MUJI×UR 団地リノベーションプロジェクト リレートーク vol.3
過去の団地の景観的遺産 ~団地再生の現在の課題とこれから~

※このレポートは、2014年7月9日に行われたトークセッションを採録しています。

高原
東日本賃貸住宅本部でストック事業を担当しております、高原と申します。よろしくお願いします。少し補足をさせていただきます。私が生まれる前から日本住宅公団はあり、賃貸住宅は76万戸管理と言われていますが、分譲と合わせますと155万戸の供給をしているということで、語り継がれてきた事をお伝えしたいと思います。

実はいろいろ木下先生にご説明して頂いた中で、URとして気に掛けてきたところが2点あります。これは前に木下先生ともお話した際にお伝えしましたが、やっぱり何も考えずに団地が配置されたというのは先ずないと思っています。日本住宅公団には、団地係と建物係というのがあって、その団地係は、若手が提案すると小姑のような先輩職員からの指摘を受けるというような形になっていました。

私自身、住都公団時ですが、多摩ニュータウンの配置や建替をやった時に上司から言われたのは、「集まって住まう」ということに対するメリットをどういう風に享受できるかということを教えられました。
原風景として、集住するメリットを追求したのが団地係だったように思います。それが日照であったり、コモンスペースであったり、また子どもを皆で見守るというような考えで皆から見えるところに公園を配置する、というような工夫が色々あったと思います。実際、多摩ニュータウンの担当者で話合った時は、団地を一歩離れた形での街区と街路をどのように組み合わせていくかということで現地に行って自転車で走ったりすると、シンボルツリーやその向こうに非常に良い空間が見え。というように、シークエンスという意味では、ああやられたなあと思った事が多々あります。

また、やっぱり一番守らなければならないのはコストです。コストが厳しくなった状況の中でのエピソードを聞きましたのでご紹介します。
国立富士見台は3団地ありますが、つい年度内に年度の予算を使い切ってしまったことがあり、その際何を行ったかというと、植える植栽のお金を使い切ったので、できあがった住棟を緑に塗ったそうです。

私どもは昭和61年から建替事業に着手するにあたって、一団地の住宅施設という都市計画や、建設基準法の86条を如何に守りながら進めるかいうところで、非常に頭をひねりました。先程木下先生が紹介された赤羽台団地等も、単純に計画論的な部分では済まないところもあったのではと思います。
また、建替は非常に限定されている今日、住棟をどのようにリノベーションしていこうかという中で、URの中にもリノベーション設計チームというのが一時期ありました。そこに私も行かせていただいて、既存の住棟をどのように改造できるか、どうせ除却する建物なら色々頑張ってみようじゃないか、ということで「ルネッサンス計画1」を担当させて頂いて、好き放題させて頂きました。住棟を動かして2つの住棟をくっつけて使えないかとか、2層スラブを抜いて、3層を1.5層ずつの使い方にできないだろうかとか、そんなことをいくつかやりました。実は建築基準法を所管している住宅局の方にも見て頂いてトライアルをしたこともあるのですが、やはり建築基準法の壁は高いですね。今我々はMUJIさんと組ませて頂いて次のステージのトライアルをさせて頂いているところです。
土谷
ありがとうございました。先程86条の話がありましたけれども、一団地申請と、ルネッサンス計画1の中でいろんな法的な制約を乗り越えなければならない、そのあたりをもう少し詳しく教えていただけますか?
高原
86条というのは「一団地認定」という形でして、本来建築基準法では一つの敷地に一つの建物しか許されないという条件になっています。そこを一つの団地とすることでルールを緩和してあげようという、我々日本住宅公団がニュータウンを初めいろんなところで団地を進めるにあたって作られたものだと聞いています。団地全体を一団で作ることにより接道条件や日照条件を緩和してもらっています。実は将来に問題が生じることは当初読めなかったので、賃貸と分譲と、例えば事業者も違うところも全部一緒の86条申請とし、土地の最高有効率を狙うがために86条という建設効率を高める建築基準法上のルールを使っています。それを分譲してしまったわけですから、今度区画を変えたいとなると、分譲の方々との同意が必要となります。また最初と事業者が異なってしまうと、例えば、東京都から第三セクターに代わるなど。その場合、一緒にやりましょうと言ってもなかなか財政がついてこないことがあります。そのため土地自体の効率が良くてもなかなか着手ができないこともあります。ですから単純な建物、棟の建替えではなく、その周りを含めた同意形成が要るところもあります。

