各国・各地で 自転車世界1周Found紀行

世界一の夏が過ごせる場所

2015年07月15日

色々と悩んだ結果、南アジアはこのカトマンズで区切ることにしました。
ここから先は去年、中断している中国シルクロードへと戻って、
いよいよ日本を目指す旅の最終章へと突入です。

ただ、カトマンズから新疆ウイグル地区へのアクセスはあまりよくなく
航空券も割高で、何より肝心の中国VISAも持っていなかったので、
まずは去年、中国VISAを取得した実績のある
中央アジアのキルギスへと向かうことにしました。

…こう書くとなんだかやむを得ずキルギスへと行くことになったように感じますが、
実は違います。

思い返してみれば去年、中央アジアで出会ったキルギスを走った自転車乗り達は
「緑の草原がとても美しかった」と異口同音に言っていました。
ところが僕が苛烈な暑さのウズベキスタンを息も絶え絶えで越え、
タジキスタンのパミール高原に広がる4000mの高地を走り終えて、
キルギスに着く頃には秋を一瞬で通り越して冬が訪れてしまっていたのでした。
彼らが素晴らしいと口にしていた緑の草原はすっかり枯れ草色に変わっていて、
峠では吹雪に見舞われ凍える思いで下ったことを鮮明に覚えています。
西行き、東行きのそれぞれのルートと季節の流れを考えれば
仕方のないことなのかもしれませんが、僕にはとてもとても残念に感じられて、
いつか夏の時期の緑溢れるキルギスを訪れたいと思ったものでした。

だから、僕は何かにかこつけて夏のキルギスへ向かう理由を探していたのだと思います。
万年雪を抱いた天山の山々と、流れ出る雪解け水を受け止める数々の湖。
そのほとりに遊牧民が移動式住居のユルタを建て、
広大な緑の絨毯の上で馬を駆り羊たちを追っている。
そんな光景を想像しただけで、心が高揚して満たされていくのです。
ウイグル地区に戻る前にちょっとぐらい寄り道したっていいじゃないか。
いや、これはもう寄り道どころじゃない程にすっかり浮き足立っていたのでした。

どんよりとした空模様のカトマンズを発ち、一旦UAEのシャルジャ共和国へ。
地図で見ればヒマラヤを越えるだけの道のりも、
格安航空券での旅路は大きく遠回りとなります。
この旅通算五度目となるアラビア半島でのトランジットも
きっと今回が最後になることでしょう。
ラマダンまっただ中のアラブの国は湾岸の湿度が流れ込み、
アザーンが流れ断食が明ける頃にもじわっした暑さが漂っていました。

17時間の乗り継ぎ待ちの後は、
次の飛行機で今度はカザフスタンのアルマティへ向かいます。
そして空港で自転車を組立て、市内で一泊。
翌日ミニバスを捕まえキルギスの国境まで乗せてもらいました。
この時点でカトマンズを出発してから、実に二日半かかっています。
こうまでして戻ってきたのだから、
やっぱり僕はキルギスへ戻りたくて戻ってきたんだろうなと思って、
一人で苦笑してしまいました。

国境から首都ビシュケクまでは一時間の距離です。
自転車を走らせると流れてくる見覚えのあるキリル文字の広告や
耳に聞こえてくるロシア語に
あぁ僕は帰ってきたのだとニヤニヤしながら市内中心部へ。

前回もお世話になった宿へ着くと、
ちょうど宿のオーナーが出てくる所にばったり出会いました。
嬉しい事に僕のことをちゃんと覚えていてくれ、
そしてこうして突然戻ってきたにも関わらず
顔色一つ変えずに迎え入れてくれたのは、
やっぱりここが旅人の行き交うシルクロードだからだと思いました。
宿にはこれからパミール高原を走りに行くという自転車乗りや
天山山脈をトレッキングに行くというハイカーで溢れ、
まさにハイシーズン真っ盛りという感じ。
去年、訪れることの出来なかった緑のキルギスに
僕もとうとうやって来ることが出来たのです。

前回一月近くを過ごした馴染みのある街の歩き方は、
記憶だけでなく体もちゃんと覚えていました。
乗合バスのマルシュルートカも迷いなく乗ることが出来て、
行きつけだった中華料理屋に行くと友人そっくりな店員さんはまだ働いていました。
サーカス近くのレストランで出てくるナンは相変わらず絶品で、
チャイハナテーブルの置かれた食堂では、
食べ終わった後ついついゴロンと横になりたくなってしまいます。
旅行会社に顔を出すと、係の人はすぐに僕を思い出してくれました。

