MUJI×UR 団地リノベーションプロジェクト 対談
団地を舞台に考える“感じ良いくらし”2019

高齢者の潜在能力に期待する
里見
まさに、私が事前に考えていたことをお話しいただいたような感じです。
レンタルとかシェアとかリユースとか、そういう考えを突き詰めていったら、住宅は賃貸なのに、なぜものは所有しなくてはいけないの? というところに行き着きますから、先ほど金井さんがいわれたことには同感です。 もうひとつ、私も同感だったのは、URの団地の居住者ではすでに単身世帯、あるいはふたり暮らしがとても増えています。
東京都板橋区にある地方独立行政法人の「東京都健康長寿医療センター」は、認知症予防の研究もしているところなのですが、そこの方にお話を聞くと、男性高齢者は地域社会と接点が少なく家にこもりがちで認知症になりやすいケースが多い、といわれました。これは身につまされるなあと思っているんですが、そこで、男性高齢者にいかに自然体で街に登場してもらい、気軽に近隣の方々と会話ができるようになってもらうためにはどうしたらいいかを考えないといけないのでは、と。いまでも、団地の施設を使ってコミュニティカフェのようなスペースをつくるケースが増えているのですが、大体いつの間にか女性の割合が多くなって、最終的には8割方が女性になる。そして男性は団地内にいるのになかなか出てこない。
金井さんがおっしゃった事例でもありましたが、企業戦士であった男性高齢者はそもそも家事が得意ではない人が多く、奥さまがいなくなると食事も満足にできない、身なりにもそれほど気を使わなくなる。それに対して私たちはどういう解を用意したらいいのかと思っていたら、その健康長寿医療センターの研究員の方にも「URさんはどうするんですか」と問われていたところでもありました。
私たちにとっても、男性高齢者に地域などで上手に活躍してもらうか、そしてミクストコミュニティの実現、あるいはコミュニティの活性化は大きなテーマのひとつです。なのでとても興味深いお話として聞かせていただきました。GACHAからどうつながるのかと思いましたが、見事に繋がっていますね。
金井
URに関する資料を拝見すると、「自然に優しくしましょう」、「高齢者に優しくしましょう」といった言葉がありましたが、これ、逆にしてはどうでしょうか。
つまり「自然に優しくされましょう」、「高齢者に優しくされましょう」と言い換える。私はそのほうがこれからの時代を考える上ではよいのではないかと思うんです。URの団地ができて都会にどんどんと人が流入した1960年代あたりの活動から考えてみると、人間は自分たちの環境と自然の環境を分離して、人間が全体をコントロールできるんだと考えるようになってしまって、この何十年はすごく傲慢だった。そのくせ100年に一度の大災害が来るとまったく歯が立たないわけですが、普段はそれを忘れちゃっていている。その姿勢を改めて、「自然にいかに優しくされるか」とか、「経験豊かな高齢の方にいかに優しくしてもらうか」というくらい謙虚な気持ちになったほうがよいのではないでしょうか。そうすればおじいちゃんたちも、「そうか、オレもまだ役に立つんだったら、もうちょっと頑張ってやんなきゃいけないな」というような気持ちになれて、彼ら自身のスタンスが変わってくるような気がするんですよ。
里見
確かにいまの団地の居住者の構成から申し上げて「男性高齢者の方たちに優しくされたい、彼らの能力を貸して欲しい」という感じがひしひしとします。
たとえば外国人居住者の方たちが増えている団地では、自治会の方々が大変な努力をされています。そういうときに、URの団地には商社のOBで海外の駐在が長かった方が少なからずいらっしゃると思うのですが、そういう方々に週に2回だけでも手伝っていただけたら全然違ってくるのではないかと思っています。
単に言葉を通訳して欲しいということではなく、駐在経験が長い方であれば、滞在国の文化や暮らし方、食生活などについてもよくご存じだと思うのです。「もう錆び付いているよ」とおっしゃらずに外国人居住者と日本人の間の文化の架け橋になってもらえれば、団地内に新しい共生が生まれるのではないでしょうか。
かつて私たちは、団地にお住まいの方々を単に居住者としてしかみない傾向もありましたが、今日では団地にお住まいの方々はまちの人材だと思うようになりました。私たちもそういう方々の力をお借りしたい、一方でお困りのときはこちらがサポートするという双方の協力関係がないと、いまの社会はまわらないという感じを持っています。
私たちはつい「エンバイロメンタルフレンドリー」を行政用語で「地球に優しい」と訳してしまいますが、本来は「地球に優しくされたい」という意味でもあるべきとも思っていまして、そこは今後の団地を生かしていく上で、大事なポイントだと思っています。
金井
無印良品がリノベーションをお手伝いした多摩ニュータウン・ベルコリーヌ南大沢の集会所で、無印良品が協力してシェアキッチンをつくらせてもらいましたが、料理を通じて少しずつでも交流が始まればと思ってます。先ほど申し上げた、サツマイモを育てて落ち葉で焼き芋を焼く会とか、そういったことを行っていくと、徐々に人間同士打ち解けてきて、そうすると、共同体の意識が生まれるのと同時に、自分は昔大工だったとか、自分は昔電機メーカーにいたから、電気関係のことはわかるよとか、お互いのことがわかりその潜在能力が繋がっていきます。人材バンクについてはみなさん考えていますよね。私たちはMUJI passportというアプリを持っていて、そこで登録してもらったお客様とのつながりの上に、何かがあったときにはご連絡を差し上げて助けてもらう、みたいな仕組みをつくっているんですが、これからはまさにそういったコミュニティが必要になると思います。
私には「世界語」にしたいと思っている日本語があるんです。「おかげさま」「おたがいさま」「おつかれさま」と、「もったいない」の4つです。「もったいない」はすでに半分世界語になっていますね。これらの日本語には、英語も含めてぴったりの訳語がありません。
いまの日本は、デジタルやAI、家庭用ロボット技術は2周半遅れといわれ、経済もあまり強くない。そんな日本が何によって役に立つかと言うときに、いま、申し上げた「おかげさまで」とか「おたがいさま」とか「おつかれさま」といった言葉のような気がするんです。
「おかげさま」とは、私たちが人に生かされていること、自然の恩恵を受けて生かされていることに対するある意味で感謝の概念です。少々他国といがみ合ったとしても、困ったときはおたがいさまでしょうという日本になれば、どこの国からも好かれますよね。それは日本のきわめて深いところにあるDNAなんです。これをちゃんとやったらいいと思います。その意味でも、小さなコミュニティ形成を通じてそういう言葉が普通に会話で使われるようなきっかけを私たちは提供できればと考えています。