各国・各地で 風のしまたび
大陸の旅から島の旅へ。海という境界線で隔てられた小宇宙を訪れる旅。

大和と琉球を結ぶ国道58号線 鹿児島県トカラ列島の旅その4

2017年03月01日

悪石島は坂だらけの島だった。島の中腹にある上集落も学校のグラウンドを除けば平地らしい平地はほとんどなくて、立体的に家々が連なっている。方々に張り巡らされた坂道のおかげで方向感覚が奪われて、どこか迷宮感のある集落だった。

島の人口70人のほとんどがこのあたりに住んでいるという。それにも関わらず、船の荷役を終えた昼下がりのこの時間は人影が全く見当たらない。しんと静まり返った穏やかな雰囲気。民家の軒先で干された「悪」一文字のTシャツが微風に揺られている。トカラ列島には「刻を忘れさせる島」というキャッチコピーがあるけれど、このあたりは時間の流れが特にスローに感じる。

集落を抜けて、ノンゼ岬方面へ延びる道を下る。ここが自転車を停めるのもままならないような急傾斜だったから、帰り道を想像してしまい、なかなか颯爽と下れない。しかし、景色はなかなかの絶景。悩ましいサイクリングだ。

斜面に僅かに残された平地には牛たちが放牧されていた。畜産は島の基幹産業の一つ。僕に気づいた彼らは草を食むのをやめて、鉄条網越しに僕を見つめていた。

冬とは思えない陽気な気候の下、ところどころでビロウの葉が青々と茂っている。本土とは明らかに異なる南国の島の景観だけれど、厳密に言えば悪石島と南の小宝島の間に走る深い海峡を境界線として、温帯と亜熱帯の生物相に分かれるそうだ。例えば猛毒で知られるハブは小宝島には出没しても、悪石島には生息していないという。生物の分布を見てもトカラ列島は大和と琉球を橋渡ししていることが分かる。

道の突き当りまで行ったところで、来た道を引き返した。予想通り、激坂が僕を苦しめる。左右に振れながら少しずつ高度を稼いでいると、牛を管理する牧場関係者数名が道端で作業をしていた。
「こ、こんにちは」
息継ぎの切れ間に何とか挨拶を絞り出す。この坂道をフラフラになりながら、しかもスーツケースを牽いた自転車で上ってきたのだから、可笑しく見えたのだろう。「フハッ、フハハハハハ」と大笑いされてしまった。確かに我ながら滑稽な姿だと思う。きっと自分が思っている以上にひどい顔もしていたのだと思う。
「頑張れー」
彼らの前を通り過ぎたあと、後ろから声援が飛んでくる。しかし、この坂だったから振り返る余裕は全くなかった。空元気もいいところで「お、おーっ」と返事をするのが精一杯だった。

一時間ぶりに戻った集落は相変わらず神隠しにあったように誰も見かけない。外来者である僕に気付いた犬の鳴き声だけがどこかから聞こえてくるだけだ。 もう一度、村外れの出張所へ立ち寄って、明日のフェリーが予定通り入港しそうだということを確認してチケットを購入する。チケットはフェリーの中でも購入できるけれど、島の出張所で買うと島の収入になる仕組みなんだそうだ。今回は民宿が満室だったためのやむを得ずのキャンプとは言え、中之島にしてもこの悪石島にしてもほとんどお金を使っていない。僕が少しでも島にお金を落としていくには、こうしてフェリーのチケットを島の出張所で購入することぐらいだった。

キャンプ場に戻ったあとは、着替えを持って湯泊温泉の内風呂へ。まだ早い時間というのもあってまだ誰もいない。島民の皆さんには申し訳ないなぁと思うも、一番風呂にほくそ笑みながら熱々の湯船に浸かった。

風呂から上がる頃には日も暮れだしていて、沖合には見事な夕日がかかっていた。その手前にオイルタンカーと思しき巨大な船が見える。片や辺境に浮かぶのどかな小島、片や産油国と消費国とを年中忙しなく行き来する船。海を隔てて全く異なる時間の流れが並行して存在している。悪石島を始めとするトカラの島々はあっちからはどんな風に映っているのだろう、そんなことを考えながら夕日と船を見送った。

翌朝、島内放送で鹿児島行きのフェリーとしまが無事、一つ前の小宝島を出港したことが流れた。最近の島旅では船の欠航に見舞われて予定が狂うことが度々あったし、実は連日の欠航で島そのものに渡れなかったこともあったので、放送を聞いておおいに安堵する。持ち込んだ4日分の食料もちょうど底を尽きかけていた。
テントを畳んで、港へ。海の向こう側にフェリーとしまの影が見えたときほど、ホッとした瞬間はなかった。これでようやく鹿児島への道が開かれた。

湾内に入ったフェリーが巧みに旋回し、港に横付けされる。タラップがかかると、下船客、乗船客、作業員、出迎えの島民などが入り乱れて途端に賑やかになる。この日の船は翌週から天気が崩れそうということもあってか、ほぼ満席。雑魚寝の二等客室は約80cm幅のマットレス以外、自分のスペースはない混雑具合だった。

乗客はよく見ると、前日の船で見かけた人もちらほら乗っていた。奄美大島の方に買い物かなにかで出かけた帰りなのだろう。トカラ列島に住む人々にとってフェリーとしまはそれだけ身近な買い物の足でもある。
嬉しい再会もあった。
「あっ、自転車のお兄ちゃん!」
フェリーが中之島に立ち寄った時、乗り込んできた乗客の中には中之島で出会った小学生の姉弟たちがいた。そして、島で何度かすれ違って挨拶を交わした男性や女性も続けて乗り込んできて、ぺこりとお辞儀をしてくれた。そうか、あの子たちのお父さんお母さんはこの人達だったのか。日常の足として使われるフェリーだからこそ、島の人間関係も見えてくるのだった。
「ねぇ、お母さん、カップラーメン食べたい!」
「それ食べたら、鹿児島で美味しいもの食べられなくなっちゃうけどいいの?」 週末はクリスマスだ。本土に出て、お祝いをするのだろう。聞こえてくる親子の会話にささやかな幸せをお裾分けしてもらった気分になった。

12時間の船旅を経て20時過ぎにフェリーは鹿児島港に到着した。港近くの安宿に投宿し、身軽になった体で夜の市内を少し散歩した。どこもかしこも人工的な明かりが灯り、車がひっきりなしに往来して、お金を出せば食べ物も不自由なく手に入る。今朝までいたトカラ列島とのギャップに不思議な違和感を覚える。亜熱帯の欠片はもう見当たらず、すっかり本土に帰ってきた。

宿から5分ほど歩いたところには十島村役場がある。なぜ鹿児島市内にトカラ列島を管轄する役場があるのかというと、南北に長く点在する島々なので有事の際に対応を取りやすくするためだそうだ。
その村役場の近くに朝日通りという大通りが延びていて、突き当りには薩摩の英傑・西郷隆盛の巨像が立っている。

この朝日通りこそが、沖縄・那覇の国際通りから続く国道58号線の最終地点である。厳密に言えばトカラ列島に国道58号線は通っていないけれど、僕の心の中では、トカラ列島を経由して沖縄、奄美、本土を結べたことによって海で隔てられた大和と琉球を繋ぐことができたような満足感があった。
それだけじゃなくて、僕は以前の北海道の礼文島までを旅していたから、日本の北から南までを海路で繋ぐことができたのも今回の旅だった。
「汽船も亦道路なり」
中之島に立つ石碑の言葉がしみじみと、数日前よりもずっと深みを増して理解できるような気がしているのだった。

(次回は香川県の島旅をお送りいたします)

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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