研究テーマ

ATELIER MUJIトークイベント「天然染 "未来に向けた羅針盤づくり"・・・IKTTの活動と無印良品との取組み」(4/4)

2012年10月24日

このレポートは、2012年9月22日、23日にATELIER MUJIで行われたATELIER MUJIトークイベント「天然染 "未来に向けた羅針盤づくり"・・・IKTTの活動と無印良品との取組み」を採録しています。

司会 森本さん、ありがとうございました。
いろいろなお話を伺いましたが、いかがでしたでしょうか。質疑応答に移りたいと思います。

参加者A 私は伝統の森のほうはネットとかでちょっと見せていただいていて、伺ったことはないのですけれども。カンボジアの昔からの伝統的な、そこに映っているような織物を再現されているという印象があったものですから、きょう、たまたまお話を伺って、この高圧釜でしているというのを見て、え? 全然、何か印象がちょっと違ったんですね。なので、そういうサステイナブルな伝統の森をつくられてきて、また新しいこういうプロジェクトもされるというので、それが両立するのかしらって、お話を聞く前、この周りをちょっと見て思ったのですけれども、そういうことについてはどうお考えでしょう。

森本 そういう意味でいったら、私は融合と考えています。伝統と現代というのは二元論的に対立概念とは考えていないんです。もっと言うと、伝統というのは守るものじゃなくて、つくるものだと私は理解している。だから、圧力鍋を使った草木染めは新しい伝統になります(笑)。
私ね、実はこれ圧力鍋を使ったらいいと考えたのは、もう20年以上前の話なんですけれども、そのころに私はカレーとかシチューとかを自分で圧力鍋で一生懸命つくっていた。いつもつくりながら、片方で昼間は一生懸命、あの木の皮から色を出すのにどうしたらいいとか、こうしたらいいとか、毎日悩んで苦労していた。それで夜、またその圧力鍋で、ジャガイモをどうしたらもっとおいしくカレーライスつくれるかというようなことをやりながら、ある日、それが一緒になったんですよ。あ、色を出すというのは、このいつもカレーをつくっている圧力鍋で色を出したらいいなというのに気がついて。
実は、これがとんでもない発見なんですよ。だから多分、今はまだ世界で圧力鍋で草木染めをやっている人はいないと思いますよ。唯一、無印だけです。でも私はね、多分もう5年、10年したら世界中、みんなで圧力鍋で草木染めをやっていると思います。それだけ非常に効果があるもの、技術なんです。
それと、伝統というのは変化してくる。常に時代とともに変化してきているのが伝統なんです。伝統というのは守っちゃいけないです。伝統を守るというのは後ろを向いて走ることと同じだと思うんですよ。時代というのは常に前に進んでいますから、それと一緒に進むというのが伝統です。だから私は、生きた伝統、伝統というのは生きているものだと理解しています。
だから、ただ守るのであれば、それはもうミュージアムの仕事ですよ。後ろ向きに走る、それを保存するためであったら。私たちはそれを、できたものをつくって、それを売って、つくっている人たちは生活していかなきゃいけない。それは、売れるものをつくらなきゃいけない。とてもリアル、リアリティー。だから私たちがカンボジアの伝統のものを復元することから始めて、それをつくって、それをつくっているうちの200人、300人のスタッフ、家族が、それを売ったお金でみんなが生活していける──とてもリアルです。だから、そういう売れるものを。
では売れるものって何かというと、決して何でもいいからつくればいいじゃない。やっぱり見た人が欲しいと思っていただける、納得して買っていただける、見れば自然に手が出て欲しいと思えるものをつくる。僕はそれが伝統の技術、経験、知恵だと理解しています。だから、これ伝統の仕事だと言って売れなくても踏ん反り返っていたら、それはだめです。消えていきます。やっぱり伝統の知恵や経験、技術を生かして新しいものを常に、その時代、時代の中で生み出していく。私はそれが伝統だと理解しております。よろしいでしょうか。

参加者B 今、圧力鍋の話をされたのですけれども、実は私はここへ来る前に大量生産でもって草木染めを堅牢度を上げてつくるって頭の中で考えて、あ、これは圧力鍋なんだろうなということを私は思ったのです。今までされていなかったというのは何でなのかなと逆に思ったのですけれども。染色をするときに堅牢度を上げるのに、どうしても丁寧に何回も何回も染め重ねて、そして色を上げていきますよね。そうした場合に、糸とか素材が傷むということと隣り合わせというか、それをすればするほど傷んでくるわけじゃけないですか。私は圧力鍋の染色はしたことないので、その辺というのはどうなんでしょうか、圧力鍋でそれは。

