応募点数は圧倒的であった。それも世界中の様々な地域からであり、敢えて言えば、MUJIという考え方が共通の認識として成立し、更に進化をしようとする強いエネルギーを感じさせられた。
20世紀の後半は、ある意味でデザインの時代であった。車や衣料品、家電、オーディオ、通信、住宅等、新しい技術が開発され、そして量産され、それらによって我々の生活は著しく変化した。それらの製品は競い合って魅力的であろうとし、商品としての販売量を拡大する事で社会の経済基盤を強固にしてきたのである。
我々が文化について考える時、その時代の製品群を思い浮かべるのではないだろうか。中国の家具や窓飾りや茶器、朝鮮時代の木工や陶器、イギリスの田舎に見られる家々、そうした古いものだけではなく、20年前、30年前を思い出すのは当時流行した衣料品のスタイルや車やテレビのデザインであったりする。
我々が生活をする事やその価値を、文化として見做すとするならば、周辺にある様々な製品は、まさに文化であり、生活する一つの大きな目標とも言えるのである。
今、デザインの価値は多少混乱しているように見える。商品としての価値感は相変わらず強く求められながら、同時に商品的ではない、むしろ商品から距離を置いた価値感も強く求められ始めている。当然であるが、我々の生活は商品化されたくないに決まっている。ここが難しいのである。MUJIの領域はここに由っていると私は考えている。
今回の金賞「抜け殻」は、様々な意見が検討された。プロダクトデザインの論理からは不評であろう。しかし、であるからこそ、価値があると私は思う。我々は合理性の為に生きているのではなく、心が豊かになる為に生活したいからである。むしろ現状のプロダクトデザインの在り方が問われるべきではないだろうか。
銀賞以下の各作品もそれぞれ強い魅力を発している。しかし敢えて言えば、MUJIだからこうあらねば、という視点は、少し変化しても良いのではないだろうか。
それは今や当然であって、その中からもっと我々を楽しませ豊かな気持ちになるようなデザインに進化したいのである。
