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山を走り続けてきた理由

2015年09月02日

人類最大の建造物と言われる万里の長城。
北方民族からの守りを固めるために
全長9000kmに近い規模で築かれた城壁は甘粛省嘉峪関で途切れます。
さすがの超大建造物といえども西の外れともなれば、
簡単に乗り越えられそうなほどの背の低い土壁で、拍子抜けする簡素さでした。

この辺りは河西回廊と呼ばれ、古代中国と西域を繋げるオアシス都市が点在した地域。
この先は中国の王朝の足跡がより強く残る地域へと続いていきます。

このまま国道G312号線を辿っていけば、
クラシカルなシルクロードに準ずる形でこの回廊を旅することは出来たのですが、
張掖というマルコ・ポーロも一年間滞在した街から南へと進路を取り、
うっすらと雪を被った祁連山脈を越えて青海省を訪ねることにしました。
様々な問題や障害が絡んで今では自由に旅することが出来ないチベットの空気感を、
青蔵高原を訪れることで少しでも感じることが出来ればと思ったからです。
とはいえここもチベット経由のシルクロードである唐蕃古道。
ちゃんと道は続いています。

それに今後、3000mを越えるような高地や山を走ることは
もう無さそうだったので山岳地帯の走り納めをしておきたかったのです。

日本では考えられないことかもしれませんが、
世界には3000m、4000mの高さへと延びる道が決して少なくない数で存在します。
そして、そんな雲をも追い越してしまうような標高で生活を営む人も数多くいます。
だからといって、作物も育たないような不毛の大地で
慎ましく暮らす人たちばかりかと言えば、そうでもありません。
例えば南米ボリビアの事実上の首都ラパスの中心地の標高は3600m程。
病院も銀行もちゃんと機能している人口90万の大都市が高地に築かれているのです。
(最も標高が低いほどに暮らしやすいというのはあるらしく、
すり鉢状に深まるラパス市内最低部は高級住宅地となっていて、
最も低所得者の住民は4100mほどの高さにあるすり鉢の縁に暮らしています。)

物事の肌感覚というものほど、実生活に依るものはないのではないかと思います。
僕たちの感覚からすると、富士山よりも高い場所に人が暮らしているということは、
なかなか想像が出来ないことではないでしょうか。

それは距離の捉え方にも同じように言えると思います。
となり町まで60km、車で2時間など、距離の単位は違ったとしても、
僕の知っている"となり町"とはだいぶ距離感が違うこともよくありました。

効率と便利を追求した結果、地球の裏側にさえ
一日の時間があれば行けるような現代です。
洗練された都市機能はとなり町に出向かなくても、
その町で大方全てを揃えることも出来るようになりました。
何時間もかけてどこかに用事を済ませに行く、
なんてことは年に数回あるかないかでしょう。
そして物事の肌感覚は知らず知らずのうちにどんどんと凝り固まっていってしまいます。
圧縮された日常は一日の中に余剰時間をもたらしてくれましたが、
その余剰時間さえも、また別な何かで埋めるような忙しない日々に追われ、
自分の中の肌感覚はますます限定的になっていってしまう気がします。
だから、ときどきその肌感覚を解きほぐしてあげなければならないのかもしれません。

それは例えるならば、小麦粉の塊を麺棒で伸ばす行為に近いかもしれません。
油断をするとすぐに縮んでしまうから、
せっせせっせと麺棒で押し伸ばしてあげなくてはならない。

そして僕にとってそれは山を走る、ということでした。

そういう自分も旅の初めの頃は
700mの峠があるというだけで半ば絶望的な気持ちになり、
次の街まで二日はかかるだろうとなると、
入念な食料計画を立て、自転車を整備し、
初日は早朝に出発と悲壮たる決意でもって臨んだものでした。