森本 それ自体は、多分、糸が傷んだりというのは染色の工程で傷む場合も……。私が自然の染料っておもしろい、生きていると思うのは、染めたときというのは糸や布がいじめられていると理解しています。だから、ちょっと弱っていていいんですよ。ところがおもしろいのは、半年、1年とそのまま置いておきますよね。色がよみがえってくるんですよ。色がきれいになる。だから、染めるときにいじめられたやつが、また元気になってもとに戻る。そういう、本当に生きているという。
圧力鍋で染めることがいじめることに……。染めること自体は外圧を加えることだからいじめるといえばいじめるけれども、私はその度合いはかなり少ないんじゃないかと理解しています。むしろ、染めるために何回も何回も洗って、染めて、染めてを繰り返すよりは、はるかにいいんじゃないかなと理解しています。

参加者B ということは、今回はタオルですけれども、タオルは綿ですよね。やはり絹とかそういったものにも応用はできるということなんでしょうか。

森本 基本的にはもうすべて同じだと思います。染めるということに関してですね。
これは逆に言うと、今の化学染料、近代の染色技術の考え方も全く同じです。日本だと、古い時代の着物の世界でも、私も素描きという着物に絵を描く仕事をやって、普通は染めじゃない、染料とか顔料を使って描くのだけれども、それをとめるのにやっぱり空蒸しというのをやるのです。高圧の釜に入れて、それで色をとめる。それも多分、技術的には同じことを意味していると思いますから。

参加者B どうもありがとうございます。

参加者C 世界で伝統の織物の技術がだんだん、その継承が廃れてきていて失われているという現状があるとおっしゃっていたと思うのですけれども、この伝統の森のような活動をモデルケースとして、世界で同様の自立した村づくりを行うということはあるのか。それと、あと日本でその可能性というのはどういうふうに考えられているかなと、お聞きしたいと思います。

森本 そういう意味でいったら、可能性は、僕はこれからいろいろなところにあると思います。
実は私、来月の後半ですけれども、インドネシアのティモールかな、やっぱり絣の織物を昔からやっている人たちのところに呼ばれていて、そこでそういう、彼らが今、ティモールの織物をどうしていったらいいか、それが彼らの生活の中でどう根づいて、それをつくりながら、それでつくっている人たちみんなが食べていけるようにできるかということを、みんなで一緒に話をしたいなというようなことで行くことになっています。
ただ、私はタイ、カンボジアにこれで30年おりますが、片方でここ10年、20年、工芸がお土産物屋さん世界になっていく。そうすると、工芸は結果的には自分で自分の首を締めるようになっていく。タイでも、言ったらハンディークラフト的な、よく店頭で売られている商品がいっぱい並んでいる。それで、パッと見にはよく見える。あるとき、私はそれが大量に入っている倉庫に行ったことがあったのです。でっかい倉庫にスチールの棚があって、そこにそういう商品がうわーっと並んでいる。そのとき、なぜかゾッとしたんですよ。それは、こうやって店頭のライトに下に1個1個単品で置いてあるときれいなんです。ところが、それがうわーっと何百個、何千個かある倉庫で、そのつくられたものが手づくりだと言われながら、半分ぐらい実は機械でつくられているような、ハンディークラフトと言われているものがいっぱいそこに。僕はそのとき、それがとてもメタリックな印象が。心がないと言うとちょっと言い過ぎですけれども、そのときそれに近いものを感じてね。
皆さんご存じですかね。今、例えばカンボジアのシェムリアップ、プノンペン、タイのチェンマイ、バンコック、インドネシアのお土産物屋さんで売っている商品は、ほとんどどこへ行っても同じような商品を売っているんですよね。あの百均と一緒で多分、中国のどこかでつくって、ビルマかもしれないし、どこかわかりませんけれども、それをあの周辺に全部流して、そういう流れが多分あるのだろうなと思ったりするのです。

