各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

道草の中の節目

2015年07月29日

旅をしていて最もエキサイトした瞬間といえば、
振り返ってみて確実に三つあります。

一つは日本を発って間もない頃、
バンクーバーからカルガリーへ向けて走っていたときのことです。
体もまだ出来ておらず、重い荷物と連日の暑さ、
何よりカナディアンロッキーの容赦無いアップダウンに滅入っていました。
やっとの思いでブリティッシュコロンビア州からアルバータ州の州境にやって来ると、
出発以来ずっと反対方向に流れていた川が
僕の進行方向と同じ向きになっていることに気付きました。
見つけた看板には"Continental Divide(大陸分水嶺)"と書かれていました。
北米大陸のまだまだ西の方の、こんな場所に大西洋と太平洋の境目があったのです。
僕は体の底から何か熱いものを感じ、
叫びながら川と同じ方へ下っていったの事を覚えています。

二つ目はパナマ。
熱帯特有の暑さと湿度の停滞するジャングルを走りながら
パナマシティを目指していました。
もう地図では着いてもおかしくないはずなのに、街らしい街は一向に見えてきません。
集中力はとっくに切れて、惰性すら尽きかけたその時、
ジャングルの切れ間からパナマ運河に架かる大橋が覗いたのでした。
北米が終わる…!
九ヶ月に渡る北米大陸の終焉は、あまりにも分かりやすく、
突然こうして告げられたのです。
一ヶ月間走行を共にした仲間と橋の袂で手を取り合って到達を喜びました。
強盗や殺人が最も身近にあった中央アメリカを無事に走り抜いたことも、
達成感をより大きなものにしたのでした。

最後はペルーの地上絵で有名なナスカから
インカの古都クスコに至るアンデス山脈越えのことです。
激しく乾燥した砂漠のナスカから走りだすと、三日間ひたすらに上り坂が続きました。
4200mまで標高を上げた後は何度も上り下りの繰り返し。
時に緩い下り坂が150kmも続いたこともありました。
何度も峠を越えた8日目の午後、
いよいよクスコ市街に入ったという看板を通り過ぎたのですが、
一向に街らしい街は見えてきません。
それどころか上り坂はまだ続いています。
小さな峠を越えるとようやく道は下り坂へと変わり、
重力に任せて走らせた自転車が何度目かのカーブを曲がると、
眼下に突然クスコの赤茶けた屋根と街並みが飛び込んできました。
そのあまりの唐突さに僕はへたりと力が抜けてしまったことを覚えています。
その後も何度も越えることになる長大なスケールのアンデス山脈は
まさに地球を走っているという実感そのもので、多くのことを僕に教えてくれました。

これらの出来事はこうして思い返しただけでも、
今もあの時の興奮や達成感が蘇ってくるのだから
四年間の旅の中でも特別なシーンとして僕の心に残っています。

そして、あの時のように胸を昂らせることが出来る瞬間を求めて、
そういうものを追いかけて前へ、先へ、北へ、南へと走り回ってきました。
言ってみれば旅の原動力のようなもので、
これらのシーンに出会っていなければ
僕はずっと昔に旅を終わらせていたのではないかと思います。

けれど今回、ソンクル湖を走っている最中に感じていたものは、
これらのような激情的な興奮ではなくて、
うまく表現しにくいのですが、角の立っていない真ん丸な満足感や
心の底から突き上げる情熱ではなくて、心の至る所から染み出てくる充足感でした。
瞬間的に120パーセントの感動が心のメーターを振り切るのではなくて、
80パーセントくらいの満足が途切れることなくずっと続いたのです。

これに似た感情は、南米のパタゴニア地方や、
イタリアンアルプスのドロミテ街道でも感じた覚えがあります。
それでもあの時は一日の中で気持ちの浮き沈みがあったのに対し、
今回は三日間も四日間も道中ずっとシアワセを感じていたのは初めてのことでした。

高地とは思えない生命力に溢れる緑、これ以上ない爽やかな夏の気候、
走り去る馬が蹴りあげていった土の匂い。
そういったものに囲まれながら、
土地に暮らす人々に招かれて現地の生活習慣に触れ、別れ、
夕方になったら好きな場所でテントを張って、ただ沈みゆく夕日を眺め続ける。

旅に出る前からなんとなく心の中にあった"したかった旅"が
ここで出来たように感じたのでした。
突き抜けるような激情も大事だけれど、
こうした満足感がずっと続くことの方が旅の感動に
深みを与えてくれるような気もしています。

もしかしたら何かに純粋に感動を覚える感受性は
とうの昔に擦り切れてしまったのかもしれない、
たまにそんな風に思うことがありました。
けれど、キルギスに来てからというもの、
胸の高鳴りはずっと止むことなく続いているのです。
それが自分でも驚きで、そしてホッとした思いでした。

四日目、湖を一周し、往路と同じ道を辿って帰途につきました。
びっしり敷き詰められていた草原は標高が下がるほどに、
魔法が解けたように緑が失われ、
街へ戻る頃には乾いた大地が色気なくあたりを覆い尽くしてしまいます。

けれどスムースに転がるアスファルトに感激し、
あっちでは手に入らないアイスクリームも、数日ぶりとは思えない美味しさです。
何もない世界に憧れを持つ僕ですが、そこでずっと暮らすことは出来ません。
それでもあっちの世界とこっちの世界を往復することで、
己に足りていないもの、過剰に持ちすぎているものに気がつくことが出来る。
それが両方の世界への自分なりの距離の置き方です。

行きがけに寄った川魚のフライを出す食堂のおじさんも、
余計な荷物を預けておいた宿のお母さんもみんな僕の事を覚えていてくれ、
「ソンクルはどうだった?」と尋ねてきます。
『最高だったよ』と答えると、そうだろうそうだろうと頷いています。
バザールのそばのカフェのおばさんは
「今日はブリゾールはないんだよ、ショルポでもいいかい?」
と僕の注文まで覚えていてくれたことも嬉しく感じました。

ソンクルの余韻に浸りながらも、
元いた場所や知っている土地に戻ることに安堵や満足を覚える自分がいました。
ずっと途切れることなく続くシアワセの充足感。
湖にいる間も、戻ってきた今も感じていたことがあって、それは
これでこの世界一周の旅を終えることが出来る、ということ。

ずっと追い求めていたかつての興奮の瞬間を超えるものがここにありました。
この数日の日々を思い返せば、この先何かに行き詰まったとしても
奮い立つ勇気が湧いてくるような気持ちになります。
それ程に印象的な場所でした。
少なくとも夏のキルギスを超える場所は、
残り数ヶ月の旅路の中では見つかりそうにないと思えます。

したいと思っていた形の旅が出来て、知っている場所や人のところに戻ってホッとする。
誰のものでもない自分だけの旅がここに完結したような気持ちになって、
これで納得して日本に帰ることが出来ると思ったのでした。

この二度目のキルギスは、この四年間ずっと側にあった
"日本を目指して前へ進む"ということから一歩離れた旅でした。
去年感じた、夏のキルギスは気持ちいいだろうなぁという漠然とした思いに
無理やり理由をつけてやって来て、いざ走ってみたらとてつもなく最高だった。
それも、これ以上を望むことは出来ないほどに。
寄り道だったからこそ、自由に旅が出来たのかもしれません。
日程にもお金にも天気にも、何ものにも縛られることなく、
走りたいだけ走って、止まりたいところで止まる、
気ままに走った道草のような脇道の先で見つけたものは、
旅の中の大きな節目となりました。

日本に帰ろう。
心の中に、やっと見つけた自分だけの世界一をお土産に抱えながら。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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