研究テーマ

ATELIER MUJIトークイベント「無印良品が考えるこれからの暮らし」採録(3/3)

2012年4月18日

このレポートは、2012年2月18日にATELIER MUJIで行われたATELIER MUJIトークイベント「無印良品が考えるこれからの暮らし」を採録しています。

土谷 ありがとうございました。昔の町家というのをご存じですかね。玄関を入ると土間があって、玄関が結構高いところなんだけれども。水回りというのは、家を腐らせてしまうので、大体家の構造から離して土のほうにあるんですね、外に近いところにありますよね。まさにそういう感じですね、玄関入って、土間があって、水回りがあって。

馬場 そうですね。

土谷 だからこれを見ていて思うのは、日本の公団というのは、さっきの2部屋というのは、本当、まさにプロトタイプですよね。

馬場 そうですね。

土谷 40平方メートル弱なんですよ、一番初めにできたプロトタイプは。そのころは40平方メートルに4人住んだんですよ。戦後、1960年ぐらい。もう2015年には、ひとり暮らしのほうが多くなっちゃう。今、家族数でいうと、ひとり暮らしがもはやトップなんですよ。だから、こういうかつて40平方メートルだったものが、今、ひとり暮らしで住むと、もうぴったりみたいな空間になってくるんですね。だからそういう社会的な環境が変わったこと、それでさらにこの当時建てた建物は、その当時とは違う、今の文脈で見たときに、そのよさがより出てくるわけです。

馬場 そうですね。

土谷 本当にすごいですよね。4畳半が2つに、ダイニングキッチンなんだけれども、これ当時はあこがれだった。

馬場 あこがれだった。

土谷 僕らのもうちょっと上の人たちにとって公団というのは、モダンな建物、モダンな生活の象徴だったんですよ。片仮名で「コウダン」と書くぐらい。

馬場 でも、おもしろいんですよ。ここ、ダイニングと書いてあるんです。ここでご飯食べるのはちょっと無理ぐらいな狭さなんですよ。みんなやっぱりここでちゃぶ台でご飯食べていたのではないかと思うんですが、見ていただいたように冷蔵庫どこに置くんだろうという感じですね。

土谷 まだなかった。

馬場 なかったんですね。これいきなりお風呂だし、洗濯機を置くとこないよという。

土谷 洗濯機もなかったのね。

馬場 なかった。当然エアコンもなかったという40平方メートルなので、全然今と違う。

土谷 これ、お風呂もなかったんじゃないの。これ51C型、1970年までのスタンダードだった。みんなおふろ屋さんに行っていたんですよ。

馬場 ああ、そうだ、一番原始的なモデルですね。

土谷 一番初めがこのタイプだから。

馬場 そうです、これに1個おふろがついたのが次のモデルですね。

土谷 そうなんですよね。でも、ここにたらいがあったんですね、水回りに。そのたらいがあることによって、洗濯機は水回りの近くに置くようになるんだけれども、でも一旦は洗濯機が浸透すると、ベランダに置くようになったんですね。

馬場 そうですね。

土谷 なんていうことを思い出しながら、ま、どうぞどうぞ。ありがとうございました。どうですかね、さっきの観月橋。
5万円弱で、あの部屋に住めると。それで本当にこう、おもしろい選択ができる時代なんだなと思うんですよね。暮らし方に選択の幅が広がるというのと、もう1つは何ていうんだろう、重みがあるというか、ぺらぺらではない、新しいものではなくて、そこに時代を積み重ねてきたものに触れる楽しさみたいなのがあって、そういう美意識が広まってきたんですかね。

馬場 何か、うちに仕事の相談に来る人も、東京R不動産で物件を探す人も、住むことに対するデザインのリテラシーが上がっているんですよね。
それで昔は、僕らの親の世代なんかは家を手に入れることが、ある種のゴールに近かったと思うんですが、今は住む空間自体をどう居心地よくするかということが、自分の洋服とかアイデンティティを示すものの延長線上にあるようになっていて、自分の感性の表現の場になっているような気もするんですね。だからすごくこだわりも強いし、みんな自分で自分の空間をつくっていく能力がありますよね。昔は与えられたものに、自分が合わせて住むという人が多かったと思うんですが、今はできるだけプレーンな空間があるならば、そこに自分の世界観を自分の知恵とデザインで加工していくという人たちがどんどん増えてきているような気がしますね。