もっと言えば、今、もうにせのシルクが山のようにあふれていて、僕が今回来るときも、たまたまシェムリアップで飛行機を待っていたら隣にいた日本人のグループの人たちが、「おいっ子のためにシルクのパジャマを買ったんだよね」とか言って、「俺は30ドルだったけど、おまえ幾らで買った?」みたいな話をしていてね。私は一瞬、その話をもう1回聞き直した。パジャマをつくるとしたら大体5メートル、6メートルは生地が要るわけです。例えばシルクでいえば約1キロのシルクが必要で。シルクの国際市場価格というのはキロ何十ドルと決まっているわけです。だから、それより安い、それの数分の1の値段のようなシルクは大体存在しないわけですから。シルクの国際市場価格よりも何割か安いもの、逆に言えばそれ自体がシルクじゃないことを言っているわけで、みんながお土産の中で普通にそれが流通して、求めていくみたいな関係の中で、逆に言えば本来のいいものをつくっている人たちの仕事が潰されていくみたいな流れも片方にあると私は思うから。ただ、うちの場合もそうですけれど……。
こういう言い方をするとちょっとあれだけれども、ツアービジネスとか、お土産物屋さんからコミッションをもらえることでガイドさんというのは動く。だから、お客さんをうちには連れてこないで、そういうにせのシルクを売っている店にお客さんを連れていくというのは、これは観光のビジネスの人たちの1つの宿命だからしようがないですけれども。そういう中で、なおかつ本物をつくり続けていくことの大変さと、でも、そのことの意味と、じゃあそのためには何が必要なのか、何をするべきなのかというのが僕は当然そこの答えとしてあると思います。だから私たちもやっぱりそれを目指しながら、悩みながら、でも、その道を歩んできましたから、僕はまだまだいろいろなところで、それは日本でもそうだし、ほかの東南アジアの国でも多分同じようなことが言えると思いますから、可能性はまだたくさんあると僕は思っております。

参加者C ラックというのはカンボジアで栽培されているのでしょうか。これから、それが商品として供給できるほどの量があるのかどうか。ブータンに行ったときに、ブータンではまだかなりあるけれども、もうだんだん少なくなって栽培者が少ないということを聞きました。カンボジアは気候がまた違うところだと思うのですけれども、その今後についてお伺いしたいと思います。

森本 私は、ブータンはラックのふるさとだと思っているのです。ネパール、ブータンあたりが多分、ラックの一番原産地といいますか、なんじゃないかなと。ラックというのはカイガラムシの一種なんですけれども、ご存じだと思いますけれども中南米にいるコチニール、同じカイガラムシの仲間ですけどコチニールのほうはサボテンに寄生するカイガラムシで、その虫の本体を染料に使う。ラックは虫の本体ではなくて、巣を使うのです。そして、ヒマラヤ山系の山の中にいる。カンボジアも第2次大戦のころは、ラックスティックと言うのですけれども、フランスの植民地時代とかも含めてヨーロッパに向けて何百トンですかね、輸出されていたという記録が残っている。だから、1930年代にフランスがつくった非常に大きなインドシナの古い地図に、カンボジアの中に何カ所かラックと明記されている地域があるのです。そのぐらい生産量はあったのだけれども、あの内戦の中でそういう虫が寄生していた木を全部切られてしまって、私が94年、95年、96年と調査したときはもう完全に壊滅していました。絶滅していて……。
私たちがこの伝統の森をやろうとした1つの大きな理由は、ラックをもう一度取り戻したいということね。だから、まず寄生する木(ホストツリー)を育てて、実はその木だけじゃだめで、その木を囲む森ですね、自然環境。実はラックは、生き延びられるかどうかのきわどいラインで暮らしていた虫なんです。森がないと、単独のその木だけでは虫は死んでしまう。だから森を一緒につくることで、その虫をもう一度取り戻すことができる。だから、私たちが10年前にこの伝統の森プロジェクトを始めたときの、シンボルといいますか、象徴でもあった。昔は織り手の手の届くところにラック、カイガラムシがあって、実はカイガラムシの巣は新鮮なほど鮮やかな赤が染められる。だから、これは赤を染めるための重要な染料ですから、昔のような織り手の手の届くところにその虫の巣がある環境を僕らはやっぱり取り戻したいというのが、私たちの織物の活動の中では非常に重要なポイントを占めている。
今、10年たって、私たちはその寄生できる木、そして小さな森も取り戻して、実は昨年、私たちの森にそのラック、カイガラムシが戻ってきたんですね。虫が戻ってきたことで私は、とても象徴的に言うと、あ、これで私のやらなきゃいけない大きな大仕事は終えたなとほっとして、とてもうれしく。今も時間があるとちゃんと――虫は0.5ミリぐらいの本当に小さな、赤い、知らない人が見たらそれは虫だと思えないぐらい小さな虫なんですよね。それを私は、虫がちゃんと元気に育って、巣をたくさんつくっていっているかなと、私は時たまうちの森の中を見に行ったりしております。だから今、カンボジアでは、私たちの森が多分、唯一だと思いますけれども、ラックのカイガラムシを取り戻してきております。

