連載ブログ 青山物語
28年前に生まれた「無印良品青山」は、この11月リニューアルオープンを迎えます。温故知新。当時の開発担当者が改めて誕生当時を思い起こし、店づくりの楽しさや工夫、熱気、そして、その後の影響も含めて書き留めていきます。

終章―「世界へ、そして世界から」

2011年10月19日

無印誕生の当初から、アドバイザリーボードメンバーとして活躍されてきた小池一子さんのお話を引用させていただく。

青山開店から数年後、「リバティ百貨店」の女性プロデューサーから無印に1通の手紙が届いた。このロンドンの百貨店は、開店の理念に「東洋から学ぶ」を掲げていて、その時の一番すぐれた産物を東洋から導入するために常にリサーチを行っていた。

「今の時代に東洋から何を導入するか、私たちは5年間、青山の無印良品に通い勉強させてもらいました。そして現在の東洋から導入したいのは、このブランドしかないと思いました...」
1875年創業のヨーロッパ有数の老舗百貨店に、無印の考えと商品が認められた。これは大変なことだ、快挙だ、と沸きあがった。そして1991年、リバティ百貨店のカーナビー・ストリートに面した一角が、無印良品ロンドンの1号店となった。2011年現在、海外店舗は20カ国170店舗を数える。「無印良品青山」は、無印の店舗が海外に広がる「扇の要」にもなってくれた。

「青山物語」の終章を迎えるにあたって、改めて思う。無印良品が30年以上も支持されているのは、商品に込められた基本姿勢と、それを維持成長させてくれたお客様、そして社内外の多くの人たちの力があったからだと。
「パッケージに古紙を利用する」と田中一光さんがアイディアを出した段階で、無印の大筋のコンセプトは固まり、小池一子さんの「愛は飾らない」のコピーが方向を明確にしてくれた。青山に押しかけたたくさんのお客様が、背中を押してくれた。
お客様とクリエーターと社員が三位一体でつながり、青山はその具体的な表現の場として機能した。

暮らしの中で、モノは工業化のマキシマムを求めがちである。付加価値でない不要な付加競争が生まれる。「こんなにまでする必要があるのだろうか?」という思いに襲われる。これでいいのでは...というレベルで、人間味を再発見してみたくなる。人間がやってきたことの集積のすごさや素敵さをもっと伝えていきたい、使う人の自由度をもっと広げたい、そんな思いもある。
青山はこうした「思い」を知り、これからもモノをつくり、集め、提案し続けていくことだろう。

「無印良品青山」が生まれて、今年で29年目を迎えた。
青山通りもすっかり様変わりした。日本初のセルフ食品スーパー「紀ノ国屋」は、路面店から16階建ビルのB1に変わり、向かい側の「青山学院大学」は超高層ツインタワーを建設中である。
「無印良品青山」もこの秋、「Found MUJI青山」として生まれ変わる。日本の各地から、世界中から、無印の考える「感じの良いくらし」の道具を集めリニューアルオープンする。
今まで「無印良品青山」は、「扇の要」になって広がりをつくってくれた。これからはその「扇の要」に向かって、世界中から素敵な暮らしや道具が集まってくる。発見する無印良品「Found MUJI」の登場だ。

「くりかえし原点、くりかえし未来」を合言葉に、商品のありかたを探る旅はこれからも続く。