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家畜とともに生きる人々

2015年11月18日

最近は寒さが一段と骨身に染みるようになっていました。
この日は夕方になっても冷たい西風が止まず、
それどころか勢いを増して雹まで降ってくる散々な天気でした。
次の街まではまだ何十kmもあり、今日中に辿り着くことは不可能です。
けれどモンゴルで心強いのは、広大な平原にもぽつりぽつりと遊牧民が暮らしていること。
今夜はゲルを風除けにしてテントを張らせてもらおうと、彼らの住まいを訪ねました。

以前も書きましたが、モンゴルの人々の表情は概して少し硬いです。
けれど、それは決して拒絶を意味する表情ではなくて、
じっと僕を見つめる彼らの据わった瞳の奥に
自然の厳しさを知る者の優しさがにじんでいることを最近発見しました。
彼らは突然の闖入者である僕に対して、テントを張るスペースどころか
「ラジオで今晩は天気が荒れると言っていたから、中で寝なさい。」
とゲルの中に寝床を与えてくれました。

モンゴルのゲルは中央アジアのユルタと比較して一回り程小さいものが多く、
また、支柱が一本真ん中に据えられて天蓋に向かって伸びている構造は
ドーム型の枠組みだけで建物を支えるユルタと決定的に異なります。
これは恐らくモンゴルが中央アジアよりも雪が深く、
また、風も恒常的に強い気候のためではないかと推測されます。

遊牧民の主人の後に続いて、
成人の背丈よりも低いゲルの入口をかがんで室内に入ると、
記憶のある酸っぱいにおいが鼻をつきました。
馬乳酒のにおいです。

中央アジアではクムスという名前だった馬乳酒は、
モンゴルではアイラグと呼ばれていて、
こちらでも遊牧民を代表する飲み物として親しまれています。
アイラグは出産後の母馬からしか採ることが出来ないため、
夏の時期の遊牧民は朝から晩まで搾乳に追われることになります。
農耕民族でない彼らにとって野菜に代わる貴重なビタミン源。
「水はないけど、アイラグならあるよ」という遊牧民にも出会ったことがあり、
いかにこの飲み物が彼らの生活に溶け込んでいるかが窺い知れるでしょう。

独特の強い酸味と塩気が特徴的なアイラグは好みが分かれる味ですが、
何度も口にするうちにクセになる味わいをもつ飲み物です。
ゲルを訪ねると、もてなしの一杯として振舞われることが多く、
ぐいっと一息に飲み干すと、少し主人の口元に笑みが浮かんだのが見えました。

このアイラグもそうですが、モンゴルの遊牧民の家庭は
とにかくミルクを使ったものが多いことが特徴的です。
モンゴルのお茶はスーテーツァイといって沸かしたお茶に塩とミルクを加えたものですが、
このミルクは牛や馬、ときにはラクダなど飼っている家畜から
採られたものを使うので地域や家庭によって味が異なり、
さらに家庭によってミルクから作られたバターを加えることもあります。

このお茶はそのまま料理にも使われ、
スーテーツァイと一緒にご飯と羊肉を煮込んだお茶漬けのようなものが
モンゴルの家庭では一般的な料理のようです。
味付けは塩のみという潔さ。
モンゴル料理はとてもシンプルです。
食堂で出される料理こそ多少手が込んでいることはあるけれど、
基本的にこっちの料理は香辛料を使いません。
これはモンゴルが年中を通して冷涼な気候なため、
食料保存に使われる香辛料を必要としなかったからだそうです。
ちなみにモンゴルでは食肉を"赤食"、乳製品を"白食"と呼んで
家畜由来の食品をとにかくよく食べます。

乳製品の大本となっている牛、馬、羊、山羊、ラクダの家畜は
モンゴルの五大家畜として重宝されていて、
これらは食肉や乳製品といった単なる食用としての用途だけでなく、
暮らしの様々な用途にも利用されています。
原毛はデールという羽織物の民族衣装の裏打ちに使われ保温性をあげているほか、
ゲルを覆うフェルト生地や室内にひく絨毯としても加工されています。
また、馬の毛は撚ってロープとして、
皮革はブーツや馬具、ゲルの補強などに使われています。
それに草原や砂漠のような土地ではまだまだ馬の機動力やラクダの馬力が有効です。

そして、乾燥させた牛の糞は暖房や料理の際の燃料として使われています。
五畜の中に世界中で最も親しまれている家畜の一つである鶏が含まれないのは、
いかに食肉として有用だとしても、それ以外の用途がほとんどない鶏は
この厳しい自然の下では非力だということなのでしょう。
このように遊牧民の暮らしは五畜を余すことなく活用することによって
衣食住の基本をまかなっていて、五畜抜きに彼らの生活を語ることは出来ません。

ただし、遊牧民と家畜の関係はペットと飼い主のような温和なものではなく、
絶対的で覆ることがない冷徹な関係性です。
家畜とともに生きる彼らだからこそ、この自然の摂理は徹底しています。
羊を屠殺している場面に遭遇することがモンゴルでは何度かありましたが、
絞められた羊はあっという間に皮を剥がされて、
内臓が取り出され解体されていきます。
残酷さをまるで感じさせない鮮やかな手さばきは、
命の重みを知る彼らだからなせる技なのだと思いました。

昔から遊牧民という生き方に昔から強い憧れを抱いていました。
僕自身、どんな場所でも暮らせる人間になりたかったのが
旅を始めたきっかけの一つだったから、
自然の理に精通し、従順な遊牧民の暮らしは目標とする旅の一つであったのです。
このモンゴルでは期待を裏切ることのない本物の遊牧民が
飾ることのないありのままの姿で暮らしていました。
ナイフ一本で家事の全てをこなし、フェルトで覆われた柔らかい室内で温かいお茶を啜る。
彼らから何かを直接教えてもらったわけではありませんが、
彼らの生活する土地を訪ね、彼らと同じ時間を過ごすことは
生きるための本物の力を分け与えてもらっているような気持ちになったのでした。

ただし、流れゆく時代は彼らのライススタイルにも確実に変化を与えていて、
今ではオートバイを駆って家畜を追う遊牧民も増えました。
ゲルの傍らにはソーラーパネルが置かれ、
ほとんどの人間が携帯電話を持つようになりました。
文明の波及がこの地の生活の質を引き上げたという点は歓迎すべきことですが、
一方で外から入ってくるモノや情報によって
モンゴルでは遊牧を辞めて生活環境が良い大都市に定住する人間が増え、
後継ぎが育たず高齢化が進み、遊牧の技術が失われつつあるのだそうです。

大草原に生まれ、今はこのゲルで育つこの小さな子供たちが大きくなった将来、
モンゴルはどんな時代を迎えていて、彼らはどんな生き方を選んでいくのでしょうか。

それが気になるのは、何も遊牧民に憧れた僕だけでなくて、
かつてユーラシア大陸を席巻した遊牧国家を築いた大皇帝チンギスハーンも
同じ気持ちではないかと、そんな風に思います。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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