土谷 全くそう思う。住宅の住まいのリテラシーが確かに上がってきているんですね。ただ、本当はこれから開いていくんだろうと思うんだけれども、こういう選択肢が広がることで、前にドリルが与えられましたと。このドリルをどう使いこなしていくかということをこれから問われていて、実際にやってみるといろいろなことが学ばれて、さらにブラッシュアップしてくるんだろうと思うんですね。
日本は今、そういう意味で非常に、明るい未来としてはストックというのがいっぱいあるという、余りものがいっぱいある時代なんですね。余りものがある時代って、豊かともいえるのではないかと思うんだけれども、今日のキーワードで、余ったところ、余ったもの、余ったというのはすごいたくさん出てきましたね。

馬場 そうだっけ。

土谷 余った屋上をうまく使うよとか。

馬場 ああ、確かに。

土谷 ここで余っていた空間を、こう使うとか。だから1つの生き方の知恵かなと思うんです。目の前にあるものをうまく使ってしまうとか、新しく買ってつくるのではなくて、あるものを変えてとか、リフォームしてとか、何かこう、すごい高い知恵というか、暮らし方の知恵、工夫というのが問われる時代ですね。

馬場 そうですね。いや、本当、こういう団地にしろ、ビルにしてもそうです。さっき屋上の話が出ましたけれども、すごく風通しがよくて、いい空間ではないですか。でも住むことに対して知恵の使い方が、まだ雑だった気がするんですね。けれども、よくよく見てみると、使われていなかった屋上が一番いい庭だったりとか、そういう隙間が、実はまだたくさん残っているということに、じわじわ気がつき始めた。
団地だって、建物自体も気持ちいいんですけれども、隣棟間隔といって、建物と建物の間が少し広いんですね。僕らがちっちゃいころはその建物と建物の間を走り回って遊んでいて、お母さんはそれを上から眺めているみたいな空間があった。それはまだ経済効率性追求以前の時代なので、間を広くとって、日当たりをよくして、子供が遊べるようにという設計になっているんですね。今はどうしてもたくさん建てて、収益をたくさん上げなければという意識がどうしても日本は強くなってしまいました。その後、人口もふえましたし。
ただ、ちょっと人口がちょっと減り始めて、「あれっ、僕らの生活は本当に豊かだったのか」ということを、ちょうど問い直されているような時代のような気もするんですよ。
去年、地震もあって、夏なんかはエアコンをつけることにちょっと躊躇せざるを得ない時期がありましたよね。日本は、例えば東京だって、エネルギー15%マイナスを実現したわけですよね、エアコンなどみんながちょっとずつ我慢して。その時に、ああ、やっぱりエアコンて涼しかったんだなとかといろいろ感じるんですが、僕、この観月橋の現場に行っている時、当然工事現場なので、ないわけですよ、エアコンなんて。でも風がふわーと常にゆっくり通り抜けていて涼しいんですよ。
東京の比較的新しめのマンションよりも、全然こっちが涼しい。ということは、しかも風が当たって結構心地よかったりもするわけですね。ということは、あれ便利に豊かになろうと思ってつくっていったプランが、1周回って今となっては実はちょっと高いエアコンとか、電気とか、エネルギーとか電力に頼りすぎていて、ちょっと脆弱になった瞬間に不便になる。けれども、こっちはもともとスタンダードでつくられているから、案外それで快適。ぐるっと何か価値観が1周回った感覚に陥った瞬間があったんですよね。何かこう、住むことの豊さとか、楽しさというのを、ちょうど問い直されている気持ちにちょっとなりましたね、今回。

土谷 本当、去年はそういう意味では、すごい大きな価値観が変わった。もともとそれぞれの人の中には、そういう希求があったようにも思うんですよね。それが一気に出てきた感じもしますね。

