2地域居住 ─富士山と東京、行ったり来たり─
東京から約100km離れた富士山の北麓で暮らしながら、週の半分近くは仕事で東京へ。そんな2地域居住を続ける研究所スタッフのブログです。過去50回にわたって連載したブログ「富士山麓通信」の続編となる今シリーズでは、時折り都会の出来事も織り交ぜながら、暮らしのあれこれを綴ります。

3.雨を楽しむ

2018年07月04日

雨男や雨女でなくても、雨が付いてまわる季節です。都会のようにアーケードや地下街といった「雨よけ」がない森では、日々の犬の散歩にもひと苦労。重くたれこめる雨雲や湿っぽい空気に気分はふさぎますが、少し視点を変えてみると雨の日ならではの楽しみも。今回は、雨の森の風景と暮らしを点描します。

「梅雨」という現象は、日本と中国の長江流域、朝鮮半島南部だけのものだとか。ひとくちに「梅雨」といっても雨の姿はさまざまで、美しい「雨の言葉」もたくさん生まれています。

「青梅雨(あおつゆ)」といえば、木々の青葉を鮮やかに、色を濃くして降る雨。森に降る雨はまさにそれで、雨に洗われた葉っぱや幹の色がつややかに深みを増していくさまは、樹々が喜んでいるようで、「よかったねぇ」と声をかけたくなるほどです。

この時季の長雨に「梅雨」という字をあてるのは、梅の実が黄熟する時季と重なるから。梅酒や梅シロップなどの仕込みをする「梅仕事」は、この季節ならではの楽しみです。6月初旬に届いた青梅は、黄熟が進まないよう、その日のうちに仕込んで瓶詰めしました。

「青時雨(あおしぐれ)」とは、みずみずしい青葉からしたたり落ちるしずくを、時雨に見立てた言葉。森では、雨の合間を見計らって散歩に出たつもりでも濡れてしまうことが多いのは、この青時雨のせいなのです。

似たような言葉に「樹雨(きさめ、きあめ)」がありますが、こちらは、霧のしずくが森の木の葉にたまり水滴となって落ちてくるもの。森は霧の日も多いので、どちらもたっぷり味わえます。

雨が続くからといって、飼い犬がいる限り、朝夕の散歩をパスするわけにはいきません。雨合羽を着込み長靴を履いてするそれは、正直、面倒くさいときもあるのですが、外に出てみればそれなりの楽しみもあります。
そのひとつが、雨のつくる水紋です。篠突く(しのつく)雨、小ぬか雨など、雨の強弱によっていろいろな言葉があるように、水紋も雨の強弱や角度、風の動きなどによってさまざまに変化。生まれては消えるそのさまは、動画を見ているようで飽きることがありません。

水たまりに映りこんだ樹影や散り落ちて水に浮かぶ花びらを見るのも楽しみのひとつ。雨が上がれば上がったで、水たまりに映りこむ五月晴れの空が、爽快な気分にさせてくれます。

こんな雨の季節、森の動物たちはどんなふうに過ごしているのでしょう?
しょっちゅう出くわす鹿やリスをはじめ、たまに出会うキツネ、タヌキ、野ウサギ…気になってはいるのですが、彼らがどこかで雨宿りしている現場を目にしたことはまだありません。
雨の日の屋外でクモの巣を見かけることも滅多にありませんが、雨の間は獲物となる虫たちも出てこないのですから、当然といえば当然ですね。

※雨が上がると、「さあ、狩りのはじまり」。おなかを空かせたクモが早速、罠を仕掛けます。

直近の天気予報にもなるのは、野鳥たち。雨の降りしきる最中は黙ってどこかで羽を休めているのでしょうが、空が少しでも明るみかけてくると、チチチッとさえずり始めます。それはお日さまを待ち望む声のようでもあり、飛ぶ本番前の発声練習のようでもあり。野鳥のチチチッが聞こえたら、雨が止む合図だと思ってホッとひと息つくのです。
逆に、セミたちは青空が出てくるまではまったく音なしの構えですが、陽が射すやいなや、いっせいに大合唱。生きものそれぞれの事情があるのかもしれませんね。

植物の中で誰よりも雨を喜んでいるように見えるのは、苔の仲間たち。どんなに強い雨だってまるごと受け容れて、みずみずしさとつややかさを増すその姿には、たくましさを通り越して神秘的なものさえ感じます。

そして雨上がりの東京・有楽町の駅前では、ビルが映り込んだ大きな水たまりに足を入れて、チャプチャプしている女の子を見かけました。都会の真ん中でも雨を楽しむことはできる、という見本です。その子が楽しそうだったのはもちろんですが、印象的だったのは、通りすがりの大人たちがなんだか羨ましそうな顔をしていたこと。だれだって、余裕さえあれば、本当は童心にかえって雨を楽しみたいのでしょう。

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    M.Tさん

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