研究テーマ

原研哉氏トークイベント採録

無印良品は、シンプルではなく、エンプティネス。

このレポートは、2009年9月24日に池袋西武店で行われたトークイベントを採録しています。

原研哉(はらけんや)

グラフィックデザイナー

1958年生まれ。日本デザインセンター代表取締役。武蔵野美術大学教授。アイデンティフィケーションやコミュニケーション、すなわち「もの」ではなく「こと」のデザインを専門としている。2001年より無印良品のボードメンバーとなり、その広告キャンペーンで2003年東京ADC賞グランプリを受賞。近年の仕事は、松屋銀座リニューアル、梅田病院サイン計画、森ビルVI計画など。長野オリンピックの開・閉会式プログラムや、2005年愛知万博の公式ポスターを制作するなど国を代表する仕事も担当している。また、プロデュースした「RE DESIGN」「HAPTIC」「SENSEWARE」などの展覧会は、デザインを社会や人間の感覚との関係でとらえ直す試みとして注目されている。近著『デザインのデザイン(DESIGNING DESIGN)』は各国語に翻訳され、世界に多数の読者を持つ。

おのずと意識される「日本」

無印良品の池袋のお店も新しくなり、今日は無印良品にこと寄せてお話をするということですが、ふだん無印良品について真正面から話すということはあまりありません。いつも考えてはいるのですが、それについて語り過ぎてはいけないという意識が、常にあるんですね。というのは、無印良品というのはいろいろな人がいろんな風に捉えているからです。これが無印良品だと断定できない。僕は無印良品のアドバイザリーボードに加わらせていただいているんですが、僕が思う無印良品が、無印良品のど真ん中とは限らない。そういう意味では、いろいろな無印良品があるので「無印良品=これだ」ということはなかなか言い切れないわけです。
しかし今回の「無印良品の理由展」では小池(一子)さんや杉本(貴志)さんや深澤(直人)さんが、それぞれの立場でお話をされるということなので、あまり遠慮をしないで、僕はこんな風に考えてきたということを、きちんとお話ししたいと思います。

僕は無印良品の仕事をさせていただいて、すごくいろいろなことを考えることができました。それは、デザイナーとして自分がやってきたことの背景を、無印良品に重ね合わせながら、もう一回おさらいをすることでもあるような気がします。
僕は最近「日本」ということを意識して仕事をしています。日本人だからとかいう特別な意識があるわけじゃないんですが、僕は日本という場所でデザインをしていて、日本語を使う1億3千万の人たちとコミュニケーションをすることでデザインを成り立たせています。世界の文脈で仕事をすることがあっても、日本で育ててきたデザインの感覚を世界に開いていくわけですから、おのずと「日本」を意識します。僕はニューヨークに進出したいとは思わないし、ロンドンに拠点をつくろうとも思わない。日本語で考えた自分の感覚を世界につなげていくということを、結構自然にできると思っているので、自分で磨くべき資源と、無印良品がもっている資源というものがオーバーラップしてくるんです。
そして、デザインで考えることと、無印良品で考えることがここ数年は同じようなところを行き来しているので、デザインを語ることと無印良品を語ることは、ある部分、一致するところがあると思っています。

今日、最初にお見せするこの写真は、日本のことを考えるきっかけになった仕事のひとつです。

これは京都の慈照寺、いわゆる銀閣の東求堂にある同仁斎という書院です。足利義政が応仁の乱のあとに東山につくり、ここに隠遁するというか、将軍職を退いたあとに生活する場所をつくったんですけれど、その書院の写真です。