馬場 そうですね。

土谷 ちょうどあした、『住む。』という住宅の雑誌の編集長に来てもらうんですけれども、無印も丁寧な暮らし方とか、自然に親しんだ暮らし方、ずっと考えてきています。それが去年の震災の前と後では全く反応が変わってきて。

馬場 ああ、そうですか。

土谷 やっぱりみんな丁寧な暮らし方をしたいと思っているけれども、日々の暮らしの中でそうはいかない。でも、馬場さんが言われたように、「本当にそれでいいの」と思うことが生き方を考えるきっかけで、住まいというのは本当に生き方そのものですよね。自分の生き方が暮らしの箱に出てくるわけですから、またそこをしつらえていくのかということに表現されるわけで、本当にどう生きていくかという、まさにその表現だと。

馬場 そうですね。何か丁寧な暮らし方という表現を今、土谷さんは使ったけれども、何かいい単語ですね。
何か僕らはしばらく、でき上がった空間、マンションとかに住んでいたので、それを自動的に受け入れていたから、空間自体も雑に使っていたかもという気になるんですよね。丁寧に暮らそうと思った瞬間に、生活のちょっとしたことに、ちょっとずつ気を配りながら、ちょっとずつディテールの精度を上げていく感覚、生活の。そうすることによって、多分空間自体も美しく保たれるだろうし、消費エネルギーもちょっと減るだろうし、食べ物とか身体にもちょっといいだろうし、丁寧さということ、何かすごく今、真摯に受けとめられる感覚がありますよね。

土谷 その丁寧な暮らしには、もう1つ、どうしても必要なのは時間なんですよね。

馬場 時間、ああ、そう、確かにね。

土谷 それはやっぱり料理するのでも、スープからつくって、だしからとってというと時間がかかるので。それはもう、おいしいんだけれども。
でも、どういうふうに時間に向き合うかということもあって、優先順位でこの時間を大切にしようと思えるかどうか。絶対的な時間も出てきちゃうかもしれないですね。例えば仕事も残業禁止みたいな。6時以降は仕事をしない。無印はそうなんですよね。そうすると時間は空いてくるわけですよね。仕事の効率の向上の、いろいろな意味で機械化、効率化されている。それは意外と先ほど言ったテクノロジーというのも非常に有効に作用されて、テクノロジーが暮らし方をアップするのではなくて、テクノロジーが作業を合理化してくれて、余った時間を暮らし方に使えるので、それはいい時代になるかもしれませんね。

馬場 なるほど。僕、MUJIのリノベーションプロジェクトをやっていて、平面図が、プランが、デザインが新しい時間をつくり出すということも可能なのではないかという感覚があったんですね。小学校の中高学年ぐらいまでは、コミュニケーションの中で勉強していることが多いなという観察をしてきたので、だとすると、もう調理しているところの先にキッチンがどーんとあって、多分子供たちはここで勉強するんですよね。そうするとお母さんはゆっくり料理をしながら、勉強しているな、遊んでいるな、テレビ見ているなといっても、しゃべってはいないかもしれないけれども、緩やかなコミュニケーションがある。
そうするとゆっくり料理をする、ばたばたせずにつくるかもしれないしというふうにして、細分化された時間が重なって、折り重なって、結果豊かになるという考え方があるのではないかというふうに思って。ゆっくり時間を過ごすという概念で、住宅のプランが比較的つくられていないではないですか。でも、その再配置によって時間を生み出すことも可能かと。

土谷 今のおもしろいですね、時間を寄せ集めてくるみたいな。

馬場 そうです、そうです。

土谷 僕も暮らしの調査とか、アンケートとかすると、今、子供たち、家族で一緒に食事をするというのはすごい少ないんです。
家族の崩壊とか言われたのが、1990年代ぐらいだけれども、意外と崩壊していないなと思ったんです。そのつながりというのは、リビングルームにいたり、ダイニングにいたり、部屋に閉じこもって生活しているのではなくて、緩やかに連係して、気配は感じてコミュニケーションしているというのが、団らんなのかなと思います。