この街で長く過ごしたことは決して自慢するようなことではないのだけど、
自分がここにいた証が、自分の中にもこの街にもちゃんと残っていたことには
なんだかホッとしたような気持ちになりました。

その一方で、ジベック・ジョリ通りにあるロシア正教会は建て替えなのか、
あのタマネギ頭が見事に剥ぎ取られていて、
キエフスカヤ通りのトルコ系航空会社のオフィス前には、
つい最近からインド路線が就航したのに関連してか、大きな立て看板が目につきました。
街の各所で大掛かりな道路工事も行われています。

変わってないビシュケクと、変わりゆくビシュケク。
この両方を噛み締めながら街を散歩しました。

何よりあの時のビシュケクと決定的に違ったのは、
整然と植えられた街路樹から差し込む優しい木漏れ日が
ソビエト風の殺風景な街並みに初夏の到来を告げていたことです。

街路樹に縦横平行して流れる水路の音も涼しげで、
サンダルを履いた足をそこに落としてみると本当に気持ちが良いです。

背の高いポプラ並木の向こうに視線を向ければくっきり飛び込んでくる天山山脈と
さらにその向こうに続くヒマラヤ山脈がインド洋からの偏西風を遮って、
ここは南アジアとは比べ物にならない別天地のような爽やかさ。
こんな過ごしやすい場所は振り返ってみても記憶にありません。
短くともどこにも負けない夏がキルギスにやってきているのです。

通りの各辻では、キルギスの国民的飲料の
ショロやタンをカップ売りする売り子が必ずいて、
これはこの時期だけ出現する夏の風物詩です。
馬乳酒のクムスも今が一番新鮮で美味しい季節でしょう。
バザールを歩けば、アプリコットやベリーの酸味のある香りも
ほんの僅かですが感じることが出来ました。

薄手のワンピースを軽やかに着こなすロシア人も、
ゴム引きの防寒スリッパを脱いだキルギス人もみんな
清々しく通りを歩いています。
あれっ、ビシュケクってこんなに人が街を歩いているんだ、
僕の記憶する晩秋のビシュケクとはまるで程遠い風景でしたが、
この夏を待ちわびる人々の気持ちは十分伝わってきました。

昨年のこの季節を過ごした隣国のウズベキスタンやカザフスタンと比べても
キルギスの夏は過ごしやすい気候です。
強烈な日差しの太陽が差し込めば気温は簡単に40℃近くまであがってしまいますが、
からりとした空気は木陰に入れば十分涼しく、扇風機なんていりません。
夜になれば肌寒さも感じるくらいに気温が下がり、
蚊の羽音で眠れないなんてこともほとんどありません。
乾燥したステップ気候にあってこの国は万年雪を抱える山岳国。
中央アジアの周辺国に流れ込む水の源はこの国にあり、
厳しい暑さのこの地域にまろやかな涼感と清々しい緑をもたらしているのでした。

こんな完璧な気候の下で自転車旅をすればそれはもう、
みんな最高だったと口にするのは当たり前でした。
まだ走り出さずとも実際に感じてみて心の底から理解しました。

だから今度はその風景に溶け込む自分の姿も合わせてもう一度想像してみるのです。
雪山から湖へと注ぐ雪解け水を両手ですくって飲むきりりと冷たい水の味を。
遊牧民の暮らすユルタの隣にテントを張って見上げる満点の星空を。
果てまで続く緑の絨毯の上を家畜たちと一緒に走る自転車の姿を。
これ以上の夏が、この地球を見渡したとしてもどこにあるというのでしょうか。

必要な準備を終えていよいよビシュケクを走りだすと
すぐに遠くまで見渡せる見通しのよい風景に変わりました。
その所々に立つ背の高い木立の影で路上のスイカ売りがいます。
『持ってきな!』
目が合っただけなのになんて気前の良さでしょう。
そういえば去年も散々スイカを食べて来ましたが、
ほとんどお金を払ったことはありませんでした。
彼らが与えてくれる親切心は
この土地に漂う乾いた空気のようにさっぱりしているから
受け止める僕も躊躇なく貰うことが出来るような気がします。

もらったスイカをナイフで豪快に半分に切って、
皮をボウル代わりにザクザクと赤い実に食らいつきます。
日本のそれと比べて甘みは少ないですが、
この瑞々しさが中央アジアの乾いた気候にはとても合う。
この一玉のスイカでまずは体を満たすことが
夏の中央アジアを走りだすための儀式だと思って
果汁を口元から滴らせてかぶりつきました。

そしてお腹がたぷたぷになるほどに食べたら、
夢にまで見た緑の絨毯に向かって漕ぎ出しましょう。
さぁ世界一の夏の始まりです。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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