京都の、この東求堂の同仁斎とか、大徳寺玉林院の霞床席(かすみどこせき)や簑庵(さあん)、武者小路千家の官休庵とか、スーパー茶室とでもいうべき国宝級の和室や茶室を歴訪し、そこに無印良品の茶碗を置いて写真を撮るというロケーションをやった時のことです。たまたま、こういう京都の奥深くに入り込むことができて、そこで室町末期の日本の感受性とご対面というか、しっかりと出会う体験ができました。そのとき、自分がデザイナーとして培ってきた感性や、掘り下げてきた感覚と、室町末期の日本の美意識みたいなものが、びしっと自然にかみ合うという手応えを感じたんです。それ以降、少し考えてきたことがあって、今日はその話をしたいと思います。
京都というのは、僕は実はどちらかというと苦手だったんです。デザインというのは、少なからず現代とか未来のことを考えていくわけで、過去の文化にぶらさがって生きてるっていうのはどうなのか、と。お寺も参拝料をとるけど、昔からあるものにどういう権利でそういうことができるのかとか、湯豆腐のどこがそんなにおいしいんだ、みたいな密やかな反発心をずっと抱いていたので、京都というのは微妙に苦手だった。
だけど、さきほど話した経験で、室町後期にできてきた、いわゆる「国風化」と言われている日本の感覚の独自性みたいなものと、自分のデザインの拠って立つところが、つながっていると気がついた瞬間、ガツーンとのめり込んでしまったところがある。

まず、エンプティネス(Emptiness)というテーマで、少しお話をしてみたいと思います。そのあとで無印良品の広告の話、さらには今後の無印良品の自分が考える課題というか、あるいはこういうことをテーマにしていったら面白いんじゃないかというところまで、話が発展できたらと思います。今日は持ち時間が1時間半だと思っていたので、それだけ分の材料を持ってきちゃったんです。1時間とのことで、早口でしゃべっていこうと思います(笑)。
まず、最近はグローバルという言葉がよく聞かれるんですが、グローバルというのは僕は経済用語だと思っています。文化を語る言葉ではない。たまたま、世界中でものをつくったり販売したり、あるいは金融システムを標準化したりすることから、ものの生産や物流、組み立てや販売の仕組みを地球規模で展開したほうが無駄がなくて合理的だということになってきた。そういう観点からグローバルという言葉が出てきたわけですが、文化というのは本質的にローカルなものなんです。シシリア島であり、伊豆半島であり、京都であり、北京なんですよ。
イタリアのお母さんが「マリオ! パスタを食べるときはお皿を温めなさい」といいますよね。そうやって食べるパスタがおいしい。あるいは日本の旬を見事に捕まえる懐石料理がおいしいんです。これが文化。あちこちの料理をミックスした料理なんておいしくない。オリジナルな食材や工夫、旬みたいなものが、ローカルなままの価値を保存しながら、世界の文脈へと通じていくところに文化の醍醐味があるわけです。
ただし、ローカルに育まれてきたものを、方言でしゃべるのではなくて、共通語や世界語にしてスムーズに世界につなげていく態度が重要です。グローバルな時代にあればこそ、むしろローカリティーの実質をしっかりと探りあててつかんでいなければならないと思うんです。

満たされる可能性としての「空っぽ」

最初にエンプティネスと言いましたが、これは無印良品の美意識の背景にもあり、また日本人の美意識の背景にもある感覚です。まずは古事記の時代にさかのぼって、その美意識の源流はどこにあったのかという話をしてみます。

太古の日本人というのは、自然の中に叡智があって、人間はその叡智をくみとって生かされていると考えていました。神様というのは伽藍の中にあるものではなく、ふらふらと自然の中にあって、雲の上を飛んでいたり、稲のそばにしゃがんでいたり、海の中に沈んでいたり、いろいろなところにいると考えられていたんです。八百万の神様です。大根を収穫すると、引っこ抜いた大根の先に神様がいたりとか、米粒にも七人の神様がいたりするわけです。

現代語で「やばい」という言葉がありますが、いい意味にも悪い意味にも使います。この「やばい」ところに神様はいたわけです。怪我をして膿んで、患部を洗うとその膿から神様が生まれたり、というようなことが古事記には頻繁にでてくる。そういうやばいところとか暗いところ、ジメジメしたところとか、あるいはすごくめでたいところなど、いろいろなところに神様はいたんですね。
そういう、自然の中に潜んでいる神様を呼び込んで力にしたい、そことコンタクトしたいという気持ちが、やがて人間に湧いてくるわけです。でも神様はふらふらと漂泊していますから、アポをとって会いにいったりはできない。どうしたら神様と接触できるかと考えたときに、日本人はこんなものをつくったんです。