馬場 わかる、わかる。気配を共有する感じがすごい大切だと思いますね。大切だと再認識してきました。プライバシーが保たれているんですが、あ、何か起きているみたいだなとか、あ、今寝たなとか、うっすらとした気配を共有している感じというのは、そんなに嫌ではないという感じはした。最近ツイッターとかありますよね、やっている方も多いかと思うんですけれども、フェイスブックでもいいんですが。あれも気配の共有のような気がちょっとして。それは家族ではないけれども、あ、あいつは今こんなことを考えているんだ、あ、あの辺にいるんだという、別に大して知りたくもないけれども、ただ、何かこう、気配をうっすら感じるというところに、何かしらの安心感も感じ得たりしていて。家の中でもばんばんと壁があるというよりも、ちょっと緩やかにして、うまくチューニングして、家族間の気配をうざくないぐらいに共有するという、そこの感じを住宅でうまくデザインできないかな、間取りをよくできないかなというのはすごく考えます。
子供は昔ほど親に反抗しなくなったような感覚もちょっとあって、何かみんな優しいな、子供たちと思うのですけれども。そういう感じってありますね、何か。

土谷 成熟してきているんでしょうね。

馬場 そうなのではないかな。

土谷 安定して成熟しているのか。学生たちが本当ピュアになっているなという感じはしますね。ツイッターとかフェイスブックとか、その・・・。
そうそう、この中でシェアハウスに住んでいる人とかいます?
案外いないね。

馬場 少ない。それはマイノリティーですね。

土谷 でも、シェアハウスというのも、今の話の少し延長線上にあって。
自分の空間はちゃんと保っているけれども、すごいミニマムで余計なもの、共有で使うもの全部外していくと、意外と小さくてもすっきり暮らせると。
使う頻度の少ないものを共有することで、余った空間を生み出す、余った空間を共有することで全体の効率を上げていくと同時に、そこで出会う雰囲気というか、そこでまた時間もつくり出していくという。ちょっと面倒くさいかなとか、ちょっとうざったいなみたいなのもあるけれども、でも実は住んでいる人によると、そんなことなくて。

馬場 このシェアハウスは63戸あって、東戸塚から徒歩22分。すごい人気になったんです。僕はすごい不安だったんです。できた後にどんなふうに暮らしているんだろうと思って、1回見にいったことがあるんですよね。そうしたら半トレーナーみたいな、ほぼパジャマだろうなみたいなのを着ていたんですよね、何人か。でも楽しそうに話していて。あ、そうか、プライバシーの調節をここはできていて、自分が住む究極のプライバシー、知っている人たちが安心していられるこのリビングのような空間、そこにもう1個プライバシーの壁があって、ちゃんとチューニングしながら生活しているんだというのを垣間見て、確かにこれならあるし、何かすごい楽しそうだなと思いましたね。
でも、その条件は、ここがセミパブリックのこういう空間が、広い必要はないと思うんですが、豊かで温かでというのがすごい大切、条件になっているなということを、これを見ながら思いましたけれども。
昔の、僕らが言っている元祖シェアハウスは下宿ではないですか。共有空間は廊下と、下手するとトイレとかだけ。すごい温度のない空間が共有空間だったんだけれども、そこにこいつが加わった瞬間に、全然違う様相が立ち上がれているなという感覚になりましたね。だからウェルカムだと思ったし、みんなコミュニケーションがうまいですね。本当はもうちょっと上の世代にもこういう関係があって、例えば60代にもあってもよさそうなのになと思ったりしながら、この風景を見たけれども。なかなか難しいんですかね。

土谷 わからないけれども。確かに世代で、まさにリテラシーって進んでいるような気がしますね。

馬場 僕らは不動産を借りるときはとにかく間取りで判断しますよね。その間取りの壁って天井までばんと行っているのが絶対前提になっていますよね。僕、今度は間取りと実は断面。
それでこうやって、ここまである壁と、ここまである壁と、天井まである壁って全然やっぱり違うんですよね。

土谷 なるほど、そうだよね。

馬場 壁が2メートルとなると、こっちの部屋とこっちの部屋は上はつながっているけれども、何かセパレートされているなという感じになるんですね。この高さだったら、こうやって見えているけれども、座ると見えなくなるという、断面でプライバシー度の調整ができるわけですね。それは家具でもできる。だから間取りと同じぐらいの重要さで壁の高さ、家具の高さ、断面みたいなことが意識されて、気配の共有とか、そういうのができるようだと、もっと豊かな空間がつくれるような気がして仕方がないんですよ。