あと、ルネッサンスで追及したのは、やっぱり今あるストック、スケルトンをどのように今日的に使えるようにするかということでした。今集合住宅を建築するという建築基準法の最低限といわれているものの現行法が守れておらず、階高を高くしたり、スラブを取ったりして新しく1.5層にしようとすると、やっぱり鉄筋、構造物としての構造体の建設の仕方にブレイクスルーが要ります。将来を見据えて今のスケルトンを使い続ける形での法整備というのは今URもいろいろお願いしているところですけれども、そこがブレイクスルーできると、駆体にちょっとメスを入れられるようになるかもしれません。そういうことをやってはいるものの、まだまだこれからです。
木下
住戸数がとにかく多い上に、国に近い立場におられるのだから、是非そこはブレイクスルーして欲しいと思います。過去の法律で縛られてしまう事は多々ありますからね。
土谷
そういう意味ではURは、日本の建築の中で実験的にリーダーとして動けるポジションでもあるし、また、沢山の住戸を抱えている大家さんでもあるわけですね。だから分譲だとそういった利害関係、権利関係が大変ですけれども、賃貸の部分の最大のオーナーとして、事業主が決断すればできるということがたくさんあるわけで、その辺りのハードルの超え方の見本も是非見せて欲しいなと思います。

今日初めに伺った2つのことをすごく大事なことだなと思って伺ったんですけれども、ひとつはその一団地認定という、当時の諸条件を緩和するために作ったものだったんですけれども、今となると、その一つの団地の規模というのが5000戸とか6000戸位の巨大な規模の団地エリアになるわけですね。ところがそれを変えようとすると、全体の、つまり申請は1つでやっていますから、それを全部に整合させていかなきゃいけないという大変な課題があるんだろうと理解しています。

そしてもう一つは、今の構造や様々な法律、そしてストックをどうするかということですね。今日は木下先生の最後の2つのプロジェクト、東雲は新築でしたね。それから赤羽団地は完全な建替えですね。ということで、今日のお話の中では、今まである団地の再生というか、スケルトンを利用したらの話と、もう一つは建替えという話と、あとは、今はもう作らないですけど、新築で作った建築の最後が東雲となるでしょうかね。そういう大きな流れがあったということを頭に入れていただきたいと思います。

それともう一つだけ言うと、今日は1960年代の建物が初めにありましたね、それから70年代です。80年代になると今度はタウンハウスが紹介されましたね。ただし、今日の配棟計画という話がありましたが、いわゆる70年代、まであった囲み型であるとか、その配棟計画については、タウンハウスでは新しい住まい方が実験されていくわけですけれども実は70年以降はあまりなかったように思います。それが2000年に東雲でSOHOという新しいプログラムが加わって、大変話題になったし、ある時代をリードしたと理解しています。ちょっと解説のようになりましたけど、そんな風に頭の整理をして頂いてですね、50年から60年代、配置にすごくフォーカスされた時代があった、そして今度は高島平のような高層な建物ができるようになって、時代が進み、配棟計画というよりは住戸の中にフォーカスされていくような時代があって、それからタウンハウスのような新しい形態を模索していく。そして2000年になって様々な役割を変えて、今度は暮らし方、生活の仕方、経済を含めて提案するようになった。その中で、一団地認定という規模の問題もずっと考えられなくて、今そこのとこも考えなくてはならない時代になった、ということです。

そこで、木下先生にご質問です。このスケールの話を伺いたいなと。先生が、“記憶の継承”ということで、確かに記憶という意味では街を作ってきた。けれどそのスケールは、今言った1団地というのは5000戸位ですかね。それまで自然にできていた違う規模の街ができてきた、そのことに対して今どのように再生していくのか。記憶の継承と規模ということを先生はどのようにお考えなんでしょうか。