四隅に細い杭を立てて、そこに縄を張る。すると空っぽの、つまりエンプティなユニットができあがるわけですね。空っぽというのは満たされる「可能性」そのものとしてあるわけですから、神様はそれを見つけて、ふらりと入るかもしれない。神様は常に目ざといですからね。確実に入るわけではないけれど、入るかもしれない、という可能性がそこにはあります。その「かもしれない」という可能性に対して古代の日本人は手を合わせた。

四角く縄で結ばれたユニットを「代(しろ)」と言います。このエンプティなる「代」に屋根を付ける。入るかもしれないという「可能性」に「屋根」を付けると、屋根付きの「代」ができます。これを「屋代(やしろ=社)」と言うんですね。駄洒落みたいですが本当なんです。

屋根付きのエンプティを「屋代」と言います。これを垣で囲うと神社の基本ができる。何もないところに神様が入るかもしれないという、可能性がそのまま構造化された。

神社の中枢は「空っぽ」なんです。その可能性に対して拝んでいるということです。
これは、より大きな規模の神社の構造です。

鳥居もまた空っぽです。入り口であり出口である、ここから出たり入ったりするということを示す空っぽです。この鳥居に導かれて中心部に至るわけです。真ん中の屋代を囲っているのは透垣(すいがい)という透過性のある垣で、何重にも囲われているんです。
この、神様が入っているかもしれないという中心の空っぽに対して、自分の気持ちを投げ入れる。つまりエンプティを介して、神様と交流するわけです。いい人に出会えますようにとか、大学に受かりますようにとか、そういう気持ちを投げ入れて帰ってくるわけです。神社のほうも気を利かして、よくお詣りなさいましたとかいって、ご褒美に紅白の饅頭とかくれてもよさそうなものですけど、神社はそんなことをしない。さらに空っぽの箱を屋代の前においておく。だから参拝者は気持ちだけじゃなくて、思わず千円札なんて入れちゃったりするわけです。つまり、空っぽを介在させて、不可知なるものと交流するという、エンプティネスの運用が、基本ルールなんです。

少しずつの変化を重ねる「更新」

これは伊勢神宮の鳥居ですが、きれいな鳥居ですよね。

何年かかってこういう造型ができたのかと思うくらい、すばらしい造型だと思います。
これは伊勢神宮を俯瞰で見た写真です。

興味深いのは、屋代の隣にもうひとつ別のエンプティ、つまり空き地があるんですよね。みなさんもご存知のとおり、伊勢神宮では20年に1回、式年遷宮というのがあって、まるっきり全部を壊して全く新しいものを建て直すんです。

なんでそんなことをするのか、とても不思議なことです。過去の遺産を保存するのだとしたら、世界遺産にでもして誰も手をつけられないようにしておけばいいのだけれど、それは西洋流の保存ですよね。日本流の保存というのは、全く同じものをなぞり返して、更新していくことで何かを受け継いでいくというふうに発想するわけです。そのまま保存していてもだめなんです。賞味期限が切れる。
20年に1回建て直すわけですから、ある宮大工の棟梁が指揮をとると、20年後はたぶんお弟子さんが棟梁となってやるという、そういう具合に受け継がれてきている。図面も全部引き直すらしいです。大工の棟梁が式年遷宮の棟上げ式のときに「呪言」という、おまじないのような言葉を言うんですが、それはそのときしか言っちゃいけないので、たぶんうろ覚えになって、もう随分昔から意味不明な言葉になっているらしい。でも棟梁を引き継ぐ人は、それを聞いて覚えなくちゃいけない。
これは、コップの中の水を別のコップに入れ替えて更新するみたいなものです。

それを延々と続けていると、途中で水を少しこぼすこともあるかもしれないし、完全に移しきれないで、水が数滴コップに残ることもある。20年に1回、それを千数百年にわたってやってきたとすると、もはやコップの中身は全然違ったものになってきているんじゃないかと思うんです。

