MUJI×UR 団地リノベーションプロジェクト 対談
団地を舞台に考える“感じ良いくらし”2019

最近の無印良品の活動01_GACHAプロジェクト@フィンランド
金井
ここでのプロジェクトにも繋がってくると思うので、最近私たちが取り組んでいる活動をすこしお見せしたいと思います。
これは「GACHA Sensible4×MUJI」というプロジェクトで、フィンランドで今年の3月4日にお披露目をするものです。
フィンランドの3つの都市ではじめて、2020年には本格的に稼働させようと考えています。「GACHA」とはこのバスのデザインのことで、私たちが車体デザインを担当しました。おもちゃが入っているあのガチャガチャのイメージを自動運転のバスのデザインに採り入れたんです。
フィンランドの冬は極寒です。雪が降り、風が吹き、道は凍てつく過酷な環境の中で、いかに無人で安全に自動運転の車を走らせることができるかというプロジェクトを、フィンランドで自動運転技術の研究開発を行っている企業「Sensible4」が、ヘルシンキ周辺の3つの都市エスポー、ヴァンター、ハメーンリンナのサポートを受けて開発しています。自動運転のレベルは現時点で最先端のレベル4です。アメリカや中国でもレベル4はありますが、これらは比較的温暖な気候条件下でのテスト・開発で、雪や吹雪の中ではテストしていないのでおそらく走れないでしょう。
彼らがやろうとしていることは何が違うかというと、24時間バスが走る道路のマップをつくるテクノロジーの開発です。いま、路面がどんな状況か、温度湿度を含めた路面情報がなくては安全に自動運転の車を走らせることはできません。
レベル4ですからハンドルもありません。日本の法規ではまだ完全無人運転は許されていませんが、フィンランドでは現時点でも法的にそれが可能です。
私たちがこんなことをやっているなんて、まだみなさんあまりご存じないですよね。
里見
自動運転と無印良品さんがどうつながるのか、まだイメージがわきません。
金井
私たちがなぜ彼らと関わっているかというと、先ほど里見さんがおっしゃったシェアやレンタルというものは、デジタル技術が発展してマッチングが容易になってとても可能性が広がりました。しかしこれを単純な資本の論理だけで推し進めてしまうと、社会は大変なことになるだろうと思ったからです。現在、自動運転の開発をしているほとんどの企業がそれをつくってどう金儲けをしようかという発想です。だから世界中の企業がものすごい資金を投入して競争している。
でも、資本の論理だけでやってしまうと中国のシェア自転車のようになりかねない。中国のシェア自転車は、一気に火がついて60数社が参入して投資家を煽り、採算度外視でとりあえずシェアを取れと躍起になった結果、次々と経営破綻し、いまでは1社だけになりました。そして、街のいたるところに使われなくなった自転車が捨てられている。恐ろしい話だと思います。
このような状況を見たときに、産学官と市民が一緒になって、これからどういう社会をつくっていくのかという構想力がすごく重要だと感じました。そうした社会に自動運転技術が役に立つのであれば、入れ込んでいけばいいのです。
フィンランドは、社会資本主義というのでしょうか、こうしたことがちゃんとまわっているという印象が私にはあります。政治家も人数が少なくて、しかも別に職業を持ちながら政治もやっている。だから議会が土曜日に開催されたりする。こういう一体感をつくっていかないといけないと私は思っています。
最新の無印良品の活動02_幸せの黄色い夕張
金井
もうひとつは、北海道の夕張市での活動です。夕張市はもともと炭鉱の町でしたが財政破綻し、人口は現在8,000人くらいしかいません。そのせいか暗いイメージがありますが、東京都の職員から転身した、若い鈴木直道市長が地域再生をがんばっている。私たちはそれを応援しようと思い、ここを黄色い幸せの夕張にすべく「幸福の黄色い花咲く街ー夕張ー」というプロジェクトのお手伝いをはじめました。無印良品の北海道のメンバーが黄色い葉の樹木や黄色い花を植える活動を始めたんです。
その際に、地域の老人たちの実際の生活をリサーチした結果を聞いて身につまされました。たとえばひとり暮らしのおじいさんの家の風呂場はほとんど物置になってしまっているんだそうです。洗濯機もほぼ使っていなくて、自分で手洗いだそうです。
何が起きているのか想像できますか? 奥さまがいなくなってひとり暮らしになった男性たちの生活がどうなるかということを。風呂を掃除して毎日入ろうという気持ちは失せてしまうらしいんです。洗濯機をまわそうという感覚もなく、手で洗ってすませるという状況だと聞きました。
彼らは若いころから炭鉱で一生懸命働いて、内風呂を家族で夢見て実現し、洗濯機も冷蔵庫もテレビも買うことを夢見てそれを実現してきたわけです。ところが子どもが独立し、奥さまとも死別してひとりで暮らすようになったら、「所有したもののほとんど使わないもの」になり果てた、ということなんです。
だからこの団地にも、大なり小なり同じようなことが起きているに違いない。さまざまな夢を持って地方から東京に出てきた人たちに住む場所を提供し、彼らは家族団らんでテーブルを囲んで一緒に食事をして、次は三種の神器も欲しいねということで頑張って働いて手に入れる、それが豊かさだった時代がありました。でも、現在高齢化されたその方たちを見ていると、これからはもはや所有ではなく使用であり共有なんだ、そちらに向かっていくんだと明快に感じています。
そう考えたときに、夕張にGACHAが走る姿をイメージできました。
夕張に行くとほとんどの方が車に乗っています。JR石勝線支線はまもなく廃止予定で、公共交通としては東京都から譲り受けた大型バスが走っていますが、乗っているのはほんの数人ですから採算は合わない。とはいえなくなると車に乗れない人たち、乗れなくなった人たちは本当に困ります。
そこで、いままで一軒一軒が所有してきた、つまり所有という概念の元にあった車の代わりに、小さなGACHAが山手線みたいにぐるぐる走りまわって、まちの中央に「MUJI SHARE HOME」みたいなお風呂や最先端のランドリーがあって、映画を楽しめたり本も読めたりといったシェアスペースをつくって、そこにみんなが出てくるという生活を再設計すればよいのではないかと思ったのです。 足の悪い方のところには当然家まで行けますし、そうではない人はバス停まできてもらう、みたいな社会を構想したときに、このGACHAは、省エネ・省コストだし、社会を再構築するツールになるのではないかと思ったんです。
そして夕張には炭鉱の人たちが住んだ住宅がまだたくさん残っているんですが、それらをリノベーションし、そこにオタマからスプーンまで基本的な生活用品をすべて揃えて、ホテルみたいに使える家、「MUJI HOME HOTEL」みたいなものを用意して、関係人口が増えたらここに住んでもらうようなこともイメージしています。
私たちは、シェアの時代をどうつくっていくかというイメージがあり、いまはこんな活動をやっています。なので、私たちの考えていることと、URのみなさんが進めようとしていることは、同じ方向を向いているのではないでしょうか。