2地域居住 ─富士山と東京、行ったり来たり─
東京から約100km離れた富士山の北麓で暮らしながら、週の半分近くは仕事で東京へ。そんな2地域居住を続ける研究所スタッフのブログです。過去50回にわたって連載したブログ「富士山麓通信」の続編となる今シリーズでは、時折り都会の出来事も織り交ぜながら、暮らしのあれこれを綴ります。

19.野草とパン

2021年06月09日

家の周りにあふれるほどの自然がありながら、例えば野草ひとつとってみても、天ぷらやお浸し、たまに干してお茶にする程度。正直なところ、せっかくの環境を十分に生かしきれていないのが実情です。そのうち野草のことをちゃんと学びたいと思いながら、生来の不精者で何年も不勉強のまま。そんなとき、たまたま同じ山梨県内の南アルプス市で『パン×野草☆GWお楽しみ講座』というイベントがあることをSNSで発見しました。「つちころびの野草講座と、パンのルーブルが作る"春の野草を使った、お楽しみパン"を野草茶といただきましょう!」「ライ麦パンを美味しいソースと共に、野草たちを使ってタルティーヌを作っていただきます」という、なんだかヨダレの出そうな企画。これは、行かないわけにはいきません。

ところがイベント直前になって市内でクラスターが発生したため、開催が中止に。でも「講座はできなくなったけど、摘み草のお店のオーナーが来ますから、良かったら覗きにいらっしゃいませんか」と誘っていただいたので、思い切って出かけることにしました。会場は、南アルプス市の「ベーカリー ルーブル」。「摘み草のお店 つちころび」は、明るい日差しが降り注ぐ店先のパラソルの下で、静かに開店していました。
底抜けの笑顔で迎えてくれたのは、「摘み草の店 つちころび」のオーナー、鶴岡舞子さん。生まれも育ちも東京ですが、16年前に山梨県甲州市に移住してきたといいます。

お茶、お茶、お茶…

まず目に留まったのは、野草のお茶たちです。私も家でヨモギとドクダミくらいはお茶にしたことがありますが、ここにあるのはヨモギやドクダミだけでなく、シソ、スギナ、ナズナ、カキドオシ、カラスノエンドウなどなど。手書きのボードには、野草の名前と生えているときの写真、味の特徴や民間薬としての使われ方などが懇切丁寧に説明されています。パッケージの裏には、栄養的なことや野草茶の淹れ方も。それらを読むだけで野草講座を受けているような気になります。

鶴岡さんと話している間にも、ふらりと立ち寄ったお客さんが野草茶のことをいろいろと訊ねてきます。「カラスノエンドウのお茶は、黒豆茶に近い風味。汗を出したいときや、呼吸を深くしたい人におススメ」「ナズナ茶はお出汁のような味わいで、お塩を加えるとスープとして飲めるので、私は"野草コンソメ"と呼んでいます」などなど。
「スギナは土をアルカリ性にしてくれる植物だから、スギナのお茶も体をアルカリ性にしてくれるんだよね」と横から声をかけてきたのは、会場になった「ベーカリー ルーブル」のオーナー、芦沢素征さん。「山梨県産の食材には野草が合う」と言うだけに、野草についての知識も生半可ではありません。

そして芦沢さんが持ってきてくれたのは、この日のイベントで出す予定だった春の野草のタルティーヌです。県産小麦とライ麦を使ったこだわりのカンパーニュにクリームチーズ(マスカルポーネ)を塗り、春の野草をのせて、その上に鶴岡さん特製の「スモモと黒ニンニクのジャム」をソース代わりにかけたもの。パンというキャンバスの上で、野の花が可憐に咲いているような美しさです。食べてしまうのがもったいないほどですが、野草の爽やかな香りと花の独特な歯ざわりが楽しい。チーズの天然の甘み、甘酸っぱいソースの味と相まって、口の中を草原の風が吹き抜けていくような清々しさです。

カンパーニュの上にのせられた野草は、ハルジオン、スズメノエンドウ、ミツバ、タンポポの葉、サツキ、フジの花

ジャムもソースも、ふりかけも。

野草茶だけではありません。パラソルの下には、鶴岡さん手作りのものがいっぱい。「人間用のふりかけです」と注意書きのついた「ねこじゃらしのふりかけ」もありました。そう、猫や犬がじゃれて遊ぶ、あのネコジャラシ(エノコログサ)です。聞けば、エノコログサはアワの原種で、おいしく食べられるのだとか。「野草の風味をシンプルに味わってほしいから」、同じく野草のハコベと海苔少々を加え、塩で味つけしただけ。講座で語られるはずのお話を独り占めして聞くなんて、なんだか申し訳ないくらいの贅沢な時間でした。

小粒のゴマといった食感で、ごはんとの相性は抜群。ごはんのおいしさを引き立てる控えめな、それでいて深い味わいでした。

それにしても、あの小さな粒ひとつひとつを選り分けて、ふりかけに仕上げるまで、どれだけの手間と時間がかかっていることか! 国内で雑穀の生産者が減っているのは収穫後にかかる手間も一因だと言いますから、鶴岡さんの手仕事にはただただ脱帽です。普段の生活ぶりを訊くと、借りている広い畑の野草を摘んでは加工すること。実際、ネコジャラシのふりかけのような小さな手仕事は、深夜までかかることもしばしばだとか。「六次産業ですが、自分では"弱小ひとり農業"と呼んでいます」と鶴岡さんは笑います。

そしてこちらは、イタドリのジャム。イタドリは、わが家でも若い芽を天ぷらにしてよく食べますが、ジャムになるとは驚き。茎の部分の薄皮をむいて作るといいますから、これまた想像しただけで気が遠くなりそうな根気のいる作業です。