だけれども、今コップの中にある水が、まさに受け継がれてきた切実なものだと思えるところに、伝承の醍醐味がある。おそらくは、極僅かな違いが重なってきたと思います。こうしたほうがいいんじゃないか、鳥居の反りはもう少しこう直したほうがいいんじゃないかといった、ごく僅かな棟梁の思いが、図面をひくときに微妙に鉛筆の線1本分くらいずつ変化したかもしれない。
伊勢神宮の建築様式は、大きく言うとポリネシア系だと思われます。ローマや中国からの影響じゃないですよね。太平洋の文化。しかし、20年に1回、千数百年にわたってこんな伝承をしているうちに、純日本風としか言えないのものに進化した。それが日本のかたちなんですね。

実はこの伝承は、生物の進化と同じ方法です。DNAも、緻密に複製を重ねていくんだけれども、どこかで読み違えが起こるわけです。それが突然変異と言われるものですが、ときに読み違えた突然変異のほうが環境に適応して生き残り、それが進化を生む。だから、DNAというのは、読み違えられるようにと、わざと複雑に二重螺旋になっているんじゃないかとも言われています。一重の螺旋のほうが、読み違えは起こりにくい。二重螺旋になっているのは、そういう理由からじゃないかと、『利己的な遺伝子』という本を書いたリチャード・ドーキンスというイギリスの学者は言っている。
つまり生命と同じく、コップの水が数滴分ずつ変化していくことを意図して、更新が行われている。そこにもエンプティネスのもうひとつの秘密があると思います。これも覚えておいてください。

阿吽(あうん)で通じ合う日本人

それから、これはコミュニケーションの方法ですが、日本人は腹芸とかあうんの呼吸とかいって、言葉ではっきり明言しないで、コミュニケーションするということがありますよね。西洋人はもっと論理的だと言われます。どっちが高度なのでしょうか。
これは、シャノン=ウィーバー・モデルという、コミュニケーションの一般的なモデルです。

ある情報ソースがあると、それが言葉で記号化されて、あるチャンネルとかメディアを通って伝わっていき、それを解読することで、受け手はその意味を知る、というようなことですね。わかりやすい例をあげると。たとえば僕のなにがしかの思いを「アイシテル」と携帯電話に向かって発音する、するとその日本語の音声がチャンネルにのって彼女の携帯電話に届いて、僕の「アイシテル」という音声が復元される。その言葉を聞いて彼女が何かを理解する、という仕組みですね。エンコーディングとか、デコーディングとか、記号とか信号とか言語とか、ややこしいことが介在するわけです。
だけど一方で、これをみてください。

僕が考えた「阿吽(あうん)モデル」です。阿吽は狛犬の阿吽。「阿(あ)」というのは何かを伝えようと発話した瞬間、「吽(うん)」というのはそれを受けとめる瞬間です。このモデルでは「阿」と「吽」が、ほぼ同時に起こる。言おうとした瞬間にその意味が了解されるのを、あうんの呼吸と言うわけです。
「愛してる」なんてことは、携帯電話で言葉が届いたからといって、通じるかどうかはわかりません。目を合わせただけのほうが通じるかもしれない。これは一般的な現象としてあるわけです。勿論、愛の問題だけじゃなくて、コミュニケーションというのは案外、あうんの呼吸で通じているということが多いのです。

サッカーで、オランダ出身のオフト監督という人がいます。指導力に定評があった監督ですが、彼が日本に来て最初に徹底させたのは、アイコンタクトです。選手が互いに目と目を見て意思疎通をしてプレーすることだったんです。試合中、「いいパスをするから、50m先に走れ!」なんて言葉で言ってたら、もうのろくさくて、敵陣に切り込めない。見た瞬間にパスを出し、同時にそれを察知して走り出さなくちゃいけない。
空気を読めない「KY」というのも、同じようなことですね。これは日本人の得意な腹芸だから、西洋人は「そんなこと理解できません」と言うかと思うと、案外そんなことはない。空気を読んでいるのは世界共通です。
インターネットの中でも、今は空気を読めないと生きていけませんね。Googleという会社に呼ばれて、同じ話をしたのですが、彼らはよく理解してくれました。Googleという会社は、ネットの中に「検索エンジン」という空っぽの箱だけを置いて、莫大なお金を儲けている会社です。箱を置いておくと、そこにコミュニケーションが発生するということはよくわかっている。ネットの中では、世界中のたくさんの人々が同時に何かを考えているわけです。そこにはまぎれもなく「空気」が発生していて、その意味をいちいち明言化しなくても、コミュニケーションは起こる。これは迷信でもミステリアスでもないわけで、こういうことを今、論理化していく必要があると僕は思うんですね。

