研究テーマ

原研哉氏トークイベント採録(2/5)

2010年2月3日

西洋では150年前に近代社会ができ、「シンプル」が生まれた。その300年前、日本ではすでに成熟した「簡素」ができ上がっていた。

このレポートは、2009年9月24日に池袋西武店で行われたトークイベントを採録しています。

世界は複雑から始まった

さて、ここで問題です。「エンプティ」と「シンプル」はちょっと似てる、と僕は思うんですけれどもいかがですか。シンプルって何でしょう。よく「無印良品はシンプルだ」と言いますけど、今日は「無印良品はシンプルではなくエンプティだ」ということを話すために、わざわざこんな難しい話をしてるんです。

まず「シンプル」というのはいつできたか、わかる人、いますか? 僕は、150年くらい前にできたと言っているんです。勝手に言ってることなので、反論がある人は言ってください(笑)。
なぜかというと、世界は「複雑」から始まったからなんです。その複雑さを理性で乗り越えてシンプルにたどり着いたのが約150年前。

この写真は青銅器です。故宮博物院などに行くとありますね。青銅器はいきなり始めからこんなふうに複雑だったんです。無印良品のサラダボールみたいな単純なかたちから徐々に進化してこうなったんじゃない。

なぜかというと、こういうオブジェクトっていうのは「力」を表現するためにつくられたからなんです。
古代の村なり共同体なり国なりは、王なり長なりがいて、その共同体を治める強い求心力を持っていたし、持たなくてはならなかった。統治する力を持たなければならなかったんです。そして、その力の所在を目に見える形で示す必要があった。ですから力を表象するというか、表現するための、いろいろなものが必要だったんです。青銅器というのは10円玉と同じですから出来たてはピカピカだったんでしょうけど、表面には複雑な模様がびっしり付いています。ツルツルじゃなかったんです。ツルツルから進化してこうなったんじゃなくて、最初からこんな風だった。こういうものをつくる技術に長けた技術者が、膨大な時間と手間をかけてなしとげた「高度な達成」。
こういうものを見せられると、みんな「おおー」とか「ひえー」とか、思わず感じ入るでしょ。そういうオーラを発して、みんなを注目させるような力を持つということが、こういうものの役割だったのです。お酒を貯蔵するとかいう用の合理性じゃなかったんですね。ものをつくるということは、そこに何か力を込めるということで、そういう力を発生させるように、ものはつくられてきた。表面をびっしり覆うような複雑きわまりない模様があったりするのは、そのためだったんです。

「力の表象」としての複雑

中国も、春秋や戦国の時代は国がたくさんありました。うかうかしてると、すぐに隣りの国にやられて、王様も殺されてしまう。だから一生懸命考えて、備えなくちゃならないわけで、春秋戦国の時代には人間の知恵がたくさん絞り出されてくるわけです。兵法も出てくるし、国を統治するための儒教みたいなものも出てきます。
知恵が一番出てくる時代というのは国々が一番不安定だった時代でもあって、紋様とか装飾とか、そういったものが煮えたぎるように出てくるのもこういう時代です。

つまり、力を表現していくということが非常に重要だった。龍みたいな複雑な紋様をまとうということは、体に入れ墨を入れるようなものです。「どうだ!」という示威行為なんですね。公衆浴場に、入れ墨を入れた人の入浴を制限するのは、威嚇性を考慮して、普通の人を怖がらせたりしないようにという配慮です。やくざと結びつかなくても、びっしり紋様を入れていると威嚇性を発してしまうのです。

これはインドのタージマハールですけど、お妃が死んだときに、ムガール帝国の王はこんなものをつくらせた。大理石をベースに、東西から集めた珍しい石を象嵌して、複雑な唐草紋様を建築の表面にびっしりと描かせた。象嵌というのは、石を削って、そこに同じ形に削った石をはめ込んで文様をなしていくという、途方もない作業です。
イスラムでは偶像礼拝が禁止されていますから、幾何学パターンをおそるべき稠密さで描いて、このようなモスクをつくったりしています。

中国ではおどろおどろしい龍の紋様をたぎらせて「俺たちを怒らせるとちょっと恐いぞ」と。イスラムも幾何学紋様をびっしりとはびこらせて「うっかり攻めるとひどい目に遭うよ」と。今は核兵器が抑止力になっていますが、昔は稠密な文様が、ある種の抑止力になっていたと考えてください。紋様が抑止力になっているというのは平和なことなんですが、そんなことをイメージしてみてください。そうやって、稠密なる文様が、権威や力の表象として機能していたという、そういう時代です。そこに「シンプル」がつけいる隙はないのです。
ヨーロッパでも、最も王権が強かった頃の、ルイ14世の頃のヴェルサイユ宮殿はこんなことになっていました。

謁見の間であった「鏡の間」です。バロックやロココといった様式が、強い王権を背景に絶頂期でした。赤い絨毯が敷かれたこの間に通されて、その遠く向こうに王様がいたりしたら「ひぇー」と思いますよね。そういう「力」が表現されていたのです。

