各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

世界の道を行け

2015年08月19日

カザフスタン~中国間は目下道路の建設ラッシュ。
中国共産党が提唱する新しい時代の経済路"一帯一路"政策により、
両国間の経済的結びつきは、近年大きな盛り上がりを見せています。

一帯とは中央アジア諸国経由でヨーロッパへと抜ける陸路、
一路は中国沿岸部や東南アジアを経てアフリカへと至る海洋路。
陸海の経済路を整えることで21世紀の経済路を作り上げる計画です。
鼻息荒い中国は銀行や基金を通じ、これらの地域に積極的な投資を行っていて、
着々とインフラや仕組みの整備が進んでいます。

一路を担うシルクロード地帯は
すでに中国側は新疆の区都ウルムチから天山北路に沿う形で
トンネルと高架を張り巡らせたG30号が数年前にコルガス国境まで開通済み。
コルガスの街はユーラシア大陸諸国と中国とを繋げる陸の港として
今後の発展が期待されています。
実際に今回訪れてみると、去年はまだ建設中だった商業施設が開業していて、
僅か数ヶ月でも変化が起こっていました。

カザフスタン側でも、昨年から建設中だった高速道路の基礎工事が延伸していて、
完成にはまだまだ時間が必要そうでしたが着々と工事が進んでいます。
そういえば、はるか遠い西カザフスタンのカスピ海近辺の砂漠地帯でも、
ぼろぼろになった幹線道路を新しく作り直していて、
そこで使われている機材のほとんどが中国のものでしたが、
今思えばあれもこの新シルクロード構想によるものだったのかもしれません。

カザフスタンを走っているとたびたび見かける"2050"という数字。
2050年までに文化的にも経済的にも
世界のトップ30を目指そうという目標を立てています。
この国は豊富な地下資源に加えて、
中・露というユーラシアの二大国に挟まれた位置関係にあります。
海を持たない国ながら、両国の緩衝国として大きな役割を持つため、
この一路一帯政策でも重要な立ち位置につけています。
先日、僅差で北京に敗れましたが、中央アジア初のオリンピック開催地に
最も近いのは飛躍的に発展を遂げているこの国でしょう。

世界の動きのダイナミズムを感じられるのは、
こんな気の遠くなるような距離の道を
ちまちまノロノロと走っている自転車だというのが面白いところ。
変化はいつも突然ではなく、小さなところ
からコツコツと徐々に始まっているのです。
目まぐるしいスピードで世界が動いていく現代だからこそ、
その変化を実態として捉えることが出来る感覚は忘れないようにしていきたい。

ところで驚くべきは中国での国内外各地を結ぶ高速道路網というのは
つい30年前までは存在しなかったということ。
1988年に上海で高速道路第一号が開通すると、
国策の後押しもあって2013年には総延長が100,000kmを越えました。
ちなみに日本の高速道路の総延長は8,000km程度というのだから、
国土の違いを差し引いても桁違いの規模です。
そしてその道路の質も(完成に至るまでの酷い環境汚染を除けば)かなり高く、
世界トップクラスに劣悪な道路環境の中央アジアと比べると、
頬ずりしたくなる滑らかな出来です。

そんな高速道路網を実現しているのは、圧倒的な数の人民工員たち。
万里の長城や兵馬俑とも結びつけることが出来るお国業。
人海戦術と侮る無かれ。
国力を示す一つの指標であるこの人口を実現出来るのは、世界でも一握りであるし、
どこへ行っても働き者で忠実な中国人でなければ、
きっとこの高速道路も歴史遺産も実現することが出来なかったことだろうと思います。
国土全土に城壁を築こうや、国土全部を結ぶ高速道を作ろうなど
大陸の人間のスケールはやることがいちいち大きい。
彼らによって21世紀のシルクロードが生み出されようとしています。

