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交通弱者の妄想

2013年11月13日

"アフリカ"の運転はとても荒い。

わざわざ括弧でくくったのは、ウガンダ、ケニアを経て
タンザニアに入っても変わらず車の運転が荒く感じるのですから、
"アフリカ"のと言ってしまってよいのかもしれません。

普段、自転車で走っていると色々なことを考えながら走っています。
今日の夕食のこと、学生時代のこと、日本に帰ったら会いたい人…
他愛もないことや喫緊の問題、色んなことが頭の中を流れていきます。
しかし、アフリカ走行中の大半の時間は「車の運転が危ないな、荒いな」
そんな危機感を感じながら走っています。

いったいどんな風に荒いのでしょうか?

まず、第一にとにかくスピードを出します。
恐らくアクセルを目一杯踏んでいるのでしょう。
不完全燃焼を起こした排気ガスがモウモウと黒煙をあげ、
さながら暴走列車の如く道路を行き交います。
車が巻き上げる土埃とで毎日、走行終了後の僕の顔は真っ黒。

アクセルを全力で踏み抜くならば、ブレーキも急ブレーキ。
ブレーキランプなど疾うの昔に壊れているので、車は突如目の前で急停車します。
「徐行」という言葉はまるでこの土地には存在しないようです。

第二に、ライオンがサファリのピラミッドの頂点に君臨するように、
自動車もまた、この道路の支配者のように大手を振って走っています。
路上に誰かがいようがお構いなし。
「どけどけどけー」とクラクションを鳴らせば、
皆、避けてくれると思っているかのよう。
自転車の逃げ場になるような路肩が無い場所であっても、
彼らはパッパーとクラクションを鳴らし、
僕の僅か10cmすれすれのところを猛スピードで走り抜けます。

路上では車に轢かれてしまった生き物を沢山見かけます。
犬や鳥、牛をはじめとして、ケニアではシマウマもいました。
なんでもこのあたりでは道路に急に動物が出てきた場合、
避けようとすると、自分も事故に遭う可能性があるため、
それならば轢いてしまえ、がルールのよう。
そんな彼らを横目に、僕も同じ姿にならないよう祈りながら走り去ります。
「減速」という言葉はまるでこの土地には存在しないようです。

そして第三に、アフリカは追い越しが非常に多いです。
主要幹線であっても、片側一車線が多い道路に、
乗用車に長距離トラック、乗合バスにボダボダと呼ばれるバイクタクシーと
ありとあらゆる交通機関が入り乱れ、
それぞれが自分のスピードで走るために追い越し走行が頻繁に起こります。
ただ各々が元からアクセル全開で走っているので、
なかなか前の車を追い越すことが出来ず、
しばらく並走するようなこともしばしば。
そうすると追い越される側の車は
余計に僕のスレスレを通り去ることになるのです。

対向車の追い越しにしても、反対車線に僕がいるにも関わらず
クラクションを鳴らして突っ込んできます。
慌てて避けようとすると、
追い越し車のさらに外を二重の追い越しで車が飛び出してきました。
先にも書きましたが、片側一車線の道路で、です。
「譲り合い」という言葉はまるでこの土地には存在しないかのようです。

第四に、これはアフリカに関わらずですが、世界各国には街の入口・出口に
コルゲーションという洗濯板のような突起が設けられています。
恐らく、街に入っても減速しない車を強制的に減速させる仕掛けと思われます。
車もそうですが、自転車でここを越えると、
瞬間的に脳と体がシェイクされ非常に乗り心地も悪く、
自転車にも大きな負担が掛かってしまいます。
街と街との距離が近い地域を走ると、
一日にこの洗濯板を何十と越えなくてはならず
街に着くのが億劫になってしまいます。
快適な移動や高速移動を実現するための車なのに、
ルールをないがしろにした暴走を食い止めるため
このような仕掛けが設けられてしまうのはなんとも皮肉なことです。
「安全運転」はこの土地では自分からするものではなく、
このような仕掛けに無理強いされてするもののようです。

さて、呪いの言葉しか出てこないアフリカの走行事情ですが、
それなりの時間をこの路上で過ごしているとおかしな発見もしました。

たまに道路工事の途上のためか、
センターラインのない道路を走ることがあります。
ここでは、あれだけ僕のギリギリを通って行った車のほとんどが
適切な距離を空けて追い越していくのです。
もちろん走行スピードはモノスゴイですし、
対向車がいると変わらずスレスレを走り抜けて行きますが
それでも随分と走り方が変わりました。
もしかすると、「センターラインをはみ出して走行してはいけない」
そんな風に刷り込まれているのでしょうか?
そう考えると彼らのこのセンターラインのない道路での運転も納得がいきます。

もしかして、クラクションも「鳴らせば避ける」
そういう刷り込みからなっているとしたら
クラクションを取り去ってしまえば、
歩行者や自転車などの交通弱者に気遣える運転が出来るようになるのでは…?
もしくは、クラクションが持つあの甲高く尖った音が
運転手の攻撃性を高めているのならば、
牛の鳴き声のようなずんぐりした音色に変えてみたら…
(もちろん、これでは危険を知らせるクラクションの
本来の役目が失われてしまいますが)

コルゲーションも道路のセンターラインもクラクションも、
車が道路の上であまりにも強者になりすぎてしまった、
あるいは主流になりすぎてしまったから故に設けられたルールや仕掛けです。
ただし、それらのルールの中であれば交通弱者に対しての
どんな横暴も認められてしまう気もします。

強者である車を制御するために様々な制約やルールが
パッチワークのように付け貼りされてきましたが
必要なことは実は、制約を次々と課していくことではなくて、
考えて行動が出来るように、余計なものを取り払うことが
交通強者と弱者が共存できる方法なのでは?

そんな妄想を心で膨らませながら、今日もアフリカの道を行くのでした。
どうか、轢かれませんように。

  • プロフィール 元無印良品の店舗スタッフ

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