参加者C ありがとうございます。

参加者D こんにちは。きょうは参加させていただきましてありがとうございます。
染色の染材について質問があるのですけれども。上海の工場で染められているということで、染料の材料を海南島であるとか、あとは深圳(シンセン)からわざわざ運んで、その染材を使った理由というのはどこにあるのでしょうか。

森本 簡単に言うと、例えば深圳はバラの木がたくさん豊富にある。だから、私は染め材に自然の染料を使うというときに、例えば有名なサフランの赤、きれいな赤が染まります。でも、サフランってグラム単位で幾らですよね。何千円だったりします。それで例えばTシャツを染めたら、下手したら何万円のTシャツになっちゃう。だからやっぱり染め材を、集めやすい、使いやすい、そういう染め材で染めるのが私は一番基本だと理解している。例えば海南島だったら椰子の実が豊富にある。距離はあります。でも逆に言えば、それを加工なりなんなりして染めるために持ってくる費用で補える。そのもとのものはそんなに値段が高くないですから、例えばバラの枝にしても市場で捨てられようとしているものを集めてきて染めるわけですから。だから私は、手短に入る、使いやすいものを染め材にするというのが一番大切なんじゃないかなと思っています。

参加者D ありがとうございました。
もう1個だけあるのですけれども、今、最後のほうでお話しのあった工芸と土産物の、その辺がちょっと。もう少しわかりやすく説明していただけないでしょうか。

森本 簡単に言っちゃうと、心がこもっているかどうかの違いだって言っちゃうとなんですが(笑)、わかりますか。例えばうちの村、織り手、みんな赤ん坊と子供を連れて働きに来ているんです。私はそれをオッケーしていて。何でかというと、うちに来たときは15~16歳、17~18歳だった彼女たちが、それから何年かして彼氏を見つけて結婚して今、子供を抱えて仕事をしている。彼女たちがそういう赤ん坊や子供を連れて働きに来られる環境を僕はオッケーしているけれども、実はもっと大切なことがあって、彼女たちがそういう子供を家に置いてきたら、その子供を心配しながら働かなきゃいけない。そうやって心配しながら例えば7時間働くのと、子供を連れてきて、子供を見るために7時間のうちの2時間をそれで費やす。本当に働いている時間は5時間しかない。でも、その2時間をマイナスで考えるのか。そうじゃなくて、お母さんがそうやって2時間、子供をフルケアした上で5時間働いたその結果というのは、お母さんが安心でハッピーな環境で仕事ができる。
実は物づくりで本当にいいものをつくりたいというのは、いいものをつくりたいという気持ち、心がなければつくれないです。それはもうはっきりしています。私はよく言うのですが、玉子焼き。染色の仕事って料理をつくるのとすごく似ていまして、例えば玉子焼きって一番シンプルで簡単な料理ですね。でも、嫌々つくった人の玉子焼きって、絶対おいしくないです。でも、本当に食べてもらいたい、いい玉子焼きをつくりたいという気持ちを持ってつくると、おいしい玉子焼きが焼けます。多分、これははっきりしていると思います。それと同じで、手で物をつくる工芸の世界というのは、そういう心・気持ちがないといいものはできない。それが私は工芸の世界だと理解しています。
逆に言えば、お土産物の世界というのはだれがつくってもいい。大量生産でも工芸風であればいいわけです。そういうものはもうあふれていますよね。皆さんアジアへ行かれて、例えばタイのチェンマイ、バンコック、カンボジアのシェムリアップ、プノンペン、ベトナムのホーチミン、インドネシア、バリ。今、売っているものは実はほとんど同じものを売っているんですよ。市場に行ったら、「これカンボジアのシルク」、同じものをタイに持っていって「タイシルク」と言って売っているんです。今、そういう世界ですよ。それがお土産物屋さんの世界だと私は理解しております。よろしいでしょうか。

参加者D はい、ありがとうございます。

司会 ありがとうございます。ほかにご質問ある方いらっしゃいますか。では、ありがとうございました。
短い間ではございましたが、本日のトークイベントを終了させていただきます。最後に改めまして、森本さんありがとうございました。(拍手)
この取り組みで完成したタオルが会場にございますので、ぜひお帰りの際に手にとっていただければと思います。また、展示のほうも10月8日まで続いていますので、ぜひ足をお運びください。本日はご足労いただきまして、まことにありがとうございました。(拍手)