さて、時代のうねりを感じながら走る自転車旅。
これまでも世界各地で時代ともに隆盛を辿った道の数々を走ってきました。

祈りの道であり、救いの道であるスペインのカミノ・デ・サンティアゴ、
第二次世界大戦における最終局面の一つ、ミャンマーの白骨街道、
パタゴニアの深い森と氷河を抱いたチリのアウストラル街道、
マルコ・ポーロも通った世界の屋根パミールハイウェイ、
ドイツの黒い森や古城街道、イタリアンアルプスのドロミテ街道など
たくさんの道を思い出すことが出来ます。

もっと俯瞰的に見てみれば北米アラスカから
南米最南端ウシュアイアを結ぶパンアメリカンハイウェイ、
あるいはアジア諸国からイスタンブールへと続く
アジアハイウェイといった道も走った道として挙げることが出来るでしょう。
もっともこれらの道は構想上の名前であり、
実際には各国の国道を机上で繋げただけというのが現状で、
道路コンディションや運用方法も各国によってバラつきがあります。

まだ見ぬヒマラヤを貫くカラコルム・ハイウェイはいつか走ってみたい道の一つです。
それは宗教や国境問題により自由に訪れることが出来なくなってしまった
地域問題の解決を願う一種の希望でもあります。

道というものは不思議なもので実態があるようでありません。
もしかすると道自体に意味はないのかもしれません。

生活に必要な水を組み川へ行くために、
隣の集落に交易に向かうために、
もしくは険しい山脈を越えるために最も効率的な場所が山の鞍部だったなど、
道が生まれるのは、目的があってこそだからです。

誰かの一歩がしるべとなって、また誰かが続き、そのまた誰かが辿ってゆきながら、
轍は太く固く踏みしめられて道が生まれるのです。
理由なく存在する道は、風雨に流され跡形もなく消えていくことでしょう。
これまで通ってきた道にも、
確かにそこで生きた誰かの足跡があった、歴史があった、匂いがあった。
きっとそういうことなんだろうと思います。

そんな僕が走り抜けた道々の中で最も印象的だった道を三本、
ここで紹介したいと思います。

【銀の道】
正式名称カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ。
メキシコのメキシコシティからアメリカのサンタフェへと続く道のことで
メキシコ中央高原各地にはスペイン統治時代に銀の採掘で栄えた
鉱山都市が点在しているため銀の道と呼ばれています。

サカテカスやグアナファトといった鉱山都市では、
重厚なバロック様式の教会が威風堂々と立ち、当時の栄華が偲ばれます。
また、水道橋が印象的なケレタロや
ディズニーランドのような華やかさのサンミゲル・デ・アジェンデなど
街ごとに個性がよく表れていて、
そこにタコスやモーレのようなメキシコ独自の食文化に陽気なアミーゴ達、
トルテカやアステカといったこの地に繁栄したメソアメリカ文明が折り重なって、
毎日が何かの物語のように山あり谷ありと進んでいった記憶があります。
ひょんなことから、テレビに出ることになって、
そうしたら今度は短編映画にも出演することになったりもして、
気がついたら2ヶ月も同じ街で過ごしていた、なんてこともありました。

【ルタ40】
ルタクワレンタはアルゼンチン北部から世界の果てウシュアイアへ、
アンデス山脈に沿う形で走る同国最長の幹線道路です。
赤茶けた地層が重なる北部から、白ワインで有名なカファジャテを抜け、
乾燥した強烈な日差しのパンパを縦走すると
ブドウ畑が見え、中部の都市メンドーサに到着します。
ここで一度、チリへと入りましたが、南部パタゴニア地方で再びアルゼンチンへ入国。
アルゼンチンパタゴニア名物の暴風にもみくちゃにされながら、
無窮に広がる荒野を南下すると、
最後のフエゴ島ではツンドラの森とキングペンギンが迎えてくれました。

