MUJI×UR 団地リノベーションプロジェクト リレートーク vol.3
過去の団地の景観的遺産 ~団地再生の現在の課題とこれから~

※このレポートは、2014年7月9日に行われたトークセッションを採録しています。

木下
規模はとても重要だと思います。まさに私のサンプリング&アッセンブリがその規模、スケールを周りの環境から特化しないようにするための一つの設計手法でした。一方で団地においては、初期に建てられた60年代の団地は全く容積率を使い切ってないわけですよね。使い切れば良いということではないとも思いますが、でも50%以下だったりします。80年代ぐらいになると容積率が増えてきます。今、例えば阿佐ヶ谷団地、私も住んでいたんですが、あのような環境は保てないですよね、土地利用を考えると。だから何を記憶として次に継承するのかというのが重要なテーマとなると思います。
武蔵野緑町は建築的にも比較的うまくいった建替え事例ではないかと思っています。やはり元の配置の基本、道路などの骨格は守られている。住棟は高くなったのだから昔に比べて配置は少し疎になっていますが、住棟の向きも変わってないですよね。何を重視するのかということが大切だと私は考えています。
土谷
そして「真壁伝承館」、大変興味深いと思ったのですが、その最後の話で、何を伝承するのか、何を継承するのかという時に、真壁伝承館の場合は住民の人はどうお考えですか?
木下
それは、むしろ設計者が何を継承するかを提案しました。
土谷
それじゃ何を基準に?
木下
これは先程申し上げたように、プロポーションというものが重要だと考えたんです。「真壁伝承館」は公民館の建替えですが、昭和40年代に建った公民館が三階建てだったんです。それがこの住宅地の景観には少しスケールアウトだったんですね。ですから、建て替えるにあたっては、周りのプロポーション、例えば屋根勾配、軒高、建物の長さなどを重視して、周りの景観になじんだ設計にするというのが主目的でした。わかりやすい説明として、サンプリング、&アッセンブリというキーワードを用いて設計手法を説明しました。それはクライアントである市とか、市民の方たちにもご納得いただけたと思います。
土谷
なるほど。結果的には設計プロセスにおいての説得という合意形成だったと思いますが、できあがった形態が先程言われた“過去からの継承”という意味では、どういう風にそれがつながるんですか?
木下
実際に建物を見て頂くと、向こうの方の屋根景観と街並みにフィットしていると私は思っています。工事の最後の段階で、近所にお住いの方が通りがかった際に「この建物はいつ改修が終わるのかね」と質問された。つまりそれは、そこに昔からあった建物という風に捉えてくださった。ということは、私たちの意図した記憶の継承ということが、そこを通りがかった方の頭のどこかにあるイメージに響くことで、成し遂げられたと感じました。
土谷
それはやっぱり木下さんが直接自分の目で見て、その形体をベースとして作るよりも、サンプリングという方が、恣意的でないというか、何かそういうものが生まれる可能性が大きかったから?
木下
はい、そう思います。というのは、我々も根拠となるものは重要だった。また、我々自身、自分たちのデザインを成立させるためにも必要でした。もちろん、市の方や、市民の方たちにご説明するためにも非常に有効なツールであったと思います。
土谷
さきほどの武蔵野団地の写真ですけど、ここで成せる記憶の継承というのは配置計画なんですよね?
木下
昔4棟あったのが今は大きな高い2棟、2列になっています。日照条件に合わせて、住棟が高くなった分住棟間の距離は増えましたが、配置の骨格は大きく変わっていないと思います。
土谷
なるほど。わかりました。この配棟計画を継承していくということが、それを乱すのかということを敢えて伺ってもいいでしょうか。どんな風に人々に影響して。先程の例えば真壁の話はとてもわかりやすい、最後工事がいつ終わるんですか、みたいな、つまり形体としても馴染んでいく、溶けていくというような。それとこれはやっぱり形体としては違う、けれど配棟としては近い、その違いというか、それでも継承していく意味というのはいかがでしょうか。
木下
配置計画は何が何でも守っていかなくてはならないという意味ではありません。先ほどの真壁の例でも言いましたが、記憶に残っているものが何か、その要素が何かということが、建替えの時には重要ではないかな、と。何をどういう風に次につなげるかという議論が、結構重要なのではないかと私は思っています。