こういうコミュニケーションの仕組みを「エンプティネス」と呼んでいます。

よく会議の席で、司会者が言いますね。「あの件に関しましては、そういうことでよろしいでしょうか」。一同何も言わない。すると「ご異議がございませんようですので、あの件はそのように進めさせていただきます」。みんな沈黙して合意、みたいな。まさに、腹芸と言われるものです。実際、言葉に出すと気まずいこともあるわけです。少し前に、民主党の小沢さんが、秘書がらみでややこしいお金のやりとりがあって党首を辞めましたけど、たぶんあの時もこういう感じだったんじゃないかなと思います。全てを口に出して言うと問題が百出して収拾がつかない。「あの件については、そのようにしたい」のほうがスムーズ。
そういう意味では「辞任」って、大きなエンプティネスの運用ですね。口に出すとむなしいし、荒々しいし、波風が立ってしまうみたいなことは、カギかっこでくるんで言わないでおく。こういうことは、時に非常に高度なコミュニケーションと言わなければならないのではないかと思います。これを悪用してはいけないけれども。

コミュニケーションは「交差点」をつくるほどややこしい。交差点をつくると、そこに信号を設置しないと事故が起こる。赤は止まれ、青は進め、みたいなことをしないとトラブルになる。だからそこを「空白」にしておく。

信号がなくても丸く右回りで進めるラウンダーバードという仕組みがありますよね。これは厳密なアナロジーではないかもしれないですが、あんな感じに近い。意味の交差点は空っぽにしておいて、そこに何を入れてもいいけれど、みんなわかってるよね、ということで進む方が、効率がいいことは実に多い。

シンボルは巨大な空っぽの器

これを見てください。

一見して「日の丸」、日本の国旗だと思ってしまう。でもこれは単に「赤い丸」でしかない。赤い丸には意味なんてない。国旗と考えると、天皇とか、平和国家とか、帝国主義とか、アジアの侵略とかいろいろなイメージがそこにわき出します。でも、赤い丸には本来、意味なんかない。
「シンボル」というのは巨大な空っぽの器なんです。だからこれには何でも入れられる。僕は戦後生まれなので、この赤い丸を見せられて「日本は戦争を放棄する平和憲法をもった平和国家です」と教わったので、赤い丸を見せられると「平和」と思っちゃう。でも、そういう話を中国あたりの大学ですると、今の中国の人はそう教わっていないから、違う意味を感じてザワザワする。たしかに日の丸の鉢巻きを額に巻いて殺戮に参加したり、殺戮されたりといった、悲惨な歴史がこの赤い丸という空っぽの器に入り込んじゃってるのも事実です。それはぬぐい去れない。だけど、そこに新しい「平和」という意味を入れ込むこともできる。
つまり、シンボルというのは巨大な空っぽの器なので、何でも入るんです。

シンボルの力というのは、コミュニケーションを生み出す求心力ですから、たとえばオリンピックで柔道の選手が金メダルをとって表彰台に上がり、日の丸がしずしずと上がり始めると、世界中の人がそれに注目する。ある人は「このやろう」と思って見るかもしれないし、ある人は「やった、日本!」と思って見るかもしれない。だけど、セレモニーを盛り上げる求心力や緊張感は強烈に生み出しているわけです。
意味のあいまいさを含んだまま、セレモニーのコミュニケーションは、それ以上でも以下でもなくていいんです。意味が何であろうとも、求心力を生み出せばシンボルは機能する。空っぽの器に対して、入れる意味が人によって違っていてすら、コミュニケーションは成立するということなんです。