複雑さを超克したシンプル

ところが、こういう複雑なる時代に終わりがやってきます。何が始まるかというと、市民社会が始まるんです。王様は、極端な場合は断頭台で首を斬られたりして、市民革命が起きてきます。市民社会とは何かというと、王様や貴族ではなく、人間ひとりひとりが主役になる社会ということです。フランスあたりでは、市民革命の後も、一時はナポレオンの帝政などで揺り戻しがあったりしましたが、やがて本格的な近代社会が始まります。近代社会とは、人間が自分の意志で自由に生きていける社会です。主権はひとりひとりの人間にあって、国家というのは、ひとりひとりが自由に生きていくためのサービスをするためのものに変わってくる。それが近代社会です。
この近代社会ができてきたときに、初めて「シンプル」が生まれてくるんです。
たとえば、装飾がいっぱい付いて猫の足のようにしなった足の椅子にもう座らなくてもいい。

つまり、椅子が「力」を表現する必要も、貴族趣味を表現する必要もなくなるんです。だとすると、最短距離で「座る」という行為に寄り添うかたちや機能を考えればいいということで、急速にすっきりした椅子ができてきた。

本当に「急に」なんです。ついこの間まで、装飾過多だったのが、わずか100年足らずのうちに、すっきりと変容する。
市民社会の確立というのはいつとは断定できませんが、はじめてのロンドン万国博覧会の開催が、1851年で、トーネットが大衆向けのシンプルな椅子をつくりはじめたのもだいたい150年くらい前ですよね。近代社会や産業革命と同時に合理性というのが生まれてきて、新しい時代というものをみんなが意識するようになりました。芸術も思想も文学も、工芸も服飾も、全て考え方が刷新されていくわけです。
シンプルというのは、そういう経緯で生まれてきた。つまり複雑さを超克するプロセスとして見いだされたものです。人間と素材とかたちというものが、あるいは用途と素材とかたちの関係を、最短距離で結ぼうという思想が生まれてきた。衣服の世界でも、コルセットがなくなって、ポール・ポワレとか、マリアノ・フォルチュニィが体に添う自然な美しさの服を生み出し、さらにシャネルが出てくる。シャネルというのは、まさにシンプル、合理性の極致だったんです。芸術も、皇帝のための芸術ではない、もっと自由な芸術が出てきた。文学もそうです。日常生活の物品を整えるという面でも、そうなっていきました。そこで、いわゆる近代デザインというものが生まれてきたんです。シンプルという概念はそうして誕生した。
もちろん、無印良品もシンプルを標榜するという意味では、西洋のデザインの思想を免れません。けれども一方で、その西洋が血のにじむ努力をして市民社会を実現して勝ち得た合理性とシンプル、その近代という時代から遡ること300年くらい、室町後期の日本に、すでに日本には成熟した簡素な様式ができあがっていたのです。

シンプルより早く生まれた日本の「簡素」

これは桃山時代に確立した茶道具で「利休形」と言われるものです。

これは、結構驚くべきことです。世界は「複雑」から進化していますから、インドネシアでも中国でもインドでもフランスでも、簡素・シンプルに極まった様式はないんですね。茶杓だって、中国では水牛の骨を削ったデコラティブなものが高級とされたわけですが、日本では、竹をすっと削っただけのような簡素なものがいいとされたわけです。これはどういうことか。それがおもしろいところですね。なぜなのか、ということです。
この地図をご覧ください。

これは僕がよく例に挙げる図で、高野孟(たかのはじめ)さんの「世界地図の読み方」という本を参照したものですが、ユーラシア大陸を90度回転させてみますと、ユーラシア大陸はパチンコ台に見立てることができます。
そうすると、日本はちょうど受け皿の位置にきますね。一番上の方にはローマ。文化はシルクロードを通って、中国、朝鮮半島を経て、日本に文物が伝わったと、一般的には言われていますが、当然パチンコの玉は跳ね回りながら進みますから、ある一定のルートからだけではなく、いろいろな方向を進みます。文化もそうじゃなかったかと思うんです。インド経由で東南アジアから海のシルクロードを通ってきたものも当然あるだろうし、ロシアのほうからカムチャツカ半島や樺太を経て入ってきたものもあると思います。椰子の実のように、ポリネシアの方から漂着したものもあるかもしれない。つまり、日本というのは世界中の文物の影響にさらされてきたのです。
世界は「複雑」からできあがっていますから、インドネシアのものが漂着しても、中国のものが漂着しても、みんな「複雑」です。強い国は、その威を稠密な文物にたくしてよこしてきますから、端っこの日本にはそういうものが集まりやすい。日本人も唐物とか到来物とかいってそれを珍重しました。だから元来、日本はカラフルも好きだし、ゴージャスも好きだし、唐草模様も大好きでした。正倉院をみるとそんなものだらけです。それを大事にとっておいて、そこから複製をいっぱいつくって影響を受けて生きていたんです。だから、日本の文化も結構「絢爛」だった。
そこに、あるときから急に「簡素」ができてきた。なぜかというと、ある時期に革命的なリセットが起こったからなんです。
その大きな要因が「応仁の乱」だったのです。