくのが自転車旅だ。

島という小宇宙ならではの自由さと、小径自転車のスローさとがうまく噛み合って、そこに韓国というパワフルでストレートな異国のエッセンスが加わった自転車道、それが僕なりに走った済州幻想自転車道の正体なのかもしれない。

空港近くのホステルに宿を取った後は、夕暮れの市内をぶらついて、それから焼肉屋に入り、済州島名産の黒豚で小さな祝宴を開いた。

最終日は島の中心に聳える漢拏山を登りにいった。
登山路の大半は見通しの効かない鬱蒼とした森とササの中を歩くこととなったが、高度を上げるにつれ、あの忌々しいまでの暑さが少しずつ和らいで植生も変化していった。かつての台湾旅でも感じたことだけれど、南国の旅は水平だけでなく、垂直に旅してみるとまた新しい発見がある。

韓国最高峰の山頂の火口には白鹿潭という小さな池があった。かつて白鹿たちがこの池の水を飲みながら遊んだという伝説が残っている。
島の真ん中に聳える山なので、晴れれば島全体を見渡すことができるはずだったけれど、この時間になると雲が滞留し始め、周囲の見通しが利かなかった。
残念な天気にも関わらず、火口の展望台には数多くの韓国人登山客がひしめいていた。赤や黄色の派手なアウトドアウェアに身を包み、ザックにぶら下げたスピーカーからは日本でも聴き覚えのあるK-POPが流れてきて、目にも耳にも賑々しい。海であろうと山であろうとどこでだって賑やかだ。
「ちょっとアンタ!悪いけど写真撮ってくれる!?」
山頂の空気を味わおうとしていると、オバさんにスマホを渡され、撮影を頼まれた。やれやれ、ここでも彼らは旅情にふける時間をあたえてくれないのだな。でも、それは悪い気分ではなかった。そんな人々に囲まれていたから、僕の旅は最初から最後まで一人旅の孤独を感じることなく、終わらせられそうだったのだから。

ところが、済州島を発ち、乗換先の釜山の空港に立ち寄った時、僕の韓国旅には素晴らしいオチがついた。
乗換のために荷物を一度受け取らなければならなかったので、ターンテーブルで荷物を待っていたのだが、出てきたスーツケースを見て驚いた。

パッカーン、と綺麗にスーツケースの天板が割られてしまっていた。
思えば行きの飛行機の時もスーツケースの側面に小さな穴が開けられてしまっていたので、前兆があったといえばあった。しかし、まぁ、こうも見事に壊してくれるとは一体どんな扱い方をしているんだろう…。何も荷物の扱いまでパワフルじゃなくてもいいんじゃないですかねぇ。旅の思い出に、というにはちょっと痛すぎるお土産であった。

(次週からは北海道の島の旅をお送りいたします)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

最新の記事一覧

カテゴリー一覧