土谷
なるほど。それはどうやって見つけ出していくんですか。
木下
住人の方たちから話を聞くということが一つありますよね。あるいは、例えば、オープンスペースの取り方などは団地の中では結構重要なのではないかと思います。それから、最初の米本団地でお話ししたように、リビングコアという軸線があると、あの軸線を一つの基準として住人は見ているはずですね。何がそこに住む人の生活に重要な建築的、配置的要素かというところを見抜かなくてはならない、ということかもしれません。ただ団地建替えの配置計画には私はまだ関わったことがないものですから、あくまでも感想ですが。先程の赤羽台の建替えの囲み型というのは私が関係する10年ほど前にすでにマスタープランとして出来上がっていて、その配置で環境アセスメントなどのような評価も成されていたので、なかなかその骨格は崩せないんですね、マスタープランは。もし囲み型でない形で実現していたら、また違った団地となり得たのではないかとは思います。
土谷
なるほど。なんか今の解説でとても腑に落ちました。赤羽台団地はすでに10年前から決まっていた囲み型。そのあたり、高原部長、ご存じですか、どうして囲み型なのか。
高原
武蔵野緑町を例に説明します。建替えについては「残す/残さない」という議論があると思いますが、先程の配置を見て頂くと、実は左側だけ移動しているわけではないんです。建替事業というのは実は2年間お話をさせて頂いて、いろいろ計画を進めていくという形の中で、最近はワークショップを開けるようになった中で、居住者の方とお話をさせて頂いて気づくことが沢山あります。先程のオープンスペースで日頃どういったことをやっていたか、小学校の行事としてどういうことをしていたかとか、あとはちょっとした、実は住棟の間でこういう獣道ができたよということは教えて頂きながら、またそういう人たちに同意をして頂いて建替えをするというようなところがあるものですから、やっぱり原風景をすでに持っていらっしゃる方を、どのように建替え後のものに置き換えていくかという作業の中で、やっぱり動線を守ったり、住棟は高くなるんだけれども先程言いました見えるものというんですか、木なり、ストックなり、というようなものを要求される。先程の赤羽で言いますけど、赤羽はなぜ守れなかったかというと、要求されたものが非常に高かったんですね。戸数密度は高い上に駐車場も非常に高い、それを解くには前のものを相当いじらないといけなくて、こんなに手を入れたくないですよと聞いた記憶があります。相当な葛藤がURの中にもありました。
土谷
建替前よりも住戸の密度を上げたのですか?
高原
はい。土地利用としては、売却をしていった形になりますので、敷地と建替え倍率を相当捻出している状況になっています。ですから、当初は緑もあった状況でしたが、これもオープンスペースを確保できるような諸条件、戸当たりのボリュームも少なかった上に駐車場もほとんどないという状況で、戸数密度を稼ぎながら、駐車場の設置密度をある程度稼ぐという中では、もう囲み型しかないというところまで行ったと、いうのが現状かなと。日照は相当犠牲にしている、というところはもう覚悟の上、ということですね。
土谷
よくわかりました。過去の記憶をということではなく、これは効率を求め売らなければいけなかった。しかしそういう中で最大限頑張りましたということで。実際今もう建て替わっていますけれども、本当に素敵な建築になっていますので、是非見に行かれたらと思います。

今日の話をもう一度まとめますと、団地のスタートからの大規模な建物に対しての配棟計画、そしてそれが時代を経て、今すごく豊かになって、それをもう一回使っていく、それから新しい建て替えが起きてきた。それから、我々は記憶を継承するというところから何かを発見し続けなければいけないという宿題が残っているということを、今日のメッセージとして受けて終わりにできればなと思っています。
このリレートークですけれども、ひと月に一度、今年一年間続けていく予定です。是非また来て頂いて。それから今日の話もコンテンツもウェブ上にも載せていきます。是非皆さん積極的にご参加頂き、ウェブでもメールでも結構ですので、団地についての皆さんの考えを是非教えてもらいたいと思っています。 今日はありがとうございました。