これほどまでに気候や植生が変わる道は世界中見てもそうそうありません。
可愛らしい雰囲気の街が点在し、
それでいてキャンプもしやすいこの道は自転車で走るのにうってつけ。
そして何と言っても最大の魅力はアルゼンチンの誇るワインと牛肉!!
格安で美味い赤身肉は自転車乗りにとって一番のご馳走で、
アルゼンチンのBBQソースであるチミチュリは酸味と辛味があって
ますます食欲をそそります。
お米の質も日本のものにわりと近いものが手に入るので、
毎日の献立は米と肉、ときどきチョリソー。こんなかんじでした。
キャンプ中でもアサード(アルゼンチンBBQ)を楽しむためにと、
一時期炭を持ち歩いていたこともありましたが、
さすがにこれはやり過ぎだと反省し、手放したことも。
ともかく楽しかったことは事実。
とあるレストランではワインを開けて、
顔を赤らめながら食べ放題に食い意地を張っていたら、
お客で来ていた撮影隊に声をかけられ、
今度はビールのテレビCMに出ることになりました。
ルタ40とは、僕にとって食い倒れ飲んだくれの道であるとともに、
メキシコから続くTVスターへの道だったのかもしれません。
(後日、出来上がったものを見てみたら、
よっぽど僕の演技が酷かったのかほとんどカットされていたのですが…)

【ルート66】
ご存知世界で最も有名なハイウェイ。
シカゴからロサンゼルスのサンタモニカビーチへと続く道は、
荒廃した土地で苦しむアメリカ中西部の人たちにとっては
ミルクアンドハニーの地カリフォルニアへと続く希望の道でした。
大戦下においては軍需産業を支える軍用路として、
戦後到来したモータリゼーション社会においては余暇を過ごすバカンス客で賑わい、
道上にはモーテルやファストフードといったアメリカらしいビジネスが登場し、
歌やドラマといった文化が生まれました。

そして時の大統領アイゼンハワーにより、
州間高速道路網であるインターステートハイウェイ建設が承認されると、
ルート66は衰退をしていきますが、今もこの道を愛する人たちによって懸命に
守られているここは"古き良き、これぞアメリカ"が目一杯残っている場所でした。
何度も僕はこの道を訪れていますが、
その度に"時代と共に生きた道"そんな思いに駆られます。

印象に残った3つの道を列挙してみましたがいかがだったでしょうか。
こうして改めて振り返って見ると北南米勢強し。

とは言っても、この三つになった結果には
だいぶ偏りや思い入れが入っているなとは自分でも思います。
メキシコは初めて訪れたスペイン語圏であったし、
アルゼンチンはずっと目指し続けていた南米最南端のある国。
アメリカはなんといっても僕が初めて自転車旅で走った国です。
それに、人の記憶とは都合の良いように整理されていくので、
旅の序盤の記憶ほど、自分にとって良く解釈されていると思います。

でも、それらの道の上では共通して歴史が紡がれ、文化が生まれ、人の営みがありました。
やっぱり道とは単なる移動手段ではないのです。
時代の証人であり、文化の写し鏡であり、
暮らしが根付く場所でなくてはならないと思います。
そしてなにより僕が気に入った道々で嬉しかったことといえば
どの道にも自由の空気と人を迎え入れる気心が漂っていたことでした。

「広い土地だ、どこでも好きなところにキャンプするといいよ」
「ここを走っているってことは当然ウシュアイアまで行くんだろ?」
「長旅なんだろう? ここは僕が払っておくから、そのお金は取っておきなさい」

自転車旅は道を行くだけで旅になるのだからとてもシンプルです。
物語は道の上に転がっているから
街に着いて、そこからどこか遺跡や景勝地に足を伸ばす必要はありません。
本当に自分の興味の湧いたものだけ覗きに行けばいいのです。
それに一部の遺跡や史跡で見られるような曲解甚だしい保存の仕方、
当時の雰囲気を奪ってしまうような復元の跡を見るよりも
もっと生々しくて、今の生活の躍動感に溢れる暮らしが覗ける
ロードサイドの方に僕は魅力を感じます。
そしてそこを通って行かなければ次の目的地にはたどり着くことが出来ない。
"観光をしなければ"という強迫観念から離れることが出来る一方で、
山だろうと雪だろうと目の前のものに立ち向かわなければ
先に進むことが出来ない強制力、
道が持つこの二面性が僕は好きだと感じています。

さぁこれから始まるシルクロード後半戦、
果たしてこの道は心の琴線にどれほど触れるものになるのでしょうか。
それでは三度目となる中国ラウンドのスタートです。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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