イタドリのジャムは、一瞬、マスカット系のジャムかと見まがうほど。甘酸っぱく、なめらかな舌触りで、野草とは思えない上品な味わいです。噛むほどにじんわりと旨みが広がるルーブルのカンパーニュにぴったりのおいしさでした。

お風呂の野草

パラソル下のテーブルの半分以上を占めるのは、入浴用に乾燥させた植物たち。ヨモギやヒバ(大根の葉っぱ)、ドクダミ、セイタカアワダチソウといった野草だけでなく、「野草」のくくりには収まりきれないミカンの皮、桃の花、イチジクの葉、月桂樹、ヒノキ、ローズマリーなども並びます。いずれにも、それぞれの薬効や由来などが手書きされていて、読むだけで野草講座に参加している気分。

その昔インディアンは、セイタカアワダチソウの葉っぱを喉の痛みや歯の痛みに使っていたとか。「在来種を駆逐して日本にはびこる外来種の雑草」という悪者っぽいイメージが強かっただけに、ちょっと意外でした。

聞けば、「ヒノキのおが粉」は、「きらめ樹間伐(皮むき間伐=樹の皮をむいて立ち枯れさせた後で間伐する方法)」で伐採したヒノキで、それをカンナがけした時に出るオガクズだとか。「"野草食"を目的にしているわけではなくて、使えるものをムダにせず使いたいという考えから始めた」という鶴岡さんの気持ちが、こんなところからも垣間見えます。

気になるものをあれこれ詰めて、2袋ばかり買い求めました。袋詰めする時も「素手で触って、それぞれの植物の感触や香りを楽しんでください」と鶴岡さん。たしかに、お日さまをたっぷり浴びて干された野草には、人の心をやわらげる力があるようです。

持ち帰ってバスタブに入れると、ふわ~ッと干し草のような匂いが広がり、身体が温まるだけでなく、お日さまに守られているような幸せな気分に。『大草原の小さな家』では、干し草を詰めた布団にくるまった時の主人公のローラの幸せな気持ちを描いたシーンがありましたが、こんな感じだったのかなとわかるような気がします。

山梨を伝えるパン屋さん

さて、会場になったパン屋さん「ベーカリールーブル」も、地域に根差したとても魅力的なお店でした。基本のパン生地を大事にしながら、できるだけ地元の食材を使い、丁寧にひとつひとつ手作り。「店のパンを通して、山梨のおいしい食と文化を伝えたい」と言うように、国産小麦や県産の食材を使い、地域の文化の香りも取り入れた香り高いパンたちが並びます。なにしろ山梨はフルーツ王国ですから、旬の果物をのせたフルーツデニッシュなどはお手のもの。さらに南アルプス産の小麦を使ったり、県内の身延(みのぶ)町の竹炭組合がつくっている竹炭を生地に練りこんだり、県内の養殖場でニジマスとキングサーモンをかけ合わせて生まれた魚「富士の介」をサンドイッチにはさんだり、総菜パンのトッピングに地元の野菜を使ったり、はたまた近くのレストランの人気メニューであるハンバーグをはさんだり…地域食材のオンパレード。パンをのせるトレーも南アルプス産のヒノキ材という徹底ぶりです。

パン生地作りには、一般的なパン酵母だけでなく、いくつかの自家培養酵母種を使っています。そのひとつは、なんと八重桜からとったという酵母種。芦沢さんは店の外まで出て近くの山を指さし、「あそこの山の上の八重桜からとった酵母を自家培養している」と熱を込めて説明してくれました。酵母種の瓶のフタを開けると、いきなりシュワッという音がして発泡。辺りに良い香りが漂い、素人目にも酵母が元気に生きているのがわかります。

また自分が作るパンだけでなく、「パンに合う山梨のおいしいもの」も店頭で販売。県産のワインをはじめ、南アルプス市の生産者によるハチミツや有精卵、ジャム、自然栽培の大豆、麦茶、富士山麓でつくるハムなどなど。真摯に取り組む生産者とつながって、地域の食文化の未来を紡ぎ出そうとしているのがわかります。

山梨県に移住してきた青年が山間部で丁寧に育てている「森くんの野菜」。惣菜パンのトッピングや具に使われているだけでなく、芦沢さんは店の一角に野菜コーナーを設けて応援しています。

余韻は続く

家に帰って早速、「野草茶」で一服。カラスノエンドウ茶(写真上)はクセのない味わいで、口の中を日向水(ひなたみず)が通っていくような、やさしいのど越しでした。そしてナズナ茶(写真下)は、鶴岡さんに聞いた通り、お茶というよりお出汁のような旨みがあり、和風コンソメといった感じ。塩コショウ少々を加えて、その日の夕食のスープ代わりになりました。

カラスノエンドウ茶

ナズナ茶

「野菜に旬がなくなっている今、野草を通じて自然の変化を受け取りたい」「自然を取り入れながら生きていくのが日本の文化。それを次世代へ伝えていける年寄りになりたい」──そんな鶴岡さんの思いに触れたせいでしょうか。
なんだか無性に「自然」に触れたくなって、翌日は庭の花山椒を摘みました。「花は実の素」と思うから、これまでは摘まずに樹上に残してきたのですが、ほんの数日間しか味わえない稀少なものと聞き、今年は思い切って摘んでみました。とはいえ、佃煮にするほど大量に摘むことはやっぱりできなくて、ほんの少しだけ。キュウリの和え物や山芋に載せて季節の香りを楽しみました。

ゴマ油で軽くソテーした山芋に花山椒を添えて。山芋のほっくりした甘みには、香り高いけどやさしい辛みの花山椒がよく合います。

花山椒が終わった後の楽しみは、実山椒。その頃までにはコロナ禍が収束しているよう、願わずにはいられません。

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    M.Tさん

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