土谷 壁の色も色分けしたらいいかもしれないね。低い壁はもうほとんど透明で、少し高い壁は色がついていて。無印の家具も意外とそういうモジュールが、考えられていて、低い家具は800とか1,100とか、それから1,800、2,100というふうに、非常に今、言ったようなちょうど切りかえのところを見せようとしているんですけれども。
そうそう、きょう無印の家具がいっぱい出てきましたが、建築家の方が無印の家具を使ってくれるケースがすごい多いんですよ。どちらかというと無印の家具がニュートラルで背景として使うという。でも、これは暮らし方もそうではないかと思うんです。僕らは家具を主張して暮らしてほしいと思っているのではなくて、主張というか主役は暮らしている人たちなので、背景としてどうなのか、そのときにきちっとしたモジュールとか。すべてがぴしっとおさまったときの気持ちよさというのは、背景としてはいいんだろうと思うんですね。

馬場 僕は海外のデザイナー、建築家のところとかに遊びに行くときのお土産に、MUJIのプロダクトを買っていくんですよ。すごい喜びますね。ホッチキスとか、あと六角形のやつが六角形におさまった鉛筆とか。
外国人のデザイナーにすごい受けるんですよ。「すごい日本的なデザインだ」と言うんです。なぜかというと、まずそぎ落としていくと。そぎ落としていった結果、残った機能と形態が、そのまま素の形になっていて、何ら余計なことがないというところが、まず日本と。多分彼らは禅の意識とかいろいろなリテラシーがあるかなと思うんですけれども。
あと畳のモジュールってありますよね。モジュールに合わせて空間を仕切っていくという感覚があって、その思想を見るらしいんです。
あとニューヨークの現代美術館のショップの中に無印コーナーがあるじゃないですか、小さい。
やっぱりそういうモジュールを意識させるものが結構並んでいたりするんですけれども。そういう意味では日本のモダニズム、そぎ落としていったシンプルなモダニズムの、最もマスプロダクト化されたある1つの形として存在していると思うし、逆に外国の人はそれを僕らよりも新鮮に見ているなという気はしますね、おもしろいです。

土谷 文脈の違うところでモダニズムというのを見つけてくれているのかもしれないけれども、ただ、よく考えてみると、ヨーロッパのモダニズムというか、1900年代初頭から、世界中に浸透していく近代デザイン、また標準的なデザインというのは、西洋から日本に入ってきたとも言えるけれども、日本が西洋へ影響したということもすごくあって。

馬場 そうですね、いえます、いえます。

土谷 それはだからすごく一致する、符合する話でもあるんですね。
バウハウスというのがあって、そこにあるモジュール、ガラスの瓶、ボックスがあるんだけれども、本当に全部モジュールがぴったり合っています。

きょう話し足りない部分もあったと思うんですけれども、最後にプラスのデザインではなくてマイナスの、そぎ落としていくんだというのが1つ、暮らし方のヒントとして皆さんとも共有したいなと思うことでした。これからの時代の暮らし方として、足していくのではなくて減らしていく、削っていく中で、何を削っていくのか。さらに削ったときに最後何かぴたっと合ったみたいな、そんな暮らし方ができていったときに、すごくすてきな暮らしになるのではないかということを馬場さんの言葉から感じて、本当に皆さんに伝えたいと思います。

この時代、暮らし方のリテラシーを上げていくと。そういう意味ですごく大事な時代になったので、何か既成のもので与えられたもので考えるのではなくて、自分の暮らしを自分で考えていく。そのためのきっかけとしてリノベーション、または古いものを使っていく。そんなことをしてもらって、きょう最後に「そぎ落とす」というキーワードもありましたから、何か自分の暮らしをもう1回見直して、要らないものは減らしていって、何が大切かなと。それを組み合わせていっていただければと思います。
本当にどうもありがとうございました。

馬場 ありがとうございました。(拍手)