それが旅の中で最高標高が1000m、2000m、3000mと更新されていき、
無補給地帯を2日、3日とやり過ごしていくと
『あれ? なんだ、越えることが出来たじゃないか』という自分に気付きます。
そんな積み重ねが少しずつ自分の肌感覚を地球大に伸ばしてくれ、
今では4000mの峠があろうと、次の街が何日も先であろうと
自然体で向き合えるようになりました。
いつしか失ってしまった感覚を取り戻すために山を僕は走っているのだと思います。

競争ではないから、山をどんなペースで走るかは人それぞれでいいのです。
旅道具の一切合財を詰め込んだ重たい自転車で山を走るとなると
時速は出せて8km~10km。
このぐらいのペースであれば、4000mを越える高地であっても
高山病にはほとんどなりません。
そこに上ってくるまでの道程ですっかり順応出来てしまうのです。
大腿筋をはちきれんばかりに膨らませ、坂道を上っていると不思議なくらい
頭の中がクリアに冴え渡ります。
体は悲鳴を上げているのに、自分とは素直に向き合うことが出来ている、
あの感覚が好きです。
例え一日がかりで数十kmしか進めなかったとしても、
その日の充足感は満足のいくものでした。

それに、ひと漕ぎごとに目に見える景色が変わっていくこともいいのです。
あのカーブの向こうにはどんな景色があるのだろうと期待を込めてペダルを漕ぐ。
例えつづら折れのカーブが続いて、眼下には同じ景色があったとしても、
少し角度が変わるだけで見え方も感じ方も違ってくるから不思議です。

そして頂上や峠という分かりやすい達成感を得られる場所があることもいい。
はあはあとあがった息を整えると、
高原の風が吹いて体の汗を心地よく奪い去っていきます。
体温を下げないために上着を着たら、今度は下りです。
重力に身を預けて、自分で上ってきた分をそのまま下る。
そんな平等さがここにはあって、それが何よりも好きです。

山を避けて、海岸沿いや低地を走れば
もっと楽に、もっと早く距離を稼ぐことが出来たかもしれません。
でも、僕がしたいことはそういうことではなくて、
この地球がどんな表情を持っているのかを体に刻むためであって、
そのためにこれまでも山を好んで走って来たのでした。

ところで、話を万里の長城へと戻します。
この城壁は北方民族の度重なる襲撃や南下を防ぐために築かれたと言われ、
人間というよりは、騎馬民族である彼らの馬や羊が
乗り越えられないよう垂直の壁で出来ています。
中国史から見た各時代の北方民族は匈奴や鮮卑、乃蛮など
あまり印象のよくない漢字が当てられていて
目の上のたんこぶであったことは想像に難くありません。
かといって北方民族だけが悪者でもなさそうです。
領土拡大を続ける王朝と漢民族。
農耕民族として、使える土地をありとあらゆる農地へと開墾していく様子に
遊牧地までもが農地にされることを危惧した北方民族とのせめぎ合いがここにありました。

上の写真は甘粛省東部で撮ったものですが、
このようにそこがどんな土地であろうと開梱してしまう漢民族。
漢民族ばかりが北方民族に脅威を抱いていたのではなく、
北方民族もまた、漢民族に恐怖を抱いた末に威嚇や牽制をしたのかもしれません。

そんな史上最強の農耕民族である漢民族にかかれば、
祁連山脈のあらゆる場所が開拓されてしまっています。
折しも夏休みシーズンともあって、
たくさんの人が道端の草原でBBQなどを楽しんでいましたが
そのまま放置されているゴミやポイ捨てが恐ろしいほどに目立ちました。
彼らは楽しんでいる脇に大量のゴミ山があったとしても、何とも思わないのでしょうか。
もっとも自然の畏怖や環境保護を考える前に、自分たちが支配する土地だという感覚が
この農耕民族に長く染み付いた肌感覚、なのかもしれませんが。

驚くほど滑らかで手慣れた様子でゴミを足元に落とす人、
一部では珍しく清掃員がいましたが彼らでさえもゴミを拾い集めるのではなく、
ゴミを拾ったと思ったら誰も手の届かない山の向こうに
それを放り投げているのを見た時はしばらく開いた口がふさがりませんでした。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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